第11話 人を救う薬
応接室で簡易の昼食を取ったあと、グレゴリオ最高司祭が立ち上がった。
「私はこのあとに予定がありますので、これで失礼いたしますよ」
お父様がうなずいて立ち上がった。
「では私も、ギーグと共に警備体制の見直しをしよう。
聖女が来た以上、これまで以上に厳重にせねばな。
――シトラス、お前は部屋に戻っていなさい」
私は小さくうなずいて立ち上がった。
「はい、わかりました」
四人で応接室を出て、それぞれの方向へ歩いていく。
二階に続く階段を上って行き、自分の部屋に向かって歩き出す――あれ? 部屋の前に居るのは……アンリ兄様?
こちらを見ているようだけど、動く様子はない。
私の部屋の前で、何をしてるんだろう?
「どうなさったんですか? 何かご用でしょうか」
アンリ兄様は少しためらった様子を見せたあと、私の目を見て告げる。
「……馬に乗らないか。とっておきの場所があるんだ」
私は小首をかしげて尋ねる。
「馬……お兄様のポニーですか? それでどこに行くのですか?」
「公爵邸の近くに丘がある。そこに行こう。見晴らしがいいんだ」
今度はグイグイ来るんだなぁ。無表情で何を考えてるのかは分からないけど。
「それでアンリ兄様のお気が済むのでしたら、お付き合いいたします」
ん? なんだかアンリ兄様の表情が少し緩んだ? 気のせいかな?
「――こっちだ! 付いてきてくれ!」
私の手を取り、アンリ兄様が走り出した。
駆け出すアンリ兄様に遅れないよう、私も走り出した。
****
ポニーに相乗りになり、速歩で森を突っ切っていく。
私を乗せてるからか、少しゆっくり走ってるみたいだ。
アンリ兄様が前を見ながら私に告げる。
「なぁシトラス、聖女になるとはどんな気分なんだ?」
どんなって言われてもなぁ。もうかれこれ十年以上、聖女をやってるし。
「そうですわね……私にとっては『当たり前のこと』のように感じます。
アンリ兄様こそ、公爵令息であることをどう思ってるのですか?」
「私にとっても、それは『当たり前のこと』だ。
だが私が家を継がなくても、弟たちがいる。
父上に似て、優秀な領主になれるはずだ。私が後を継ぐ必要もないだろう」
はて? 変なことを言い出したな?
「後を継ぎたくないのですか?」
「……私は父上ほど器用には生きられない。
この性格では、我が家に仕える者たちにも気苦労をかける。
ならば家を出て、一人で気ままに愛する女性と添い遂げる人生を送りたいと思っている」
意外な一面だ。『冷血貴公子のアンリ公爵令息』といえば、滅私奉公の代名詞のような印象だった。
ん? だけど『弟がいる』って話は聞いたことがないぞ?
「弟がいるのですか?」
「ああ、二人いる。コルラウトとエルベルトだ。
だが母に似て病弱でな。そこが気がかりではある」
そういえば、今日は公爵夫人とも会ってない。
「お母様も病弱なのですか?」
「ああ。だから社交界にもあまり顔を出せていない。
若いころはマシだったらしいが、弟たちを生んでからは体調が悪い日が多い。
普段は部屋にこもりきりだ」
「私がお母様にお会いすることはできないのでしょうか。
もしかしたら、私の持つ聖神様の加護で、お母様の体調を改善させることができるかもしれません」
生来の虚弱体質だったら分からない。でも病気なら治せるんじゃないかな。
アンリ兄様は私の目を見つめ、深く考え込んでいるようだった。
「……頼んでも構わないだろうか。丘の上の景色はまた今度になってしまうが」
私はニコリと微笑んでうなずいた。
「喜んで。お母様にも、新しい娘としてご挨拶しなければなりませんし!」
アンリ兄様の目が、眩しいものを見るように細められた。
そのままポニーは反転し、公爵邸に向かって速歩で駆け出した。
****
アンリ兄様に案内され、私はティベリオ夫人――お母様の部屋の前にいた。
アンリ兄様の手がドアをノックする。
「母上、アンリです。今よろしいでしょうか」
中で気配がして、しばらくするとドアが開いて侍女が姿を見せた。
