8 上手くいかないジュリアス
早速、ルカスの訓練を見学に行こうとしたが、側近のシグルドに引き留められる。
「ジュリアス殿下。殿下が気にしていた件、報告書が届いていますが、後にしますか?」
「っ……! そちらが優先だ。見せてくれ」
いくらエーファのことが好きだから会いに行きたいと思っても、王太子としての仕事を蔑ろにするわけにもいかず、私は書類に目を通す。
西の森で不思議な植物が発見されたというものだ。
「やはり被害が出る前に駆除した方がよさそうだな。何名か騎士をよこすように手配してくれ。早い方がいい。明日、日帰りで駆除に行こう」
「かしこまりました」
シグルドに指示を出し、もう一度入念に報告書へ目を通し、今日はエーファに会いに行くことを諦め執務を続けた。
◇
「シグルド! 植物駆除の遠征メンバー表の中にアルトの名前が入っているぞ!」
「ええ、今日はルカス殿下が野外教育で不在なので、きっと手が空いていたのでしょう」
「アルトはだめだ! メンバーから外せ!」
あれだけ剣を上手く使いこなすエーファならきっと馬にも余裕で乗れるとは思うが、エーファは連れて行きたくない。心配だ。
「もう間もなくお時間ですから、アルト殿はきっと集合場所でお待ちですよ? そこで直接、あなたはメンバーから外すと言ってみてくださいよ。アルト殿は使えない男なんだとさぞかしショックを受けることでしょうね……」
「くっ……」
エーファが傷つく顔は見たくない。
「心配ならご自分が守ってあげれば良いではないですか」
「わかった。メンバーはこのままで良い」
もっと早くにメンバー表を確認すればよかったと後悔した。
◇
エーファと久しぶりに顔を合わせたとき、アルトの部屋で見た下着は見なかったことにした。
私がアルトのふりをするエーファが女性であることに気付いていると知ったら避けられてしまいそうな気がしたから、とりあえずアルトが女物を身に着ける趣味があると勘違いしていることにして普段通りに振舞った。エーファは戸惑いながらもホッとした様子を見せていたので、これで良かったと思う。
「これっすか? 見た目はでっかいラフレシアみたいですけど……」
「うわ! 今、虫食べた! 食虫植物か!?」
報告を受けていた不思議な植物の前で騎士たちはそれを観察した。
「あまり近くに寄りすぎるな。不思議な粘液を飛ばしてくると報告書に書いてあった」
私はその不思議な植物を焼き払って駆除するため、騎士たちに火起こしと水の準備の指示をした。
「うわ、なんだ!?」
その食虫植物は唾でも吐くかのように粘液を飛ばして一人の騎士の手にそれがかかる。
じゅわっという音を立てて、その騎士の身に着けていた白の手袋が粘液のついた部分だけ丸く溶ける。
「怪我はないか!?」
慌ててその騎士に声を掛ける。
「大丈夫です。どうやら皮膚を溶かすほどの威力はないようで、直接皮膚に触れた場所はなんともなっていません」
「よかった。念のためそこに用意した水で綺麗に洗って」
「はい」
残りの騎士もエーファもその不思議な植物にくぎ付けになっていた。
っ!
私はエーファを見て目を見開く。
大慌てで着ていた詰襟のジャケットを脱いで、エーファに着せてやる。
「ア、アルト……!」
「え?」
「これを着るんだ!」
私は他の騎士たちに気付かれないようにこっそりと声を掛け、急いでジャケットの釦を全部留めていく。
エーファがよくわからないという顔をする。
「胸が……!」
「むね?」
エーファは首元の隙間から下に着ていた騎士服を覗く。
「~~っ!」
エーファが叫び声を堪えたような息を漏らして、身悶えている。
それもそのはず、どうやったらこんなに上手に両胸の部分だけくり抜けるのか、と言いたくなるくらい綺麗にエーファの騎士服にも植物の粘液が飛んで、服を溶かしてそこだけ丸見えの状態になっていた。
「それ、着てていいから」
私は目を逸らしながら赤い顔をした。もう一度他の騎士たちの様子を確認したが、みな各々の作業に戻っておりエーファの胸を見たという者はいなさそうだった。もしエーファの胸を見た者がいたのならその者の目を潰して脳内の記憶を抹殺せねばならなかったところなので、誰も見ていなかったことにホッとした。
「す、すみません……」
エーファも真っ赤になっていた。まずい。恥じらう顔もかわいらしい。
他の男の前でそんな顔をするなと言いたいが、それはぐっと堪えた。
「アルト、危険だから下がっていて……」
さっき見たものはどう見ても女性のそれだったが、再び見なかったことにして、エーファをその植物から遠ざけるようにした。
「僕も駆除のために来ていますから、ちゃんと働きます」
エーファは粘液に気を付けながら、焼却のための油を植物の近くに用意した。
心配だから任せてほしいと思いつつも、甘えずしっかり働くエーファが好ましい。
他の騎士たちは水の用意と火起こしをしてくれている。
「おっと……! あ、ごめっ──」
一人の騎士が植物の根に足を引っかけてエーファの方へと倒れこむ。ドンッとエーファにぶつかりエーファの身体がぐらりと揺れる。
「わっ……!」
「危ない!!」
エーファが大きく花びらを開いて待ち構える植物に向かって倒れこむ。
だめだ! あの植物の粘液は服を溶かす……! せっかくエーファの肌を他の男に見せないようにとジャケットを着せたのに、あの植物に触れてしまったら、またエーファの素肌が……!
