14 最終話
後日、ロイ兄様から夜会で女性の叫び声の聞こえた騒動について教えてもらった。
どうやらエリックは夜会の最中に今度こそ本物の番に出会ったらしい。
番至上主義のエリックは強く番を求めていたこともあり、番を認識してすぐ、興奮状態に陥った。相手の女性は辺境伯夫人だったが、エリックは我を忘れて「あなたは僕の番だ」と掴みかかった。
辺境伯夫人は伴侶である辺境伯とは番ではないが、二人は幼なじみのおしどり夫婦と有名で、人の多い夜会や式典などに参加する際は必ず抑制剤を服薬してから参加していたらしい。
ジュリアス様は獣性が強すぎて抑制剤が効かないこともあったが、普通の人で抑制剤が効かないということはほとんどない。
辺境伯夫人は夜会の日、抑制剤を服薬していたため、エリックに番だと言われてもピンとこなかった。一方興奮状態に陥っていたエリックは辺境伯夫人に相手にしてもらえないことでさらにヒートアップして掴みかかってしまったらしい。
相手の同意もなく掴みかかるなど、紳士としては最低な行為。しかも相手は既婚者。
普段のエリックではありえない行為だが、衝動的に身体が動いてしまったと言うなら、辺境伯夫人が彼の番だということは本当なのだろう。
辺境伯がやめるように言ってもエリックは夫人から離れず、夫人に迫るエリックを見てアメリア嬢は絶叫した。
その場は辺境伯がエリックを取り押さえて、駆けつけた騎士たちに引き渡した。
エリックは抑制剤を飲んで落ち着きを取り戻し、辺境伯は今後夫人と顔を合わせそうな場では抑制剤を服薬してくれれば大事にはしない、と事態は収束した。
「あれから、エーファと王太子殿下が番で婚約する、という話題で一瞬盛り上がったが、すぐにヴェルマー侯爵令息に話題を持っていかれたぞ」
社交界は幸せな話題よりもゴシップなネタを好む。
エリックは辺境伯に寛大な対応をしてもらったにもかかわらず、辺境伯夫人に結婚してほしいという手紙を何度も送ったらしい。辺境伯夫人は離婚をするつもりはないとそれを拒絶した。
夫人は突然現れた番よりも、長年一緒に過ごした幼なじみの夫を選んだ。
だが、エリックは辺境伯夫人を諦められず、辺境伯領まで会いに行ったらしい。
約束もなくやってきたエリックは辺境伯に追い返されて、ヴェルマー侯爵家には辺境伯から抗議文が送られた。
今回はヴェルマー侯爵もエリックに「相手は既婚者だ」「辺境伯を敵に回すのはまずい」と何度も諭したが、番狂いとなってしまったエリックは聞く耳を持たず、辺境伯夫人へは接近禁止令が出されるほどの事態となり、仕方なくヴェルマー侯爵はエリックに監視をつけて屋敷に閉じ込める措置をした。
美貌の次期侯爵と名高いエリックだったが、今回の問題で侯爵位はエリックの弟が継ぐことになりそうらしい。
そして番狂いのエリックとは早々に婚約解消をしたアメリア嬢だが、彼女はエリックとの婚約中に次期侯爵夫人だと、まだ子爵令嬢の身でありながらも、家格が上の令嬢たちに大きな顔をしていたため、今は社交界では爪弾きにされているとか。
「私は王太子殿下の婚約者のエーファ様の親友なのよ!」と言い出すこともあったらしいが、私の正真正銘の大親友、子爵令嬢のソフィーナが「婚約者を奪っておいて親友? エーファ様からアメリア様と仲良くしているなんてお話聞いたことがありませんよ。王族の方の名前を使って適当な発言をすると不敬罪が適用されるってご存知ないのですか?」と言ってくれたらしい。
ソフィーナは私の兄アルトの婚約者で私とも交流が深いことを知っている人は多い。アメリア嬢の発言とは説得力が違う。
アメリア嬢は適当なことを言っている自覚はあったらしく、私はまだ王族ではないのだが、不敬罪という言葉に怯えてそれ以降アメリア嬢がそういう発言をすることはなくなったようだ。私の本当の親友は頼もしい。
