2 入れ替わり
描写は控えめにしましたが、骨折表現あるので苦手な人・経験者注意です!
後半は流血もあり!
そもそもなぜ私が男のふりをしているのか。
事の発端は屋敷の庭での出来事だった。
私はイライラすると剣を振る癖がある。それは父の教育のせいもある。
私、エーファ・シュタールヴィッツは騎士家系のシュタールヴィッツ伯爵家に生まれ、幼い頃から剣を持たされていた。
なかなか剣筋の良かった私は双子の兄アルトの剣の稽古相手にピッタリで、年頃になるまでアルトとともに剣の稽古を受けて育った。
剣を振るのは好きだった。剣を振っている間は身体が勝手に動くから頭を空っぽにできる。嫌なことがあっても剣を振れば、モヤモヤした気持ちがスッキリする。
騎士になるために育てられているアルトとずっと一緒にいたから、騎士採用試験を受けられる年齢になるまで自分は騎士になるものだと信じて疑わなかった。
そして、父はアルトにだけ騎士採用試験の受験票を渡すものだから、私は父に「父様? 私の受験票は?」と聞いた。
「エーファ、お前は女だから騎士にはなれないんだ……!」
男女平等がモットーの父の口からそんな話を聞いた時、今どきそんな時代錯誤なルールがあるのかと絶望した。
「お前は剣が好きだったし、お前が大人になる頃には女性が剣を持つ時代がやってくるかと思っていたが、残念ながら時代は私たちに追いついてくれなかった……」
引退してしまったが、過去には騎士団勤めをしており現在は騎士団の相談役をしている父は女性騎士の採用を、と声を上げていたらしいが、今もその思いは叶っていない。
試験を受けられないと知り、私は泣きながら剣を振りまくった。
私ができるのは剣技だけじゃない。馬だって乗れるし、武具の手入れだってちゃんとできる。軍事だっていっぱい文献を読んで勉強した。
私は教えられたことは完璧にこなすことができる。
それでも女だから騎士になることは諦めなければならなかった。
一週間泣きながら剣を振り続けると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。女に生まれてきたことは変えられないし、男に生まれたかったなどと言ったら産んでくれた母に申し訳ないので、私は女であることを前向きに考え直し、淑女教育に励み始めた。
女に生まれたからには女にしかできないことをしてみたいと気持ちを切り替えた。どうせなら私は子どもを産んでみたい。
そうなると私の目指す先は結婚だ。
騎士を目指していただけあって、私の体力と忍耐力はそんじょそこらの令嬢とは違う。
どんなにムカついても綺麗に微笑んで、優雅な所作でお茶を飲む。男性から愛されるような淑女を目指し、自分を磨いて磨いて磨きまくった。
もちろん高位貴族へ嫁ぐ可能性も考えて、他領について学んだり、母から屋敷管理についても学んだ。
そして私は侯爵令息であるエリック・ヴェルマーに見初められ、結婚へと一歩近づいた。
だが、それも破談となった。
エリックにエスコートしてもらった夜会で大して仲良しでもない、社交上での友人でしかないアメリア嬢が「エーファとは親友なんです! エーファのことならなんでも相談にのりますよ」なんて言ってエリックに擦り寄っていったからだ。
エリックはアメリア嬢に出会った当初、いきなり惹かれているような様子は見られなかった。
だが徐々に様子がおかしくなる。
「先日エーファ様が欠席した夜会でアメリア様がヴェルマー侯爵令息と二人きりで休憩室へ入っていくところを見かけたわよ!」
そんなことを親切に教えてくれる友人もいた。
――へぇ、見かけたのに部屋に入る前に声をかけてはくれなかったのね。
本当に親切。
もっとちゃんと親切な友人もいるが、社交界の友人は油断できない。
「彼とは私の婚約者のことで相談をしていただけなのよ」
「彼女とは君への贈り物の相談をしていただけだ」
その話が私の耳に入ったと聞くと彼らはそうやって言い訳をした。
だが、徐々にそんな言い訳もしなくなり、アメリア嬢からエリックに「君は僕の番だ」と言われたと聞く。
私はまだ十七歳で、十八の成人を迎える前だから番を認識できない。
だから二十歳のエリックが何をもって私を番だと思った後にアメリア嬢を番だと言ったのか分からない。
