3 誤作動
「このジャケットから番の匂いがしたんだ。私の番は君だったんだね」
「つ、つがい……!?」
キラキラとしたとびきりの笑顔でズンズンと私に近づく超絶美形。
だが、その目はキラキラではなくギラギラと獲物を見つけた獰猛な獣の目に見える。
――こ、この方って……!
女嫌いで有名な王太子殿下、ジュリアス・フィオ・ユピテルシア様。私が剣を教えていたルカス殿下のお兄様だ。
王太子殿下はこのキラキラとした王子様然とした見た目と、王太子という身分から、女性の人気がすごいのだが、彼はとにかく女嫌いで、二十四歳と王太子であれば結婚していても良いような歳だが、形式だけの婚約者すら気に入らないと言って、釣書を渡されても手に取ることすらしないらしい。
賢く気さく、実は剣の腕前も護衛騎士以上で、国民人気も高く、女嫌い以外は完璧らしいが、妙齢の貴族女性を前にすると、表情自体はアルカイックスマイルなのだが、瞳の奥が死んでいると聞く。
それでも彼の人気が落ちることがないのは、その他の部分の評価が高すぎるからだろう。
男装をして双子の兄のフリをしている私。兄からは彼にだけは絶対に女であることはバレてはいけないと言われていた。
王宮騎士である兄のクビを回避するために男のフリをして騎士をしているのに、極度の女嫌いの彼に私が女であることがバレれば、絶対に見逃してはもらえず、即刻クビになってしまうだろう。
兄のクビを回避するためにも、絶対に女であることは隠し通す!
そう心に誓って、挙動不審な彼の行動をスルーしようとしていたところ、私の騎士服のジャケットを広げて眺め、私の姿を上から下までじっくり眺めて、まさかの発言をする。
「なんだ、君は騎士をしているのか? 騎士なんて危険な仕事はしないでほしい。明日から来なくていいよ」
「は……?」
たった今、兄のクビを回避するため、と誓ったのに、まさか「明日から来なくていい」とクビ宣言を聞くことになるなんて……。
王太子殿下が騎士団に掛け合えば伯爵令息程度のクビなど簡単に飛ばせるのだろう。
顔を赤らめている彼とは対照的に私の顔は真っ青だ。
そして彼は私の手を両手でギュッと握りしめる。
「君……名前は?」
「ア、アルト・シュタールヴィッツです……」
ぐるぐるとこの危機を回避する方法を考えながら、兄の名前を応えた。
「ああ、シュタールヴィッツ伯爵家か。アルト、可愛い名前だ。よし、アルト・シュタールヴィッツ! 私と結婚してくれ……!」
「はぁーーーー……!!?」
一体この人は何を言っているのだろうか。
「君は私と番だ! 結婚しよう!!」
すごい力で私の手を握りしめてくる。
間近で彼の顔を見て、顔の良さに圧倒する。
――お肌ツルツルで毛穴が皆無だし、まつ毛長っ! うらやましい……
こんな綺麗な人が私の番だなんて絶対詐欺だ。
私も同じ顔のアルトも決してひどい顔をしているわけではない。
双子で生まれたせいか私もアルトも細くて小柄。華奢に見えて色素が全体的に薄めで地味な色合いをしているから儚げに見えると言われたことがある。
ちなみに髪は茶薄で瞳はヘーゼルと、色は薄いがごく平凡な色合いだと思う。
そして、儚げと言われた私はガツガツ剣を振るし、淑女として振る舞うべきときは、可愛らしく振る舞うよりも足元を掬われないよう、すました顔で隙のないように振る舞っている。
エリックは私と交流を続けるうちに想像したような女性とは違ったと感じたんだろうな、と思う。
この方もきっとそう。
こんな綺麗な男性には本当のお姫様のような可愛らしい女性が似合うと思う。
私は必死に迫る彼に、番なんてありえないと拒絶した。
男だから無理だと説明したのに意味のわからないことを言われて何故かうなじを噛まれた。
「痛い……痛いよぉ……、は、離れてください……!」
彼はまだ私のうなじに噛みついている。
手と肩をしっかり掴まれて逃げられない。
「いあ、まらら! はあたあつくまれ……!」
(いや、まだだ! 歯形がつくまで……!)
