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第二章:「偽善」と「必要悪」(一)



  ◆



「虚飾の騎士が強欲の海賊に挑んだのである」

(エドマンド・マギア・バテリー『大いなる対立』より)



  ◆



 サトルは小さな書斎にいる。彼の視線の先にはこの部屋の主がいた。眼鏡をかけた厳格そうな女性だ。


 彼女はレンズの奥からサトルを探るように見て、口を開いた。「貴殿がマチルダの従者ですね。私はマチルダの姉のソフィアといいます。フレスデル男爵家の当主です」


「はい。私はイヌマ・サトルと申します。よろしくお願いいたします」サトルは畏まった態度で名乗った。


 サトルは王都の中心街に佇むフレスデル家の別荘を訪ねていた。当主のソフィアに挨拶するためだ。


 ソフィアは淡々と言った。「これからの貴殿の身分について説明しておきます」


 サトルはフレスデル男爵領の領民として登録される。そして、フレスデル私兵隊の伍長に任ぜられ、マチルダの命令に服する。


 今後は領民としてフレスデル家への納税の義務が課せられると共に、私兵としてフレスデル家から給料が支払われる。給料から税金が天引きされるらしい。


「説明は以上です。何か質問は?」


「一つだけ、うかがいたいことがございます。女男爵閣下は魔道派でいらっしゃいますか?」


「私は……」ソフィアは一瞬、言い淀みながらも答えた。「私は何よりもまず研究者です。ただ魔法の深淵を探究したいだけです。政争にはさして興味がありません。大貴族とその他大勢の取り巻きは工業派から権力を奪おうと血眼になっていますが、私は今より高い地位が欲しいとは思いません。研究さえできれば満足です」


 穏健な魔道派といったところだろう。


「左様ですか。お答えいただき、ありがとうございます」サトルはソフィアに向かって敬礼した。「私兵隊員の任、謹んで拝命いたします」


「よろしい。では、妹を頼みましたよ」ソフィアは不安げな顔をして言った。「あの子は向こう見ずで危なっかしいので」


「承りました。閣下」サトルは恭しく返事をした。



  ◆



 サトルはフレスデル私兵隊の制服、連絡を取るための交信器、手帳式の身分証を与えられた。


 制服の肩にはフレスデル家の紋章が縫いつけてあった。象牙色のバラをあしらった紋章だ。


 交信器はマチルダが使っていた物と同型だった。


 手帳式の身分証を開いてみると、サトルの履歴が記載されていた。中央立憲王国における来訪永住権の付与、マチルダ・マギア・フレスデル卿の従騎士への任命、フレスデル男爵領民としての登録、フレスデル私兵隊への伍長としての入隊。……騎士の従者のことを正式には従騎士と呼称するようだった。


 サトルは別荘の使用人部屋で私兵隊の制服に着替えた。そして、交信器を身につけ、身分証を内ポケットにしまう。


 その後、メイドから紅茶と茶菓子を預かり、それをテラスに持っていった。


 テラスではマチルダが柔らかな日差しの下で読書をしている。彼女も私兵隊の制服に身を包んでいた。現役の騎士ではなくなったため、平時は王立騎士団の白い制服を着れないらしい。


 マチルダの左肩には一羽のカラスが留まっている。このカラスはマチルダの使い魔のヴェロニカだ。ヴェロニカは一瞬だけサトルを見た後、興味無さそうにそっぽを向いた。


「マチルダ卿。お茶とお菓子をお持ちしました」


 サトルはマチルダの前のテーブルに紅茶と茶菓子を並べた。そして、マチルダの後ろに控えた。


「ありがとう」マチルダは本を閉じて、ティーカップを手に取った。


「我が家の制服、中々似合ってるじゃないか」


「ありがとうございます」


「交信器の初期設定は済ませたかな?」マチルダはサトルの手首に巻かれた新品の交信器を見て尋ねた。


「いいえ。まだ何もしておりません」


「そうか。なら今すぐやってしまおう。まず、ダイヤルをゼロに合わせた状態でボタンを押しっぱなしにしてくれ」


 サトルはマチルダの指示に従った。


「そして、交信器に向かって自分の氏名を言った後、ボタンを離す」


「イヌマ・サトル」サトルはハキハキとした声で言った。


「これで終わりだ。サトルの氏名と声の特徴がその交信器の番号に紐づけられた」


 初期設定が済むと、マチルダは交信器のなりすまし防止機能について説明した。


 交信器にはなりすまし防止機能が標準的に備わっている。交信網につながっている間は、名乗る度にその名前、話者の声、交信器の交信番号が照合される。これらの不一致が検出されると、聴者の交信器が警告音を発する。


