第7話 月影の儀式と“封印の真実”
夜の王都を離れ、東の森を越えた先に“月影の神殿”がある。
千年前、初代聖女リシェルが影を封じた場所――その名だけが伝説として残っていた。
風が冷たい。
木々のざわめきの奥に、どこか懐かしい響きを感じながら、紗夜は歩みを進めた。
隣を歩くレオンは無言だった。
「……ねえ、レオン」
「なんだ」
「カイルは、本当に倒さなきゃいけないの?」
その問いに、彼は少しだけ目を伏せた。
「……あいつは弟だ。
だが、もう昔のあいつじゃない。
影の力に飲み込まれた今、止められるのは俺たちしかいない」
紗夜は唇を噛んだ。
その時、ふいに風が吹き抜け、遠くに青白い光が見えた。
「あれが……神殿?」
「ああ。月光の封印がまだ残っているらしい」
二人が近づくにつれ、空気が変わっていく。
ひんやりとした風、石畳に刻まれた古代文字、そして――壁に描かれた一枚の絵。
それは、金髪の女性と黒翼の男が対峙する光景だった。
「これ……聖女リシェルと、“影の王”?」
「ああ。伝承によれば、影の王は元々、聖女の伴侶だったらしい。
けれど、封印の儀式の中で……二人は敵となった」
「……まるで、今の私たちとカイルみたい」
紗夜の呟きに、レオンは何も言わなかった。
ただ、そっと彼女の手を握った。
「お前がいる限り、俺は闇には堕ちない。
この契約が、それを証明している」
その瞬間、二人の紋章が淡く光り、神殿の扉がゆっくりと開いた。
中は静寂に包まれていた。
中央には円形の祭壇、周囲を囲むように浮かぶ青い結晶。
そして、空中に漂う一枚の“光の記録”。
声が流れ出した。
それは、女性の優しい声――聖女リシェルのものだった。
「――我が血を継ぐ者へ。
この封印は、影を滅ぼすためのものではない。
光と影を再びひとつに戻すための、祈りの契約である。」
紗夜の胸が強く打った。
「封印って……滅ぼすためじゃなかったの?」
「つまり、“影”は本来、世界の一部だったということか」
そのとき、空気が揺らいだ。
神殿の奥に黒い霧が集まり、ひとりの人影が現れる。
「――やはり、ここに来たか。兄上」
カイルだった。
だがその姿は、もはや人ではない。
背中からは黒い翼が広がり、瞳は完全に漆黒へと染まっていた。
「カイル……やめて! この封印はあなたを滅ぼすためのものじゃない!」
「わかっている。だからこそ、封印を“解く”のだ」
彼の声が響くと同時に、祭壇が震えた。
黒い魔法陣が浮かび上がり、神殿全体が軋みを上げる。
レオンが剣を構え、前に出た。
「カイル! お前はもう戻れないのか!」
「戻る? 違う、兄上。これこそが俺の“完成”だ!」
黒い刃が放たれ、レオンの剣とぶつかる。
衝撃が走り、床が砕ける。
紗夜は後ろへ下がりながらも、必死に祈りの言葉を唱えた。
「リシェル……聖女リシェル。どうすれば……この世界を救えるの?」
すると、頭の奥に声が響いた。
「封印を“解く”のではなく、“受け入れなさい”。
光と影、どちらも拒むことなく。」
その言葉に、紗夜は目を見開いた。
「レオン、下がって!」
「何を――」
「私に任せて!」
紗夜の体から光が溢れ出した。
白金の輝きが神殿を包み、影すらも照らす。
「……これは!」
カイルが一瞬怯む。
紗夜は両手を広げ、光の中に一歩踏み込んだ。
「影は憎しみじゃない。
悲しみと恐れの記憶。
なら、私は――それを癒す!」
彼女の言葉と共に、光が闇を包み込む。
黒い霧の中で、カイルの瞳に一瞬だけ人間の光が戻った。
「兄上……俺は……」
「カイル!」
レオンが駆け寄るが、その瞬間、祭壇が崩れ落ちる。
黒い翼が砕け、光が弾けた。
――そして、静寂。
気づけば、神殿の中は柔らかな月明かりに満たされていた。
レオンの腕の中で、紗夜がゆっくりと目を開ける。
「……カイルは?」
「わからない。
だが、あの光の中で……微笑んでいた」
紗夜は静かに目を閉じた。
胸の中で、誰かの声が優しく囁く。
「ありがとう。これで、またひとつになれた。」
その瞬間、彼女の紋章が淡く消えていった。
「……封印が、終わった?」
「ああ。影も、聖女も――再び世界に溶けたんだ」
二人の間を、月光が照らす。
長い夜の終わりを告げるように。
レオンはそっと紗夜の手を取った。
「これで、本当に終わりだな」
「ううん。ここから始まるんだよ」
「始まる?」
「“影”を癒やした後の世界を、私たちで見届けなきゃ」
紗夜の笑顔に、レオンは小さく笑った。
「……まったく、お前は本当に眩しい」
月光が差し込む。
二人の影がひとつに重なり、静かな夜が世界を包んだ。
 




