第9話 暁の契約 ― 新たなる継承者 ―
朝焼けが王都ルクスを染め上げる。
金色に輝く城壁、風に揺れる旗。
人々の笑顔と共に、世界は確かに“平和”を取り戻していた。
だが、その静けさの底には、微かに“ざわめく影”があった。
診療所。
薬草の香りに包まれた室内で、紗夜は一人の少女の手当てをしていた。
「はい、これでおしまい。よく頑張ったね」
「ありがとう、先生!」
少女が元気よく帰っていく。
その背を見送りながら、紗夜は静かに笑った。
あれから七年――。
聖女リシェルの封印が解け、影の災厄が終わってから、もうそんなに経つ。
紗夜は今もこの街で、薬師として人々を癒していた。
「……今日もいい天気」
窓を開けると、外の広場で剣の音が響いていた。
鍛錬場では、少年たちが訓練をしている。
その中心に、金髪の青年が立っていた。
「……まったく、そっくりだね」
紗夜が呟く。
彼の名は――ルシアン・ヴァルクレア。
レオンと紗夜の息子だった。
十五歳。
聖女の光と、王の血を受け継ぐ少年。
けれど、彼はまだその力の意味を知らない。
「母さん、ただいま!」
勢いよく扉が開く。
ルシアンが剣を担ぎ、満面の笑みを浮かべていた。
「今日も遅くまで訓練? あんまり無理しちゃダメよ」
「平気! 父上に追いつくには、まだまだだし!」
その元気な声に、紗夜は思わず笑ってしまう。
「レオン王は忙しいのに、毎朝鍛錬してるのね」
「うん、でも最近変なんだ」
「変?」
「父上、時々ぼーっと空を見上げてるんだ。
まるで、誰かを想ってるみたいに」
紗夜の表情が、一瞬だけ曇った。
その“誰か”が誰か、彼女にはわかっていた。
(……カイル。あなたの魂は、どこにいるの?)
かつての“影の王”は、光に包まれて消えた。
けれど、リシェルの言葉を思い出す。
『影は滅びではなく、再生。
必ず、また新たな姿で現れるでしょう。』
その言葉が、胸の奥でずっと響いていた。
夜。
王城の最上階、月光が差し込む王の間。
レオンは静かに剣を磨いていた。
「……まだ、眠れないのか」
背後から紗夜の声がする。
彼は顔を上げ、少しだけ微笑んだ。
「昔から、夜になると落ち着かなくてな。
剣を手にしていると、何かが見える気がする」
「カイルのこと?」
「……ああ。
時々、あいつの声が聞こえるんだ。
“まだ終わっていない”と」
レオンの視線が、夜空の月へ向けられる。
その光が、どこか不安げに揺れていた。
同じ頃――。
王都の外れ、忘れられた森の奥。
朽ちた祠の中で、ひとりの少年が膝を抱えていた。
闇のような黒髪。
透き通るほど白い肌。
「……また、夢を見た」
少年の名は――カイ。
七年前、神殿跡で発見され、記憶を失っていた。
彼を拾い育てた老神官は、こう言っていた。
「お前の目は、かつてこの国を救った聖女のものと同じ光を宿している」
けれど、カイの瞳は、月明かりの下で時折“黒”に染まった。
「……俺は、いったい誰なんだ」
彼が呟いたその瞬間、祠の奥の石碑が淡く光る。
光の中から、女の声が響いた。
「――目覚めなさい、“影の継承者”」
少年の瞳が開く。
黒と金、二色の光が交錯した。
「……聖女リシェル?」
「いいえ。私は“暁の使者”。
あなたに、新たな契約を告げる者。」
「契約……?」
「光と影が再び交わる時、この世界は“均衡”を取り戻す。
だが、均衡を望まぬ者がいる――“白き巫女”を名乗る存在だ。」
「白き……巫女?」
「彼女は、かつてリシェルの“影”だった者。
今、純白の仮面をかぶり、“完全な光”を創ろうとしている。」
カイの胸に、熱い痛みが走る。
「光を……完全に? それじゃ、影は――」
「消える。
すべての影と共に、この世界もまた。」
光が弾けた。
その中心で、カイの右手に“黒い紋章”が刻まれる。
「……これは、まさか」
「それが“暁の契約”。
お前は光と影を繋ぐ者――
世界の“第二の継承者”となる。」
月が雲に覆われ、祠の外に闇が広がる。
風が止まり、鳥の声さえも消えた。
カイはゆっくりと立ち上がる。
その目には、確かに“王の弟”だった頃の面影が宿っていた。
「……兄上、紗夜……。
俺は、まだ終われない」
夜が明ける。
その暁の光の中で、
一つの新しい運命が動き出していた。




