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この恋心を悟られてはいけない

「さすがにここまで立派なお部屋を使わせていただくのは申し訳ないといいますか、私は自宅でも大丈夫ですので」

「あの家ではセキュリティ面に問題がある。何かあってからでは遅いんだ」

「家族でも恋人でもない男女が一つ屋根で生活するだって、普通は何かあったって疑われるものなんですよ……」

「下世話な噂を流す者達は君を守ってはくれない」


 頑なに意見を変えようとしない騎士・リオネルにヴェルデは頭を抱える。

 騎士として、警護対象であるヴェルデを守ろうとしてくれているのは分かる。ヴェルデの借りている部屋を見るまでは、家まで送り届けたら解散するつもりだったことも。

 

 だが王都に来てから約七年。

 ずっとあの家で暮らしているが、セキュリティなんて気にしていなかった。


 どうせ家と店を往復する毎日。たまの休日だって買い物をする程度で、特に問題も起きていない。


 確かに近くの物件に比べればずっと安いし、見た目はよくないが、大家さんもお隣さんもいい人なのだ。そこまで言われるほど酷くはない。

 

「帰りたい」

 ヴェルデはボソっと呟く。

 だが返ってくるのはすげない言葉である。

 

「君の家のセキュリティ面に問題があった場合は、俺の家で保護すると店長の了解を取ってある。本当に連れてくるとは思ってもみなかったが、犯人逮捕まで我慢してくれ」

「せめて着替えは取りに行かせてください……」

「もう遅いので明日以降にしてくれ。俺はただ……心配なんだ」


 眉を下げられては折れざるを得なかった。

 寝巻きとして彼の服を渡され、ヴェルデは頭を抱える。


 なぜ数日前に再会した初恋の相手の家で暮らさなければならないのか。初恋といっても大した接点もなく、言葉を交わしたのは七年前の一度きり。

 

 若い貴族の騎士というだけでもモテるだろうに、リオネルの顔立ちは非常に整っている。身体付きもがっちりとしており、背筋はピンと伸びている。女性達が放っておくはずがない。


 理由があるとはいえ、彼の家で一夜を過ごしたなんて聞かれたら別の意味で危ない目に遭いそうだ。

 

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 数日前まではいつもと何も変わらなかったのに。

 

「はぁ……」

 大きなため息を吐く。

 発端となったのは三日前。この日までは確かに『ヴェルデの日常』だったのだ。

 


 ◆ ◆ ◆

 


「ヴェルデちゃん、酒追加!」

「は〜い」

「こっちも!」

「はいはい〜」

「今日のつまみは?」

「いつものと、この前試作品で出したやつ、あと新作が一つですね」


 ヴェルデは酒を運びながら、メニューをテーブルにスライドさせる。

 するとそこに男達は群がって口々に「俺はこれ」「これ食いたい」「これ美味そう」だの指をさしていく。それらを注文票に書き加えながら、隣のテーブルの上を片付ける。

 

 他のホールスタッフはよくやるわ……と呆れた視線を注ぎながら、それぞれの客を待つ。

 

 ここは酒場だが、ホールスタッフの主な収入源は今しがたヴェルデがしているような仕事ではない。

 メインは二階の個室で身体を使って稼ぐことによって発生するお金の方。

 

 といってもこの店は娼館ではない。

 国側に『娼館』として認められるのは、いわゆる高級娼婦・高級男娼と呼ばれる人達が所属する店のみ。ほとんどの店は酒場兼宿屋として営業している。


 運営方針も様々で、この店の場合は身体を売る・売らないはスタッフの意思に委ねられている。


 決められた値段で相手をするのではなく、スタッフが納得すれば二階の宿に誘ってもらえるシステムになっているのだ。


 客とスタッフの直接的な金銭取り引きは禁止されており、代わりに酒のオーダーが入った際には原価を抜いた額のほとんどがスタッフに還元される仕組みになっている。


 スタッフと夜を共にしたければ、高い酒を入れればいいのだ。

 もちろん、高い酒を入れたからといって必ずしも選ばれるわけではないが。


 逆にスタッフに嫌われる客もいる。

 出禁になるような迷惑客ではないものの、大した金を落とさない客——それがヴェルデが対応している常連客達だ。


 他の客が頼むような銀貨や金貨を出すような酒はほとんど頼まず、二階を利用したことも利用する気もない。



『愛想をよくしたところで見返りもない安客の相手をしてられるか』


  他のスタッフの言い分である。

 あくまでも酒のオーダーは追加報酬であり、固定の給料は用意されている。だが酒場で働く女性達は皆、金を稼ぎにきているのだ。より良い稼ぎ方があるのならば、そちらを取るのも仕方がない。


 店の仕組みを理解した上で働いているのに、頑として身体を売りたがらないヴェルデが例外なだけなのだ。彼女達の考えとやり方を否定するつもりはない。


 それは常連客達も同じ。

 ヴェルデがこの店に来るまで、彼らはスタッフから煙たがられて店の奥の方に押し込まれていた。他の客と比べて扱いもかなり雑。それでも彼らは安くて美味しくてすぐに出てくる料理と酒を求めて店に通い続けた。



「追加のお酒とおつまみで〜す」

「なぁ、この新作ピザって美味いか?」

 

 皿を並べていると、左から声をかけられた。

 彼はメニューのピザコーナーを指さしている。

 

「美味しいですよ~。店長のおすすめです」

「ヴェルデちゃんは?」

「私はその隣のバジルのやつが好きです」

「んじゃあこっちもらおうかな」

「俺、シーフードのにするわ」

「新作とバジル、シーフードが一枚ずつですね! かしこまりましたぁ」

 

 ヴェルデは愛想のいい笑みを浮かべ、伝票に注文を記していく。

 テーブルに伝票を置くのはこの卓だけだ。他の卓は酒の他にはつまみを少し注文する程度なので、スタッフが各々管理している。

 

「それからゴールドを一本」

「そういえば今日現場が終わるって言ってましたっけ? 無事終わったようでなによりです」

 

 彼らは一番安いビールを頼むことがほとんどだが、現場が終わったタイミングや記念日などには高い酒を注文する。


 彼らが注文するのはゴールド・シルバー・ブロンズの三種類のうちのどれか。

 いずれも正式名称ではなく、ラベルの色だ。三種類の中ではゴールドが一番高い。


 現場が終わったタイミングで入れるのはブロンズであることが多いのに珍しい。


 それに今月は……。

 ヴェルデは頭に浮かんだ疑問を、酒を頼んだ常連・コウルに投げかける。

 

「でもコウルさん、そろそろ結婚記念日ですよね? 高いお酒入れちゃって大丈夫ですか?」

「それなら大丈夫だ。去年ヴェルデちゃんに言われるまで忘れてたの、結局うちの母ちゃんにバレてさ、今年からカレンダーにでっかい丸付いてんだ。毎日目につくもんで、プレゼントはもう買ってあるんだ」

「あー、だからうちのも今年はなんか書いてあったのか」

「今日のは去年の礼みたいなもんだな。まぁ久しぶりにヴェルデちゃんの歌が聞きたいっていうのが一番だけどよ」

 

 ニカッと笑うコウルにヴェルデも頬が緩んだ。

 初めこそ「なぜこんな若い女の子が……」と訝しんでいた彼らだが、今ではヴェルデなりのお返しも含めて受け入れてくれている。

 

 キッチンに戻り、調理スタッフに注文を告げる。

 

「ピザ各種とゴールド入りました~」

「ゴールドか珍しいな。今日は誰だ?」

「コウルさんです」

「じゃあ山の唄だな」

 

 アンセルは金ラベルの酒と自分のバイオリンを、ヴェルデは人数分のグラスを持って席に戻る。全員分に酒を注ぎ、アンセルはバイオリンを構える。

 

「それでは聞いてください」


 アンセルの伴奏に合わせ、ヴェルデは呼吸するように歌を紡ぐ。


『山の唄』は炭鉱夫の無事を祈る歌である。

 コウルはヴェルデの父のように炭鉱で働いているわけではないのだが、今の仕事と通ずるところがあるらしい。また彼の故郷は国有数の炭鉱都市で、子供の頃から慣れ親しんでいる歌らしい。


 この店に来てしばらく経った頃に教えてもらった。

 店長に付き合ってもらって、開店準備前に何度と練習して。今では一番得意な歌でもある。

 

 ヴェルデは身体を売らない代わりに、高い酒を入れてくれた時は歌を贈ることにしている。

 

 歌を贈るのは、ヴェルデが最も得意とするものだから。

 腕前はなかなかのもので、以前いた店では音楽担当として雇用されていた。


 前に働いていた酒場は娼館ほどではないにしろ、かなり高級志向の店だった。

 歌担当のヴェルデのようにピアノやバイオリン、チェロにビオラなど、幅広い楽器担当者がいたものだ。基本給もよかったが、チップもかなりの額で、実家への仕送りを少しでも増やしたいヴェルデにとってこれ以上ない職場だった。

 

 だがとある事件がキッカケでオーナーが代わり、音楽担当は全員クビになってしまった。

 数人はホールスタッフとして働かないかと声をかけられていたが、ヴェルデは誘われなかった。

 

 どうしたものかと困り果てているところを、今の店長・アンセルに拾ってもらった。

 彼は以前からヴェルデのことを知っていたらしい。歌姫として雇うことはできないが、身体は売らないホールスタッフでどうかとスカウトしてくれた。

 

 拾ってもらった恩はもちろんある。

 だがそもそも他のホールスタッフに薄給と呼ばれる給料は王都の平均よりもやや高めなのだ。弟の学費を稼ぐために出稼ぎに来ていたヴェルデにはありがたい話である。


 申し訳なさでホール作業の他に裏方作業を手伝っていたのだが、その分も給料に色をつけてくれた。


 仕事には相応の対価を。

 それが店長の言葉である。


 元々男娼として働いていた彼が言うと重みが違う。ヴェルデはありがたく受け取り、その分、しっかりと働くことで店に貢献している。

 

 

 

「――ありがとうございました」

 約八分間にわたる歌が終わり、店長と一緒にペコリと頭を下げる。

 常連はもちろん、他の客達も拍手を送ってくれた。そして近くの客が声をかけてくれた。

 

