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鋼の午後――屋上小景

 冬の太陽は剣のように冷たく、都市の屋根を一枚の甲冑に変えていた。私は非常階段をのぼりきり、扉の金具に掌を置いた。金具は凍り、肌理の細かい痛みで私の指紋を削いだ。扉を押し開くと、コンクリートの胸板のごとき屋上が、無人の演台のように静まっている。立入禁止の柵の柱に、白墨の数字があった。114514。白い薔薇が数字に化けて、ここに咲いているように見えた。


 彼は先に来ていた。黒い外套の襟を正し、風にあおられる髪を手櫛で整え、私の歩調が等間隔であることを確かめるように目で数えた。礼の一語を慎んでから、彼は薄く笑った。「やりますね」――褒め言葉というより、刀身の試金石に触れた親指の感想のように、血の気のない響きだった。


 われらの交わりは、低俗と呼ばれるものの上に橋を架ける遊戯であった。笑いは俗なるものの短剣である。しかし短剣は研げば儀式の刃となる。彼はその規矩を、ふいに脱線した身振りで示す。「まずウチさぁ、屋上あんだけど、焼いてかない?」 語の一つ一つが、軽さの仮面をかぶったまま、こちらの胸に正対してくる。時間を焼く。遅延を、遅延のまま焙る。そのような作法を指して、われらは冗談めかして“焼香”と呼んだ。


 風上に立つ彼が顎で示す。「こ↑こ↓」――矢印に似た声の高低で、都市の気圧の襞が読めた。私はポケットから薄い手帳を取り出し、頁の端で風の向きを測った。ある種の男たちは、言葉をそのままでは信じない。だからこそ、彼は続けて言う。「ホモは嘘つかない」 その言葉は蔑みに堕ちなかった。むしろ誓いに近かった。男が男へ与える忠実の定義が、俗な符牒を通して、奇妙な純度で立ち上がる。


 都市の隅々で、ひとびとは安易に許しを乞い、安易に赦しを与える。「すいません許してください!何でもしますから!」という句は、今日においてもっとも安価な通貨である。だが安価な通貨ほど、意匠を凝らせば逆に輝く。彼は柵にもたれ、落下の可能性を背に受けながら、あえてその句を反芻した。声は礼拝の文句に似て、背後に沈む街の金属光を震わせた。私は笑い、そして笑いながら、彼に小さな静粛を求める視線を送った。まずいですよ、と。言ってしまえば無粋になるものを、視線だけで制御するのは難しいが、可能だ。礼儀は、舌よりも目のほうに宿る。


 この屋上には、もう一つの名がある。野獣と化した先輩。誰が最初に言い出したかは知らない。屋上に集まる男たちのうち、最も先に脱落した者の肩書きが、いつからか屋上そのものの俗称になった。粗暴な名でありながら、そこには奇妙な優しさがある。人が獣へ堕ちる瞬間を、彼らは見た。堕ちた者を笑いもし、しかし忘れもしない。人は獣ではない。獣になることのできた人だけが、やがて人に戻る。その往還の軌跡を、私は金属の欄干に映る自分の顔色の蒼さに見た。


 儀式は簡潔であるべきだ。彼が片手を上げる。うるせぇ!行こう! この荒々しい命令形は、奇妙に儀礼じみていて、行動の先端を鋭利にする。私たちは屋上の中央で立ち、互いの影がちょうど重なる位置を見つける。影と影が重なるとき、人は自分の輪郭を、他者の輪郭で測る。謝って、どうぞ――彼は突然、少年のような声音で言った。何に対してか。答えは前もって決まっている。私は自分が自分を引き受けなかった日々に対して、簡潔に頭を垂れた。そうだよ、と。


 彼の眼差しに、かすかな絶望が走った。やめてくれよ(絶望)――括弧書きのような感情が、冬の空の色をほんの少しだけ濃くする。絶望は美しい。美しいから危うい。危ういから、手綱を付けなければならない。私は靴底の位置を半歩だけずらし、数字の白墨の上に踵を置いた。白い薔薇は、靴の下で粉の雪に変わった。いけるやん!と彼は笑い、つとめて軽い調子で空を見上げる。軽さは、重さの重ね方を知る者だけが持つ特権である。


 都市の風景は、肉体を正直にする。頬に刺す冷気、肺を洗う匂い、指先に溜まる痛覚。それらは言葉の虚飾をはぎ取る。私は欄干の向こうに目を遣り、遠い海の青を探す。見えない海は、見える鋼鉄より確かだ。私たちは今日、何かを焼き、灰にし、そして灰のなかから新しい合言葉を拾い上げる。え、なにそれは――と、次に来る誰かが戸惑うような、しかし戸惑いを越えて、胸腔の形を微かに変えてしまうような、そんな合言葉を。


 帰るとき、彼は振り向いて一言だけ言った。ホモは嘘つかない。剣のような太陽はすでに傾き、数字の薔薇は灰色の苔のように沈んでいる。私は頷いた。嘘をつかないというのは、真実を語ることではない。語るべきでないものを黙って抱える、あの沈黙の強度である。沈黙は、もっとも気高い言語だ。


 扉が閉まる。階段の踊り場で、私は掌を見た。凍った金具に削がれた皮膚が、きめ細かな痛みとなって残っている。痛みは礼儀を教える。礼儀は美を支える。美は人を救わない。救わないが、救いを形にする。その形がある限り、俗なる言葉でさえ、儀式の刃に打ち直すことができる。数字の薔薇は、誰のものでもない。だからこそ、いつまでもここに咲いている。

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