子爵令嬢のアメリア嬢は子爵令息の婚約者がいたはずだが、あの様子だとよりスペックの高い侯爵令息であるエリックに乗り換えるのだろう。
人には心変わりがあるのは仕方がないとは思う。
だけど、アメリア嬢がエリックの番だというのなら初対面のときに気が付いていたのでは、とも思う。
それなのにアメリア嬢の反応を確認してから私に婚約解消を申し出るなんて不誠実だ。
私は込み上げる苛立ちを剣に託して振り回す。
汗だくになりながら、剣を横に振ったとき汗で手が滑って剣が私の手からすり抜けた。
「あっ……!」
クルクルと剣が横に回って飛んでいく。
ガンッと何かに当たる鈍い音。
「ゔぅっ……!」
すぐに聞こえたアルトの呻き声。
「う、うそ……」
私はすぐに腕を押さえるアルトへ駆け寄った。
「アルト! 大丈夫!!?」
「だ、だいじょうぶだけど……だいじょうぶじゃないかも……」
アルトは真っ青な顔をしてだらだらと冷や汗を流している。
「ね、ねえ、アルト……? こ、この腕……だめな方に曲がってない……?」
「そ、そうかも………………あはっ」
「いやーーーー!!」
◇
「こりゃまた綺麗にぽっきりいってますな! 全治四ヶ月ってとこですな」
アルトは婚約を解消された傷心の私を心配し、様子を見に来てくれた。
そしてタイミング悪く私が手を滑らせて、剣を飛ばしてしまいその剣がアルトの腕にガツンと当たってしまう。刃を潰した訓練用の剣だったが、それなりの重みがある。
防具も着けていない無防備なアルトに当たってしまい、アルトは右腕を骨折した。
初老の医師は、安静期間二ヶ月にリハビリ期間二ヶ月で元の生活を送ることができると言う。
「はっはっはっ! お嬢様、そう心配せずともちゃんと元通りに治りますぞ」
医師はアルトの腕の固定を終えると、痛み止めを置いて帰っていった。
「アルト……ごめんね」
「いや、僕もまさか剣が飛んでくるなんて思ってなかったから、避けられなくてごめん」
私のことを心配して様子を見に来てくれた兄の骨を折るなんて、私はどんなひどい妹なのだろうか。
「アルト……あなた騎士の仕事はどうする? お休みってもらえるの?」
「ああ……実はそれなんだけどさ……」
アルトは来週から八歳の第二王子の剣術の指導係をすることになっていた。
利き腕を怪我をしたアルトの代わりの騎士はたくさんいるので休みを取ることもできるのだが、問題は怪我をした原因にある。
騎士という仕事は身体が資本なので健康管理にうるさい。職務中に怪我をした場合は手厚い補償があるのだが、職務外で怪我をした場合かなり厳しい処分が下されるらしい。
怪我を理由に騎士団の事務方に回され、たとえ怪我が完治しても剣は持たせてもらえず、騎士なのにずっと事務仕事をして過ごすということもよくあるらしい。
私はその話を聞いてサァァと顔を青ざめた。
自分のせいで兄の騎士人生がダメになる。
そして、私は苦肉の策をアルトに告げる。
「ねえ、アルト……私でも王子殿下に剣、教えられるかな……?」
「は……?」
◇
「ルカス殿下、レイピアの場合はガードにも指をかけるのでこう握ります」
「こ、こうか?」
「そうです、お上手です殿下。一度それで振ってみましょうか」
「ああ!」
八歳の第二王子ルカス殿下は私の指示を素直に聞いて剣を振る。
殿下用に二回り小さく作られたレイピアの刃が綺麗な弧を描くように流れていく。
あまりにも綺麗な剣筋で私は「ほう」と感嘆の声を漏らす。
「み、見たか、アルト! どうだった?」
「とてもお上手ですよ、殿下!」
もうひと月、彼の剣技の指導をしてきた。
さすが王子なだけあって一度指摘されたことは完璧にこなすし、こちらが多少抽象的な説明になってしまったとしてもちゃんと意味を汲んで理解してくれる。
すごく教えやすい生徒だ。
「やった! これでアルトにも勝てるか?」
「僕に勝つならもっと鍛錬を積まなければ無理ですよ。僕は三歳の頃から剣を握ってますからね!」
「むむ……じゃあ、もっと頑張る」
私がふふんと得意げな顔をしてみせると、ルカス殿下は悔しそうな顔を私に向ける。
それがめちゃくちゃ可愛い。
八歳の殿下は喜怒哀楽が豊かで、とにかく可愛い。