「私もリクエストしたい曲があるんだが、酒を入れればいいか?」

「はい。私の知っている曲限定になってしまうのですが、大丈夫ですか?」

「『カナリアの唄声』を。……思い出の曲なんだ」

 

 よほど思い入れがあるのだろう。客の目はうっすらと潤んでいる。


『カナリアの唄声』はヴェルデにとっても思い出のある曲だ。

 以前いた店のオーナーのお気に入りで、開店時と閉店時には必ず歌っていたものだ。開店時には店のドアを開き、外にも音楽が聞こえるようにしていたため、開店の合図として城下町の人達に広く知れ渡っていた。

 

 この店に来てから歌うのは初めてだが、身体が覚えている。

 

「店長」

「俺も分かる。担当以外のスタッフになるので、会計は先でもいいですか?」


 酒代の一部がバックになる関係で、会計は担当スタッフが行うことになる。

 そのため、担当スタッフ以外に注文する場合はその場で支払いを行うのがルールとなっている。


 注文してもらった時は、余分に持たされている伝票に商品と額を記載し、お金と伝票を店長に預ける決まりとなっている。


 今回は店長がこの場にいるため、彼が注文を取ってくれるようだ。手には新しい伝票とペンが握られている。

 

「ああ。酒は……これを」

 

 彼が差したのは店でも三本の指に入るほど高額な酒だった。

 常連以外から曲のリクエストを受けることは今までにもあった。


 人によっては先ほどの曲のチップも合わせて、とかなり高い酒を入れてくれる人もいる。だがここまで高額なものは初めてだ。思わず店長と顔を見合わせてしまう。


 だが初めから『曲のリクエスト』と言ってくれているし、酒代も迷いなく払ってくれた。こちらから文句を言うことはない。


 こくりと頷き、キッチンに向かう。

 

「ピザ焼けたぞ」

「ありがとうございます」

 今しがたオーダーを受けた酒と一緒に、常連のピザを運ぶ。

 

「おまたせしました。新作とバジル、シーフードのピザです」

「おお、美味そう」

「この後何曲あるんだ?」

「えっと、たぶん三曲ですね」

 

 店長の方を見て確認する。

 ヴェルデが酒の準備をしている間、他の客からリクエストとオーダーを聞いてくれているのだ。

 

「今日はたくさん聞けていいな」

「ああ、つまみももっと頼んでおけばよかった」

「そっちのボトルよこしてくれ」

「頼んだの俺だからな!?」

「小さいことはいいじゃねえか」

 

 ボトルを奪い合うように、けれども楽しそうな常連達。自然とヴェルデの頬も緩む。

 店長に手招きをされ、リクエストリストを確認する。二人で相談して、演奏する曲を決めた。彼らに酒を運んでから演奏に入るのだった。

 

 


 追加の三曲も好評に終わった。

 特に常連達は上機嫌だ。ほろよいでケラケラと笑いながら店を後にした。彼らを見送ったらヴェルデの主なホール作業は終わり。


 キッチンに向かうと、すでに流しには使用済みの食器が大量に積まれていた。


 今日は店一番人気のスタッフ・ニーナが早い時間から出勤しているため、客入りが普段の倍以上になっているのだ。彼女は出勤がまばらで、後輩として可愛がってもらっているヴェルデですら十日に一度話せればいいほど。出勤すれば客が客を呼ぶように繁盛するのである。


 今もニーナの客から次々とオーダーが入っており、さっさと洗わないと足りなくなってしまう。腕まくりをし、グラスとジョッキを優先しながら洗うことにした。

 



「ふぅ……やっと終わった」

 一階のクローズ時間まで、客が途切れることはなかった。

 初めはひたすら洗い物をしていたヴェルデだったが、途中で空いたテーブルから食器を回収したり、他の客を対応している担当スタッフに代わって席に案内したりがメインとなっていた。


 額の汗を拭うと、後ろからハンカチが差し出された。


「ありがとうございます。それで、どうかしましたか?」

「明日、昼から出られるか? 人手が足りてないんだ。代わりに明日は常連達が帰ったら上がっていいから」

 

 準備の手伝いだけなら一時間早く出れば済むこと。買い出しがある時はそのように言われる。


 けれど言われないということは……。

 問題が起きているのだと悟った。それも他のスタッフに聞かれると厄介なことが。

 

 おそらく『探し物』があるのだろう。

 にっこりと笑って頷く。

 

「大丈夫ですよ〜」

「ん。じゃあ頼んだ」

「ところで賄いはでます?」

「デザートも付けてやろう」

「やった!」

 

 小さくガッツポーズをすると、フッと鼻で笑われた。ガキっぽいとでも思ったのだろう。だが親ほど歳の離れた店長から見ればヴェルデなんて子供である。


 明日の探し物と成果によってはオレンジジュースもねだろうと心に決める。

 




「おはようございま〜す」

 翌日。普段よりもかなり早い時間に出勤すると、裏方スタッフの姿すらなかった。キッチンに店長が立っているだけだ。

 

「おう、来たな。これ食ったら早速頼む」

「他の方は?」

「マーガレットは子供が風邪引いたって言うから休ませた。ビリーは買い出しで、エリックにはこの前注文したタオルを取りに行ってもらってる」

「二人が帰ってくるまでに済ませた方がいいってことですね」

「話が早くて助かる。と言っても二人とも今さっき出たばかりだからしばらく帰ってこないけどな。ほら、お前が昨日狙ってたデザートのプリンとオレンジジュースだ」

「バレてたんですね」

「ああ。食いながらこれ確認しとけ」

 

 ほら、と軽く渡されたのは二枚の紙だった。


 一枚目は部屋の使用記録。この一か月間、いつ・誰が・誰と・どの部屋を使用したかが記載されている。客の名前は偽名が使われることも多いのだが、今気にするべきはそこではない。


 二枚目にはスタッフの問題行動が書かれていた。本来、この手のものがスタッフの目に触れることはない。今回の探し物のために特別に見せてくれたのだろう。


 ヴェルデは好物のシチューを食べながら渡された紙を確認する。

 

「この子、この部屋を使ってる率が異常に高い……」


 どの部屋の構造も大体同じで、三十人近くのスタッフがその時々に空いている部屋を使うのだ。

 毎日出勤しているわけでもなければ、一日に何回も二階を利用している訳でもないのに、一か月で二十回以上も同じ部屋を使用するなんて不自然だ。


 キッチンで下拵えをしている店長は何も言わない。


 今までアンセルから『特定の何か』を探してこいと指示されたことはない。探す対象がなんであれ、スタッフを疑うことでもあるからだ。彼女達を刺激しないため、そして矜持を傷つけないために『清掃中に見つかってしまった』という体を保つ必要がある。


 だからこれもヴェルデが勝手に呟いていること。

 問題行動が書かれたメモに記載されている人物名とも合致している。今回の探し物は彼女関連と見て間違いないだろう。


「清掃するついでに傷んでるのとか色が変わってるタオルも回収しといてくれ」

「了解です」

「今日は『入念に』な」

「はい」

 

 ヴェルデの推理は正しかった。もしも見当違いの考えをしていれば、何かしら指摘が入る。

 綺麗になった皿を託し、更衣室で清掃用のエプロンを着ける。


 

「じゃあ行ってきます〜」

 掃除用具を手に、二階に上がる。回収したタオルを入れるための籠は廊下に置いておき、その中にポンポンと入れていく。

 

 慣れた調子で部屋の清掃・チェックを行う。足りない備品があれば補充しつつ、いよいよ最後の部屋のドアノブに手をかける。


 このまま何も見つからなければ、残りの時間はひたすら雑巾を縫うことになるのだろう。回収したばかりのタオルは籠に山積みになっており、店長と二人で縫ってもしばらくかかりそうだ。


「雑巾縫いで終わりますように……」

 祈りを込めて部屋に踏み込む。


 パッと見た感じだと他の部屋と変わらない。だがこの部屋は別だ。先ほど確認した資料にこの部屋と利用者に関する記載があった。


 ヴェルデ自身、彼女には少し気になるところがある。部屋に入り、真っ先にクローゼットを開く。

 

「今回も服がなくなってる」


 セッティング係の重要な役目として、女の子の着替えがちゃんと用意されているのか確認するというのがある。いくらそういう店とはいえ、汚れた服で店に立たせるわけにはいかず、着替えを忘れたスタッフ用の服が部屋に常備されている。


 ちなみにアンセルの強いこだわりにより、全てデザインやシルエットが異なる。

 買い取りにはなるものの、可愛い系・セクシー系・クール系と幅広いジャンルに対応している上に店で買うよりもウンと安いことから、スタッフからの評判もいい。


 普段使いできるのもありがたい点である。ヴェルデも配膳中に服が汚れてしまった時は利用させてもらっている。


 服代は給料から天引きされるため、使用後は申請が必要となる。申請忘れや意図的に申請をしない子も一定数いる。といっても部屋の使用記録が残っているため、備品チェックの際に必ずバレるのだが。

 

 今回の場合は確信犯だろう。

 渡された資料にも前科が書かれていた。

 

「これで七回目か……多いなぁ」

 

 二か月前に入ったばかりの子なのだが、よほど金に困っているのか初めのうちは着替えを使うことすら渋ったほどだ。


 ならばと着替えを持ってこさせたが、どれも着古されたものばかり。

 そのままなら店に出せないとまで言われ、ようやく着替えを使うようになったと思えばこれだ。

 

 通常、二か月もこの店で働いていれば服代に困ることはない。ヴェルデが知っているだけでも彼女には固定客が何人もついている。基本給以外もそこそこ稼いでいるはずだ。

 

 それに毎回用意された服を着なくてもいいのだ。

 初めの数回だけ利用し、それを着回せばいい。注意される際、この提案も一緒にされていたはずなのだが何か事情でもあるのだろうか。

 

 彼女は他のスタッフとの交流を避けており、ヴェルデも彼女のことをほとんど知らない。渡された資料にも詳しいことは書かれていない。あるのは意図的な申請隠しをしたと思われる記録だけ。

 