 昔は声を真似ることでなりすまし防止機能を掻いくぐる手口が使われたらしい。しかし、時代が下るにつれて声の特徴を分析する魔法の精度は向上していった。今時の交信器を声の演技で誤魔化すことはほぼ不可能だとされる。


 マチルダは説明し終えると紅茶を一口飲んで、話題を変えた。


「ところで、サトル。世直しの旅についてなんだが、最初の行き先を決めたよ」


 まるで楽しい旅行計画でも話すかのような調子だった。


「どのようなところでしょうか?」サトルは直立不動のまま尋ねた。


「リーストル市という港湾都市だ。貿易業と造船業が盛んな街だよ」


「造船の街。つまり、工業派の街ですね」


「その通り。当然ながら、リーストル市長は工業派だ」


「そのリーストル市に何か問題があるのですね?」


「うん。どうも海賊が幅を利かせているらしい」


「海賊が?」意外な単語が出てきてサトルは目を丸くした。


「全国的に見ると海賊団は減少傾向にあるんだが、不思議とリーストル市は例外でね。同市を拠点として白波海賊団という組織が悪事を働いているようだ」


「現地の治安当局はそれを見す見す許しているのですか?」


「そうなんだよ。なぜかリーストル市警は白波海賊団に手出しをしないらしい」


「それはいけませんね」


「そこで、我々が現地へ行って現状の改善を試みるわけだ」マチルダは爛々と光る目をサトルに向け、不敵に笑った。


 そして、彼女は視線を手元に戻し、静かに言った。「ただし、今すぐ出発するわけじゃない。まず君に剣と魔法の基礎を教えてからだ」


 それから一か月間、サトルはマチルダの下で剣と魔法の手ほどきを受けた。


 サトルには氷雪魔法の適性があったため、その魔法を伸ばすことになった。


 この速成の訓練でサトルが基本的な立ち回りを身につけた後、ついにマチルダは旅立ちを宣言した。


 しかし、旅の準備をする段階でマチルダとサトルの意見が食い違った。


 マチルダはフレスデル私兵隊の制服を着てリーストル市に行くつもりだったが、それにサトルが待ったをかけたのだ。


「いけませんよ。マチルダ卿。私兵隊の制服では目立ち過ぎます」


 工業派の街へ足を踏み入れるのに、貴族家の関係者だと一目で分かるような格好ではまずい、というのがサトルの見解だった。


 しかし、マチルダは「何も後ろめたいことなど無いよ」と言ってのけ、「君も堂々と制服を着るべきだ」と諭し、「正当なる戦いには名誉ある装いで臨みたい」と駄々をこねた。


 仕方の無い人だなぁ、とサトルは折れた。


 結局、マチルダとサトルは二人そろって制服姿で出発することになった。



  ◆



 中央立憲王国は中央洋に浮かぶ島々と北極圏の最大の島を領有し、先の戦争で占領した旧敵国沿岸の都市を軍政地区として治めている。


 中央洋の立憲王国本土は中央諸島と呼ばれる。中央諸島の中で最も面積が広いベレケイン本島には、王都をはじめとする大都市が集中している。


 リーストル市はそうした大都市の一つだ。ベレケイン本島の西海岸に位置しており、昔から中央と西方の貿易港として栄えてきた。そして、蒸気水上船が実用化されてからは造船所が立ち並ぶようになる。以来、リーストル市は貿易と造船の一大拠点であった。


 マチルダとサトルは王都から鉄道でリーストル市に向かった。


 大勢の利用客で賑わうリーストル駅の構内から出て、駅前の通りを目の当たりにしたサトルは、活気に満ちた街並みに圧倒された。


 いくつものビルが立ち並んでおり、開閉式の幌のついた蒸気自動車が煙を吐きながら車道を行き交っている。遠くに摩天楼がそびえているのが見えた。その他、大きな工場がいくつかあり、無数の煙突から煙が出ていた。リーストル市は王都よりもはるかに都市化、工業化が進んでいた。


