『黒い粉は、まだ誰かを選んでいる』
命を選ぶという制度の裏に、
“選ばれなかった者”たちの、声にならない恐怖があった。
第4話では、選定から外れた者の「その後」を描きます。
今回登場するのは、母親の命を“金策”として見ていた、ある少年の申請。
そして、“神の眼”に導かれた蝶が、煉の運命に静かに接触を始める──。
未来は選べる。
でも、選ばれなかった者は──それで、終わりなのか?
本編、どうぞ。
……ピィイィィ……
それは、鳴き声なのか、呪詛なのか。
濁った声が、喉の奥から絞り出されるように響いた。
まるで、“誰かの断末魔”みたいだった。
モニター越しの別室から響いてくるその音に、
御國 斎は、指先を止めた。
画面の向こう──“あの部屋”には誰もいない。
けれど、そこにいる。
黒い蛾。
斎の父が飼う、不気味な観察生物。
いや、“あの男”の監視装置だ。
蛾は机の上の潰れた果実に群がりながら、喉奥から小さく啼いた。
……ピィ……チチ……。
スピーカーが拾うその音は、単なる羽音ではなかった。
何かの言葉のようで、
その音を聴くだけで、斎の背筋に冷たいものが這い寄った。
「……煉か」
斎は再び端末に目を戻す。
“次に選定へ進む予定の閲覧者”のデータが、システムに表示されていた。
【綾城 煉】──
そこには、出生地《登録》:第二区第A保育区 とある。
(……第六特別市じゃない?)
思わず目を細めた。
(この“波形”は明らかに、あの土地特有のものだろ)
“波形”──
それは選定閲覧時に、対象者の精神圧と反応パターンから解析される、“適性構造”のこと。
そして、この“波形”はかつて一度だけ見たことがある。
「綾城市──いや、“第六特別市”の最深部だよ、これ……」
斎は指先で、表示された出生データを拡大する。
情報に不自然なタイムラグと改ざん痕跡。
システムに直接干渉できる権限者は、限られているはずだ。
(……誰かが、煉の出自を隠した。しかも、相当深い意志をもって)
「お前……もしかして」
グレイヴが鳴いた。
……ピィ……キィイ……
まるで返事をするように。
斎は小さく笑った。
それは好奇と不気味さが交じり合った、“悪魔”のような笑みだった。
「よし……次の“遊び相手”は、お前に決めたよ、綾城煉」
斎の口元が、ぞくりとするほど無邪気に歪む。
──指が、止まった。
端末の画面に、3つの未来が映し出されている。
申請者の少年と、その母親、そして彼の交友関係を軸に構成された選定案だ。
綾は静かに画面を確認しながら、異能で見えた“残響”を並べていく。
確率と代償、心的衝動の波形を整え、最も“現実に即した未来”を提出する。
だが。
その瞬間。
ふと、視界の隅に──蝶の羽が揺れた。
(……え?)
端末の反射に映った、それはミヨだった。
黒に近い深紫の翅、目のように煌めく銀の模様。
彼女──ミヨは、綾にしか“みえない”はずだった。
「……ミヨ?」
小さく呟いた声に、蝶の巫女は首を傾げる。
だがその視線は、綾ではなく──煉のいる方向を見ていた。
(え……煉に、みえてる?)