「最近何かが盗まれたって話は聞かないけど、気づいてないだけのケースも結構あるからなぁ」

 

 店の特性上、お金に困っているスタッフも多い。

 ほとんどのスタッフは真面目に働いて稼ぐのだが、ごく稀に別の手段に手を染める者がいる。

 

 ホールスタッフの私物を盗み、客に高値で売るのである。

 その他にも、バックヤードにいるホールスタッフの様子を描いて売っていたこともあった。金額を積めば好きな服装やポーズを描いてくれるサービスまでしており、店長は他のことに活かせばいいのに……と呆れていた。

 

 ちなみに後者は今、店公認のサービスになっている。

 知らない間に行われているから問題なだけで、意外にもモデルにされた側も乗り気だったのだ。店の取り分は不要だが、彼女達の許可を得ること・売り上げの二割をモデルにバックすることで落ち着いた。公認になったことで、堂々と巨大な絵を頼む客も出てきた。店にも何枚か飾ってある。

 

 

 絵は例外にしても、盗まれたものやなくなったものを発見してきたのはヴェルデだ。

 初めは偶然だった。バックヤードを清掃している最中に見つかった。その後は二階の掃除中、洗い物中と偶然が続いたため、こうして店長から声をかけられるようになった。

 

 今日もおそらくそうだ。盗みを働いているとすれば服だけではないと思うが、使用済みの服を何らかの手段で客に売りつけている可能性はある。

 

 売るなら人目のない個室--つまりは二階である。

 その時着ていた服を売っているだけなら、店長も大目に見てくれるのだろうが、少し嫌な予感がする。

 

 念入りに探してみたが、なかなか見つからないからなおのこと。

 やはりこの部屋に何かあるとの確信が強まっていく。そもそも毎回物を持ち込んでいるなら、部屋はどこでもいいはずなのだ。

 

 大きく息を吸い込み、思考を巡らせる。


「せめて隠されている物が分かればなぁ」

 愚痴をこぼしたところで答えが目の前に現れるわけではない。

 探したつもりになっている場所に必ずあるはずなのだ。


 それにヒントはある。


 彼女の身長はヴェルデとほぼ同じ。

 この部屋で踏み台に使えそうな物はベッド一択。近くに物を隠せそうなものはないため、高いところは除外していい。

 

 隠すなら清掃場所以外。

 普段の清掃なら目を向けない場所はどこか。


 たまに掃除する場所もダメだ。店の開店準備が早く終われば水場も念入りに掃除されるため、見つかる可能性がある。

 

 よほどのことがなければ確認されない場所。

 かつ彼女自身が取り出しやすい場所。

 

 かつて盗品が隠されていた枕の中・手洗い場の下は確認済み。

 引き出しの中にフェイクの板はなかったし、ベッドの裏側に貼り付けられてもいなかった。

 

 残るは――。

 部屋中を見まわしていたヴェルデの視点がとある場所で止まる。

 

「マットレス?」

 ベッドは隠しやすい場所だ。すでに確認している。上はもちろん、左右にも特に変化はない。裏面も異常はなかった。


 だがマットレス自体の裏側はどうか。

 一人で動かすにはやや重いが、引きずる形で引っ張り出す。

 

「やっぱりあった」

 床に寝転がり、マットレスの下を確認すると小さな縫い目があった。


 探し物をするからと持ってきていたソーイングセットを使い、縫い目の端っこを切る。あとは中のものを傷つけないよう、指で器用に糸を解いていく。

 

「中にあるの紙っぽいな。絵にしては小さいような?」

 

 少しずつ中のものが見えてくる。

 

 これは袋? 中に粉が……。

 袋と共にメモの切れ端も見つかった。走り書きされている言葉に見覚えはないが、袋の中身がどんなものかは予想できる。

 

「厄介なものを……」

 エプロンのポケットに突っ込み、マットレスを縫う。上からシーツをかけ、他の部屋と同様の清掃を行う。


 最後にドアノブに清掃中の札をかけてから一階に下りる。バックヤードにいた店長はヴェルデの顔を見ると帳簿をつける手を止めた。

 

「どうだった?」

「これが見つかりました」


 ポケットの中から先ほど見つけたものを取り出す。アンセルはメモの内容を確認するまでもなく、袋の中身を理解したようだ。ふぅ……と長い溜め息を吐く。

 

「うちの店からこんなのが見つかる日が来るとはな……どこにあった?」

「マットレスの中です。裏側に縫い目がありました」

「よく見つけたな」

「私もまさかこんなところに隠しているとは思いませんでした。今は清掃札をかけてますけど、どうしましょう?」

「適当に部屋を荒らして使用禁止にしておくか……。ヴェルデ、手伝ってくれ」

 

 ボリボリと頭を掻くアンセルに続き、ヴェルデも先ほどの部屋に向かう。

 

 まだ割と新しいライトを床に落として割り、綺麗に敷き直したシーツはぐしゃぐしゃに丸めて部屋の端に投げた。周りの家具も適度に荒らし傷もつけ、客が暴れたような部屋を作り出す。

 

 勿体ないとは思うが、騎士が到着する前に勘付かれて逃げられるよりもマシだ。

 買い出しから帰ってきたビリーには酔った客が間違って入った部屋で暴れたらしいと嘘の情報を伝えた。


 もっとも彼はオープンスタッフの一人で、元々娼館の下働きとして働いていたこともあり、嘘であることにはすぐ気づいた。同時に他のスタッフにも聞かれた時にはそう伝えてほしい、という意味も掬ってくれる。

 

「じゃあ俺は今からヴェルデと壊れた備品の買い出しに行ってくる。エリックには清掃中の札かかってるところ以外はタオルを補充しておくように伝えておいてくれ」

「分かりました。お気をつけて」

 

 ビリーに見送られ、ヴェルデとアンセルは城下町に繰り出す。向かう先は雑貨屋でも家具屋でもない。城門内にある警備小屋である。


 長い取り調べが待っているかもしれないと思うと憂鬱だ。開店前に戻れるといいのだが……。

 

 

 城へ向かう道中、ヴェルデとアンセルは会話をしながらも目ではお目当ての品を探していた。


「新しいライト、どんなのにしましょうか?」

「この前、城の近くで良いステンドライトを見つけたんだが、あれ高いんだよな……」

「予算ってどれくらいなんですか?」


 ヴェルデの問いかけにアンセルは四本指を立てた。店に並ぶライトの平均価格がそれくらいだ。少なすぎず、かといって多いわけでもない。だからこそセンスの良いものを探し出すのは困難である。


 うーんと悩みながら歩き続けているうちに目的地に到着したのだ。すかさず門番が前にやってくる。


「用件は?」

「事件が起きたからその報告に」

「ならあちらで記入を。終わったら奥の者に提出するように」

「ああ」


 アンセルは慣れた様子でスタスタと進んでいく。彼が書類に要件を記入している間、ヴェルデは上を見上げた。


 一体どれほどの高さがあるのだろう。ぼんやりと考えていれば「行くぞ」と声をかけられる。


 モノがモノであるため、中での事情聴取が行われることになったらしい。部屋の中で控えていた騎士と共に奥へと進もうとしている。急いでその後に続いた。



 ヴェルデが城内に入るのはこれで三度目だ。

 一度目は王都に来たばかりの頃。スリから助けてくれた騎士が怪我の手当てをするからと中に招いてくれたのだ。そして二度目は前の店をクビになるキッカケとなった事件の取り調べ。


 原因はタバコの不始末による発火だった。

 事件性はないと判断が下されたものの、火がかなり大きく燃え上がり、怪我人も多く出たため、少し大ごとになったのだ。


 ヴェルデはその時、折れた柱が背中に当たり傷を負った。当時のオーナーが引退したのもやはりこの時の火事が原因だった。


 オーナー交代と店の立て直しにより、スタッフの選定が始まり、解雇に至った——と。


 取り調べに向かっている間も給料と見舞金が出たことだけが救いだった。あの時のように細い通路を通りながら、小さな部屋に通される。


「こちらで少しお待ちください」

 ヴェルデはアンセルと横に並びながら、先ほどの会話の続きを始めた。


「ライト、シンプルなデザインがいいですよね」

「ああそうだな。それでいて他の部屋のと被らないのな」

「今まで使ってたのは鳥のデザインだったので同じのがいいですかね?」

「近々あの部屋に騎士が入るだろうし、犯罪が起こった部屋と思われるとイメージが悪いから変えた方がいい……いや、ここはまるで同じデザインの物を用意するべきか?」

「何でですか?」

「だって燃えるだろ」

「すみません、よくわかりません」


 首を傾げれば、アンセルは背徳感が〜と語り出す。変なスイッチを押してしまったようだ。

 アンセルが経営する店は王都の酒場でも活気があり、それは美人揃いのホールスタッフとアンセルのこだわりの強さによって成り立っている。


 彼の手腕はヴェルデもよく理解しているのだが、彼の思考にはなかなかついていけないところがある。特に燃えるだの萎えるだのの話はトンとダメだ。早口で語るアンセルを受け流す。


 アンセルとて誰かに話すことで自分の中の意見を固めたいだけで、他人の意見が欲しいわけではないのだ。はいはい、と適当に相槌を打っていると、別の声が会話に混ざった。


「その鳥、緑色ではないか? って君がなぜここに……」

 

 振り向けば、そこには騎士団服をまとった高身長の男性が立っていた。


 薄紫の髪は今にもドア枠にぶつかってしまいそうなほど。黄金にきらめく瞳はヴェルデを見据えている。襟元には四枚の花弁が描かれたバッチがつけられている。この国では騎士団の階級をバッチの花弁の枚数で表す。

 

 見習いは一枚で、騎士団全員をまとめる総司令官は五枚。四枚といえば近衛騎士か騎士団長クラスである。想像よりもずっと偉い人が来てしまったとヴェルデは緊張で身を固める。

 

 おそらく貴族。だがヴェルデは目の前の男性を知っている。


 初めてこの場所に来た時、怪我をしたヴェルデの治療をしてくれたのが彼だ。あまりにも綺麗な瞳に吸い込まれそうになったからよく覚えている。


 思えば一目惚れだったのだろう。

 初めての恋だったから、気づいたのはずっと後のことだが。客からリクエストされた恋愛ソングを歌っていた時に自覚するなんて思わなかった。

 

