7 ジュリアスの勘違い
十二歳のとき、王宮の庭園で私の婚約者候補選びのための茶会が開かれた。女の子に興味が持てなかった中の茶会は苦痛だった。
彼女たちは両親から王太子妃になるようにと指示を受けていたのだろう。
私と歳のそう変わらない女の子たちが化粧をして、香水の匂いをさせて、ギラギラとした目で自分を見てくるのが不快だった。
彼女たちも高位貴族へ嫁ぐための教育を受けているのだから、そのトップともいえる王族の男子を狙うのは当然だ。仕方ないとこの状況を受け入れるつもりだったが、やはり耐えられなかった。
適当に理由をつけて席を外し、少し離れたところで休んでいた。
すると後ろから柔らかく温かな心地がした。
「ロイ兄、ぎゅーっ!」
えっ……?
驚いたのはその後だった。胸がドクリと強く鳴り、体中に熱が駆け巡った。初めての感覚だった。
後ろを振り向き目を見開いてみれば小さな男の子がいた。
どうやら人違いで私に抱きついてしまったようだが、同世代の女の子たちとのやりとりにうんざりしていた私はその可愛い少年の行動全てに癒された。
間違えて抱きついてしまったことも、気絶したふりをして薄目を開けていたことも、その子の行動全てが愛おしく、私にとって特別な存在に感じた。
茶会が終わってすぐに私はその子のことを調べた。シュタールヴィッツ家の次男だと知ると、後日シュタールヴィッツ家の兄弟を再び呼んでもらった。
そしてそのとき、弟のアルトとも話をし可愛い子だな、とは思ったが、前回感じたような特別な感じはしなかった。
――気のせいだったのかな……
結局アルトの兄のロイ殿とも話が合う、ということもなかったので彼らは私の友人候補からは外れた。
そしてそのままそんな出来事など忘れてしまっていた。
もともと女の子に対し興味を持たなかった私だが、成人すると令嬢たちはさらに露骨になってきた。
義務的にダンスを踊れば身体を押し付けてくる。獣性が強い私は鼻が良いから香水の匂いが本当に嫌だった。
適当にあしらうと冷たくされたとポロポロ涙を流す令嬢もいた。
私の飲み物に媚薬を盛って既成事実を作ろうとまでする令嬢もいて、流石に騎士団に捕まっていたが、そのときは本当にうんざりした。
そんな経緯もあって私の女性嫌いはどんどん加速した。
そして出会ったのがアルトだった。
まずは王宮内で感じたことのない匂いに釣られてアルトのジャケットに辿り着いた。
それからの行動は自分でも最低だったと思う。アルトにはひどいことをしてしまったが、アルトは許してくれた。
私と友人になっても良いと言ってくれて嬉しかった。可愛らしくニコリと微笑まれたらあらぬところが反応してびっくりした。
それから毎日、抑制剤を服薬することにした。
アルトのそばにいるとたまに獣性が暴走するので、本当はアルトから離れるべきなのかとも思ったが、アルトに抱く好意は我慢できなくて私は何度もアルトに会いに行った。
そんな中、ルカスの胃腸風邪がアルトにうつり、アルトが嘔吐した。
ポロポロと涙を溢しながら吐く姿は可哀想で代わってあげたい気持ちになった。背中をさすれば、うつるといけないからと、健気に私を遠ざけようとした。
そして顔色の悪い彼を抱き上げたとき、昔感じた熱を再び感じた。
ああ、アルトはあの時の子だ。思い出した。やっぱりアルトは私の特別な存在だ。
あの茶会の後、呼び出したときはそんな感じがしなかったから忘れてしまっていた。
初めからアルトに惹かれていたのはそのせいか、と納得する。
アルトは男だから番にはなれない。でも私は彼が好きだ。いつも目で追ってしまうし、アルトに優しくされるルカスが羨ましくて仕様がない。
あの女性騎士も同様だ。アルトが必死に女性騎士の有用性を証明して、彼女はもうすぐ念願の騎士になることができそうだ。
会ったばかりの女性のことをアルトが一生懸命に手助けしてあげていて、あの女性が羨ましかった。
だが、アルトは下心なんかではなく、彼女の騎士になりたいという気持ちのために動いていたことがわかるから、私もその手助けをすることにした。
それにアルトのおかげで女性に対する見方が良い方に変化したと思う。
一目会ったときからアルトには好感を抱いていたが、知れば知るほどアルトのことが好きになる。
アルトは男だから番にはなれないが、心の中で想うくらいは良いだろうか。
そんなことを思いながらアルトの部屋へ足を踏み入れた。
アルトの匂いが充満する部屋はまずかった。
強引に寝台まで運んだのは、私が看病をしてあげられたら、なんて下心もあったかもしれない。
だが、慌ててアルトが私の腕の中から飛び降りて寝台の上に吊るされた下着を引っ張り外したとき、私の頭に一気に血が上った。
女性物だった……
誰の下着?
