『忘れられた未来が、息をする夜に』
選ばなかった“誰か”の記憶が、煉の夢に語りかけてくる。
その声は、懐かしくて、でも苦しくて、名前を呼ぼうとするたび喉が痛む。
──これは忘れられた未来が、静かに息を吹き返す夜の物語。
失われた記憶。
申請された“名前のない少女”。
そして、そこにいたはずの自分。
夢か、記憶か。
煉が触れたのは、罪と選定のはざまで眠っていた“真実”だった。
『──お前が“選ばなかった”から、俺は死んだんだよ』
その声が、煉の“夢”の中で何度も囁かれていた。
誰の声なのか、思い出せない。
ただひとつだけ確かだったのは──
自分の“選択の裏”で、確かに誰かが死んだということ。
だけど、その誰かは──まだ、そこで“生きている”気がした。
誰かに、名前を呼ばれたような気がした。
けれど、思い出せない。
その声は遠く、
靄の奥から響いてくるような、不確かな音だった。
煉は静かに目を開ける。
夜明け前、選定局の休憩室。
無機質な光が、天井の隅で瞬いていた。
──変な夢を見た。
そう思ったのに、内容は何ひとつ思い出せなかった。
ただ──ひとつだけ、胸に残っていた。
「……名前……を……」
かすれた声が、耳の奥にひっかかっている。
それが誰の名前だったのかも、どうしてそんな声がしたのかもわからない。
でも、なぜか──
すごく、悲しかった。
(……選ばれなかった、誰かの声……?)
煉はゆっくりと体を起こす。
指先がかすかに震えていた。
怖いわけでも、寒いわけでもないのに。
そのとき──
端末が通知音を鳴らした。
《申請案件:閲覧対象に優先指定されています》
《案件コード:AYR-1034》
「……なんで俺なんだよ」
「優先……指定? 今、こんな時間に?」
少しだけ顔をしかめて、煉は端末へと手を伸ばす。
けれど、その瞬間。
──“記憶の中に、まだ残っているんだよ。君が、選ばなかった“名前”が。”
ゾクリとするような囁きが、脳に直接響いた。
反射的に振り返る。
……だが誰もいなかった。
けれど、空気が妙に重たい。
まるで誰かの“気配”だけが、そこに残っているようだった。
部屋の片隅に──
一枚の紙が落ちていた。
【────夢で会ったら、名前を呼んで】
煉の胸が、不意に軋んだ。
(……誰だよ、それ……)
そう呟いた瞬間、喉の奥が詰まりそうになった。
言葉が喉でつかえたまま、吐き出すことも飲み込むこともできず、ただ苦しかった。
思い出せそうで、思い出せない。
名前は、すぐそこまで出かかっているのに──どうしても思い出せなかった。
まるで、罪の名前を思い出すことが“罰”に繋がるようで──怖かった。
そのとき、扉の向こうで──
微かに、“なにか“が啼くような音がした。
……ピィ…イィ……
低く、湿った音。
誰かが泣いているような──不気味な声だった。
煉は画面の前に座った。
操作端末に個人コードを打ち込み、指定された申請コードを入力する。
──申請記録:AYR-1034──
【選定者】綾城 煉
【申請者】匿名(仮登録)
(匿名? しかも仮登録……?)
システム上、正式な登録がなければ申請は通らないはずだ。
だがそれは確かに「優先閲覧」として通されていた。
どこかで“何か”が、意図的に操作された形跡。
画面が切り替わる。
■ 第一未来:女性スタッフ・視覚障害を負う。代償:対象生存。確率:61%
■ 第二未来:煉自身が“記憶の一部”を喪失。全員生存。確率:93%
■ 第三未来:依頼者不明の“少女”が死亡。代償なし。確率:89%
「嘘だろ……」
「なんだ、コレ!?」
思わず、煉は眉間に皺を寄せた。
最後の選択肢──“少女”の項目だけ、データが欠けている。
名前も、年齢も、顔も、記録されていない。
ただ一言、《夢に現れた“彼女”》という奇妙な注釈だけが表示されていた。
(……まさか)
静電気が走ったような感覚。
画面を見つめる煉の脳裏に、さっきの夢の声がよみがえる。
──“夢で会ったら、名前を呼んで”
鼓動が速くなる。呼吸がうまく整わない。
「俺は……この少女を、知ってるのか?」
次の瞬間。
モニターの表示が一瞬、乱れた。
そして、映った。
雪のような髪。
感情を閉ざしたような瞳。
誰かをじっと見つめる、儚げな微笑み。
その“名もなき少女”は、確かに煉の記憶のどこかにいた。
けれど、それが“いつ”のものなのか、思い出せない。
――その瞬間、胸がぎゅっと締めつけられるように痛んだ。
呼吸が止まりそうなほど、懐かしくて、でも苦しい。
気づけば、指が画面に伸びていた。
(……選ぶのか? 本当に、俺が)
画面の中の“第三未来”が、じわじわと光を帯び始める。
「待て……まだ、誰の命かも分かってないのに──」
その時だった。
……ピィィ……
部屋のどこかで、またあの鳴き声が響いた。
モニターの奥。
黒い翅が、一瞬だけ光に反射した。
“グレイヴ”。
まだ──狩りは、始まったばかりだった。
モニターが、静かに明滅している。
煉は席を離れられずにいた。
表示された“第三未来”──少女の死。その姿が脳裏から離れない。
名前のない申請者。
記録のない少女。
なのに──なぜ、あの笑顔を知っている。
(見たことがある……)
けれど、思い出せない。
胸の奥に、靄のようなもどかしさが絡みつく。
「……俺は、誰を忘れてる?」
煉の言葉に、誰も答えない。
だがその瞬間。
──チリ……
耳の奥で、何かが“割れる”音がした。
(!)