 あの時はパニックで散々泣いてしまった。

 自分は王都に、父は炭鉱に働きに出ているのだとか、シチューが好きだとかどうでもいいことを散々話した気がする。


 思い返すとなかなかに恥ずかしい。


 恋を自覚してからも、あの時のお礼を告げに行くことなんてできなかった。

 それにきっと彼はヴェルデのことなんて覚えていないだろうと。そう思っていた。

 

 いや、覚えているはずないか。

 警備小屋には毎日のように城下町中の人がやってくる。もう七年も前のことを覚えているはずがない。


 前の店にいた時に来てくれたのだろう。

 ならここで話を広げるのは迷惑というものだ。触れられたくないこともあるかもしれない。

 

 それに、彼がここに来た理由は一つ。

 仕事のためだ。ペコリと頭を下げるだけに留めておく。


「おう、リオネルじゃねぇか。お前が出てくるなんて珍しいな」

「今追っている事件との関わりがあるかもしれないからな。それで色は」

「緑だ。ちょうどこの髪みたいな」


 店長はヴェルデの髪を指さしながら答えた。

 するとリオネルと呼ばれた騎士は「やはりそうか」と呟きながら椅子に腰を下ろす。

 

「何かあるのか?」

「先ほど提出してもらった証拠品と関連があるんだが……」

 

 その言葉を皮切りに、騎士団側の事情を話してくれた。

 

 騎士団は長らく薬物売買組織を追っているらしい。

 そして最近、売買する場所の手がかりを掴めたらしい。

 

「それが、緑色の鳥だったと?」

「捕らえた者から聞き出した話をもとに描いたものがこれだ。店で使っているものと同じか?」

 

 ヴェルデとアンセルは目の前に差し出された絵を覗き込む。そしてほぼ同時にフルフルと首を横に振った。

 

「いや、羽根の色が違う。身体はこの色だが、羽の色は光に当てたみたいな明るい色だ。今にも飛んでいきそうなリアルさに惹かれて購入したから間違いない」

「それにこんな鎖は付いていませんでした」

「あれを見つけたのがバレないよう、部屋を荒らす際にランプは割っちまったが破片なら提出できるぞ?」

「大きいカケラだけ繋ぎ合わせても大体の色は確認できるかと。私、今から戻って取ってきましょうか?」

「いや、後で部屋とその部屋を使用していたというスタッフの取り調べをさせてもらう。その際は君達にも協力してほしい」

「当然。こちとら善良な市民だからな。あいつは今日も出勤してくる予定だ。こちらとしてはスタッフの中に仲間がいる可能性は考えたくないが、店内で騎士が控えているとリークされて逃げられても困る。働いているところに客として来るのが一番だと思うんだが」

「本当なら少し泳がせたいところだが……末端だろうからな。そうさせてもらおう」


 リオネルとアンセルの間で計画がサクサクと進んでいく。ヴェルデはそれを見ているだけ。このまま出番はないかなぁとぼんやりと考えていると、すぐに否定された。


「ヴェルデは騒ぎになった時、俺と一緒に他のスタッフと客の対応な。常連達の接客は後回しでいい。おっさん達は完全に無関係だからな」

「あまり大きな騒ぎにならないといいんですけどね……」


 彼らはヴェルデが来る前も含め、一度も二階に上がっていない。飲み食いだけ済んだらサクッと会計を済ませて帰るため、滞在時間は短めだ。来て早々店の奥に案内されるため、他の客がそちらに向かえば目立つ。彼らが他のテーブルに行くのも同じ。


 今回の一件に関与することはほぼ不可能だ。

 騒ぎがあったからと早々に店を出たとしても問題ないのだ。


 後で事情を話し、謝罪すればいい。事情が事情だけに許してくれるだろう。


「入り口と出口は固めさせてもらうつもりだが、常連とは?」

「酒とつまみとヴェルデの歌を目的にくる、声がでかいだけの善良なおっさん達だ。この辺だと夜に飲み食いだけする安い店はないからうちの店を利用してるみたいだな」

「確かに彼女の歌には店に通う魅力があるから」

「酒と料理も美味いぞ。取り調べが無事に済んだら食いにくるといい」

「ああ、近いうちに」


 リオネルは納得したように頷く。店長は用意された紙に店の間取り図を描く。出入り口として使えそうな場所を念入りに。


 決行に備えて話し合い、ヴェルデとアンセルは一足先に城を後にした。買い物に行くと出てきた手前、手ぶらで戻るわけにはいかないのだ。


「あった!」

「同じのあるなんてツイてるな〜。じゃあこれと、後そっちのランプも一つ」

「二つ買うんですね」

「予備に一個あった方がいいだろ」


 ランプが壊れることなんて早々ないのだが、何か思うところがあるのだろう。ランプを受け取り、店へと戻るのだった。


 

 開店までの時間、ヴェルデはひたすらに雑巾を縫う。チクチクチクチクと無言で針を動かすのである。


 念のため、例の部屋からはタオルを回収してきていない。何が証拠品になるか分からないからだ。これらも場合によっては調べられるのだろうが、その時は糸を解けばいい。


 こうして縫っているのは、元々の予定をなぞることで少しでも心を落ち着かせるため。同時に更衣室に出入りするスタッフを確認するためでもある。


 来たら雑巾縫いを切り上げてホールに出る手筈となっている。

 

 彼女が出勤してきたのは開店ギリギリの時刻。メイクも軽く済ませ、店に出て行った。ヴェルデもすぐに彼女に続く。


 そして開店早々入ってきた新規の客から『オレンジジュース』のオーダーを受ける。まさかリオネル本人が来るとは思わなかったが、事前に決めた手筈に従う。

 

 彼女の担当客はまだいない。

 捕まえるなら今がチャンスだった。

 

 オレンジジュース同様に、合図の品として決めていたサービス品を運んでいく。

 

「オレンジジュースお待たせしました! こちらサービスのチーズです」

 

『チーズ』なら作戦決行。

『ナッツミックス』なら少し待機。

 

 彼は「悪いな」と笑い、例の彼女を指名した。

 いかにもお金持ちそうなリオネルに釣られ、接客スマイルでやってきた彼女の腕を掴む。

 

「確保!」

 リオネルの叫びに、まだ少ない客達が固まった。立ち上がり、急いで逃げ出す者もいたがそちらは外で待機している騎士達に捕獲されることだろう。スタッフも同じ。

 

 無事に捕まり、腕を拘束された彼女の姿を見て、ヴェルデはホッと胸を撫で下ろした。

 

「協力感謝する」

 ピシッと敬礼をし、リオネルは彼女を連れて去って行った。


 騎士が入ったという情報は客とスタッフ達に駆け巡ることだろう。今後、よほどの理由がなければこの店が使われることはないはずだ。

 

「ほらお前ら、仕事に戻れ〜」

 アンセルはパンパンと両手を叩き、固まっているスタッフの意識を引き戻す。

 

「皆さんにはつまみをサービスさせてもらいますので」

「飲み物じゃないのかよ〜」

「飲み物をサービスしたらスタッフに注文できないでしょう?」

「そりゃあ違いねぇや」

 

 客達も店長の様子を見て、次第にいつもの調子に戻っていく。


 騎士が店に突入してくることはほとんどないが、あることはあるのだ。それも店自体に監査が入ったわけではなく、目的はスタッフ一人。最近入ったばかりということもあり、他で問題を起こした子を雇ってしまったのだろうと納得してくれたようだった。


 スタッフ側からしても、浮いていた子が連れていかれただけ。何かあったのだろうと思いつつも深く突っ込むことはせず、自分達の仕事に戻って行った。

 

  ヴェルデ達が事件に関わるのはこれで終わり。

 あとは騎士団側がどうにかしてくれるはずだ。


 

 ――その時のヴェルデはそう信じて疑っていなかった。


 

 だが作戦決行から二日後。ヴェルデとアンセルは騎士団に呼び出されていた。

 彼女が吐いた情報について確認してほしいことがあるらしい。そしてリオネルから衝撃的な言葉を聞いた。

 

「彼女の話によると、仕入れも販売もあの部屋で行うように命令されていたようだ。念のため、ここ最近の彼女の足取りも追ったがめぼしい所は特にないことから、証言は間違いないと思われる」

「でもなんでうちの店なんだ? それも毎回決まった部屋だなんて」

「その件についてはまだ分かっていない。とはいえ、お前の店の関与を疑ってはいない」

「うちに後ろ暗いところなんてないぞ。ましてや薬だなんて」


 苦々しく吐き捨てる店長。

 一昨日は冷静に対応していた彼だが、思うところがあるらしい。


「騎士団が『緑のカナリア』の情報を掴んでいると知った組織に利用されたのではないかと考えている」

「でもそれじゃあ、犯人か協力者がスタッフか客の中にいることになりませんか?」


 部屋に置かれているインテリアのデザインを知ることができるのは、あの部屋に入った者だけだ。


 カナリアのランプを設置したのはもうかなり前のことなので、部屋の使用歴を遡り、犯人候補を特定することは困難だ。一度限りの客や、すでに他の店に移った客もいる。候補者の範囲はかなり広くなってしまう。


「……我々もそう考えている。今日は今後も協力してもらいたいと伝えたくて来てもらった。俺が直接行くべきなのだろうが、目立つからな」

「それは構わない。うちも綺麗にしてもらった方が助かる。な、ヴェルデ」

「はい」


 リオネルはホッとしたように笑った。

 彼と別れ、ついでだからと買い出しをしてから店に帰る。二人で玉ねぎと人参を両手にいっぱい持って、帰ったら下ごしらえを手伝わされることとなった。

 

 

 その一時間後のことだ。

 騎士団に捕まった彼女が毒殺されたのは。


 開店前にやってきた私服のリオネルから聞かされて、思わず声を失った。

 

「喉を掻きむしり、叫びながら死んでいった。口封じのために殺されたのだろう。調べたところ、昨晩本が差し入れられていた。おそらく、それに毒が塗られていたのだろうとのことだ」

