10 婚約の申し入れ
「シュタールヴィッツ伯爵、今日はそちらのエーファ嬢に婚約の申し入れをしたいんだ」
「はっ……?」
圧のすごいジュリアス様に何を言われるのかと震えていた父は間抜けな声を上げ、一拍置いてからくるりと後ろにいる私の方を見る。
父様はどういうことだ、という目でこちらを見たが、私もよくわからない。
私だって突然のことにびっくりしすぎて間抜けな声は出なかったけど、息が止まりそうだった。
「私は彼女と結婚したい。今日すぐに返事を、と言うつもりはないのだが、考えてもらえないだろうか」
「陛下はなんと……?」
「先に陛下の許可を、とも思ったが、それをするとシュタールヴィッツ家の断る選択肢を絶ってしまうので卑怯な手段かと思いそれはやめたよ」
国王陛下から許可をもらってしまうとそれは王命と同義となり、我が家は断れなくなってしまう。
「だが、陛下へは想い人がいる旨は先に伝えてきた。高位貴族の女性であると言えば、妙齢の女性であれば、この際誰でも構わないと言っているので、エーファ嬢の了承さえもらえれば婚約は成立するはずだ」
お、想い人……!?
「今日のところはこれで下がるが、私との婚約をぜひ考えてみてもらえないだろうか」
「わ、分かりました」
父が返事をすると、ジュリアス様が立ち上がったので、父も兄も立ち上がる。
「本日は約束もなく来たのに時間をとってくれてありがとう。見送りはいらないよ。アルト殿と一緒に王宮へ戻るので」
「では、エーファ、お前も門までお送りしなさい」
私は「はい」と返事をし、三人で玄関を出た。
「エーファ嬢、突然来てごめんね。どうしても君に会いたくて」
なにがなんだかわからず、ずっと心臓がバクバクとうるさく鳴っている。
「エ、エーファで良いです」
「エーファ、長い髪も似合っているね」
ずっとアルトと呼び捨てで呼ばれていたのに、「嬢」と敬称付きで呼ばれることに違和感があり、そう言ってしまったが、名前を呼ばれ、長い髪が似合うと言われただけで私の胸はキュンとしてしまう。失敗だ。
「エーファ、先日は女性の服を引き下ろすようなことをして本当に申し訳ない。いくらやけどが心配だったとはいえ、君とアルトが入れ替わっていたことはアルトから聞いて知っていたんだ。だからちゃんと配慮すべきだったと反省してる」
ジュリアス様は殊勝な態度で頭を下げる。
「い、いえ……」
入れ替わりのことを言及されると悪いことをしていたわけだからどうリアクションすれば良いのか困る。
「あ、いや、君たちの入れ替わりをどうこう言うつもりはないよ。アルトから事情も聞いた。ただ騎士団のプライベート期間の病気や怪我に関する対応は見直しが必要だとは思うが」
それを聞いてホッとした。
「あの時、突き放すような態度を取ってしまったことも謝りたくて……」
それを聞いて私の顔は強張った。この方はどこまでも誠実なんだ。女嫌いなのに態度が悪かったことまでわざわざ謝罪するなんて……
「あのまま君があの場に居たら、襲い掛かってしまいそうだったから……」
「え……? おそう……?」
思ったことと違う説明が返ってきた。
「ああ、君の甘い香りにそそられて、噛みつく程度ではすまない、もっととんでもないことをしでかしてしまいそうだったんだ……」
「ええっ!?」
ど、どういうことだろうか……?
