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転生したら薬屋の娘でしたが、隣の王子に毎日薬を求められて困っています。  作者: 和三盆


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第13話 教団の試練と暁の盟約

 秋の風が、王都の街路樹の葉をやさしく揺らしていた。

 《ルクス・ノア》の前にはいつものように人々の列ができ、薬と笑顔を求める声が途切れない。だが街の空気はまだ油断ならない。白巫女教団の改革は進みつつあるものの、内部には根強い過激派が残り、未だに小競り合いが各地で起きていた。


 その日は朝から慌ただしかった。紗夜が包帯を結び終えると、外で大きな怒号が聞こえた。


「騒がしいわね」紗夜が顔を上げると、ルシアンが息を切らして駆け込んできた。


「母さん! 教団の過激派が西の市場で暴れてるって! 人が傷ついてるらしい!」


 ルシアンの額には汗が光る。診療所の辺りは普段は平和だが、混乱が波及するのは時間の問題だ。紗夜はさっと身支度を整え、カイに目配せする。


「カイ、ルシアン、行くわよ。被害者の手当てと、過激派の抑止を手伝って」


 カイは頷き、黒い紋章を指先でさする。彼の瞳に微かな緊張がよぎるが、それはすぐに決意へと変わった。


 西の市場は混乱していた。屋台が倒れ、商品が散乱し、叫び声が飛び交う。白巫女教団の名を冠した過激派――黒白の帯を巻いた一団が、青い布で顔を覆い、街頭で「光の浄化」を強行している。彼らは「影を拒絶する」に至高の正義を見いだしており、誰もが従うべきだと信じている。


 先頭には、褐色の肌に浅黒い瞳をした男が立っていた。年のころは三十に満たないか。声は大きく、手には祭具を模した光る刀を持っている。


「光の名の下に、穢れを断つ! 影を抱く者は去れ!」


 民衆は恐怖に震え、いくつかの家畜が逃げ回る。紗夜は瞬時に状況を把握した。過激派は「影の消失」を引き起こす儀式のミニコピーを行い、その結果近隣の家屋で影が薄れているという。


「やらせてはならない」ルシアンが叫び、剣を抜く。だが民を傷つけられないジレンマがある。カイが前に出て、黒い風を静かに練る。


「過激派の狙いは、恐怖で支持を固めることだ。暴力ではなく、こちらが先に“記憶”を取り戻せばいい」


 紗夜は小声で答える。「まずはけが人の手当てを。ルシアンは彼らの注意を引いて。私たちは“元に戻す”を示さなきゃ」


 ルシアンは頷き、カイの合図で街の人々の間へ飛び込んだ。彼は剣を振るって示威をする代わりに、自分の持つ王家の声を届かせるように、大きな声で民の記憶について語り始めた。幼い頃の祭、祖母の歌、町の市場の匂い。声は次第に人々の耳を掴み、集まる者の顔に少しずつ安堵が戻っていく。


 同時に、紗夜とカイは行方不明になった影を探し回る。影は記憶の粒子として街の隙間に存在している。紗夜はハーブティーを煮出し、記憶を呼び覚ますような匂いを空気に漂わせる。ミント、カモミール、柑橘が混ざった香りは、人の古い情景を刺激する。カイは黒風で影の微粒子をかき集め、柔らかく紡いでいく。


 やがて、屋台の脇で若い母親とその子が抱き合っているのが見えた。母親は泣きながら「おばあちゃんの影がないの」と震える。紗夜は膝をつき、手を取ると優しく言った。


「大丈夫。覚えている景色や匂いを一緒に思い出して。私が手伝うわ」


 母親は震えながら昔話を語り始める。屋台の近くにあった古い灯り、泥だらけの子どものころの靴、隣人の笑い声。紗夜はその語りを織物のように紡ぎ、カイが黒い風で補強する。徐々に、母親の足元にかすかな輪郭が戻り、母親は短く息を吸って笑った。