「少し気になることがあるんだが、薬物売買をしていたのならそこまで金に困るものなのか? あいつ、うちでの稼ぎは悪くなかったんだよ。なんか事情があるのかと思って深くは聞かなかったけどよ」

 

 この手の店で働く者はお金に困っていることがほとんどだ。だからこそ、短期間で高額を稼げる夜の店で働く道を選んだ。


 事情を深くは聞かないのが暗黙の了解となっている。だが今回は話が別だ。

 

「よほど金に困っていたか、自らも薬物使用者だったか。後者なら儲けた金は全て薬に消えるだろうな」

「実は私も気になることがあるんです。今まで気づかなかったんでんすけど、よくよく考えてみると、彼女が不審な動きをするようになったのって私が店で腕時計を見つけてからなんです」

 

 思い出すのはひと月ほど前。

 ホールスタッフの一人に腕時計をなくしてしまったと泣きつかれ、店内を大捜索したのだ。


 結局、手洗い場に落ちていた。酔った時に落としたのだろう。

 かなり分かりづらいところにあったが、開店時には確実にあったことと、他のスタッフが閉店時にはしていなかったと証言したことで、捜索範囲が絞りこめた。

 

 彼女が部屋の服を利用するようになったのはそれからだ。

 一見すると特に関わりがないように思えるが、今になって思うとわざと申請をしないことで疑ってくれと言っていたようなものだ。


 実際、リオネルに確保された際、彼女は抵抗らしい抵抗をしていない。

 

「そういえば一緒に入ってたメモはなんだったんだ?」

「解読中だ。だが彼女が死の間際叫んだのは『ヴェルデ』の名前だった。その後、微かに逃げろと言っているようにも聞こえたと。俺はその場にいたわけではないが、犯人は君を狙っているのではないだろうか」

「え、私? なんで……」

 

 犯人にとって都合の悪いことを知ってしまったとでもいうのか。

 背筋に冷たい汗が伝う。だが必死に考えたところで、殺人を犯す相手に睨まれるようなことをした覚えがない。

 

「理由は不明だが、狙われている可能性がある以上、放ってはおけない。俺が警護に当たることとなった。店内での警護はもちろん、出勤退勤時には家への送迎を行うつもりだ」

「なんでですか!?」

 

 先ほどよりも大きな声で疑問の言葉を口にする。

 けれど彼は冷静そのものだ。

 

「俺はいいと思うぞ。騎士に守ってもらえるなら安全だろ」

「そんな簡単に……」

「犯人が捕まるまでの辛抱だ。警護がしやすいよう、ヴェルデはホールかキッチンに立たせるようにする。リオネルはカウンター席か奥の席の好きな方を使ってくれ。奥は常連がいるからうるさいが」

「そちらに行こう」

「勤務時間も変えよう。お前もずっとヴェルデを見ているのは大変だろ」

「仕事だから問題ない」

「感情面ではなく、他の仕事との兼ね合いの話だ」

「それは……」

「常連達が帰ったら上がるようにして、昼前後に出てきてもらうようにすればいいか。買い物と仕込みは俺と一緒にすればいいし、掃除も一階なら見てられるしな」

 

 本人を抜きにして、話はサクサクと進んでいく。ヴェルデが抗議の声を上げても、二人揃って無視を決め込む。ヴェルデを心配してのことだと理解していても悔しいものだ。


 リオネルが奥の席に陣取ったのを確認し、ようやく仕方ないと諦めた。開店の時間が間近に迫っていることもあり、渋々更衣室に足を向けるのだった。

 

 だが店の奥は常連達の指定席のようなものだ。

 若い男が一人、ポツンと座っていれば目立つ。それも店側に気を使ってか、食事も酒も頼んでくれるからなおのこと。


 接客をするのは当然のようにヴェルデである。例のスタッフを確保した時に居合わせたホールスタッフはもちろん、他のスタッフからの視線が痛い。


 だがスタッフよりも鋭い視線を向ける人もいる。向ける相手はヴェルデではなく、リオネルではあるのだが。

 

「ヴェルデちゃん、この人は?」

 いつもと同じくらいに来店した常連達は、見慣れぬ若い男を睨みつける。

 

「えっと、この人は今日初めてくるお客さんで」

「ヴェルデ嬢を指名したのはまずかったか?」

 

 ヴェルデが適当に誤魔化そうとしていたというのに、リオネルは火に油を注ぐかの如く。

 どうせこれからしばらくは警護するのだから指名したと言ってしまった方が早いのは分かる。理解はできる。だが言い方というものがあるだろう。


 ヴェルデを娘のように可愛がってくれている常連達の顔には青筋が浮かんでいる。だが一人だけ冷静なままの男性がいた。コウルである。

 

「まぁお前達、落ち着け。兄ちゃん、ここに座っているならちょうどいい。ヴェルデちゃん難攻不落エピソードを聞かせてやろう」

「え」

「そうだな。それがいい。ヴェルデちゃん、ビールを人数分」

「つまみはいつものな」


 コウルの言葉に賛同する形で他の常連達もいつもの席に就く。

 難攻不落エピソードとは何のことか。全く覚えがない。リオネルも真面目に聞く必要はないのだが、なぜか乗り気である。


 ジョッキを手に、常連達のテーブルに椅子を寄せているではないか。ヴェルデにはリオネルの考えがまるで分からない。


 だが今は勤務中だ。オーダーが入ったからには対応しなければならない。

 

「ビールとおつまみですね」


 彼らが変なことを話すとは思えないが、後ろ髪をひかれる気分でキッチンへと戻る。そして急いでテーブルにビールを運ぶと、なぜかリオネルは仲間として迎え入れられていた。


 この短時間で一体何があったのか。

 コウルは彼の背中をバンバンと叩き、そうかそうかと嬉しそうに笑っている。

 

「おまたせしました」

「お、ヴェルデちゃん来たな! こいつぁ本気だぞ、なんせ七年だからな」

「えっと、何のことでしょう」

 

 七年というと、ヴェルデが王都に来たのがちょうどそのくらいなのだ。まさかリオネルもヴェルデのことを覚えていてくれたのだろうか。淡い期待を抱くが、すぐにそんなはずがないと首を振る。

 

「いや、おっさんがあんまり言うのも野暮ってもんだよな。いっぱい奢ってやるから頑張れよ、若造」

「はい。ありがとうございます」

 

 コウルはそう告げると、リオネルにビールをご馳走する。ついでに追加の酒とビールの注文も受ける。


 ヴェルデが皿洗いをしている間も奥の席はいつも以上の盛り上がりを見せていた。

 滞在時間もいつもより長く、会計する時にはどこか名残惜しそうな目を向けていたほどだ。

 

 テーブルを片付けながら、リオネルに声をかける。


「あの、大丈夫でしたか?」

「ああ、気のいい人達だった。本当に君のことを大事に思っていて」

「彼らにはこの店に来てからずっとよくしてもらってるんです。あ、追加で何かいりますか?」


 いつもの調子で声をかける。

 けれど彼は軽く首を振り、ヴェルデの耳に口を寄せた。

 

「そろそろ上がりの時間だろう? 裏口で待ってる」


 低い声で囁かれ、ビクッと身体が跳ねた。

 彼は平然とした様子で自身の腕時計を指先で叩く。今日は呼び出しがあるからと早く出勤したため、上がりも早いのだ。

 

 耳元で話したのは、周りの客に聞かれないため。堂々と一緒に店を出れば、店外での営業もやっているのかと勘違いされてしまう。


 リオネルは店のことも考えてくれたにすぎないのだ。騎士団服ではなく、わざわざ私服に着替えてからきてくれたのも気遣い。


 男性に耐性がないヴェルデが過剰に反応してしまっているだけなのだ。


「……着替えてきます」

「ああ」


 文句を言いたい気持ちをグッと堪え、赤くなった顔を彼から背ける。そして早足で更衣室に向かったのだった。

 

「お待たせしました」

 裏口でリオネルと合流した時にはもうすっかり顔の熱も引いていた。

 

「家はどっちだ?」

「こっちです」


 リオネルに案内する形で歩き慣れた道を辿る。

 だが家が近づくと、リオネルの表情が次第に硬くなっていく。警戒してくれているのだろう。

 ヴェルデは深く考えず、アパートの前で足をとめた。


「ここです。送ってくれてありがとうございました」

 ペコリと頭を下げる。

 けれど彼の表情は先ほどよりも険しいものになっている。


「一人暮らしだと聞いていたんだが」

「そうですよ?」


 ここは単身者向けのアパートだ。さほど広くはないが、その分、お値段もかなり手頃だ。


 なによりヴェルデが家で過ごす時間は長くない。シャワーは店のを使わせてもらっているし、食事だって三回のうち一回は店の賄いで済ませている。場合によっては昼も追加され、朝は抜くことも多い。


 休日はいつもよりもしっかり寝て、洗濯物をして、買い物に行って、と過ごしていればあっという間に終わってしまう。


「こんな、鍵をかけていても侵入されそうな部屋で女性が一人暮らしを……」

「そんなに酷くないですよ!? 平民ならこのくらいが普通です」

「……行き先を変えよう。付いてきてくれ」


 腕を引かれ、ズンズンと歩く。だが歩幅はヴェルデに合わせられている。強引なのか優しいのか分からなくなる。


「どこに行くんですか?」

「俺の家だ」

「それはちょっと……。私、これでも女でして」

「女性という自覚があるならもっとマシな家に住んでくれ。それに、何もしない。神に誓ってもいい」

「ですが……」


 そう言いながら進んでいく先にあるのは貴族街。ヴェルデとは縁がないと思っていた場所だ。

 比較的市場に近い、小さめの家が立ち並ぶ場所に彼の家はあった。だが奥にある大豪邸と比べて、という話であって、ヴェルデの暮らしている部屋よりもウンと広い。


 リオネルは鍵を開け、そのまま家の中に進んでいく。腕を引かれたヴェルデも当然彼に続く形となり、たくさんあるドアの一つで足を止める。


「君にはこの部屋を使ってもらおうと思う。しばらく使っていないから少し埃っぽいかもしれないが、明日清掃を入れるから今晩は我慢してほしい」


 部屋にはいかにも高そうな家具が並んでいる。ベッドだって、店で一番広い部屋に置かれているものより大きい。


「さすがにこんなに立派なお部屋を使わせていただくのは申し訳ないといいますか、私は自宅でも大丈夫ですので」

「あの家ではセキュリティ面に問題がある。何かあってからでは遅いんだ」

「家族でも恋人でもない男女が一つ屋根で生活するだって、普通は何かあったって疑われるものなんですよ……」

「下世話な噂を流す者達は君を守ってはくれない」

「帰りたい……」


 ヴェルデはボソっと呟く。

 だが返ってくるのはすげない言葉である。


「君の家のセキュリティ面に問題があった場合は、俺の家で保護すると店長の了解を取ってある。本当に連れてくるとは思ってもみなかったが、犯人逮捕まで我慢してくれ」


 いつの間に了解なんて取ったのだろうか。勝手に話を進めてしまうなんて、店長も店長である。彼なりにヴェルデのことを心配してくれているのは分かるが、事前に相談して欲しかった。


