13 番う
匂いでここがジュリアス様の私室であることを理解する。シンプルで、それでいて質の良い調度品の並ぶジュリアス様の部屋。
ジュリアス様はさらに部屋の奥へと進み、大きな寝台の上に私をそっと降ろした。
「ジュリアスさまっ……」
私は急かすようにジュリアス様の名前を呼ぶ。
媚びるような甘い声。ジュリアス様の嫌いな態度だと思いながらも我慢ができない。
それでもジュリアス様は私に「かわいい」と言って応えてくれる。
「いい子だから、待って」
ジュリアス様は荒く息を吐きながら、寝台の横にあるサイドテーブルの引き出しを開けて何かを取り出した。
「飲んで、楽になるよ」
錠剤のようなものを私に渡して、サイドテーブルの上にある水差しをとってコップに水を注ぐ。
「え、これは……?」
私は手のひらに置かれた錠剤を見る。
「抑制剤だよ。ごめんね。あの場では他の貴族たちへの牽制もあって、あんな感じで抜け出してきたけど、無理矢理に番ったりはしないから……!」
ジュリアス様は顔を真っ赤にして冷や汗をぽたぽたと流しながら、私に苦しそうに微笑んだ。
私の興奮状態の匂いに当てられてジュリアス様も爛々と欲情した目をしているのに、理性で自分を押さえ込んでいる。
「すぐに医師を呼んでくるから、これを飲んで待ってて!」
いやだ。
私はジュリアス様のシャツを引っ張った。
「いや、いかないで……!」
ジュリアス様は真っ赤な顔をしたまま「えっ」と驚く。そしてすぐに私から目を背けて辛そうな顔をする。
「ごめん、私が夜会前に飲んだ抑制剤はもう効いてないんだ。今抑制剤はその一つしか持ってない。私は獣性が強いから、これ以上ここにいると君のことを無理矢理……」
「いらない!」
「えっ……?」
私は渡された抑制剤を突き返す。
「わたし……ジュリアスさまと、つ、つがいたい、です……」
はしたないことを言っているとは思う。だけど我慢できない。
「だめだ」
ジュリアス様はシャツを掴んだ私の手を取り遠ざける。
「エーファは今興奮状態で判断力が落ちてるんだ。こういうのはもっとちゃんと冷静になって、エーファの心の準備ができてからでないと……!」
「いや! 今したいの! ジュリアス様のことが好きなんです!」
私はジュリアス様の腕にしがみつき、瞳を潤ませ上目遣いで「おねがい……」と言う。
するとジュリアス様はそんな私を見下ろして苦痛そうに顔をくしゃりと歪ませる。
その顔を見てハッとする。
――失敗した……
今の私は女の武器をたっぷり使ったジュリアス様の一番嫌いなタイプだ。
私は興奮状態にありながらも、血の気が引くような感じがして小刻みに震える。泣いてはいけないと思っても、我慢できずにぽろぽろと涙を溢す。
「ごめんな、さい……、いやっ……きらいにならないで! おねがい! きらいにならない──っ……!」
言い切る前にジュリアス様が私をガバッと抱きしめ私は目を見開く。
「嫌いになんてなるわけない。私だってエーファのことが好きで、必死に耐えているけど、君と番うことしか頭にないんだ」
ジュリアス様の温もりを感じて震えが止まる。
「私も君が欲しい。あんなに可愛くねだられたら我慢なんてできない。でも、こんな状態で君を抱けば、ひどくしてしまうかもしれない」
ジュリアス様は私の肩口に頭を埋めて、今度はジュリアス様が少し震えていた。
だから、私もしっかりとジュリアス様の背中に手を回す。
「ひどくてもいい。あなたがほしいの」
「っ!」
ジュリアス様は私の返事を聞いてすぐ噛み付くような口づけをした。そして口づけたまま私を寝台に押し倒す。
「エーファ……本当にいいんだね。後悔しない?」
「しない、しないから、私を抱いて……」
