9 騎士生活の終わり
────出てってくれ!
ジュリアス様の硬質な拒絶の声が耳にこびりついて離れない。
――バレた……
絶対にバレてはいけない人にとうとうバレてしまった。
私はとにかく急いでジュリアス様の執務室から出て行った。
今まで何度もバレても仕方のない場面はあった。
部屋に干していた下着を見られたときも、もう終わりだと思ったけど、ジュリアス様は勘違いをして気付かなかった。
正直先日の胸を見られたときももうだめだと思った。あんな姿を見られてしまったのでもうお嫁にもいけないとも思った。
だけどジュリアス様は私の小さすぎる胸を見ても女であることには気が付かなかった。それはそれで、なんだか悲しい気持ちになったのだけど。
その後の態度はいつも通り優しくて至って普通だったから、私の胸を見ても男性のそれと思ったのだろう。
だけどさすがにもう誤魔化せなかった。
トラウザーズを脱いだ私を見てジュリアス様ははっきりと拒絶した。股の間を見られてはいけないと必死で隠したが、私を見たジュリアス様はいつもの優しいジュリアス様ではなかった。きっと彼は私が女であることに気づいてしまったのだ。
突き放すような強い拒絶。近寄ってほしくないと言わんばかりの目だった。
もう無理だ。ジュリアス様のそばにはいられない。
「アルト、アルト……!?」
「あっ、すみません、ルカス殿下!」
「どうした? 疲れているのか?」
ルカス殿下が心配そうな顔で私の顔を覗き込む。
「いえ……大丈夫です。もう終わりの時間でしたね」
ルカス殿下の指導中もジュリアス様のことをずっとぐるぐると考えていた。
「ああ。お前はもう聞いたか? 配置換えで来週から私の剣技指導は別の騎士が就くらしい」
「え? そうなのですか!?」
若いうちは色んな経験を積むため短いスパンで異動となる。
「多分この後騎士団に戻ったら聞かされることになるんじゃないか?」
最後の指導がこんな上の空な状態で申し訳ない気持ちになる。
ルカス殿下の指導は今日が最後……
もしかしたらちょうど良いのかもしれない。アルトの怪我ももう完全に治ったと聞いている。本当はもう一週間は私が騎士団勤めをするつもりだったが、もう来週から入れ替わりをやめてアルトに新しい配置場所へ行ってもらおうかな。
ジュリアス様からアルトが女であるとを追及されても本物のアルトが自分は男だと証拠を見せて白を切ればなんとかなるかもしれない。
「あ、そうだ。少しお待ちいただけますか?」
私は脱いでいた騎士服のジャケットを取りに行く。そして胸ポケットから剣守りを取り出した。もともとルカス殿下とはあと一週間でお別れの予定だったので、あらかじめ用意していた剣守りをお別れの挨拶のつもりで渡した。
「手作りか?」
「いえ……買ってきたものです」
なぜ手作りかと思われたのか。
いや、始めは手作りのものを渡そうかと考えた。だけど、剣守りを手作りするなんて女っぽいと思って仕事終わりに買いに行ってきた。
「女ならこれくらい手作りしろよ、エーファ」
えっ……?
驚きすぎて息が止まるかと思った。
だってルカス殿下はアルトのフリをしている私を女だと言って、エーファと呼んだ。
ルカス殿下はニヤリと笑う。
「知って、いたのですか……?」
私は恐る恐る声を上げる。
「ああ! お前は良い匂いだし、柔らかいからな!」
私は大きく目を見開いた。
「誰にも言うつもりはないから安心しろ」
こんな小さな子どもなのに、なんて賢く空気の読める方なのだろうか。
ただ、せっかくルカス殿下が内緒にしてくれていたのにジュリアス様にバレてしまった。
「ありがとう、ございます……! 今度は手作りの剣守りをご用意しますね」
「ああ、頼むぞエーファ」
ルカス殿下は可愛いだけじゃなくて、とても格好いい男性だった。
そして、その後騎士団へ戻るとルカス殿下のお話通り、私は配置換えで来週から近衛騎士隊へと異動になると連絡を受け、その日、私は勤務が終わるとすぐに荷物をまとめて寮を出た。
こうして私の騎士生活は終わりを告げた。
◇
予定よりも一週間早く屋敷に帰ってきた私を見てアルトは驚いていた。
アルトから手紙で怪我は順調に回復しているとは聞いていたが、後遺症もなくちゃんと元通りに動かせるようになっていることをこの目で確認して、私は泣いて喜んだ。
医師はちゃんと元通りになるとは言っていたが、私のせいでアルトの騎士生活がダメになってしまったら、と想像したらずっと怖くて不安だった。
アルトには「骨折なんてして不安にさせてごめん」と謝られた。
だから私は泣きながら笑った。
「ふふっ、悪いのは私の方なのになんでアルトが謝るの」
「ははっ、エーファが泣くからかな」
「もう泣かないわ」
そしてアルトにはジュリアス様に今度こそ女であることがバレてしまったことを話した。来週からはアルトが騎士団へ行って、もし女であることを追及されたら男である証拠を見せてなんとか白を切ってほしいと説明した。
するとアルトはなぜか気まずそうな顔をして「それはたぶん大丈夫だと思う」と言っていた。
どこからその自信がやってくるのかはわからないが、もう私にできることはないので、後のことはアルトにすべてお願いした。
私とアルトの入れ替わりだが、実は両親にバレていて、屋敷に戻ったらすぐにこっぴどく叱られた。
父は女であることで騎士になることが出来なかった私に少しだけ騎士というものを体験させたいと、そっとしておいてくれただけだった。
「だが、二度目は絶対ないからな! お前の身に何かあったらと思うと気が気じゃなかったんだから」
