第3話 王都からの使者
翌朝、いつもより風が冷たかった。
昨日まで青く晴れていた空が、今日はどこか白く濁っている。
薬棚の瓶も、少し湿って見えた。
「嫌な天気……。本当に疫病なんて、あるのかな」
呟きながら湯を沸かしていると、カラン、とドアベルが鳴った。
いつものレオンかと思いきや、入ってきたのは見知らぬ男たち。
銀の鎧に王家の紋章。三人。空気が一瞬で張りつめた。
「……ここが、星屑薬舗か」
「え、は、はいっ」
思わず姿勢を正す。
騎士の一人が羊皮紙を取り出した。
「王都からの正式な命により、この町に疫病対策の協力者を探している。
推薦者は――レオン殿下」
「……は?」
名前を聞いた瞬間、脳が固まった。
殿下。つまり、本当に王子だったのか。
「推薦者? あの人、勝手にそんなこと……」
「星屑薬舗の薬師、雨宮紗夜殿で間違いないな?」
「ま、間違いないけど……」
「では、殿下の命により貴殿を王都へお連れする」
「ちょ、ちょっと待って! まだ店、開けたばかりで……!」
抵抗する暇もなく、あっという間に馬車の前に立たされていた。
扉が開くと、そこには見慣れた顔――レオンが静かに座っていた。
「来たか」
「“来たか”じゃないでしょ! 人を勝手に王都送りにするなんて!」
「すまない。だが時間がない」
彼の表情は真剣そのものだった。
昨夜までの軽いやり取りとは違う。
その瞳には、焦りが宿っている。
「王都では原因不明の病が広がっている。熱、咳、皮膚の発疹。
既存の薬も魔法も効かない。……昨日、三人が亡くなった」
馬車が動き出す。
街を抜け、森の道を進むにつれて、空気が冷えていく。
「でも、どうして私を?」
「お前の薬。あの子どもに出したもの、覚えているか?」
「ミナちゃんの?」
「それを飲んだ者たちは、皆すぐに回復した。噂が王都に届いた。
“奇跡の薬を作る薬師”がいる、と」
「……そんな大げさな」
けれど、レオンの目は本気だ。
「俺は……かつて母上をこの病で失った。
同じ症状だ。だから放っておけない」
小さく握られた拳が、膝の上で震えていた。
その姿を見た瞬間、紗夜は黙った。
「……わかった。行く」
言葉に迷いはなかった。
元OLの習性なのか、困っている相手を見ると放っておけない。
それに――レオンのその横顔を、もう悲しませたくなかった。
馬車が王都に近づくにつれ、空が灰色に沈んでいく。
町に入ると、通りには人の姿がほとんどない。
窓を閉めた家々。漂う薬草の焦げた匂い。
確かに“病”がこの街を包んでいた。
「……空気、重いね」
「感染を恐れて、人々は外に出ない」
やがて王宮の門が見えてきた。
巨大な白い石造りの城。
だがその美しさの中に、どこか陰が差している。
案内された先は、簡易の療養所。
そこには数人の患者が横たわっていた。
子ども、兵士、老人――誰もが同じ赤い発疹を持っている。
紗夜は息を呑んだ。
目の前の症状は、どこかで見覚えがあった。
(発疹……高熱……呼吸困難。これ、まさか――)
机に並べられた薬瓶を手に取り、匂いを嗅ぐ。
どれも薬草そのまま。煎じ方も粗い。
「これじゃ、有効成分が出てない。
温度管理がめちゃくちゃ……。これ、煮詰めすぎで効かなくなってる」
思わず口に出すと、傍にいた宮廷医師が眉をひそめた。
「な、何を勝手なことを!」
「現代――じゃなくて、科学的に考えれば当然です!」
勢いで言いかけ、慌てて言葉を濁す。
レオンがすかさず間に入った。
「この者に任せろ。異国の知識を持つ薬師だ」
医師たちは不満げに下がったが、レオンの一言で空気が変わる。
「材料を借ります。湯と清潔な布も」
手際よく薬草を刻み、火加減を細かく調整する。
温度が上がりすぎないよう、木の蓋を少し開けて蒸気を逃がす。
やがて部屋に、甘く爽やかな香りが広がった。
「これを一口、飲ませてください」
最も症状の重い少年に、薬を口に含ませる。
しばらくして、少年の顔から苦痛の色が少しずつ消えていった。
「……呼吸が、楽になった?」
医師が驚いた声を上げる。
紗夜は深呼吸をして、小さく笑った。
「炎症反応が強すぎたの。体を冷やして鎮静化させる成分を入れたのよ」
「なるほど……」
レオンの瞳が、わずかに光を取り戻す。
「お前、本当に……不思議な女だ」
「“変わってる”よりはマシかな?」
「いや、どちらでも構わん。今はお前が必要だ」
その言葉が妙に真っ直ぐで、紗夜は一瞬言葉を失った。
その夜。
病室の外に出ると、王都の空にぼんやりと星が瞬いていた。
薬の香りと、遠くの鐘の音。
それらが静かに混じり合い、夜を包んでいる。
「……少し、怖いか?」
背後からレオンの声。
「怖いよ。でも、それ以上に、放っておけない」
「だから、お前を呼んだ」
そう言って、彼は空を見上げる。
その横顔には、悲しみよりも決意の色が浮かんでいた。
「この病は、ただの流行り病ではない。
母上が亡くなった時も、王家にしか出なかった症状だ。
……“呪い”だと囁く者もいる」
「呪い?」
「真相を確かめる。だが、そのためにはお前の力が要る」
静かな夜風が二人の間を抜けていく。
紗夜は少し考え、それから真っ直ぐにうなずいた。
「わかった。協力する」
「感謝する」
レオンはその場で軽く頭を下げた。
それは、王族としてではなく、一人の人間としての礼のように見えた。
星の光が二人を照らす。
その光の下で、紗夜はふと思う。
(この世界に来たのは、きっと――何かを治すためなんだ)
その夜、星屑薬舗の薬師は初めて、王都の闇に足を踏み入れた。
そして、彼女の運命が大きく動き出すことを、まだ誰も知らなかった。
 