私は素早くエーファの腕を掴みこちらに引き寄せ、代わりに自分が植物の方へと倒れこんだ。
「ジュリアスさまっ!!」
エーファの叫び声が聞こえて私の視界は真っ暗になった。
「うそっ! ジュリアスさま! ジュリアスさまっ!」
視界は真っ暗だがエーファの声ははっきり聞こえる。私は植物の花びらの中に包まれているのだろう。
「くそ! 花びらを切れ」
「殿下が中にいるんだ! 深く切りすぎないように気をつけろ!」
皆の焦る声が聞こえてくるが、植物の中は真っ暗で窮屈なだけで、痛みも痒みも息苦しさもない。
皆がザクザクと花びらを切っていくのが分かる。エーファは何度も「ジュリアスさま!」と名前を呼んでくれていて、これはこれで嬉しいと思う。
花びらが数枚切り落とされて、視界が開けてきた。
そこで私はごろりと植物の中から抜け出て地べたに転がった。
「ふぅ……すまない。助かった」
「殿下! 申し訳ございません! お怪我はありませんか!?」
植物の根に足を引っかけてしまった騎士が横たわる私の身体を起こした。
「ああ、大丈夫だ。やはり、この食虫植物は人の身体を傷つけるほどの力はないようだ」
「ジュリアス様、ごめんなさい……本当によかった」
エーファのせいでもないのにエーファは責任を感じてくれていたようだ。
「アルト、私はこの通り怪我もなく無事だから安心して」
私は立ち上がってそう言ったのだが、皆の顔がゆっくりと青ざめていくのはなぜだろう。
「で、殿下……!」
「ひっ……ジュリアスさま……!?」
皆がすごい形相をしている。
「ん? 何か? ……うわぁ!!」
下を向いてやっと事態を理解した。
だから、どうやったらそんな上手にそこの部分だけくり抜けるのか。
◇
「なんて恐ろしい植物だ。一刻も早く焼き払うぞ」
私は替えの騎士服を持っていた騎士から服を借り、仕切り直しをした。植物の中に取り込まれたのがエーファでなくて本当に良かったと心から思った。
皆は「はいっ!」と声を上げててきぱきとその大きく不思議な食虫植物を焼き払った。
そして無事に王宮に戻って解散した。
「ジュリアス様、服をありがとうございました。綺麗にしてからお返ししますので」
律儀にそんなふうに言う彼女に「いつでもいいよ」と言ってその日は別れた。
できるだけ平静を装い一日をやり過ごしたが、散々だった。
私は彼女に男として意識してもらいたいとは思っていたが、男の部分を見せつけたいわけではない。
なぜあんな事態になってしまったのかと私は項垂れる。
念のため抑制剤を倍量飲んでいったのは正解だった。
自分も痴態を見せてしまったわけだが、抑制剤もなしにエーファのあんな格好をみたら再び鼻血……いや、もっと悲惨な状態になっていたかもしれない。
とにかく明日以降、挽回しなければ! そう思っていたのに、私は大失態を犯してしまう。
◇
あれから三日ほどでエーファが洗濯業者に出してくれていた私のジャケットが綺麗になったからと私の執務室まで返却しに来てくれた。
そのままでもよかったのに律儀だなと丁寧に畳まれたジャケットを受け取った。
「時間ある? 良かったら、中でお茶でも飲んでいきなよ」
私はエーファと親しくなるチャンスとばかりに執務室の前で、中に入るように促した。
「ありがとうございます。では少しだけ」
エーファを執務室に入れてお茶の準備をしようとすると「僕がします」と代わってくれた。
私もお茶の用意くらいできるのだがエーファが淹れてくれるお茶を飲みたくて素直に代わってもらった。
エーファが淹れてくれたお茶を飲んでいるとエーファが何かを気にしだす。
「どうしたの?」
「いえ……なんだかこの部屋は良い香りがするな、と思いまして」
「ああ」
私はつい先ほどまでこの部屋に来ていた隣国の商人の話をした。
「多分これの匂いだね。隣国で今人気のアロマというものらしい」
私は立ち上がりエーファを連れて部屋の端の棚の上に置いていたアロマポットを見せてあげた。
「香水……よりももっと自然に近い柔らかな香りがしますね。良い匂い」
「ああ、香水と違って自然由来の植物などから香り成分を抽出しているらしい。私は香水は苦手なんだが、これなら香水とは違って嫌な感じがなく、自然と肩の力が抜けていく感じがするんだ」