 マチルダとサトルは雑踏を縫うようにして進んでいき、ホテルにたどり着いた。


 そこはミトナス客船社という企業が経営するホテルだった。この企業はどの派閥も支持しておらず、中立の立場にある。


 工業派の影響をほとんど受けないため、魔道士でも安心して泊れる場所だ。


 マチルダとサトルは二部屋借りてフロントに荷物を預けた。


 その直後、サトルはマチルダに進言した。「マチルダ卿はひとまずホテルでお休みになってください。私は白波海賊団について下調べをしてきます」


「まずは情報収集か」


「はい。リーストル市警が白波海賊団を見逃してきたことには何か理由があるはずです。敵のことをよく知っておく必要があるかと」


「分かった。サトルに任せる。終わったら結果を報告してくれ」


 サトルはマチルダと別れてホテルを後にした。



  ◆



 まずサトルが訪れたのはリーストル市内にある次元教団の神殿である。


 彼はそこで神官に地元の海賊のことを尋ねるつもりだった。魔道派の主流との関係がギクシャクしている以上、ここの神官がどこまで協力してくれるかは分からなかったが、駄目元で行ってみようと思っていた。


 リーストル市の神殿はうら寂しい雰囲気を纏っていた。それなりに大きな建物ではあったが、老朽化しているのが一目で分かる。そして、神殿の周りは人通りが疎らであった。


 この神殿の懐事情は芳しくないらしい。工業派の街ではあまり寄進してもらえないのだろうか、とサトルは思った。


 サトルが神殿の中に入ると、祭壇の前に一人の神官がいた。他には誰もいない。


「はじめまして」サトルは挨拶しながら神官に歩み寄り、左手の来訪者の紋章を見せた。


 神官は意味深な表情で頷き、少し声を落として言った。「はじめまして。あなたが来訪者のイヌマさんですか。噂は聞いてますよ」


「はい。よろしくお願い申し上げます」


「あまり大きな声では言えないんですが……実はイヌマさんへの支援を行わないようにと王室官房神官局から要請されています」


「そうなのですか。やはりブライム領民一揆でのことが問題視されているのでしょうか?」


「ええ。新任の神官局長をはじめとして、教団で要職に就いている者の大部分はイヌマさんを見放すつもりみたいです」


 神官は恨めしげに詳細を語りだした。「今や神官局は大貴族の言いなりであり、それに反発した一部の位階が低い神官は懲戒処分を受けています。ひどい仕打ちだと思いませんか? 大貴族は我々のような三等、四等神官の貢献を軽んじている。先の総力戦において魔道士不足の埋め合わせをしたのは我々です。戦後に率先して傷痍軍人の治療をしてきたのも我々です」


 サトルは尋ねた。「つかぬことをお伺いしますが、教団上層部の神官は祝福を受けて魔力を有していますよね?」


「ええ。もちろん」


「私も来訪者として神々に魔力を与えられています。しかし、私と今の教団上層部の関係は良好とは言い難い。むしろ疎遠、あるいは険悪と言っていい。それなのに神々は教団上層部のみならず、私のことも祝福している。この状況はどう解釈すればいいのでしょうか?」