「戻った……ありがとう、本当にありがとう」


 民の中からはすすり泣きと歓声が混ざった。過激派の目は次第に不安に染まる。リーダーの肌に浮かぶ血管が膨らみ、怒りが新たに燃え上がる。


「卑劣な術だ! 黒魔術だ! そいつらを留めよ!」


 彼らは剣を上げ、民衆へ圧力をかけ始めた。カイは鋭く息を吐き、黒風を盾に変える。ルシアンはその隙をついて過激派の前に立ち、刀身は真っ直ぐだが殺気は帯びない。


「やめろ! みんなは自分の影も、生きた証も持つ。奪う権利は誰にもない!」


 リーダーの目が獰猛に光る。だが、祭具の刀を振ろうとしたところで、頭上に投げ込まれた白い布がひらりと舞い落ち、周囲の気配を変えた。


 ――そこに立っていたのは、エルミナだった。教団の元代表であり、いまは改革派の筆頭。彼女の表情は険しく、だが慈愛に満ちていた。


「暴力はもう終わりです!」とエルミナは叫ぶ。「貴方たちの行いは、救いではない。恐れに付け入るだけだ」


 過激派の面々は一瞬たじろぐ。だがリーダーは吹き出して嘲った。


「女王の前で何ができる! 我らは光を取り戻すのだ!」


 言葉は鋭く、場は再び緊迫する。紗夜はエルミナの方へ近づいた。二人の視線が合う。


「あなたが、変わることを選んだの?」紗夜が静かに尋ねる。


「私は間違えた。それを、みんなの前で示し直す必要があった」とエルミナは答えた。「でも、内部の過激派を制するには、法と民の支持が必要。あなたたちの力が必要です」


 紗夜は深く息を吸い、頷く。状況は力だけでは解決しない。民の心を取り戻し、教団も含めて再建していくしかないと二人は理解していた。


 だがリーダーはそれを聞かず、剣を振り上げる。カイの目が黒く光り、ルシアンが構える。だが今回の戦いは剣術見せ場ではない。紗夜は群衆の中へ入り、リーダーの前に立った。


「見て。あなたの母さんの庭の薔薇の香り、父さんが作った壊れかけの椅子。忘れてないでしょ?」紗夜は全力で叫ぶ。彼女の言葉が届くかどうかは分からない。ただ、彼女は人の記憶に訴えかける術を信じていた。


 民の中から一人、リーダーの幼い頃を知る者が顔を上げる。彼は震えながら昔話を語り始めた。かつてリーダーが小さな橋から落ちそうになったとき、年老いた橋守が手を差し伸べたこと。橋守は笑い、傷を縫い、リーダーを励ました。話を聞くうち、リーダーの目が潤む。思い出は刃ではなく、柔らかい痛みを与える。


 その隙に、エルミナが低い声で言った。「戻ってきなさい。真の光は、手を差し伸べること。奪い去ることではありません」


 リーダーは剣を落とし、膝から崩れ落ちた。周囲の者たちも同様に力をなくし、騒ぎは次第に収束していく。だが完全な和解ではない。怒りと恐れは根深く、解決には時間が必要だ。


 市場の後始末が終わった頃、紗夜、ルシアン、カイ、そしてエルミナは公会堂の一室に集められていた。そこでエルミナは静かに提案をした。


「教団の中で“暁の盟約”という枠組みをつくりたいのです。影と光、双方の理解を深める教育プログラムと、被害者の補償制度。現場での“影回復隊”を設置し、紋章持ちの者たちにはその調整役となってもらいたい」


 レオンの顧問が書類を広げ、数字と計画を示す。会議は長く、時に議論は白熱する。だが唯一の共通認識は、暴力で解決することはできないということだった。


 紗夜は席で深呼吸をした。自分のやってきたことが、ほんの小さな種となり始めたのだと感じる。民の記憶が戻る瞬間を見て、彼女の胸はふるえた。だが覚悟もある。教団の改革は布告だけで終わらない。人々の心に根を張らせるためには、地道な努力と時として妥協も必要だ。


 会議の終わり、エルミナが立ち上がり、四人に向かって言った。


「暁の盟約を今ここで誓います。光と影を互いに尊重し、共にこの国を治める。過去の罪を認め、赦しを求め、そして新しい土台を築くために行動する」


 紗夜は静かに頷き、ルシアンとカイも誓いの言葉を小さく繰り返す。外では民衆が集まり、その誓いを聞いて拍手が起きた。誓いは一枚の糸のように、人々の心に繋がっていく。


 夜、診療所の屋根で三人は再び夜空を眺めていた。星は静かに瞬き、街の灯は暖かく揺れている。市場で見た小さな和解が、少しは希望を育んだのだと糧に思えた。


「今日はよくやったよ」ルシアンが言う。

「あなたが皆を導いたんだよ」と紗夜は返す。


 カイは遠くを見ながら言った。「まだ手強い相手はいる。だが、俺は逃げない。暁の盟約――それがどんな形で祭られようと、守るべきものは守る」


 紗夜は二人の手を取った。「私たち三人でやろう。光も影も、民も、教団も。時間はかかるかもしれない。でも、今日は一歩進んだ」


 三人は拳を合わせ、静かに誓いを交わした。月がその上を照らし、風が優しく頬を撫でる。


 暁の盟約は宣言された。だがそれは終わりではない。始まりだ。失われた影を一つずつ拾い、忘れかけた記憶を一つずつ取り戻しながら、この国はゆっくりと変わっていく。


 そして、その先にどんな未来が待っているかは、今の彼らにはまだ分からない。分からないからこそ、歩む価値があるのだと紗夜は思う。

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