「すぐに謝りに行きたかったのだけど、どうしても高ぶった身体の収まりがつかなくて。そうこうしていたら君はもう騎士団からいなくなっていて……。それともう一つ、騎士団の君の部屋に足を踏み入れた時も私の勘違いで冷たい態度を取ってしまった」
「勘違い?」
あの「最悪だ」「趣味が悪い」と言われた下着のことだろうか。
「実は君の部屋に足を踏み入れて、あ、あの……アレを目撃してしまったとき、アルトには婚約者の令嬢がいるのに浮気をしているんじゃと思って頭に血が上ってしまったんだ」
「う、浮気!? 僕はそんなことしません!!」
アルトが慌てて声を上げる。
「ああ、すまない! 私の勘違いだよ。エーファの私物を見てアルトの浮気相手の物だと思い込んでしまったんだ」
だからあんなに冷たい声で軽蔑したような表情をしていたのだと理解した。
「私の勘違いで冷たい態度をとってしまい本当に申し訳ない」
ジュリアス様は再び私に頭を下げる。
この方は王族なのによく頭を下げる。いや、他の人に対して頭を下げるところは見たことがないが、私に対してはよくある気がする。
「いえ、良いんです。私も女であることを隠して接していたわけですし、こちらこそ申し訳ありません」
これに関しては私も自分を偽り彼と接していたわけだから、ジュリアス様の冷たい態度はいくら彼の勘違いであったとしても私にそれを責める権利はない。
「そんなの構わないよ。お陰で私はエーファと出会えたのだから……! あ、でも……」
ジュリアス様は優しい顔で微笑んだ。そして、すぐに顔を赤らめ、言いづらそうに言葉を発する。
「君が女性だとは知らなかったから、変なものを見せてしまったのは本当に申し訳ない……」
変なもの……恐らくアレのことだ。
一緒にシャワー室に入った時に見たアレのこと……
私はボンッと爆発音がしたのではと思うくらい一気に顔を赤くした。
「へ、へ、へ、変な、もの……とは、なん、でしょう……! も、もも、もう、忘れてしまいました……」
そんなことまで律儀に謝らないでほしい。
動揺しすぎて覚えているのが丸わかりなのだが、ジュリアス様は顔を赤くしたまま「なら良いんだ」と言う。
「いや、ごめん。君のこと女性だと知ってからも見せてしまったことがあったか……」
あれだ。不思議な植物に飲み込まれた時のことだ。
「~~っ!」
あの時のことを思い出して身悶える。だってあの時に不思議な植物の粘液の被害を受けたのはジュリアス様だけでなく私にも被害はあって、ジュリアス様は私の胸をばっちり見ていたはずだから。
「ご、ごめん! 変なことを思い出させてしまったね……!」
もうこの話はやめてほしい。私は無理やり話を変えることにした。
「と、と、ところで……ジュリアス様……? 私、ジュリアス様の苦手な貴族女性ですけど良いのですか?」
ジュリアス様は以前はっきりと貴族女性は苦手だと言っていた。
「ああ、エーファが女性で良かった。君のことが好きなんだ」
私も好きです。
そう返事をしたいところだが、僕は空気です、と言わんばかりのアルトの視線が気になるし、私はもう一つ気がかりなことがあり、素直に返事はできない。
「えっと、ジュリアス様の女性嫌いは大丈夫なのでしょうか?」
「ん……ああ、たしかに私は女性が苦手だけどエーファのことは大好きだ!」
「んぐっ……!」
ダメだ。直球を投げられて顔が真っ赤になる。
そんなとき屋敷の前に一台の馬車が止まる。
馬車の家紋をみてギクリとした。
「ん? ヴェルマー侯爵家?」
私は何度も見たことのある家紋だけど、一貴族の家紋を見ただけでどこの家の馬車かすぐに理解するジュリアス様はさすがだ。
馬車から降りてきたのはやはりエリックだった。
私の元婚約者のエリック・ヴェルマー侯爵令息。
婚約解消の手続きもすっかり終わり、慰謝料の話も終わっていると聞く。今さらなんの用事があるというのか。
「あっ、エーファ! 久しぶりだね、ちょうど良かった。君にアメリアのことで相談があって」
ちょうど良くない。とても悪いタイミングだ。
あなたの相談になんて乗りたくない。
「何度か手紙を出したんだが、受け取り不可で戻ってくるんだよ」
おそらく父様が受け取りを拒否してくれているのだろう。
「あ、失礼しました。来客中だったのですね。あれ……? あなたは、王太子殿下?」
話しながらズンズンとこちらへ寄ってきたエリックはようやくジュリアス様に気が付いた。
「こんにちは、ヴェルマー侯爵令息。先日ユーウィック子爵家のご令嬢と婚約したって聞いたけど? 元婚約者に今の婚約者の相談なんて感心しないなぁ」
ジュリアス様の指摘にエリックの目が泳ぐ。
「い、いえ……アメリアがエーファと親友だって言っていたので、エーファからアメリアのことを教えてもらえたらと思いまして……」