◇
私とジュリアス様が興奮状態に陥り、体を繋げたことは公然の事実で、私の妊娠を懸念して急ピッチで結婚の準備は進んだ。
ジュリアス様の婚約者となったからには公の場に出ることは必至で、私はしばらく皆の暖かな目線が恥ずかしかった。
私がジュリアス様の番であることをあれだけはっきりと見せつけて夜会会場を抜けたので、私たちの間を邪魔するような人は現れず、結局妊娠はしていなかったのだが、私たちは当初の予定通り婚約期間半年で結婚した。
そして結婚してすぐのこと。
「エーファ、お願いがあるんだ」
「いやです……」
私はジュリアス様のお願いを拒絶する。
「まだ何も言ってないんだけど」
たしかにジュリアス様はまだ何も言っていない。
ジュリアス様が私に何かをお願いすることなんてほとんどないけど、たまにするお願いは無理難題が多いから嫌だった。
うなじを噛まれると刺激が強すぎるからやめてほしいと頼んだのに、体を繋げるとき、稀に「お願いがある」とうなじに噛み付きたがることがある。
しかも拒絶してもしつこく懇願してくる。
先日も結婚式の一週間前にすごい真剣な顔をして「お願いがある」と言うからなんだろうと聞いてみると、アルトと同じ髪型の鬘と騎士服を用意するから、初夜のときは騎士服の下にアルトの部屋で目撃したあのときの黒のスケスケの下着を身につけて欲しいと言われて、ジュリアス様と壮大な攻防を繰り広げた。
だからジュリアス様のお願い事は初めから耳にしない方が身のためだ。
私がそっぽを向くと、ジュリアス様は「お願い聞いて、エーファ」と眉を下げて上目遣いで縋りついてくる。
――くっ……かわいい……!
ジュリアス様は可愛い子ぶりっ子をする女性は嫌いなようだが、私はジュリアス様のこの無自覚の可愛い子ぶりっ子な顔に弱い。
「もう……なんですか?」
「逆鱗って知ってる?」
逆鱗といえば……
「触れちゃいけないやつですか?」
「触っても良いよ、ここにある」
ジュリアス様がくいっと喉仏を見せつけるとキラキラとした鱗が一枚見える。
「え、?」
なにこれ? こんなのあったっけ?
私が目を丸くするとジュリアス様が説明をする。
ジュリアス様は竜の獣人の血を引いていて、先祖返りと言われるほどに獣性が強い。そして、ほとんどしないが体の一部を竜化することができるらしい。
「しないよ。さすがに人と違う身体をしていたらみんな私に恐怖心を抱くだろうから」
見てみたいという顔をしたらそんなふうに言われた。
「それでこれが竜化した喉。逆鱗って言われてるんだけど、これをエーファに食べてもらいたいんだ」
「食べられるんですか?」
「うん」
美味しいか、まずいかはわからないけど、そんなに大きなものではなく、私の親指ほどの大きさの鱗一枚だから、まずかったら丸呑みすれば良い。
聞いてみたら意外と平気なお願いかもしれないとホッとする。
「いいですよ」
「ただ、食べると身体が竜になる」
「いやです」
私はまだ人でいたい。
竜は見たことがないけど、私が竜になってしまったら王太子妃としてジュリアス様の隣に立つことは出来なくなる。
「ごめん。今の言い方は語弊があった。身体に竜の血が流れることになるってだけ」
「だけ……? ですか?」
「ごめん、だけじゃない」
ジュリアス様は気まずそうに下を向く。
「竜の血が流れるようになると身体が丈夫になるんだ。ただし、エーファの中に流れている猫獣人の血はなくなる」
「え、私、猫獣人の血を引いていたのですか?」
「うん。調べたから間違いないよ」
知らなかった。耳や尻尾の生えた獣人は大昔の存在で、今やみんな人間と変わらない姿形で、薄っすら獣人の血を引いている、とか、他の種族の血が混ざって何の獣人かもわからない人がほとんどだ。
