6 バレたはずでは……?
私は昔、ジュリアス様に会ったことがある。
私がまだ五歳のときだった。
ジュリアス様は当時十二歳。王宮の庭園に高位貴族の令嬢や令息たちが集められた。
あのときは何の集まりかさっぱりわからなかったが、今思えばあればジュリアス様のご学友や婚約者を選ぶための集まりだったのだろう。
その集まりに呼ばれたのはエーファではなかった。
私とジュリアス様は歳が離れているため、婚約者候補に名前が上がらなかったのだろう。
もともと呼ばれていたのは私とアルトの七歳上の長兄、ロイ兄様がご学友候補として王宮へ招かれていた。そして学友……にはなれないだろうが、少し下の世代にも友人がいても良いかもということで、弟のアルトもその集まりにおまけのように呼ばれた。
だが、アルトはその日熱を出し、私はアルトに成り代わってその会に参加した。
当時、私はアルトに悪戯で結っていた髪を根元から切られて、アルトと同じ短い髪だった。
勝手に私の髪を切ったアルトは両親からこっぴどく叱られていたが、短い髪も嫌ではなかった。
何よりも父様が「女の子が短い髪というのも良いと思うんだがな……」と短い髪の私でも可愛がってくれたから短い髪も気に入っていた。
そして私とアルトは同じ顔に同じ髪型になったことから調子にのって頻繁に入れ替わりごっこをして遊んでいた。
「エーファ……せっかくおうきゅうにいけるチャンスだったのに僕、お熱出ちゃった」
アルトにそう相談された。
「まかせて! わたしがアルトのふりしておうきゅうに行ってくるから、あとでどんなだったか教えてあげる!」
「うん、頼んだよエーファ!」
そしてアルトのふりをして参加した王宮で私は大失敗をする。
王宮の庭園は五歳児には広すぎた。
「ロイ兄どこいっちゃったんだろう……?」
私は庭園をうろちょろしてロイ兄様を探した。
あっ、いた……!
ひとりぼっちになって少し不安になっていた私は家でするような振る舞いをしてしまう。
「ロイ兄、ぎゅーっ!」
後ろからロイ兄に抱きついた。
ひとりぼっちで寂しかった。そんな思いを込めてギュッとロイ兄に抱きつけば、ドクンッと心臓が跳ねて身体中に熱いものが駆け巡った。
えっ、と思ってすぐに手を離してロイ兄を見上げると、目の前の人は後ろを振り向いて私のことを目を大きく見開いて見下ろしていた。
――ロイ兄じゃないっ……!
ロイ兄様とは似ても似つかない見事な銀髪に鮮やかな紫色の瞳。ロイ兄様と同じなのは髪型と青色のジャケットを着ていることくらいであとはロイ兄様とは何もかもが違った。
そして五歳児でもすぐにわかった。
――この人、王子様だ……!
どうしようと思った私は最悪な手段に出る。
目を瞑って、ふらっとそのまま後ろに倒れ込んだ。
「えっ?」
目の前でいきなり倒れるものだから王子様は驚きつつもすぐに私に手を伸ばして抱き上げる。
「まいったな……どこの子だろう……」
このとき私は怒られることが怖くて気絶したふりをしただけで実は目を瞑っているだけだった。
そして彼が怒っていないか確認をししたくて薄目を開けて彼の顔色を伺った。
するとバチッと思いっきり目が合ってしまう。
――やばっ……!
焦った私はギュッときつく目を瞑る。
気絶したふりなんてさらに怒られる! そう思ったが、降ってきた声は予想したものとは全然違った。
「怒ったりしないから大丈夫だよ」
すごく優しい声音だった。
「ほんと……?」
私は王子様の服にギュッとしがみつき、目を開けて王子様の顔を覗き込む。
綺麗な顔を間近で見てドキドキした。
「誰と来たの?」
「ロイ兄と……」
「ろいにい?」
王子様に抱かれてそんな話をしているとキョロキョロと私を探すロイ兄様を見つける。
「ロイ兄!」
私は王子様に抱き上げられたまま、ロイ兄様を呼ぶ。
「あ、お前っ! えっ……!? 殿下!!? す、すみません!! 私の弟が……」
ロイ兄様は勢いよく頭を下げる。
「気にしないで、この子疲れちゃったみたいなんだ。もう歩ける?」
前半はロイ兄様に向けて、後半は私に向けての言葉だったから、私は「はい!」と返事をし、王子様の腕から降ろしてもらう。
「本当に申し訳ございません!」
ロイ兄様が必死に謝る様子を見て、私はやはりとんでもない失敗をしてしまったのだと悟る。
「実はさ、私、この茶会が面倒でこっそり逃げていたんだ。逃げてたことがバレるとまずいから、大人には内緒にしておいてくれないかな。あとこの子のことも怒らないであげて」
「は、はい。承知しました」
王子様がそんな風に言ってくれたから私はロイ兄様から怒られることはなかった。
その後もロイ兄様が王宮へ呼ばれることはあったみたいだけど、結局ロイ兄様がジュリアス様のご学友に選ばれることはなかった。父様は残念そうにしていたけど、実は堅苦しいのが嫌いなロイ兄様はご学友に選ばれずホッとしていた。
◇
そして先ほど、ジュリアス様に抱き上げられて思い出した。
あの時の王子様はジュリアス様だ。
幼い頃の出来事ですっかり忘れてしまっていたが、彼に抱き上げられた時に身体が熱くなって思い出した。
いきなり噛みつかれるなんて出会い──じゃなくて再会……に初めから嫌悪を感じていなかったのは身体が彼の優しさを覚えていたからかもしれない。
――だめ……っ! 私は優しい彼に惹かれてる……。
番だなんて言われたけど、エリックのときのように彼が本物の番に出会ってしまったらつらすぎる。