「せめて着替えは取りに行かせてください……」

「もう遅いので明日以降にしてくれ。俺はただ……心配なんだ」


 眉を下げ、困ったように説得される。まるでヴェルデが駄々を捏ねているようだ。恋人でも婚約者でもない若い男女が一つ屋根の下で過ごすなんておかしいはずなのに……。すでに逃げ場は塞がれていた。


 ヴェルデが抵抗を諦めたのを察し、リオネルは柔らかく笑った。

 そして別の部屋に行くと、なにやら真新しい服を持ってきた。


「大きいかもしれないが、寝巻きはこれを使ってくれ。男物だが新品で綺麗だから」


 いかにも高そうな黒いパジャマである。おそらくシルク製。ヴェルデには大きすぎる。好意とはいえ断るべきなのだろう。だが一日働いた服で、これまた立派なベッドを使うのも気が引けた。


 どうしたものかと悩んでいると、しょんぼりと落ち込むリオネルと目が合った。


「やはり、私の服は嫌か?」

「……ありがたく使わせていただきます」


 警護だって仕事とはいえ、好意であることには違いない。これ以上断るのも悪いと、自分に言い聞かせることにした。


「ところで食事は済んでいるのか?」

「開店前に賄いを食べました」

「そうか。なら夜はいいな。今日はゆっくり寝てくれ」

「はい。おやすみなさい」

「おやすみ、ヴェルデ嬢」


 柔らかく微笑まれ、少しだけソワソワする。きっと慣れない場所に来たからだ。そうに違いない。ヴェルデは借りたパジャマに袖を通す。ズボンは長すぎたので、上だけワンピースのように着ることにした。

 

 落ち着かない。

 そう思っていたのも初めだけ。自分で思っている以上に疲れていたらしい。柔らかいベッドに溺れるように眠りの世界に落ちていった。

 


 ◇ ◇ ◇



「はぁ……」

 ヴェルデを部屋に案内した後、リオネルは部屋で項垂れていた。

 彼女の手前、ポーカーフェイスを保ち続けていたが、心臓は今にも飛び出しそうだった。


 七年前。

 警備小屋でヴェルデに恋をした。

 髪と同じ緑色の瞳を潤ませ、悔しさで唇を噛む彼女に庇護欲がそそられた。

 少しでも落ち着けようと話を聞いていると、彼女は自分のことをポツポツと話してくれた。


 名前はヴェルデ。

 彼女には優秀な弟がいること。

 弟の学費を稼ぐため、家族みんなで頑張っていること。

 父は近くの炭鉱に出稼ぎに、彼女は王都にやってきたらしい。


「王都ならきっと仕事がいっぱいあるからって言われて。家族と離れて暮らすのは寂しいし、大好きなお母さんのシチューが食べられないのは辛いけど、まさか大好きな歌を仕事にできるなんて思ってなかったから、今とても楽しくて」

 話していくうちに彼女の頬が少しずつ緩んでいく。柔らかな表情に、リオネルの心まで温かくなる。


 王都に来てから悪いことばかりでなくてよかった。

 胸を撫で下ろす。けれど小さな恋心が実ることはない。


 リオネルは騎士で、彼女はたまたま警備小屋を利用したにすぎない。出稼ぎにきた彼女が警備小屋と縁なんてない方が良いに決まっているのだ。


 寂しいが、ひそかに少女の幸せを願い続けていた。

 それは上司に連れていかれた酒場で彼女を見つけた時も同じだった。


 かつて歌を仕事にできるのが楽しいと語ってくれた彼女は、のびのびと声を店中に響かせていた。まるで彼女自身が一つの楽器であるかのように。他の音と一体になる彼女を見ているだけで幸せだった。


 気づけば足が店に向くようになり、歌に耳を傾けながらカウンターで酒を飲むのがリオネルの楽しみになっていた。いつまでも続くと思っていたが、実家の用事で王都を離れている間に火事が起きてしまった。


 修復工事が終わった後の店を訪れたが、そこにヴェルデの姿はなかった。てっきり実家に帰ったのだと思っていた。


 再会するなど夢にも思っていなかった。

 アンセルとは顔見知りではあるものの、彼の店に興味などなかった。いや、ヴェルデ以外の女性に興味がないといった方が正しいか。気づくはずもない。


 警護を申し出た時、アンセルは一瞬とても驚いたように目を丸くしていた。

 彼女はきっと見逃していただろうが、おそらく部下達も同じ反応をすることだろう。それでもリオネルを信頼し、任せてくれた。


 信頼を裏切るつもりはない。

 リオネルはただ、ヴェルデに笑ってほしいだけなのだ。この手で捕まえたいという欲は一切ない。


 この先、彼女が進む道の障害になるのなら、たとえ相手が己であろうとも切り捨てる覚悟である。


「彼女を悲しませるなど断じて許されることではない。俺は俺の職務を全うするのみだ」


 口に出し、己の覚悟を再確認する。緊張感のない顔を思い切り叩き、気合いを入れる。


 次に会った時に平静が崩れることはないはず。

 同僚と部下から付けられた『鋼壁のリオネル』の名は伊達ではないのだ。



 ◇ ◇ ◇



 翌朝。

 リオネルに店まで送ってもらうと、事情の知らない裏方スタッフが満面の笑みで迎え入れてくれた。

 

「ヴェルデ、あの人よね!? 長身のイケメンにお持ち帰りされたってホールの子が噂してたわ!」

「お持ち帰りとかではなくて」

「ああ、そうよね。あの常連相手に本気発言したんですものね、お持ち帰りなんて言い方はよくないわよね。もう付き合ってるの?」

「付き合ってないわ!」

「まだ始まったばかりってことね。うんうん、いいと思うわ。私、応援してるから!」

 

 両手をガッと掴まれ、応援される。

 純粋な好意であると分かるだけに拒みづらい。

 

「お、来たな。とりあえずこれな」

「こ、こんなに!?」


 今日使用する分の野菜が全て箱に詰められ、床にドンッと置かれる。その上には切り方の指定のメモまで載せられている。


 今までも下ごしらえの手伝いをしたことはあったが、ここまで任されるのは初めてだ。つい戸惑ってしまう。

 

「しばらくヴェルデが下準備に加わるからってビリーに話したら、ならその分手の込んだものを作りたいって言い出してさ。うちとしても料理だけ楽しんで帰る客も増えてきたし、この辺でレパートリーを増やしたいと思ってたところなんだ。試作品を作っている期間は賄いにもいろんなのが出てきて嬉しいだろ?」

「ビリーさんの料理美味しいですもんね。もちろん、店長のも好きですが」

 

 店長の言う通り、元々好評だった料理の人気がここ最近でさらに高まっている。

 担当スタッフが人気だとなかなか来てもらえないため、長時間滞在するために食事を済ませてしまう客が増えたことが発端だ。


 だが一度食べてもらえればビリーの料理の美味しさに気づいてもらえる。次があれば、ついでの食事ではなくメインで頼んでもらえるのである。


 最近はちょっぴりお得な日替わりセットメニューなるものもできたほどだ。

 

「俺もいくつか作るつもりだ。ところでヴェルデはプリンって作れるか?」

「はい。実家ではたまに作ってました」

「なら今日、作ってみてくれ。試食してみて、ビリーからも許可が下りれば期間限定で店のデザートに加えようと思う」

「え、私のも加えるんですか。作ったことがあるって言っても素人ですよ?」

「どうせしばらく早出になるからな。なんかそれらしい理由があった方がいいだろ。もちろん、時間に余裕があればプリン以外を作ってくれてもいいぞ」

「考えておきます」

 

 店長は二階に行かせないための理由付けを用意してくれたのだ。

 ヴェルデはなるほどと頷き、酒場でも注文してもらえそうなデザートを考える。常連達にあったら嬉しいデザートがないか聞いてみよう。

 

 冷やす時間も考え、先にプリンを作る。

 ビリーが出勤する前なので蒸し器ではなくオーブンを使用することにした。

 

「えっと自分用とビリーさんと店長の三つでいっか」

「常連達とあいつの分もな。警護の礼とでも言って渡せば喜ぶだろ」

「リオネルさんにも喜んでもらえるかはともかく、渡すならビリーさんのチェックが終わってからの方がいいんじゃ」

 

 常連達は喜んでくれるだろうが、リオネルはどうだろうか。

 彼は貴族だ。直接聞いたわけではないが、間違いない。そんな相手に料理人でもないヴェルデが作ったプリンを渡すのは気が引けてしまう。

 

「大丈夫大丈夫。ヴェルデが作ったって言えばあいつ、喜んで食うから」


 心配するヴェルデとは対照的に、店長は軽い調子で返す。

 店長の言葉の意味が分からぬまま、ヴェルデはプリン作りの準備に取り掛かる。


「先輩の分もいいですか?」

「いいぞ。来た時に渡しておく」


 プリン液とカラメルを作り、オーブンに入れている間に野菜の皮を剥く。プリンを冷やしている間に残りの下拵えを済ませ、終わったらホールの掃除をして、と過ごしていればあっという間に開店時間になっていた。賄いを急いで食べて、ホール用のエプロンに取り換える。