「香水が苦手……」
エーファはなぜかその言葉を反芻しする。少し気になり私は「どうかした?」と聞くとエーファは「いえ、なんでも」とにっこり笑ってこちらを向いたので、私は話を続けた。
「このアロマには精油のブレンド方法によっては緊張を解したり、不眠解消を促したり、とさまざまな効能があるらしく、これからこのアロマの精油のブレンド技術を隣国から学ぼうと思って、商人からも話を聞いていたんだよ」
「へぇ、そうなのですね。このポットも素敵な作りをしているし人気が出そうですね」
アロマポットを覗き込んでいたエーファがポットに手を伸ばす。
「触っちゃだめだ!」
「あつっ!」
一足遅かった。エーファが手に取って陶器のアロマポットは床に落ちてガシャンと音を立てて割れてしまう。
中からろうそくの火でポットで温めておりポット自体が熱くなっている。ろうそくの火は床に落ちる勢いでもう消えていた。
「つ……っ! ご、ごめんさい、ジュリア──」
「すぐ水で冷やすんだ!」
私は青ざめるエーファの腕を掴んで、執務室内にある洗面所へ急いだ。水道から水をジャージャー流して、先ほどポットに触れてしまったエーファの手に掛ける。
「すまない、先に熱くなっていると説明しなかったから……!」
「いえ、こちらこそ貴重なものを割ってしまい、申し訳──」
「そんなものは気にしなくてもいい。君の身体の方が大切だ!」
「ジュリアス様……。あっ、もう大丈夫です。こんな程度平気ですから」
エーファが手を引いたときにエーファの穿くトラウザーズの太腿部分の油染みが私の視界に入った。
「ここにもオイルが飛んでいるじゃないか! すぐに冷やさないと!」
ポットの上には水とアロマオイルが張ってあり、商人の話では八十度くらいまで温度が上がるということだった。エーファは女性なのに身体にやけどの痕が残ったら最悪だ。
「だ、大丈夫です!」
私は大丈夫だと遠慮をするエーファの腕をグイッと引っ張り洗面所の奥のシャワー室にエーファを押し込む。
「へ、平気です。痛くもなんともありませんから!」
「だめだ。痕になるといけないからすぐ冷やそう」
私は強引にエーファのトラウザーズを脱がせて太腿の油染みのできていた箇所を確認する。
シャワーを当てようとすでにシャワーのノズルを手に構えていたのだがエーファの太腿に赤くやけどのようになっている箇所はない。
「あれ……?」
見えるのはすらりと伸びた傷一つない白くて綺麗な肌だった。
「トラウザーズにかかっただけで、素足の方まで染みてないので、平気です……」
「え? あ、ごめっ──っ!!?」
そこで我に返った。
エーファを見ると真っ赤な顔をして、騎士服のシャツとジャケットの裾を股の間に引っ張って見えないように必死に隠そうとしている。
「……っ!?」
まずい。まずい。まずい。ここのところエーファに会う前は必ず二倍量の抑制剤を服薬していたが、今日はまだ会いに行く時間ではなかったから朝、通常量の抑制剤しか飲んでいない。
ぶわっとエーファから甘い香りがして、思考が支配され始める。
このままだと鼻血や噛みつく程度では済まない。エーファにもっととんでもないことをしてしまう。
しゃがみ込んだ私はもう立ち上がれる状態ではない。
「出てってくれ……」
「っ!」
エーファが綺麗な瞳を大きく見開き息を飲む。
「あ、わたし……ぼく……」
一瞬でエーファの瞳に涙が溜まる。彼女は怯えるように小刻みに震えていた。
そんな怯えた顔をされると嗜虐心に火がついて、獣の本能が暴れ出しそうだ。
「出てってくれ!」
そんな強い言い方をするつもりはなかったが、今はエーファを気遣える余裕がない。襲い掛からないように必死に理性をかき集めることで精一杯だ。
「っ! ごめんなさい!」
エーファは急いで服を整え執務室から出て行った。
私はシャワー室に座り込んで、息を吐いて項垂れる。
――突き放してごめん、エーファ……後で必ず謝罪に行くから……
ジュリアスは竜の血を引き継いでいるファンタジー仕様の身体です。
薬を二倍飲むのは危険です。用法容量を守って服薬ください。
お読みいただきありがとうございました。