それに彼は女嫌い。今はアルトのふりをしているから側にいることができるけど、女であることがバレてしまったらもう彼の側にはいられない。
彼の腕の中でそんなことをぐるぐると考えていたのに……。
「み、見ました……?」
「あ、ああ……」
騎士団の洗濯係に出すことのできない女物の下着が部屋に干してあり、それを見られてしまった。
しかも今日に限って私らしくない、すけすけの素材のいやらしい感じのする下着を干していた。
いや、違う! もうすぐ十八になるからそろそろもう少し大人っぽい下着が欲しいと思って、シュタールヴィッツ家御用達の行商に頼んだら、一つとんでもない下着が混ざっていた。
そして昨日それが私の荷物から出てきて興味本位で身に着けた。
服で隠れて見えない場所だけど、やはりいやらしい下着を着けているとソワソワとしてしまい、すぐに外して洗った。
決して普段からこんないやらしい下着を着けているわけではないと声を大にして言いたい。
だが、ジュリアス様の反応は……。
「最悪だ……」
彼は明らかに軽蔑したような、眉根を寄せた嫌悪の表情をしている。
「趣味も悪い」
驚くほど冷たい声。
終わった。ああ、本当最悪。
女であることがバレて、さらに下着の趣味が悪い女と思われている。
彼は以前言っていた。
女性であることを武器として攻撃してくる女性は特に苦手だと。
私は女性であることを前面に押し出したようなものを見せてしまった。彼の一番嫌いなタイプかもしれない。
「あっ、体調悪いのにごめん……思わず……」
「い、いえ……」
次に続く言葉は性別詐称で騎士団に属していたことによるクビ宣告。私はグッと目を瞑って覚悟した。
――アルト、ごめんなさい!!
するとジュリアス様はふいっと扉の方を向いて「何かお腹に優しいものを届けるように食堂に指示を出しておくよ」と私の部屋を出ていった。
えっ……? クビ宣告は……?
その後食堂の人が部屋まで温かいパン粥を届けてくれた。
騎士団の方もアルトの同期が、五日間は休みの許可が下りていて、回復にそれ以上かかるなら隣の部屋の団員に言付けを頼むだけで良いと伝えにきてくれた。
結局私は三日で身体が回復した。
ルカス殿下は私より二日遅れで回復し、それからルカス殿下の剣技の指導は再開した。
◇
アルトにはジュリアス様に女であることがバレちゃったから騎士団はクビかもと先に手紙を書いていたのに、いつまでもクビのお達しはなくて拍子抜けした。
ジュリアス様は私が女である決定的な証拠を目撃した。なのになんで私をクビにしないのだろうか。
ジュリアス様も私のことを特別視してくれているのかな、と淡い期待をしたときもあったが、あのときに向けられたのは明らかに軽蔑したような冷たい目だった。
実際あれから二週間、ジュリアス様には一度もお会いしていない。
多分私のことを避けているのだろう。
これで良い。
彼のことを好きになっても無駄なんだ。これ以上彼のことを好きにならないためにももう会わない方が良いんだ。
「え、応援……? ですか?」
「ああ、西の森で大きな不思議な植物が見つかった報告を受けて、どうも害のありそうな植物だからジュリアス殿下が人に被害が出る前に駆除したいとおっしゃるからジュリアス殿下に同行して欲しいんだ。今日はルカス殿下が野外教育で剣技指導がない日だからお前、空いているだろ?」
「はい……」
私が不安げな顔をしたせいか上官は心配ないと私の背中をバンッと叩く。
「大丈夫! 他にも四人の騎士が同行するし、今回の任務は植物の駆除だ。何かあってもジュリアス殿下はめちゃくちゃ強いから、騎士を連れて行くのも便宜上ってだけで、ただのお供程度の気持ちで大丈夫だよ」
私の懸念事項はそこではないのだが、任務を断るわけにはいかない。
「わ、わかりました」
◇
指定の時間より少し前に厩舎へ行って他の騎士たちと一緒にジュリアス様の訪れを待つ。どういうリアクションをすればいいのか緊張でソワソワする。
「お待たせ」
ジュリアス様は約束の時間通りにやってきた。
「準備はできてる? 今日はよろしく」
ジュリアス様は騎士たち皆に声を掛け、馬の顔を撫でてから馬装をする。
ふと私と目が合うとジュリアス様はにっこり笑う。
「アルト、久しぶりだね。体調、もうすっかり良さそうだね」
「はい……」
いつも通りの優しい表情で言われて、まるで二週間前の出来事はなかったかのように今まで通りの対応で逆にちょっと怖い。
「あ、あの……先日、僕の部屋で……」
私が確認しようと先日の出来事のことを振ってみるとジュリアス様は被せるように「何も見てないよ」と言った。
「え?」
いやいやいや! 「見ました?」って確認したら「ああ」って返事していましたよね!?
「何も見ていない。男の君が女性物の下着を身に着ける趣味があるということは誰にも言わないよ」
ジュリアス様は私の近くまで来て耳元でこっそりそう言った。
「んん!?」
え、そっち? まずい。アルトが変態趣味だと思われている。
「あ、ありがとうございます……」
本当は否定すべきかもしれないが、良い言い訳が思いつかずに私は咄嗟にお礼を言った。
――ああ、アルト、本当にごめんなさい……!!
これでまた一つアルトに謝らなければならない事案が増えてしまった。
「よし、これでいい! さっそく行こうか」
馬装を終えたジュリアス様は馬に跨り馬にも「よろしくな」と声を掛けてから駆け出した。