 

 途中、出勤してきたスタッフ達からも祝福の言葉を贈られた。不釣り合いだと言ってくれる人がいれば気が楽なのだが、気のいい人達ばかりなのだ。

 

 だが身分の高いリオネルが酒場の娘と関係を持ったと勘違いされるのはあまりいいこととは言えない。ヴェルデ自身は身の程を弁えており、勘違いをする気はない。


 だが周りは違うのだ。

 リオネルの本気宣言がアクセルとなり、訂正するのは難しい。

 

「あとで相談しないと……」


 すでに奥の席にはリオネルが控えている。

 メニューを見ながら、今日の夕食は何を食べるか思案しているのだろう。そういう姿すらも決まっている。思わずため息が出てしまいそうになるくらいにカッコいいのである。

 

 他のスタッフからの生暖かい視線を受けながら、ヴェルデはプリンを持ってリオネルのテーブルに向かう。


 プリンは少し前にビリーと店長に試食してもらい、ともに合格をもらっている。明日からは店に出せると言ってくれた。それでも少し緊張してしまう。

 

「こちら試作品のプリンです。よければどうぞ」

「違う。『ヴェルデのプリン』だ。明日から期間限定商品として出すつもりだから感想を聞かせてほしい」

 

 後ろからやってきた店長がすかさずヴェルデの言葉を訂正する。売り込みにきたのだろう。そこまではいいが、商品にヴェルデの名前を付けるなんて聞いていない。驚きの表情を向ける。だがヴェルデよりもリオネルの方がずっと驚いていた。

 

「君が作ったのか?」

「えっと、一応料理長と店長からは大丈夫って言ってもらえたんですが、お口に合わなかったら全然残していただいて大丈夫ですので!」

「ありがたくいただこう」

「甘いもの、お好きなんですか」

「甘いものが、というか……ああ、好きだ」

 

 少し恥ずかしそうに顔を背ける。

 だがそんなに恥ずかしがることはない。酒場でスイーツを頼む男性陣は多いのだ。常連達もよく頼んでいる。特にフルーツケーキが出た時は酒よりもご飯よりも先に出してくれと頼むほどだ。

 

「よかった。ご注文はお決まりですか?」

「ではAセットを」

「Aセットですね。かしこまりました」

 

 伝票を記入し、キッチンにオーダーを通す。

 その後すぐにやってきた常連達にもプリンを出すととても喜んでくれた。その際、聞いたリクエストをきっちりとメモに取るのも忘れない。

 

 

「お疲れ様でした~」

 常連達を見送り、昨日と同じく裏口から出る。

 外で待っていてくれた彼は「荷物を持とう」と手を伸ばしてくれる。


 気遣いは嬉しいがヴェルデの荷物なんてポシェットくらいだ。このくらい自分で持てるとフルフルと首を振った。


 けれどまっすぐに彼を見つめたまま。

 働いている間、告げようと思っていた言葉があるのだ。

 

「あの、私、やっぱり自宅で暮らそうかなと思っていまして」

「危険だ。了承しかねる」

「他のスタッフから勘違いされてて。酒場の女性と一緒の家に帰っているところを知り合いに見られたらマズいですよね?」

「いや、全く」

 

 顔色一つ変えずに一蹴されてしまった。

 リオネルは事の重要性を理解していないのだ。どうすれば考え直してくれるだろうか。首筋を掻きながら考える。

 

「君に困ることがあれば、こちらも他の対応を考えるが……。今さらだが恋人は?」

「……いません」

「解決後には誤解を残さぬように努めよう。今は我慢してくれ。もちろん、家に帰りたい以外での提案は可能な限り受け入れるつもりだ。男の俺が何もしないと言っても信用できないというのであれば女性職員を住まわせるよう、手配を進めて……」

「そっちの心配はしていません!」

 

 ヴェルデとてそんな心配はしていない。

 あくまでもはたから見れば勘違いされる、という話をしているのだ。


 噂の拡散力というものは意外にも馬鹿にならない。人の噂も七十五日なんて言うが、さほど興味のない話題ならそのくらいで忘れるだけ。自分と近しい存在の話題や印象が強ければいつまでも覚えているものなのだ。

 

 だが噂の片割れの心配ごとはヴェルデとはまるで違うものだった。

 呆れたような目を向けられる。

 

「君も女性なんだからもっと警戒してくれ」

「リオネルさんのような人が遊ぶような店は中心街の店ですから。下手に手を出して後で何言われるかわからない女には手を出さないんですよね。ちゃんと分かってます」

 

 以前、ホールスタッフがそんなことを話していた。


 本来、彼のような人があの店に来ることはないのだ。

 それに彼がヴェルデの側にいるのは警護のため。仕事である。変な期待をするほどロマンチックな思考は持ち合わせていない。

 

「別にそういうわけでは……。まぁいい。一度、君の家に行こう。昨日、着替えを取りに行きたいと言っていただろう」

「そのまま家で暮らしたいんですが」

「ダメだ」

 

 すげなく断られ、渋々家で服を回収する。

  買っておいた食品系の回収は許してもらえなかった。


 リオネル曰く、そこに毒を盛られている可能性があるからと。

 もったいないと文句を言えば、危機管理能力が云々とお説教が始まったため、諦めざるを得なかった。


 回収した服ですら、一度リオネルの家で洗濯をするという徹底っぷりだ。

 


 ◆ ◆ ◆

 


 十日も我慢すれば帰れるだろうと考えていたヴェルデだったが、その後、捜査はなかなか進展しなかった。


 気づけば彼の家で暮らすようになってからひと月が経過していた。


 一緒に朝食を食べ、酒場まで送ってもらい、夕方に店で合流し、同じ家に帰る。

 絶対に一人では出歩かないよう、固くいいつけられているため、ちょっとした買い物に行く時も荷物を取りに行く時も一緒だ。休日は一緒に料理することもある。リオネルは一人暮らし歴が長いようで、料理が得意だったのだ。


 この家での暮らしにも慣れてきた。

 ことあるごとに危機感が薄いと指摘されるが、なんだかんだ上手くやっている。


 二週間前にはレース糸を大量に買い込んだ。

 彼との買い出しの際、雑貨屋で安売りしているのを見かけたのだ。ヴェルデとしてはあまり荷物を増やしたくなかったが、暇を潰せるものがほしかった。


「よし、できた!」

 レースを編むのは久々で、買ってきた日に練習代わりにコースターを編んだ。編み終わってから、コースターが二枚あることに気づいて頭を抱えた。


 練習するだけなら二枚も作る必要はない。

 しかも一枚は黄色い糸で。リオネルの瞳の色である。完全に無意識だった。

 

 だがわざわざ解くのも違う気がして、かといって自分で使う勇気はない。

 そこで食事の際、何も言わずにコップの下に敷いてみた。


「こういうのもいいな」


 リオネルの反応はたった一言だけ。顔色ひとつ変えず、色味なんてまるで気にしていなかった。それどころか翌日「君に似合いそうなのを見つけた」と言って黄色のリボンを贈ってくれたくらいだ。


 黄色が好きくらいにしか思われていない。ヴェルデが意識しすぎているだけなのだ。

 それからは自宅に戻ってからも使えそうなテーブルマットや鍋敷きなどを作っては、たまに使っている。


 ◇ ◇ ◇

「なぁお前達、いつの間に付き合ったんだ?」

 いつものようにリオネルが酒場で食事をしていると、アンセルがやってきた。


 手には注文していた『ヴェルデのプリン』がある。彼女が運んできてくれると思っていたが、今は洗い物から手が離せないようだ。


 ここからでははっきりとは見えないのだが、今日も今日とて一生懸命働いている姿が愛らしい。


「何のことだ?」

「ヴェルデが付けているリボン贈ったのお前だろ。前までニーナが贈ったバレッタを付けてたのに。付き合ってるなんて聞いてないって荒れるニーナをなだめるの大変だったんだからな」

「付き合ってない。警護をしているだけだ」


 好意はあるが、それを表に出すつもりはない。

 リオネルがすべきは、ヴェルデに安心して暮らしてもらうことなのだから。自分が警戒対象に入っては元も子もないのである。


 受け取ったプリンにスプーンを突き刺し、甘めのカラメルを堪能する。

 だがアンセルはリオネルの返答に納得いかない様子だ。表情を歪め、立ち去る気配がない。


「……その警護対象にリボンを贈った理由は」

「買い物をしている時に見つけてな、以前母がアクセサリーはいくらあっても困らないという話をしているのを思い出した。アクセサリーも髪留めも似たようなものだろう」


 店の先に飾られたリボンを見た時、ヴェルデの顔が浮かんだのだ。

 そして母の言葉を思い出した。


「なんで黄色なんだ」

「色は何色もあったが、黄色のレースを編んでいたのを思い出してあの色にした」

「贈り物にも色にも他意はないと」

「あったら問題だろ」


 女性相手に贈り物をするのは軽率だっただろうか。

 だが彼女もレース小物を作っては食事の際に使っている。彼女が深い意味なく使用しているように、リオネルの行動にも深い意味はない。


 ましてや色なんて、相手に気に入ってもらえればなんでもいいだろう。


「黄色のアイテム贈っておいて、真顔で言い切るお前の方が問題だと思うがな」

「もしや嫌がっていたのか」

「嫌がってたら付けねえよ……」


 アンセルは大きなため息を吐き、キッチンに戻っていった。

 リオネルとしては変なことを言っている自覚はないのだが、贈り物なら直感的に選ぶのではなく真剣に考えた方がよかったのかもしれない。


 あまりにも直感的すぎた。だが真剣な贈り物など相手を困らせるだけ。

 このくらいの距離感がちょうどいい。


 リオネルはそう結論付け、再びプリンにスプーンを伸ばすのだった。



 ◇ ◇ ◇


 