親友じゃない。それはエリックに近づきたかったアメリア嬢が適当に言っただけで、私はアメリア嬢とは社交のための上辺だけの友人で、彼女のことはほとんど知らない。彼女のことなど茶会でシナモンのクッキーは好きじゃないと言っていたことくらいしか覚えていない。
「へぇ、経緯は知らないけど、君はエーファの親友と婚約して、その親友のことを元婚約者のエーファに聞きにきたの? デリカシーがないんだね。君とエーファが二人で会っていた、と君の婚約者に知られれば浮気だなんだって騒がれるのが目に見えてるのに。その場合非難されるのは侯爵令息の君じゃない。伯爵令嬢のエーファなんだよ」
「…………」
エリックはジュリアス様からド正論を突きつけられて押し黙る。
実際、エリックが私と婚約している中アメリア嬢と二人で会っていたことについて露骨に眉を顰める人たちはいた。
だが、お邪魔虫の私と婚約を解消し、想い合う番が婚約するという状況に頭の中がフラワーガーデンな二人は周りの視線など気にもしていなかったのだろう。
私はこんな頭の悪い男性と婚約していたのかと思うと頭が痛い。
「それとさ」
ジュリアス様がスッと目を細めて言う。
「今彼女のことは私が必死に口説いているところなんだから、余計な男は入ってこないでくれないかな? 無関係の男が彼女のことを呼び捨てで呼ぶのは気に食わない」
「っ……! 失礼しました……」
ジュリアス様はエリックに今日一番の圧をかける。
「で、殿下とエー……いえ、シュタールヴィッツ伯爵令嬢は、つ、番、なんですか?」
デリカシーのない番至上主義のこの男は他人の番事情まで気になるらしい。
「さあ、どうだろう? 私は毎日抑制剤を服薬しているからね」
ジュリアス様が肩をすくめてそんなふうにいうとエリックは私の方を見た。
私はギクリとし身体を強張らせた。
「エ、じゃなくてシュタールヴィッツ伯爵令嬢は一昨日誕生日だったはずだ。もう十八になったのだから番が認識できるんじゃないか!?」
この男は本当にどこまでもデリケートな部分に突っ込んでくる。
ジュリアス様は私の誕生日までは把握していなかったようで「そうなの?」と言いながら私の方を向いた。
ジュリアス様は平静を装っているように見えるが、その瞳にはチラチラと期待の色が浮かんでいる。
ああ、もう番とか本当にいやだ。
「ジュリアス様から番の匂いは……しません……。私はジュリアス様の番ではないようです」
そう。私は今日ジュリアス様が来たと聞いたとき、ほんの僅かの期待を込めて応接室に入室した。
たとえ相手が抑制剤を服薬していても自分が抑制剤を飲んでいなければ、番を認識することはできる。
番を認識すると自身に流れる獣の血が騒がしくなると聞く。身体が熱くなったり疼いたり。
獣の血が『お前の番はこの人だ』と叫んでいるような感覚がする、と表現する人もいた。
だけど、応接室に入ってジュリアス様と目が合って、ドキドキしたし、ああやっぱり好きだな、とは思ったけど「この人が私の番だ」とは思わなかった。
私の身体はジュリアス様を番とは認識しなかった。
私の応えを聞いてジュリアス様は軽く「そう」と返事をした。
エリックはなぜか明るい顔をして「そっか、番に出会うなんて、なかなかないことだもんね」と言ってジュリアス様に丁寧に頭を下げて「お邪魔をしてしまい、大変失礼いたしました」と馬車へ戻っていった。
「ジュリアス様……私……」
エリックを乗せた馬車が去ってから、私が気まずそうに声を発すると、ジュリアス様が被せるように言う。
「エーファ、誕生日おめでとう! 君の誕生日までは知らなくてプレゼントの用意がないんだ。申し訳ない」
「えっ、? あ、いえ……先ほど素敵な花束をいただいたので十分です」
「そういうわけにはいかないよ」
まるでさっきの番うんぬんの話など聞いていなかったかのように言われた。
話をはぐらかされたような気がしたから私はもう一度ジュリアス様に言うことにした。
「あの、ジュリアス様!」
思った以上に大きな声が出て、言葉を発した私の方がびっくりした。
「ん、なに? エーファ」
「私は……あなたの番ではないんです……」
今度はさっきとは違って小さめの声で言う。声が震えてしまうのはジュリアス様からなんと返事が返ってくるのかと怯えているから。
「うん。さっき聞いたよ。でもね、エーファ、私は番とか関係なく君のことが好きだよ。できれば結婚したいと考えている。誕生日プレゼントは後日贈るようにするから、とりあえず私との婚約を考えてみて欲しい」
ジュリアス様は特別優しい声でそう言ってくれた。私が「はい」と返事をするとジュリアス様はアルトを呼ぶ。
「じゃあ、エーファ、私はこれで失礼するよ。今日はありがとう」
ジュリアス様はずっと空気に徹していたアルトを連れて馬車に乗り込み王都へと帰っていった。