たしかアルトには婚約者がいたはずだ。
アルトと知り合ってすぐにアルト・シュタールヴィッツについて調べたから間違いない。
アルトの婚約者は子爵家の令嬢で、伯爵家の次男のアルトは将来的に子爵家に婿入りする予定だ。
子爵令嬢がこんな騎士団の寮まで来るだろうか。
否。ありえない。
貞淑であれ、と育てられた貴族令嬢がいくら婚約者といえども男の一人部屋に通っているなど他の団員に目撃され噂にでもなったら大問題だ。
となるとアルトは婚約者以外の女性を部屋に連れ込んでいる。
チラリと見えた下着は淑女が身につけるとは思えない卑猥なものだった。
「最悪だ……」
アルトは婚約者がいる身でありながら浮気をしていた。アルトの部屋に下着を干しているとなると一回きりの娼婦というわけでもなさそうだ。
男の部屋に下着を干していく女性なんて……
「趣味も悪い」
込み上げる苛立ちはアルトに対するものか、それとも下着しか知らない見ず知らずのアルトの浮気相手に対するものか。
どちらかわからないが、アルトには酷いことをしてしてしまいそうだった。
だが、必死に理性で感情を抑え込み、すぐにその場から去った。
それからずっとアルトの顔を見ることはできなかった。
アルトだって男だから、そういうこともあるとは思う。娼館通いをしている、という話は聞いたことがなかったが、それくらいなら仕方がないと思えたかもしれない。
だが、浮気をしているとなると話は別だ。
アルトがそんな不誠実な男だとは思わなかった。
ルカスから聞く話ではいつも他人の気持ちを優先できる奴だと聞いていたし、私もアルトに対する評価は同じだった。
だが、他人の気持ちを優先できる奴は浮気などしない。アルトには失望した。
私は自分からアルトに友人になりたいと言ったくせにそれからアルトを避けるようになった。
執務室から訓練場でルカスの指導をするアルトを眺めるだけの生活になる。
モヤモヤした気持ちを抱えてそれを眺めるのも二週間が限界だった。
やはりアルトが気になる。友人ならアルトに不誠実なことはやめるよう言いに行こう。そう気持ちを切り替えて、まだルカスの指導をしているアルトを待ち伏せしようと騎士団の寮へと向かった。
すると寮の前でアルトによく似た人物を見つけた。コソコソとなにやら挙動不審だ。
「アルト……?」
いや、アルトはまだルカスの指導中のはずだ。私はアルトによく似た人物の肩を叩く。
「えっ……? わぁっ! ジュリアスさま……!?」
こちらを向いたその人物を見て驚いた。アルトにそっくりだけどアルトではない。
――ま、まさか……アルトに誰かが転生憑依したのでは……!!