こんなに痛く噛みつかれているのに歯形がつくまで離れてくれないらしい。
なんでだ。
流行の番モノの恋愛小説では、たしか顎クイとか壁ドンとか、耳つぶや頭ポンが流行っているとお茶会で話題になっていた。
番だと言って迫ってくるなら、それに倣ってくれたら逃げやすかったのに……
もしかして、これからは頸ガブが流行るのかな?
痛いから頸ガブはオススメしないなぁ…………
痛みと衝撃のあまり、噛みつかれながら遠い目をして思考が明後日の方向へ向いたときだった。
「とやぁっ!!」
「うぐぅ……!」
突然私の後ろからガンッとにぶい音がした。
ずるっと王太子殿下がしゃがみ込み、私のうなじはようやく外の空気に触れることができた。
「いっ……つぅ……!」
後ろを見るとしゃがみ込んで頭を押さえる王太子殿下。
「アルト! 大丈夫か!?」
「で、殿下……お見事です……!」
私が発した殿下とはこの場合、ルカス第二王子殿下に向けた言葉。
ルカス殿下はレイピアを手に持っていた。
頭を押さえる王太子殿下を見る限り、ルカス殿下がレイピアを王太子殿下の頭に叩き込んだのだろう。
「くそっ、兄上がヴァンパイアになってしまった! 早くニンニクと十字架を用意しろ!!」
ルカス殿下は王太子殿下から目を逸らし、悔しそうな顔をして、近くにいる侍従に指示を出す。
「ま、待て、ルカス……! 私はヴァンパイアなどではない! アルトの血を吸おうとしていたわけではないんだ……!」
「えっ?」
◇
「すまなかった!!」
私は氷嚢を用意してもらい、椅子に座ってくっきりと歯形のついたうなじに氷嚢を当てる。そして目の前の貴公子は地面に頭を擦り付けて私に謝罪する。
「もう良いですから、頭を上げてください!」
王太子殿下は獣性を抑える抑制剤を飲んだら落ち着いた。
クビ宣言は失言だったと撤回してくれて、私はホッとした。
そして王太子殿下は身体を起こし、彼もまた側近から氷嚢を受け取り、頭に氷嚢を当てた。
「で? 兄上は本当にヴァンパイアになったわけではないのですね?」
「ああ、この通り、私の歯に牙はない」
王太子殿下がニッと真っ白の歯を見せつける。綺麗な歯並びを見てルカス殿下は「良かった」とホッとした。
ちなみにヴァンパイアは物語の世界に出てくる怪物で現実に現れたという話は聞いたことがない。
「では、なぜ兄上はアルトに噛みついていたんでしょう?」
「アルトのことを番だと思ったんだ」
「えっ? でもアルトは男で……」
番は必ず男女でなるもので、男同士で番だったという話は聞いたことがない。
「そう。きっと私の強すぎる獣性が誤作動を起こしたんだろう」
王太子殿下は男で私は女なので、実際は番である可能性もゼロではないのだが、こんな綺麗で高貴な人が私の番だなんて信じられない。
きっと彼の言う通り獣性の誤作動なんだろう。
「なぜかアルトの匂いに興奮し、何がなんでも番わなければと思考が支配されて、オメガバースの世界に転移したのかと思ってしまったんだ」
「「おめがばーす?」」
私とルカス殿下は同時に声を上げて首を傾げた。
「最近ジュリアス殿下は外国の文化についても興味深く研究をされていて、その中で男女以外の性別について書かれたフィクションのお話を見つけたらしいのです。それがたまたま男同士の妊娠や結婚についても書かれたものらしく、流行りの小説などでは別の世界へ転移するというフィクションもあり、興奮状態の中で色々な物語と現実がごちゃごちゃになってしまったのかと……」
オメガバースの世界観では番はうなじを噛むと成立し、Ωであれば男でも妊娠できるらしい。
「へぇ、すごい世界があるんですね……!」
「外国で流行しているフィクションの話ですよ」
説明してくれたのは王太子殿下の側近のシグルド・ルーティス侯爵令息。
「ところで……子ども用とは言えども、ルカス王子殿下のレイピアが思いっきり食い込んだ音がしたのですが、王太子殿下の頭は無事なのでしょうか……?」
ルカス殿下のレイピアは訓練用で刃も潰れているが、ルカス殿下の剣を振る腕は八歳にしては良い動きをしているから、まともに食らったらかなり危ないと思う。