「奥様は本日も体調が思わしくありません。
あまりお時間をおかけにならないよう、ご注意ください」
アンリ兄様がうなずきながら、室内に入っていく。
私もその背中を追って、部屋の中に入った。
室内のベッドに居たのは、長いシルバーブロンドの綺麗な女性だった。
やつれて血色が悪いけど、それでも気品を漂わせている。
「どうしたの? アンリ。いつもは遠慮して顔を見せてもくれないのに。
――あら、その子がシトラスかしら。
こんな格好でごめんなさいね。私があなたの新しい母親、ティベリオよ。
我が家に女の子がやってくるだなんて……ふふ、なんだか嬉しくなってしまうわね」
力のない微笑みを浮かべるお母様に、私はカーテシーで挨拶する。
「今日からお母様の娘になった、シトラスです。これからよろしくお願いします」
部屋に入った時から、私は嫌な気配を感じていた。
その気配に目を走らせると、薬の袋が置いてあった。
「お母様、その薬はどうやって手に入れられたんですか?」
お母様がきょとんとして私を見つめた。
「このお薬は宮廷医師のロレコ子爵が処方してくれたものよ? それがどうしたの?」
「……まず先に、お母様に癒しを与えますね。≪慈愛の癒し≫!」
私の全力の祈りを込めた奇跡が、お母様の体を包み込んだ。
眩い光が収まると、お母様は呆然とするように自分の両手を見つめていた。
「これは……何をしたの? さっきまでの苦しさが嘘のように消えてしまったわ……」
すっかり血色がよくなったお母様に、私は汗だくで答える。
「お母様の生命力を元に戻しただけですわ。
次に――≪無垢なる妖精≫!」
私は薬に向かって祈りを込めた。
薬の袋からふわりと小さな女の子が浮き上がり、宙を浮いていた。
悲し気な表情の妖精に、私は尋ねる。
「あなた、ただの薬じゃないわね? 説明できる?」
『私は人を癒す薬。でも人を殺してしまう薬も混じってるの。
この人が私を飲むのを、私は黙って見守るしかなかった』
妖精がお母様に向き直って叫ぶ。
『でもこうして姿と声を与えられた今だから、どうか言わせて!
もう私を飲まないで! あなたが死んでしまうわ!』
お母様が戸惑いながら妖精に答える。
「この子は何なのかしら……それに、人を殺してしまう薬って、どういうことなの?
この薬はロレコ子爵が処方したものよ? 彼が間違えたとでもいうの?」
妖精が悲しそうに首を横に振った。
『私には家畜を殺すための薬が、少しだけ混ざっているのよ。
そんなものを人間が飲んでしまえば、徐々に衰弱して死んでしまう。
ロレコ子爵はあなたを毒殺しようとしているのよ!』
私はすぐに背後に振り向き、戸惑っている侍女に告げる。
「お父様を呼んできて! このことを告げて構わないわ! ロレコ子爵は宰相の手の者よ!」
その言葉で血相を変えた侍女が、慌てて部屋の外へ飛び出していった。
その背中を見送る私に妖精が告げる。
『ありがとうシトラス。私の主体は人を助ける薬。
この人を殺してしまう前に間に合ってよかった』
「私こそお礼を言うわ。あなたの主体が毒薬の方だったら、きっとそんな真実は教えてくれなかったのでしょうね」
『ロレコ子爵は徐々に苦しめながら殺そうとしてるみたい。
だから毒薬は人間に対して少しずつ作用するように調合されてるわ』
アンリ兄様が愕然とした様子で妖精に尋ねる。
「なぜ、そのような手間を……」
『エルメーテ公爵家を苦しめるためじゃないかしら。
もうほとんど手遅れに近かったのだけれど、シトラスの奇跡が間に合ったわ。
これ以上薬を飲まなければ、大丈夫なはずよ』
アンリ兄様がハッとしたように顔を上げた。
「――まさか、弟たちが病弱なのも?!」
妖精が悲しそうにうなずいた。
『彼らの薬にも、同じ毒薬が混ぜられているわ。このままなら何年も生きられないはずよ』
アンリ兄様が慌てて私に向かって振り向いた。
――何も言わなくても分かってる。私はしっかりとうなずいた。
「弟たちの部屋に案内してください!」