すぐにアルトのふりをする男の胸ぐらを掴んだ。
「お前は誰だ!!」
「え? ジュリアス様……、ぼ、僕はアルトです……!」
「貴様に名を呼ぶ許可を与えた覚えはない! アルトをどこへやったんだ! 彼に身体を返すんだ!」
「い、いえ……アルトは僕で……か、彼? 身体? え、エーファ? 心配で様子を見に来たが、話が違うぞ……どうなってるんだ……?」
エーファ? エーファとはたしかアルトの双子の妹で……
「もしかして、君はアルトの妹のエーファ嬢か?」
確かにアルトによく似ているけど、全く同じ顔というわけではない。骨格も少し違っていて誰かが憑依したというよりはよく似た別人という感じだ。
もし目の前の人物がアルトの妹であれば、私は女の子にひどいことをした。男の服装をしていたのでてっきり男だと思い込んでしまった。
私は慌てて胸ぐらから手を外す。
「ち、違います! 僕は男です!」
偽アルトはジャケットの釦と下のシャツの釦を外し素肌を晒して平らな胸を私に見せつける。
うん、間違いなくお前は男だ。
ではお前は一体誰なんだ。
「じゃなくて! 本物のアルトは僕で、今、僕のふりをしている人物がエーファなんです!!」
「え……? ええっ……!?」
「エーファが殿下に女であることがバレてしまったというので心配で様子を見に来たんです!」
ちょっと待て。
エーファ嬢はアルトの妹で女性だ。
私はアルトと再会したときに彼の匂いで番だと思ってアルトに迫った。だが、彼は自分は男だから番だなんてありえないと言った。
私は彼の短い髪と胸元を見て確かに男だと納得した。
髪は切ればどうとでもなる。
胸の膨らみはあったようには見えなかったが、服の上から軽く見ただけで、その下がどういう状態なのかまでは確認していない。
アルトはエーファ嬢?
あのときのアルトは女性だったのか? 彼ではなく彼女……?
では、アルトの部屋に入った時に見たあの下着は……浮気相手の物なんかではなく……
あのとき男だと思って見た彼女の胸元……服の下はどういう状態だったのか……
アルトの部屋で見た下着を思い出して私の顔がカッと熱くなり、たらっと鼻から何かが流れた。
「殿下……! 鼻血が……!」
アルトの声に、え? と思って下を向くとポタポタと赤い血が地面を汚していた。
「うわっ」
私は慌てて鼻をつまむ。
「ちょ、ア、アルト! 後で話がある! そこから動くなよっ!!」
「は、はいぃ……」
私は全力疾走で自室に戻る。
アルトは──いや、エーファ嬢は……あんないやらしい下着を身につけていたのか……!!
短い髪でニコリと私に微笑むエーファ嬢。騎士服をはだけさせると……
――卑猥だ! えっち過ぎだっ……!!
あどけなく笑って剣を持つエーファ嬢があんな下着を身につけている!?
あの下着、向こう側が透けて見えたぞ? 布の面積だって小さすぎるし、お尻の部分なんて紐みたいじゃなかったか……?
私は一瞬見ただけの下着の状態を必死に思い出し、私の頭の中にいるエーファ嬢にそれを身につけさせる。
「アル……っじゃなくて、エーファ……!」
私は自室に籠って、今日初めて口にする彼女の名前を呟いた。
鼻血はしばらく止まらなかった。
◇
ようやく鼻血が止まったので、心を落ち着かせてアルトの前へ行く。
「アルト、とりあえず事情を話してくれるかな?」
私はニコリと微笑んだ。
なぜかアルトは引き攣った顔で「はい」と返事をした。
アルトから聞いて事情は把握した。
エーファの不注意で怪我をしたアルトが騎士をクビにされないようにするため、双子の二人は入れ替わりをしていたらしい。アルトの怪我はもう治っているようだが、念のためまだリハビリをしているのだとか。
アルトとエーファの入れ替わり期間はあと二週間。
「エーファがせっかく頑張って僕のふりをしてくれていたのにもうちょっと、というところでバレてしまったと手紙を受け取り心配で様子を見に来たんです」
アルトはもともと入れ替わりを反対していたようだし、妹を心配する様子は良い兄だと思えた。
私はアルトに入れ替わりを咎めるつもりはないと説明し、エーファには何も言わないで欲しいとお願いし、今日はこのまま帰るようにと促した。
エーファが王宮に通うのがあと二週間だけなのであれば、私はあと二週間でエーファとの距離を縮めて男として意識してもらえるようにしなければ……!