その時、煉が不思議そうな表情を浮かべた。
「……ねえ、なんか、肩のとこ……虫か?」
そう呟いた言葉に、綾の心が一瞬、止まった。
──みえてる。
確かに、あの蝶を。
(そんな、はずない……見えるわけない)
これは、“血”に選ばれた者にしかみえないはず。
祖母から、幼い頃に聞かされた話を思い出す。
──“綾城市には、神に選ばれた血族がいる。
未来と魂の狭間を見る、異形の眼を持つ者だ”
「都市伝説……だよね、あれは」
呟きにもならない。
その想いは、胸の奥でじわりと熱を持ち始めていた。
目の前の煉という少年が──
“あの伝説の末裔”だとしたら。
(……まさか)
だが、蝶はまだそこにいる。
まるで、何かを確かめるように、煉の肩に──そっと、止まっていた。
斎は、申請者の少年に目を細めると、静かに言葉を落とした。
「──母親を助けたいんだね」
その声は、どこまでも優しかった。
まるで神父が懺悔を聞くような、祈るような響き。
だが──
(くっそ悪党が……何、偽善者ぶってんだよ)
心の中では冷笑していた。
少年の手には、既に選定案が握られていた。
■“選定”の始まり
第一未来:友人A・海外で事件に巻き込まれで死亡。確率:58%
第二未来:友人B・駅のホームで足を踏み外し、列車と衝突して死亡。確率:56%
第三未来:中学教師・車にひかれて死亡。確率:22%
斎は、その選定案を“よく見ていた”。
どれも生存率は低かった。
特に、少年が“簡単に選んだ”第三案──
少年は、モニターを見ながらつぶやいた。
そして、迷いなく指を伸ばした。
モニターに映ったのは、かつて自分を罵倒した教師の顔。
「あいつ、大っ嫌いだったんだよな」
そして、タップ。
わずかな振動と共に、未来は確定された。
選ばれたのは、教師の死。
原因は交通事故。
画面の中で、車のライトが一瞬閃いた。
その直後、身体が宙を舞った。
画面が暗転する。
「……確認しました」
システム音声が告げる。
だがその数秒後、
母親の心電図が波打ち、そして──静かに平坦になる。
「母親、死亡。原因:心臓発作」
無機質な表示が、静かに確定を告げた。
「は? 金にならないのかよ……チッ、マジで時間のムダだったわ」
スマホを見ながら、少年はため息すらつかずに呟いた。
「別に……アイツ、死んでも困らねーし。つか、もう用済みだし」
声には、1ミリの感情も乗っていなかった。
母親という言葉に込められるべき“重さ”すら、そこにはなかった。
ただ“保険金”という単語だけが彼の中で意味を持っていた。
それがおりないと知った瞬間、興味を失っただけの話。
「あと1ヶ月だったら、300万……くっそ。マジでタイミング悪っ」
舌打ちと同時に、彼はスマホをタップしながら、次の“ターゲット”を考えていた。
それはまるで、ひとつのゲームを終えて、
新しい“ステージ”に移るだけの感覚。
──母親の命でさえ、ただの金策の駒だった。……そして、夜が訪れる。
* * *
闇の中。
ベッドの上で寝息を立てていたのは、選定から外された“友人A”。
ふと、夢の中で、何かが羽ばたいた。
……ピィイィ……。
低く、濁った鳴き声。
誰かが、喉の奥で笑ったような気がした。
白い廊下。
音のない学校。
手すりの上に、黒い“蛾”がいた。
大きな翅。
煤のような質感。
中央に浮かぶ、髑髏模様。
──グレイヴ。
「お前……選ばれなかった……な」
声が、響く。
笑っているのか、怒っているのか。
ただ、不気味だった。
グレイヴが、ゆっくりと友人Aの方へ飛ぶ。
「次は……どんな夢を見せてやろうか……」
翌朝。
友人Aは飛び起きた。
全身汗だくだった。
息が荒い。
「……はぁ、はぁ……変な夢……」
目元をこすり、ふと口元に違和感を感じる。
ぬるりとした感触。
指で触れて、ゆっくりと見た。
──指先には、黒い粉。
「う、うわっ!!」
慌ててベッドを飛び出す。
同じ時間、別の部屋。
友人Bも同じ夢を見ていた。
「グレイヴ……」
彼の夢の中でも、髑髏の蛾が笑っていた。
──それは、選ばれなかった者に“残された印”。
黒い粉は、まだ誰かを選んでいる。
──まだ……誰も……気づかない……ね
グレイヴの声が、どこかでまた、微かに啼いた。
……ピィィ……
今回の話は、“未来から外された者”に焦点を当てました。
斎の不穏な動き。
綾にしか見えないはずの蝶が“見えている”という違和感。
そして、夢の中に現れる髑髏の蛾──グレイヴ。
すべてが、静かに動き始めています。
次回、ついに“神の眼”をもつ綾の核心に迫る出来事が起こります。
そして煉の出生に隠された秘密にも、ゆっくりと光が差し込んでいく予定です。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。