アルトは私がアルトに成り代わって騎士として振る舞うことを反対した。大変だし、危険だと。
アルトは自分が処分を受けるだけなのだからエーファはそんなことをしなくても良いと言った。
だが、私はアルトの反対を押し切り、半ば強引に髪をバサリと短く切って、アルトの服を着た。
アルトと私の背格好はほとんど変わらない。顔だって瓜二つで、少し前までは入れ替わりごっこをして、いつまでバレずにいられるか、と悪戯をして遊んでいた。そのときはアルトの休みの期間丸二日、両親さえも気付かなかった。
私のするアルトの真似は完璧だと思う。
短い髪でアルトの服を着て鏡の前で男らしくポーズを取る私を見て、アルトは「あちゃー……」と目元を手で押さえて天を仰いだ。
アルトと入れ替わったことは正解だった。
ルカス殿下の可愛い顔を間近で見ることができて、なにこの仕事最高だわ、とか思っている。
「殿下、昼食の準備が整ったようです」
「わかった。キリが付いたら向かう」
侍従が声をかけるとすました顔で返事をする。
私にだけあの可愛らしい豊かな表情を見せてくれているのだと思うとまた嬉しくなる。
ルカス殿下は剣技指導日の初日はさっきのようなスンとした顔しか見せてくれず淡々と言われたことをこなすだけだったが、二日目の指導中、王宮内に侵入者が出たと聞き、たまたま私がその侵入者を剣で斬って捕えることができた。
――しまった……殿下の目の前で……
殺したわけではなったが、私はルカス殿下の目の前で侵入者を斬りつけルカス殿下に数滴の血飛沫が飛ぶ。
殿下は目を見開いて震えていた。
変なトラウマを植え付けてしまったらまずいな、と私はハンカチを取り出して、殿下の頬に飛んだ血飛沫を拭う。
「殿下……お怪我はございませんか……?」
自分の出来る一番優しげな声音で殿下に声をかけた。
すると大きく見開いていた殿下の目が徐々にキラキラとしたものに変わっていく。
「おまえ」
「え?」
「お前、すごいな!!! どうやったんだ! 私も剣技の鍛錬を積めばお前のように剣を振ることができるか!?」
八歳の王子がキラキラと憧れの眼差しを向けてくる。
「怖くはありませんでしたか?」
「ん? まあ多少は怖いが、幼い頃からよくある事だ。それにお前はすぐに私のところへ駆けつけてくれただろう。いつもはどの騎士も無法者の処理を優先して私のことなど誰も気にしないぞ?」
確かに侵入者を捕えれば手柄になるし、応援が駆けつける前に連行出来れば、この手柄は独り占め出来る。
だが、もう侵入者は動けるような状態ではないので、後のことは応援の騎士に任せれば良いと思うし、そんなことより八歳のルカス殿下のお心の方が大事だと思う。
みんな自分のことばかりなのね。
私はキュッと下唇を噛んだ。
「そんな顔をするな。お前は優しいな。それにしても、あんなに綺麗な剣さばきで敵を斬る様子は初めて見たぞ」
「お褒めに与り光栄です……」
それからルカス殿下は私に心を開くように、喜怒哀楽をよく見せてくれるようになった。
◇
「殿下、ジャケットを取ってきたら食堂までお送りしますよ」
「ああ、アルト、ありがとう」
昼食の時間になったため、剣技の指導をやめて私はルカス殿下を王族専用の食堂室まで送ることにした。
騎士服のジャケットは脱いで訓練場の端の長椅子に置いていたため私はそれを取りに戻る。
誰かがいる。
銀髪で王子様感溢れる身なりをした背の高い男性。
彼の手にあるものは……
――あっ、私のジャケット……!
な、なにしてるの?
彼は私のジャケットを両手で抱えてそれに顔を埋めている。
顔拭いてる?
「あの……それ、わた──じゃなくて……ぼ、僕のジャケットなんですが……」
私の騎士服のジャケットに顔を埋める銀髪の不審人物。
近づいて見ると私のジャケットで顔を拭いてるわけではなく、どうやらスンスンと匂いを嗅いでいるようだった。
私が声をかけると彼は身体の向きはそのままにぐるりと顔だけをこちらに向けて、私を認めるとグワッと目を見開いた。
――え、なに……? こわっ……
超絶美形のその顔に付いている二つの目は綺麗なアメジストのような色をしているのに、白目はギンギンに血走って目を剥いていて、せっかくの美形が台無しだった。