1 番(つがい)詐欺
「ごめん。エーファ、婚約を解消して欲しい」
申し訳なさそうな顔をして頭を下げているのは私の婚約者のエリック・ヴェルマー侯爵令息。
「理由を聞いても?」
なんとなく答えは察しているが……
「番に出会ってしまったんだ……」
エリックは伏し目がちに私から視線を外しながら哀愁を漂わせた。
ああ、やっぱり。
本当に二人が番なのかは疑わしいけど、半年前から私よりも明らかに親しげにしている女性がいることは知っていた。
「ヴェルマー侯爵様はなんとおっしゃっているのでしょう?」
「父上には話を通してある。たぶん今、父上からシュタールヴィッツ伯爵に話をしている頃だと思う」
手際がよろしいことで。
格上の侯爵家からの申し出であればどんなに不本意な話であっても受け入れるしかないだろう。
「儚げな君を見て心惹かれて番だと思ったが、違った。君は強いから僕じゃなくても平気だろ。でもアメリアの番は僕だから、か弱い彼女には僕じゃないと……」
あほらしくて聞いていられない。
「わかりました。婚約は解消しましょう」
私は彼の話を遮るように言葉を発し、こうして私とエリックの関係は終わった。
◇
「む、か、つ、くーーーー!!」
私はビュンッと剣を振り下ろす。
「なーにが『番に出会ってしまったんだ……』よ!」
私は剣を持ったまま、伏し目がちに哀愁を漂わせ、エリックの顔真似をして、ひとりごちる。
この縁談、元はといえばヴェルマー侯爵家から申し込まれたもので、エリックは初めて会ったとき「君と僕はきっと番だ!」と熱い眼差しを向けて私の手を取った。
兄弟以外に歳の近い男性と免疫のなかった私は顔の良いエリックとの触れ合いに不覚にもドキドキしてしまった。
婚約者のエリックとの関係は良好だと思っていた。
だけど、一年前に私の友人であるアメリア嬢をエリックに紹介したあたりから様子がおかしくなった。
番はその人にとって唯一無二の存在で、一人の人間の番は二人以上存在しない。
それなのにアメリア嬢から「エリック様に君は僕の番だって言われちゃった! エリック様はエーファ様の婚約者なのにどうしよう……」なんて聞かされた。
そんな阿呆な話があるか、と思ったけど、エリックのアメリア嬢を見つめる熱い視線を見てしまった。
その瞬間、エリックに抱いていた熱が急激に冷めていった。
アメリア嬢がエリックの番であるのであれば私はエリックの番ではない。
出会ったときのときめきも、婚約者としての情も全部凍りつくように冷めていった。
この国の人間は大昔に存在した獣人の血が流れている。大昔にいた獣人たちは獣の耳、獣の尻尾を持ち、ときには獣に姿を変えることもできたそうだが、時の流れとともに人間の方が数を増やし獣人が減っていった。
そして今では獣の耳や尻尾の生えた獣人という存在はなくなり、人間だけになった。そして獣人がいた時代の名残りで、人間たちには薄っすらと獣人の血が流れるものも存在するという程度に変わっていった。
獣人の血が濃く流れるものは、十八歳の成人前後で本能に目覚め、番の匂いを認識しお互い強烈に惹かれあっていくという。
だがそれは全ての人間に現れる症状ではなく、百年ほど前はこの国の一割くらいの人間に現れた。だが今では三パーセント程度の人間しか番を認識することができず、番を認識することはかなり珍しい。
昔の獣人とは違い発情期というものは存在しないが、番になると相手の熱や興奮した匂いにつられて、同じように興奮状態に陥ってしまうことがある。
その場合は番うこと、つまり身体を重ねてお互いを慰め合うことで、元の落ち着きを取り戻す。
番なんてほとんどの人間には関係のないことだが、熱烈に愛し合う番という存在に憧れを抱く人は多い。
エリックも番に憧れていたから、ただの一目惚れを番だなんて勘違いしたのだろう。
――君は僕の番だ……かぁ……
私は、はぁーっと深いため息を吐いた。
父様にエリックとの婚約解消の件を報告すると、後は任せろと言ってくれた。
やられっぱなしの父ではない。きっと先方の有責でたくさんの慰謝料を請求してくれるだろう。
「番詐欺にはもう騙されないわ……」
◇
そうひと月前に誓ったばかりだったのに……。
「君は私と番だ! 結婚しよう!!」
私は今、また番詐欺に遭っている。
私の手をしっかりと握って熱い眼差しを向けてくるのは銀髪にアメジストの綺麗な瞳の超絶美形の王子様。
こんな綺麗な人が私の番だなんて絶対詐欺だ。
「む、無理です……!」
私は目の前のイケメンを拒絶する。
「なぜだ! 君と私は番だ! 君だって番の匂いを感じるだろう!?」
つがいのにおい?
そんなものは何も感じない。ただ、この握る手の熱だけはやたら強く感じるから、この人はきっと熱があるんだろうとは思う。
とにかくもう番詐欺は勘弁してほしい。
「あ、あの! 番だなんてありえません! だって、僕は男ですから!!!」
彼は宝石のようなアメジストの瞳をこぼれ落ちてしまうのではと思うほどに大きく見開いてじっくりと私の短い髪の毛と胸元を見てから言った。
「た、確かに男だ……!」
男に見えるように振る舞っているのだから、男だと認識されて問題ないはずなのだが、胸元を見た後に言われるとなんだか悔しい気持ちになる。
――いや、別にいいんだけど……
私は今、とある事情から男装をして兄のふりをしている。
男だからと諦めてくれれば良いなと思ったが──
「そ、そうか! わかったぞ! いつの間にかオメガバースの世界に転移したんだな!」
「え? おめがば……? なに……!?」
彼はいきなり意味の分からない言葉を言い出した。
「大丈夫だ。オメガバースでは男も妊娠することができるから、きっと私たちの結婚も可能になる。オメガバースはうなじを噛むことで番契約が成立するんだ!」
「う、うなじ……??? え、あっ、ちょ……! やめっ……!」
私にも番についての知識はあるけど、うなじを噛んで番契約をするなんて聞いたことがない。そもそも番は認識するものであって、契約して成り立つものではない。さらに言えば、この世界で男の妊娠なんてありえない。
彼は抵抗する私の手を掴んで「大丈夫だから」と優しい声で囁きながら近づいてくる。
「ちょ、ほんと、や、やだっ! うっ……いやっ! いや、いや……ひぃっ……」
ふう、と彼の吐息が私の首を撫でて身体が熱くなる。そして私の抵抗なんてものもとせずに……
「いやっ、いたーーーーいっ!!」
彼は私のうなじにがぶりと強く噛みついた。
男だと言ったのに全然諦めてくれないし、なんでこの人うなじに噛み付くの?
意味わかんない、カオス…………
オメガバースの世界観ではオメガ男性は妊娠可能、うなじを噛むと番になれるという設定が多いです。
ちなみに今作品はオメガバースではありません。
お読みいただきどうもありがとうございました。