「ああ。それはですね。神々の意思は必ずしも統一されてはいないということです」


「つまり、神と神の間で意見の相違が生じることもある、と?」


「はい。今の状況もそれで説明がつきます。今の教団組織を寵愛する体制側の神々と、あなたを寵愛する在野側の神々に分かれているということでしょう」


「なるほど」


「正直、私はイヌマさんに同情しています」神官は苦悩しながら言った。「しかし、教団の上層部には私の恩師がいる。私はどうすべきか……」


「では、私の手助けはしていただかなくて結構ですので、『他愛の無い世間話』だけでもしてもらえますか?」


「え? いいですけど……」


「白波海賊団がリーストル市でよからぬことをしているそうですね」サトルは海賊団の話題を持ち出した。


「はい。その通りです」


「例えばどのようなことをしているのでしょうか?」


「繁華街の色んな店からみかじめ料を取り立てたり、沿岸で商船相手に海賊行為をしたり、やりたい放題です」


「これまでで一番大きな事件を教えてください」


「白波海賊団がグノカ商事の大きな貨物船を襲った事件ですね。多くの死傷者が出た大事件です。去年の六月に起きました」


「その時、リーストル市警はどうしたのですか?」


「ちょっとだけ捜査はしてたみたいですが、海賊たちは一人も捕まってません。野放しです」


「リーストル市警が白波海賊団を放置しているのは、なぜでしょうか?」


「さぁ。それはよく分かりません。海賊団の規模が大き過ぎて手が出せない、とかですかね?」


「どうでしょうね?」サトルは首を傾げた。「さて、私はそろそろお暇しますね。あまり長居するとご迷惑でしょうし」


 サトルは踵を返して玄関に向かった。


「どうかお気をつけて」神官はサトルの背中を見送った。



  ◆



 次にサトルが向かったのはリーストル市内の図書館である。


 館内は外の喧騒と打って変わって静謐そのものだった。


 サトルは受付の司書に「こちらの図書館に過去の新聞は置いてありますか?」と訊いた。


 司書は私兵隊制服を着たサトルの姿に気圧されたようだったが、すぐに気を取り直して「ございますよ」と返事をした。そして、サトルを奥に案内してくれた。


 サトルは近代社会の図書館サービスに感謝した。案内された先で一人黙々と調べ物に取りかかった。


 調べたいのは、白波海賊団が起こした事件の新聞記事である。


 まずはグノカ商事が被害に遭った事件の記事を探した。去年の六月に発行された新聞各紙を読んでいくことにした。


 そして、サトルは目当ての記事を見つけた。主権暦二二七年六月一五日のデイリー・ホロスコープ紙が一面大見出しで「グノカ貨物船襲撃さる」と報じている。その記事では、一四日に起きた襲撃事件のあらましと、海賊をまともに取り締まれないリーストル市警の無能ぶりに対する批判が書かれていた。


 サトルは一五日に発行された別の新聞も読んでみた。そして、愕然とする。インダストリアル・タイムズ紙はグノカ貨物船襲撃事件のことを目立たない小さな記事に書くだけで済ませていた。デイリー・ホロスコープ紙での扱いとは対照的だ。


 デイリー・ホロスコープは魔道派高級紙であり、インダストリアル・タイムズは工業派高級紙である。


 魔道派のデイリー・ホロスコープ紙が嬉々としてリーストル市警を叩いたのは、相手が工業派の街の警察だったからだろう。一方、インダストリアル・タイムズ紙は身内の失態を大々的に報じる気など無いわけだ。


 サトルは嫌な予感がした。ブライム領民一揆についての記事を調べてみる。


 すると、工業派のインダストリアル・タイムズ紙は元ブライム伯爵の悪行を痛烈に批判していたが、魔道派のデイリー・ホロスコープ紙はブライム領が国王の直轄となったことを官爵情報欄という項目で淡泊に告げているだけだった。


 嫌な予感は的中していた。


 サトルは二紙を並べて見下ろし、口をへの字に曲げた。馬鹿馬鹿しくて仕方が無かった。


 その後、サトルはグノカ貨物船襲撃以外にも白波海賊団の関わる事件が記事になっていないか調べた。デイリー・ホロスコープ紙にはたびたび小さな事件も載っていたが、インダストリアル・タイムズ紙はそれらに言及していなかった。


 そうしてサトルが新聞を読んでいると、誰かが背後から声をかけてきた。「よお。あんた。何、調べてるんだい?」


 サトルが振り返ると、そこには四〇絡みの男がいた。男は紳士然とした服を着ていたが、所作や口調はぞんざいだった。


「どちら様でしょうか?」サトルはやや警戒しつつ尋ねた。


「リーストル市警のジェスナー警部補だ」と男は名乗り、自治体警察官としての身分証を提示した。


 やはり私兵隊の制服でリーストル市に来たのはまずかったか、とサトルは少し後悔していた。


 サトルとジェスナー警部補は静まり返った図書館の片隅でしばし睨み合った。

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