「ねぇ恋人さん、今日も来てるよ」

「今日も一緒に帰るの?」

「私、昨日一緒に買い物してるの見ちゃった」


 いつからか、スタッフ達はヴェルデを見つけると喜々として話しかけてくるようになった。

 元より会話は多い方ではあったのだが、リオネルを恋人だと勘違いするようになってからは頻度が増している。


 ニーナに至っては、恨めしそうにリオネルを睨みつけている。

 せめて彼女にだけは事情を話しておきたいのだが、働く時間をずらしている関係でなかなか時間が取れずにいる。


 恋人と勘違いされる原因に思い当たる節はあるのだ。


 一つは、いつでも守れるようにと近い距離で歩いているため。警護のためなので仕方ない。

 そしてもう一つはヴェルデが悪い。彼からもらったリボンが嬉しくて、頻繁に付けているのだ。


 買い物中にコウルと彼の奥さんに会った時も、それはもう自分の娘が恋人を連れてきたかのように喜んでくれて、とても居心地が悪かった。


 その際、コウルが高い酒の意味を教えたからだろう。

 注文を受けたスタッフにバックマージンが入ることを知ったリオネルはこの日を境に、毎日のようにゴールドを注文するようになった。

 

 捜査協力のお礼のつもりなのか。

 ヴェルデは初めの発見以降、警護を付けてもらっているだけで何の役にも立っていない。それに頻度が高すぎる。


 ヴェルデとしては実家に仕送りできる金額が増えるのは嬉しいことであるが、お金は大丈夫なのか。常連が分けて飲むほどの量がある酒を頼んでいるのも心配だ。


 ついちらちらと確認してしまうのだが、毎回ちゃんと飲み干している。ただ酒が好きなのだろうか。家で飲んでいる姿は見たことはないが……。

 


 注文が入る度、ヴェルデは歌を歌う。

 リオネル以外にも酒を頼んでくれるお客さんはいて、最近は最低日に三曲歌っている。酒を入れてくれる客の中には担当スタッフにリクエストを聞き、その曲を歌ってほしいと頼む人もいるくらいだ。


 常連達はいろんな曲が聞けるからか、毎日上機嫌で帰っていく。リオネルもグラスを揺らしながら気持ちよさそうに聞いてくれる。

 

 歌う回数が増えれば、その分、給料は右肩上がりになっていく。

 給料だけ見れば、身体が清いままなのが不思議なくらいだ。弟の学費が貯まった今、自分がこの町に残る理由がない。

 

 それにこのまま店にいたら、ヴェルデはダメになってしまいそうだ。

 歌をメインに稼げることに対してではない。他の仕事にもやりがいはある。

 

 ただ、毎日リオネルと過ごしていると勘違いしてしまいそうになる。黄金の瞳に見つめられると、そのまま吸い込まれてしまいたいとさえ思うのだ。


 指先が軽く触れただけで、一日中そこに彼の熱が集まっているような気がして。無自覚に自分の手を眺めている。手入れしていてもすぐにガサガサになってしまう平民の手だ。

 


 初恋というものがこれほどまでに厄介なものだなんて夢にも思わなかった。

 再会しなければ小さな芽のままで終わらせられたのに……。


 リオネルはヴェルデの手が届くような人ではない。仕事で一緒にいてくれているだけだと頭では理解している。


 けれど気持ちは日々すくすくと育って蕾にまで成長している。

 このままでは日が当たらない場所で花を咲かせ、根腐れしてしまいそうだ。

 

 捜査が終わってからも思い出してしまうのだろう。

 ことあるごとにリオネルを思い出すのかと思うと自分が嫌になる。


 今だって皿を洗いながら彼のことを考えて憂鬱になる。


 こういう時は外の空気を吸うのが一番だ。

 チラリと視線を動かすと、ゴミ箱がこんもりと山になっていた。店裏に出しに行くだけだからちょうどいい。


「ゴミ捨て行ってきます」

「それなら後で俺が」

「すぐだから大丈夫ですよ」


 手を止める店長にそう軽く告げ、袋の口を縛る。両手に一つずつ大きな袋を持つ。両手が塞がっているため、裏口のドアに体重をかけるようにして開く。すると地面に大きな影ができた。


「やっぱり俺達は運命に愛されてるんだ。君と結ばれるのはあいつじゃない」

 顔を上げると、不気味に笑う男と目が合った。


「あなたは……」


 以前、『カナリアの唄声』をリクエストした客だ。だがあの時とは違い、目は虚ろである。それでいて酔っ払い特有のアルコール臭がない。


 一瞬で、この男が犯人だと理解した。


「覚えていてくれたんだね。俺も愛してる、ヴェルデ」


 抱きしめられ、頭に口付けを落とされた。気持ち悪くて怖くて、身体中に鳥肌が立つ。今すぐ助けを呼びたいが、声が出ない。


 いつ歌のリクエストが入っても声が出せるように練習していたのに。なぜこんな大事な時に出なくなるのか。


 怖さに悔しさが混じり、涙が出る。


「君も嬉しいよね。早く一緒になろう」

 男はそう呟くと、ポケットから液体が入った小さな瓶を取り出した。瓶底に微かだが、白い粉が沈澱している。


 嫌だ、嫌。

 助けて、リオネルさん。


 小さく震えながら、頭の中で彼の名を呼ぶ。


「怖くないよ、これを飲むと気持ちよくなれる。あの時みたいに自由に歌えるんだ」


 蕩けたような笑みの男が小瓶の蓋を開けた時だった。

 男の身体がぐらりと揺れた。彼の力が抜けたことで、ヴェルデも解放された。そのまま地面に放り出されるかと思いきや、温かな手が抱きしめてくれた。


 顔なんて見なくても分かる。

 ヴェルデが求めた体温だ。


「ヴェルデ嬢にそんなものは必要ない。彼女は今も気持ちよく、自由に歌っている」

「リオネル、さん……」

「遅くなってすまない」

「最近出てきただけのお前に何が分かる! 五年間、俺はずっと彼女を思い続けてきた。俺達は運命の鎖で繋がれてるんだよ!」

「そうか、俺は七年だ」

「は」

「怪我をして泣いていた彼女に一目惚れをし、上司に連れていかれた店で見つけ、そしてまた再会した。俺達の方がよほど運命だとは思わないか」

「まさかあの時のこと、覚えて……」


 ヴェルデの顔が真っ赤に染まる。

 だがリオネルはそのまま言葉を続ける。


「七年間、ヴェルデ嬢のことを忘れたことはない。俺は彼女を愛している。だが鎖で繋ごうと思ったことは一度もない。彼女を籠の中の鳥にするつもりはない」

「俺はヴェルデのために金を稼いで、顔も変えて……運命だから。それが、ヴェルデの望みだから。ヴェルデは俺を愛してくれる……俺のことを見て歌って……俺だけのカナリア」


 男は爪を立てるように顔を掻きむしる。

 その様子は狂気に満ちていると同時に苦しんでいるようにも見えた。


 正気ではないのだ。

 リオネルの腕を掴む力が強くなる。


「大丈夫だ、大丈夫」

 リオネルはヴェルデの耳元でそう呟く。そして鞘に入れたままの剣で男の腹を殴った。男は抵抗する暇さえなく、そのままフラリと地面に沈んでいった。


「リオネル様、ヴェルデ嬢、ご無事ですか!」

「問題ない。犯人を確保した。連れていけ」

「はっ!」


 やってきた騎士達によって男は回収されていく。

 カナリアや鎖というワードを発していたことから、彼女を毒殺したのも彼で間違いないだろう。


 これにて一件落着。

 男の姿が見えなくなり、緊張で強張っていた身体から力が抜けてしまう。


「大丈夫か?」

「は、はい。ありがとうございます」

「今、女性を呼ぶ。いや、店長の方がいいか」


 ヴェルデを支えたまま、リオネルは周りを確認する。


「あの、一つ聞いてもいいですか?」

 彼と離れる前に、ヴェルデにはどうしても聞いておきたいことがあった。


「なんだ?」

「さっき、私のこと愛してるって……。あれは本当、ですか? 犯人の手前、そう言っただけならいいんです。気を遣っていただく必要は全くなくて……」


 恥ずかしくて顔から火が出そうだ。声は震えてしまっていることだろう。


 けれどリオネルはあくまでも仕事でヴェルデに付いていてくれただけ。

 この機会を逃したら次いつ会えるか分からないのだ。


 緊張するヴェルデとは対照的に、リオネルは申し訳なさそうに眉を下げる。


「本当だ。だが俺の家で暮らすように提案したのは君を守るためだ。断じて下心などではない。……君に負担をかけないよう、この気持ちを伝えるつもりもなかった。警護していた相手が実は好意を寄せていたなんて気持ち悪いだろう。忘れてくれ」

「気持ち悪くなんてないです! 私も、好きでしたから。七年前のあの日、治療しながら話を聞いてくれたあなたに一目惚れをしたんです……」

「ヴェルデ嬢……」

「仕事じゃなくても、私と会ってくれますか?」

「それはつまり……恋人になってくれるということだろうか」

「リオネルさんさえよければ」

「嫌なはずがない! 好きだ、ヴェルデ嬢。愛してる」

「どうかヴェルデと」

「なら俺のことはリオネルと呼んでくれ」


 先ほどとは違う。

 正面から全身を包み込むように抱きしめられる。彼の胸からはバクバクと心臓が跳ねる音が聞こえる。きっとヴェルデの鼓動も同じくらい激しく動いているのだろう。


「ヴェルデ!」

「無事か!」

 勢いよくドアが開いた音にビクンと身体が跳ねた。裏口から出てきたのは店長とニーナである。

 抱き合う二人を前にして、アンセルは気まずそうに目を逸らしている。


「私は無事です。ご心配をおかけして申し訳ありません」

「そこの騎士がちゃんと見ていれば!」

「ニーナ。嫌味をいうのは後にしてやれ。戻るぞ。……邪魔して悪かったな」


 店長はニーナの腕を引くと、ゆっくりとドアを閉めた。

 リオネルとヴェルデは顔を合わせて、フッと笑いを溢す。


「あとで謝りにいかないと」

「なら俺も一緒に行こう。付き合ったことを報告したい。愛してる、ヴェルデ」


 七年前、強く心惹かれた黄金の瞳にヴェルデは今見つめられている。

 頬に手を添えられたのを合図にゆっくりと目を閉じる。遅れてやってきたキスと、この先も続くであろう幸福に身を委ねるのだった。


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