そんなふうに怒られたが、騎士団に勤めていた頃は副団長まで上り詰め、騎士を引退してからは相談役としてたまに騎士団に顔を出している父は、私のアルトの入れ替わりの最中に何かあった場合は、父が責任を取るつもりでいたらしい。
「こんなに男女平等が叫ばれている中、なかなか女性騎士の採用に踏み切らない騎士団に未練はないさ」
もともとプライベートの時間に怪我をしたアルトも左遷を覚悟していたから、二人とも騎士をクビになることに抵抗はなかったみたいだ。
「バレたら騎士団はクビになるだろうし、醜聞にはなるかもしれないが、伯爵家自体には警告が来る程度で取りつぶしなどの大事になることはないだろう」
というのが父の見解だった。
ちなみに長兄のロイ兄様は五年ほど騎士団勤めの経験があるが、今は騎士を辞めて次期シュタールヴィッツ伯爵として領地経営に精を出しているので、もう騎士団とは無関係だ。
「でも結局女であることはバレずに四ヶ月乗り切ってしまったから騎士団は辞めそこねたな」
そう言って父はハハハと笑っていた。
元はと言えば、私がアルトに怪我をさせてしまったことが発端なのに、みんな騎士団を辞めることを受け入れて、誰も私を責めたりしない。
やっぱり私はこの家族が大好きだなって再認識した。
あれから三日、憧れの騎士生活は楽しかったなと平凡な日常に戻って、思い返す。
騎士服に袖を通すと背筋がしゃんとするし、剣を振って侵入者を捕まえるなんて経験をすることもできた。
なにより、ルカス殿下に剣を教えることが楽しかった。
そして父様が気にしていた、女性騎士採用の件もたまたま機会に恵まれてジュリアス様に気に留めてもらうことができた。いろいろあったが楽しい四か月だったと思う。
だけど最後に思い出すのはジュリアス様の拒絶の声。
一度下着を見られたときにジュリアス様のことは好きにはなっていけないと考えていた。もう会わない方が良いとまで考えていたのに……。
あの日も借りたジャケットを返すだけでよかったのだ。それなのにジュリアス様からお茶に誘われたことが嬉しくて、彼と話をすることに夢中になって調子にのってしまった。
だからあんな失敗をしてしまった。
彼は心底、女性が嫌いなのだとはっきりした。
もともとあんな素敵な王子様と私がどうこうなることなんてないのだ。
始めに番だなんて言われたから、心のどこかで期待をしていたのかもしれない。でも、彼と番だなんてありえないのだから、彼を好きになっても無駄なだけ。
そんなことを考えて私の視界がじわっと滲む。
すると突然、部屋の外がバタバタと騒がしくなる。
どうしたのだろうか。
「エーファ! た、大変よ……!」
バンッと勢いよくノックもなしに扉を開いて私の部屋にやってきたのは母様だった。淑女のお手本のような母にしては珍しい。
「王太子様が……!!」
「えっ……?」
◇
我が家の応接室には家族が全員集合した。
私は四ヶ月前に切り落とした髪を鬘にしてもらっていたので、それを装着して久しぶりの長い髪で応接室に入った。
これはアルトが私のふりをして屋敷で過ごすために使っていた鬘でもある。
応接室にすごい存在感で鎮座する大きな花束は先ほど再会早々にプレゼントされたものだ。
一対五で客人の前には父様とロイ兄様だけソファに座って、私とアルトと母様はその後ろに立っている。
騎士家系なのでわりとみんな肝が据わっているはずなのだが、一の発するオーラと圧が凄すぎて、何を言われるのかとみんな震え上がっている。
「ア、アルト……? 何でジュリアス様をうちに連れてきたの……?」
私は隣に立つアルトを肘で突き、コソコソと聞いた。
ジュリアス様は微笑んでいるように見えるけど、今までに感じたことのない圧を感じる。
なんだろう。竜感? がすごい。
みんな竜を前にした猫のような状態だ。
「僕が予定よりも一週間早くエーファとの入れ替わりを終えたから、殿下がすごい剣幕でエーファの許へ連れて行くようにと凄んできたんだ」
「え……どういうこと……?」
アルトの言っていることの意味が理解できない。
「エーファ……実は、お前が殿下に女であることがバレてしまったのは先週の出来事ではないんだ」
「え?」
私はジュリアス様の前でトラウザーズを脱いだときに女であることがバレたと思っていたが違うらしい。
「エーファが一番初めに殿下に女だとバレたって連絡してきたとき、お前が心配で実は寮まで会いに行ったんだ」
一番初めというと部屋干ししていた下着を見られたときのことだ。
「え? 会ってないよね?」
入れ替わり期間中はアルトとは手紙のやり取りのみで直接会うことは一度もなかった。
「ああ、僕はそのとき運の悪いことにエーファじゃなくて殿下に会ってしまったんだ。入れ替わりがバレていると思っていたから、色々言われることも覚悟した。……だけど、殿下は本物のアルトに会うまでエーファのことが女であることは気付いていなかったんだ。でもそのとき殿下は僕を見て一目で別人であることに気が付いた……」
「え、でも……?」
私はその後、不思議な植物の駆除のためにジュリアス様と行動を共にしていたが、女物を身に着ける趣味がある男であると認定されていた。
それをアルトに説明するとジュリアス様から「真相を知ったことはエーファに言わないで欲しい」と頼まれたらしい。
「女だと知ったことを誤魔化すためにそう言ったんじゃないかな」
「じゃあ、なんで……?」
女だと知っていたのに、あんなに優しく接してくれて、私はあの日強く拒絶されたのか……?
私は父様とロイ兄様の前に座る美しい王子様をじっと見つめた。