「その逆鱗を食べたら私の猫獣人の血がなくなって、竜人の血に変わるってことですか」
「そう」
私にはシュタールヴィッツ家の血が流れているが、それが竜人の血に変わる。
私の両親や兄たちとの血の繋がりが変わってしまう。
「それはちょっと抵抗がありますね」
「だよね。もう今では獣人の血はすごく薄くなっているから、獣人の血の影響が出る人は少ないのだけど、寿命が獣人の種族によって影響されることがあるんだ」
小動物系の獣人はどうしても身体が弱く短命で、肉食獣の獣人は身体が強く長命である。
「私は猫獣人の血を引いているから寿命が短い可能性がある……と?」
ジュリアス様は切なそうな顔をしてコクリと頷いた。
「っ! エーファ……!?」
私は衝動的にジュリアス様の喉に噛みついた。
そしてがりっとそこを歯で剥がして、勢いでごくりと飲み込んだ。
なんとなく身体がぽかぽかしてきて血の巡りがよくなった気がする。
「良かった。本当に見た目の変化はないんですね。これで私の寿命はジュリアス様と同じくらいになりました?」
「エーファ……! 嬉しいよ」
ジュリアス様は感激してくれていた。
番同士は魂で繋がっているとはよく言ったもので、番を失うと後を追うように生きる気力をなくす人は多い。
私にとってジュリアス様は唯一無二の存在で、二人で共に生きていくと決めた今、どちらかが亡くなれば、私たちは間違いなく生きる気力を失うと思う。
私もそんな思いをしたくないし、ジュリアス様にもして欲しくない。
血が変わったとしても私は私だ。両親や兄たちだってわかってくれると思う。
「ジュリアス様と一生共に生きていきたいですからね」
にこりとそう微笑むと、ジュリアス様は泣きそうな顔をする。
「良かった。私もエーファと二人で幸せに生きていきたい」
「ふふっ、ジュリアス様と二人もいいですけど、私は子どももいっぱいで家族で幸せになりたいです」
そんな話をすると、ジュリアス様からブワッと甘い匂いが広がった。
「え、興奮状態ですか?」
「うん。エーファが逆鱗飲んでくれて感極まっちゃって……それに、エーファが子どももいっぱいなんて言って煽るからだよ」
「煽ってな──んんっ……!」
否定しようとすると唇を塞がれる。
だが、わたしはジュリアス様の胸を押して離れる。
「だめです! 午後から公務があるんですから……! 私まで興奮状態になっちゃうので、早く抑制剤飲んでください」
「大丈夫、さっきシグルドが今日は雨で路面が悪いから午後の外出予定は延期にするって連絡くれたよ」
「え……」
じわじわとジュリアス様の匂いに私の身体が反応を示す。
額から汗が流れて、私の血がざわざわする。竜の血は今までよりもさらに熱い。
番いたいと身体が疼く。
「ああそうだ。異種族の番は妊娠しづらいけど、同種族の番は妊娠しやすいんだよ」
私もそれは聞いたことがある。医学的根拠のある話らしい。
そしてジュリアス様は私の頭をポンポンしてにっこり笑う。
「エーファ、いっぱい子ども作ろうね」
「もう……」
私は頭ポンでキュンとして結局ジュリアス様に流されてしまう。好きだからドキドキしてしまうのは仕方がないと思う。
私は了承の代わりにそっとジュリアス様と唇を重ね合わせた。
竜の王子様が番だと迫ってきましたが、私はちゃんと番でした。でも……たとえ番でなくても私たちは幸せになれたと思います。
今作はこれで完結とさせていただきます。
拙い文章でしたがお読みいただきありがとうございました。
評価、感想いただけると嬉しいです。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました(^^)
せいかな