『記録されなかった少女の瞳』
過去に「選ばなかった」誰かの声が、
夢の中で、静かに、でも確かに囁いてくる。
これは、“選定”という名の制度の中で、
未来を選び、誰かの存在を忘れてきた者たちの記録。
忘れたはずの少女。
登録されていない名前。
壊れていくはずの“神の眼”。
第7話では、煉の記憶の揺らぎと、
そして斎という男の“遊戯”が、静かに幕を開けます。
「……また、あの夢だ。」
目が覚める寸前の、あの声だけが耳に残っていた。
柔らかくて、でもどこか寂しげな──少女の声だった。
名前も、顔も、思い出せない。だけど──確かに知っている。
不思議と、心の奥では“あの子”を忘れた気がしなかった。
「どうして……呼んでくれなかったの?」
夢の中の少女は、俺の方を見ずにそう呟いた。
背中越しでも、泣いているってわかった。
なのに俺は、言葉を返せなかった。
その理由も、もう思い出せない。
いや、もしかしたら──思い出すのが怖かったのかもしれない。
……バチバチッ。
目覚ましじゃない。
手元の記録端末がノイズを走らせ、勝手に起動する。
「……なんだ、これ……?」
黒い画面に、真っ赤な警告が滲むように表示された。
【YRM_0128】
【申請対象:ヨミ】
【記録状態:未登録】
【警告:選定不能領域へのアクセスを検知しました】
見たこともないコード。
見覚えのない名前。
なのに、俺の中の“何か”が、たしかにその名前を知っていた気がした。
思わず、口をついて出た。
「ヨミ……?」
呼んだ瞬間、
胸の奥がざわついた。
まるで──
閉ざされていた記憶の扉が、わずかに軋んだような気がした。
──そのときだった。
「グッ……カサッ……!」
低く湿った羽音が、部屋の中に響いた。
窓の向こうに──何かがいた。
黒くて、大きな羽。
不気味な髑髏模様が浮かんでいる。
……蝶? いや、蛾……?
「……なんだ、あれ……」
思わず、声が漏れた。
言いようのない嫌悪感が、背筋を這い上がってくる。
あれは、ただの虫なんかじゃない。
見てはいけないものを見たような──そんな感覚だった。
得体の知れない不安が、じわじわと胸の奥に広がっていく。
──なのに。
次の瞬間、まるで、“選ばなかった誰か”が、いまになって俺に問いかけてきているような──
そんな気配が、背後にまとわりついた。
「ねぇ、煉くん──」
突然、耳元で、誰かが囁いた。
少女の声だった。
柔らかくて、どこか悲しげで──それでも、確かに聞き覚えのある声。
「今度は……ちゃんと、選んでね?」
言葉が、空気に溶けていく。
胸の奥がざわつくような感覚だけを残して──声は、すっと消えた。
──そのころ、選定局・記録保管室。
「……起きたね、ついに。」
御國斎は、巨大な球体モニターを見下ろしながら、うっすらと笑みを浮かべていた。
モニターには、煉の部屋で発生した“異常波形”がリアルタイムで映し出されている。
「アクセス不許可領域への干渉……しかも、自然発動か。」
彼は指先でモニターの表面をすっとなぞった。
波形がわずかに歪む。
「やっぱり、面白い子だよ、君は──綾城煉くん。」
その背後で、無数の端末が自動で起動していく。
壁一面に並ぶ蛾の標本──いや、“観察体”たちが、
一斉に黒い羽を震わせた。
ゾワッと、音のないざわめきが空間を満たす。
「記録されなかった少女。未登録ID・ヨミ。
その波形は、明らかに“選定不能者”として分類されていたはず。
なのに──あの子は、今も“息をしている”。」
斎は目を細め、ふいに喉の奥から甲高い声を漏らした。
「アーハハッ……っは、あは……!」
一拍おいて、モニターに目をやる。
「なんて楽しいんだろうね。
記録されなかったはずのものが、こうして……息をし始めるなんてさ。」
その声は、どこか陶酔していて、
まるで“壊れていく過程”を愛おしむようだった。
「ねぇ──君は、“神”を信じるかい?」
少し間を置き、彼は笑った。
「僕はね……“神の眼”を壊したくて、ここにいるんだよ。」
モニターには、綾の名が記された波形ログも表示されていた。
そこには、ほんのわずかな“揺らぎ”があった。
それは、他の選定者にはない微細な感情波──“迷い”だった。
「綾も壊れるのかな? それとも、壊れることで──進化する?」
まるで壊れかけの玩具を弄ぶような口調だった。
斎はそっと、黒い蛾の一体を掌にのせ、囁いた。
「さあ、始めよう。
君たちの“選ばなかった記憶”が、どんな未来を生むのか。
──“記録の遊戯”、ここに再開するよ。」
その瞬間、端末に新たな記録が強制的に走った。
【記録開示プロトコル:YRM_0128/強制追跡モード】
【対象者:綾城煉】【副対象:神城綾】
【選定外存在:ヨミ──観測開始】
──時刻は、深夜2時。
煉の部屋の天井から、黒い粉が、ひとひら、落ちてきた。
音もなく、静かに。
それは、まるで“忘れられた未来”が、この世界に戻ってきたかのようだった。
──そして、誰もいない記録室の中。
御國斎は、淡々と揺れる波形ログを見つめながら、誰にともなく語りかける。
この世界ってさ──
モニターに映ってるものが、真実だと……誰が決めたんだろうね?
見えるものが、すべて?
記録されたものが、正しい?
……そんなの、笑っちゃうよね。
──君にも、いるだろ?
壊したい“誰か”。
大丈夫。
それは、とっても自然なことだから。
だって君も、もう──
“選定される側”なんだから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
第7話は、煉の夢に現れる“ヨミ”という名の少女と、
記録から外された存在が動き出す、不穏な兆しを描きました。
そして今回、斎の語りを通じて、
「見るものが真実とは限らない」「選定とは何か」
という問いを、読者自身に投げかけています。
壊れ始めた記録。
揺らぐ神の眼。
次回は、綾の内面に焦点を当てて進みます。
彼女は“神”でいられるのか──
それとも、一人の“少女”として、何かを選ぶのか。
続きもぜひお楽しみに。