ルカス殿下は私を助けるためにしてくれたことなので、ルカス殿下には感謝しているのだが、私のせいで、すでにちょっと? だいぶ? おかしい王太子殿下の頭がさらにおかしくなってしまったら非常にまずい。彼はのちの国王となる人なので、我が国の未来もまずいことになる。
私がハラハラとした心地で聞くとあっけらかんとした返事が返ってくる。
「ああ、私は竜の血を強く引いているからあんな程度大したことないよ。私のことを心配してくれるなんてアルトは優しいなぁ」
王太子殿下は後半は嬉しそうに目を細めながら私を見つめて言った。
「兄上は先祖返りなのか特に竜の血が濃く出ているらしいから、滅多な事では死なないぞ。それに兄上の頭に剣を打ち込んだのは私が勝手にやったことだから、アルトが責任を感じる必要はない」
ルカス殿下の八歳の割に、頼もしい発言にキュンとしてしまう。
「あっ、今ルカスのこと格好良いな、とか思ってるでしょ、悔しいなぁ」
なぜ悔しいのかよくわからない。
「あ、あの……、竜の血を引いていると普通の人とは違うのですか?」
王族が竜の血を引いていることは割と有名な話だ。だが、普通の人たちと違うとは思ったことがなかった。
「まぁ、簡単に言うと身体が丈夫なんだ。普通の人間ならルカスのレイピアでもまともに食らえば脳震盪くらいは起こしていたかもしれないが、私は軽いたんこぶで済む」
「た、たんこぶ……」
王子の頭にたんこぶ。シュールだ。
いや、氷嚢で頭のてっぺんを冷やしているこの絵面も十分シュールだったわ。
「アルト……君には本当に申し訳ないことをした。こんな出会いになってしまったから君は私のことを嫌悪しているだろうか……?」
「い、いえ……びっくりはしましたが……」
噛みつかれて痛い思いをしたはずなのに不思議と嫌ではなかった。
それこそ嫌悪や怒りで噛み付かれたのであれば、嫌な気持ちになっていただろうが、好意が暴走したものであると聞くと、その好意が獣性の誤作動であったとしても嫌な気はしない。
冷静になった後、ちゃんと謝罪をしてくれたことも好印象だった。
――おかしな人だけど、嫌な人ではないのよね……
「嫌悪とか……そういう気持ちはありません」
「ほ、本当か!?」
「ええ、王太子殿下」
しゅんと沈んでいた王太子殿下の顔がパァァッと明るくなる。
「アルト! 私に嫌悪していないのであればぜひ名前で呼んでくれ! 私は君に好感を抱いている。ルカスがこんなに懐いている様子を見れば君が良い子であるのは自ずとわかる。男だから番になることはできなくても私の友人としてはどうだろうか?」
私は少し考えた。
兄のアルトからは女嫌いの彼に私の正体が知られたらまずいから絶対に接触しないようにと言われていたが、これがもし本物のアルトならどうしただろうか。
貴族令息が王子と懇意になれれば、出世だってし易くなる。実力のみで上に上がれればそれに越したことはないが、貴族社会ではコネクションも大事だ。
「ジュリアス様、ありがたいお話です。どうぞよろしくお願いします」
私はにっこり笑って返事をした。
すると王太子殿下───ジュリアス様はうぐっ、と胸を押さえて下を向く。
そして、下を向いたかと思えば「うわっ」と驚いたような声を上げ、真っ赤な顔ですぐに前のめりに立ち上がる。
「わ、私は用事を思い出したから、これで失礼するよ」
ぶつぶつと「抑制剤飲んだのに、誤作動がすごいな」と呟き、前のめりのままそそくさと立ち去っていく。
「あっ、ジュリアス様……僕のジャケット……!」
声をかけたが、もう私の声は届いていなかった。
ジュリアス様は私のジャケットで前を押さえながら去っていってしまったのだ。
まっ、いっか……なんか慌ててたし……
「アルト殿、ジュリアス殿下が申し訳ない。普段はこんな奇行をするような方ではないのですが……あなたのジャケットはお返しするよう伝えておきます」
「あ、ルーティス殿ありがとうございます」
ジュリアス様の側近のシグルド・ルーティス侯爵令息はジュリアス様を追いかけるように去っていった。
「で、では、ルカス殿下、食堂までお送りします」
「ああ、行こうか」
「すみません……殿下のお食事、冷めてしまったかもしれませんね……」
「気にするな、冷めた食事は兄上に食べさせるから」