視界が、反転する。
真っ白な部屋。
誰もいない空間に、誰かがいた。
小さな背中。床に膝をつき、何かを抱えている少女。
「……名前を、呼んでほしかったな」
その声に、煉の心臓が跳ねた。
少女がこちらを向く。
顔は見えない。けれど、確かにそこにいると“知っていた”。
「忘れてしまうんだね、人って。
選ばれなかっただけなのに──」
その言葉が、胸の奥に突き刺さる。
煉は手を伸ばす。けれど届かない。
指先が触れる前に、少女の輪郭がゆっくりと霧のように滲んでいく。
「待って……!」
煉が声を上げた瞬間、視界が戻った。
現実──選定局の一角にある選定室で、煉は目を覚ました。
息が荒い。背中に汗が張りついている。
ディスプレイには、まだ“第三未来”が選択されていない状態で残っていた。
(……夢? いや、違う)
それは“記憶”だ。
忘れさせられた、あるいは、封じ込められた何か。
その中にいた少女は、確かに“選ばれなかった”存在だった。
(誰なんだ……お前は……)
煉の手が、静かにモニターに触れる。
……そのとき、画面が勝手に切り替わった。
《データ接続:不正同期検出──原因:不明》
「……なんだよ、これ……誰が、触った?」
次の瞬間、部屋の照明が一瞬だけ落ちた。
真っ暗な空間の中、背後で──何かが、羽音を立てていた。
……ピィ…イィ……。
黒い粉が、ふわりと床に舞い落ちる。
まるで、“過去の誰か”が、もう一度選ばれるのを待っているようだった。
翌朝。
煉は早朝の局舎にひとりいた。
夜明け前に“何か”に導かれるように目が覚め、気がつけばここにいた。
昨夜見た夢。
名前も顔もわからない少女の言葉が、まだ頭から離れない。
「……名前を、呼んでほしかったな」
モニターの前に立ち、管理端末を開く。
(あの申請者のデータ……“匿名(仮登録)”のはずなのに、なぜ顔を知ってる?)
IDコードを手動で打ち込む。
だが、システムは即座にアクセス拒否を返してきた。
《制限アクセス:管理権限 第2種以上が必要です》
「は?」
思わず声が漏れた。
閲覧制限がかかっているのは、機密性の高いケースだけ。
しかも、これは“過去閲覧”のログに対しての制限だった。
(俺が……見たことのあるデータなのか?)
煉は目を細め、手元のデバイスを開いた。
一般端末ではアクセスできない記録を、裏ルートで探り始める。
不正だとわかっている。
でも──
(……どうしても、思い出さなきゃいけない気がする)
パスコードを3回入れたあと、画面がチカリと点滅する。
《封鎖データ:セクターE-13──記録名【ヨミ】》
──記録名。
それは、たった一文字だった。
“ヨミ”
ぞわり、と背筋が粟立った。
記録を再生しようとした瞬間、
画面が真っ白に弾け、警告音が鳴り響く。
《アクセス不可──データは隔離されています》
そして、最下部にただ一行だけ記されていた。
《この記録の閲覧は、綾城煉本人に限る》
煉は言葉を失った。
(俺に……だけ、許可されてる?)
その意味を思考する前に──
端末のスクリーンが、何者かの遠隔操作によって閉じられた。
その瞬間。
背後から、誰かの気配がした。
「……探してたよ、煉」
光が差し込む中、ゆっくりと振り向いた先に──白いスーツの少年が、無音のままそこに立っていた。
御國斎。
そして、その肩には──
黒い羽を震わせる、グレイヴが止まっていた。
……キィィ……。
煉の胸が、鈍く軋んだ。
「また、“選べ”って言いに来たのかよ」
斎は笑った。
「ううん。“選ぶための記憶”を取り戻してもらうために、来たんだ」
そして静かに囁いた。
「君は忘れてるだけで……ずっと“選ばされてた”んだよ」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
第6話では、煉の“忘れていた記憶”と“選ばなかった罪”が浮かび上がる夜を描きました。
選定制度の闇の中で、煉自身の過去と“名もなき少女”の存在が静かに繋がり始めています。
次回、斎が語る「選ばされていた者」の真意とは──?
そして“ヨミ”という記録に封じられたものとは?
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また夜の帳が降りるとき、お会いしましょう。