「はぁ……だめだ、母上からは優しくと言われたのに守れそうにない……」
「優しくなんてしなくていいから」
私がそう言うとジュリアス様は「どこまでも煽って……」と深いため息をついてから私に再び口づけた。
◇
初めての興奮状態は一度の交わりでは治まらず、三度身体を重ねて、私たちはようやく落ち着きを取り戻した。
私がうなじを撫でるとジュリアス様に噛みつかれた痕がある。
竜もそうなのかは分からないが、番うときに相手が逃げないようにうなじに噛みつく獣もいる。
ジュリアス様もなんとなくうなじに嚙みつきたそうにしていたので「噛みついてもいいですよ」と言った。
前に噛みつかれたほどのひどい痕ではないし、噛みつかれた時の痛みもほとんどなかったが、頸ガブはやっぱりだめだ。
番いながらの頸ガブは刺激が強すぎた。今後は絶対にやめようと心に決めた。
情事のあと、私たちは抱きしめ合って少し微睡んだ。
ふと目が覚めてジュリアス様を綺麗な顔を眺めていると、ジュリアス様も私の気配に目を開けた。
「身体痛い? 無理させちゃったよね」
ジュリアス様が私を気遣うように声をかける。
「大丈夫です……身体は思っていたよりも痛くないので……」
「なら良かった。疲れたでしょう。まだ寝てていいよ」
「あ、はい……」
そう優しく微笑む顔は、眩しいくらいに美しい。こんなに優しくて綺麗な人が私の番……。
「ん? どうした?」
「いえ、あの……ジュリアス様と番だなんてまだ信じられなくて……」
始めにジュリアス様から番だと言われたときは詐欺だと思っていたくらいだ。
ジュリアス様は私の手を取ってちゅ、と甲に口づけた。
「私はエーファと番だったらいいなとずっと思っていたからとても幸せな気分だよ」
すごく幸せそうな顔で微笑まれてキュンとする。
私も幸せです。
「あ、でも……私と結婚するとエーファのやりたいことが制限されてしまうから、後悔がないか心配だよ」
「やりたいこと?」
たしかに王太子妃となれば、教育や公務もあって自由な時間は今よりも減るとは思うが……
「ああ! 剣を振る場所と時間くらいは少しで良いので欲しいな、とは思いますが」
「それくらいは構わないよ。護身のためにも身体が強い方が良いと思うし。ではなくて……アルトからエーファは騎士になりたかったと聞いたんだ」
「ええ……」
たしかに昔は騎士になりたかった。
「今ようやく女性騎士を目指せるような基盤ができてきた。今ならエーファも騎士になれるのに、私の妃になるとそれは叶えてあげられない」
ジュリアス様は心苦しそうにそう言った。
「いや、どうしても、と言うのなら、王位継承権はルカスに譲って、臣下に降れば叶えられないこともないか……」
ジュリアス様は顎に手を置きぶつぶつと呟く。
それほどまでに私のことを考えてくれていると思うと私の胸に熱いものが込み上げる。
「ふふっ、ジュリアス様。騎士の夢はずいぶん前に諦めました。それに一度アルトのふりをして騎士の仕事を体験できたので私はそれで満足です」
「そう?」
「はい。私、今は結婚して赤ちゃんを産んでみたいのです」
私は騎士を諦めたとき、女であることに悲観するのではなく前向きに考え直すようにした。
「どうせなら女性にしかできないことをしてみたいと思って、淑女教育もしっかり受けてきたのですよ」
私は得意げにジュリアス様に話をしたが、私の隣で寝転んでいたジュリアス様はなぜ私を組み敷いているのでしょう。
「え、ジュリアス様……? な、なんででしょう……?」
「エーファが赤ちゃんを産みたいなんて煽るからでしょ?」
煽ってない! そう言いたいのに「赤ちゃん作ろうね」とまた唇を塞がれて言わせてもらえなかった。