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第一章:理想を追う者たち(二)



   ◆



「生産性を高めるために、農学の専門家を農場監督として家臣団に迎えている。加えて、畑の土壌は私の魔法で最適な状態に保たれている」


 ブライム伯爵は馬車の座席から左に見えるブドウ畑を指して説明した。


「土壌を改良する魔法ですか。素晴らしいですね」


 サトルは、さも感心したような態度で褒めそやした。


 それを聞いて伯爵はゆっくりと頷き、厳かに言った。「私のような領主たちが魔法を使って立憲王国の食糧供給を安定させているのだ」


「閣下はこの国にとって不可欠の存在なのですね」サトルは朗らかに微笑んで相手のことを持ち上げた。


 サトルは伯爵のためのご機嫌取りを少しばかり面倒に感じていたが、そうした生意気な本心はおくびにも出さず、「素直な好青年」の演技をしていた。


 対する伯爵はサトルを値踏みするように観察しながら尋ねた。


「ところで、貴殿は魔法についてどの程度のことを知っている?」


「ほとんど何も存じません。元いた世界には魔法がありませんでした」


「やはりな。歴史上、幾人もの来訪者たちが神々の導きによってこの世界に現れた。伝記によれば、彼らも魔法について無知だったとされる」


 伯爵は一瞬だけ目を伏せて思案するような顔をした後、再びサトルと目を合わせた。


「では、初歩的なことから教えよう。そもそも魔法とは何か」伯爵は右手の人差し指を立てて言った。「魔法とは、一握りの者だけが行使できる特権だ。肉親からの遺伝で魔力を受け継いだ者と、神々からの祝福で魔力を授かった者だけが、魔法を使える」


「例えば、王侯貴族や神官のような?」


「その通り。察しがいいな。つまり、魔力とは伝統的な権力の源なのだ」


「……少しずつ、この世界のことが分かってきた気がします」


「貴殿のような異なる世界からの来訪者は、神々の祝福で魔力を授かっている。その点では、神官とほぼ同じだ」


「つまり、こちら側の世界では上流階級の仲間入りということですか」


「いかにも。我々の社交界にようこそ」


 この世界のこの国では、遺伝によって魔力を持つ王侯貴族と、祝福によって魔力を得た神官が伝統的な上流階級を形成している。そして、来訪者も魔力を与えられているため、彼らのような上流階級に属するらしい。


 サトルは目を逸らし、遠くの空を眺めた。今日からあなたは支配層の一員だ、と言われても実感がわかない。


 ふと、サトルは何かが空に浮かんでいることに気づいた。


 飛行船だ。煙突がついており、そこから蒸気がモクモクと出ている。


 おそらく蒸気機関である。


 この世界ではすでに「産業革命」が起きているということになる。


 いわゆる「ファンタジー」の世界はもっと技術が遅れているものだと思い込んでいたため、サトルは驚いた。


「閣下! あれは飛行船ですか?」サトルは思わず早口になって確かめた。視線は空に釘づけだった。


「……そうだ。あれは西の共和国の蒸気飛行船だな」


「蒸気機関で動いているんですね?」


「うむ。身のほど知らずの成金どもが世に広めた技術だ。連中は忌々しい機械から汚い煙をまき散らしている」


 伯爵は苦虫を噛み潰したような表情で言った。


 その様子からサトルは察した。ブライム伯爵は機械を嫌っている。


 サトルはこの場でこれ以上、機械の話題を掘り下げるのは控えることにした。


 それからのサトルは伯爵に当たり障りの無い話題を振った。


 他愛も無い言葉のやり取りをしつつ、サトルは頭の中で西の共和国について考えを巡らせていた。


 サトルは共和国が有する終末をもたらす武器のことを聞いた時、神秘的なアーティファクトを思い浮かべていた。


 しかし、たった今、蒸気飛行船を見て彼はその認識を改めた。もしかすると終末の武器は「レトロフューチャー」じみた兵器なのかもしれない、と。



   ◆



 やがて馬車は伯爵邸の敷地の門をくぐり、広い庭園を抜けて玄関の前で止まった。到着だ。


 サトルは伯爵直々の案内で一階の応接間に通された。


 ブライム伯爵は人払いをしてソファーに腰を下ろし、「掛けたまえ」とサトルに席を勧めた。


「恐れ入ります」サトルは伯爵の向かい側に座った。


 それとほぼ同時に部屋のドアが開き、大理石でできた彫像が歩いて室内に入ってきた。魔法で動くゴーレムだ。


 大理石のゴーレムは二杯の紅茶をテーブルの上に置いた。家事用に作られたゴーレムか、とサトルは想像した。


 ゴーレムが退室した後、サトルは伯爵に質問した。


「あの像は自律して動いているんですか?」


「そうだ。定期的に魔力を充填したり、手入れをしたりする必要はあるが」


「見事な魔道具ですね」


「そう言ってくれると嬉しい限りだ。あれは私が自ら手がけた作品でな。半年近くかけて完成させた力作だよ」


「そうなんですか。感服いたしました」


「魔道士として研鑽を積めば、高度な魔道具を自作することもできる」


「興味深いですね」


「そうだろう」


 伯爵は優雅な所作で紅茶を一口啜り、言葉を続けた。


「ただし、一つ警告しておく。魔法を学ぶなら決して独学ではいかんぞ」


「と、おっしゃいますと?」


「魔法を正しく使いこなすためには熟練した魔道士の下で適切な訓練を受けなければならない。さもなくば、様々な事故につながる」


「例えばどのような事故が起こりうるのでしょうか?」


「最もありがちなのが感情による暴走だ。魔道士の魔力と精神は密接に結びついている。魔力が精神に作用することもあれば、精神が魔力に作用することもある。未熟な魔道士が魔力の制御を誤ると、精神が不安定になる。また、未熟な魔道士が強い負の感情に囚われると、魔力が暴走して意図せず魔法が発動してしまう」


「なるほど。危険ですね。だからこそ熟練者の指導が必須である、と」


「そこで、貴殿に提案がある。私に仕える気は無いか? そうすれば、私が貴殿に魔法の手ほどきをしてやろう」


「技能と引き換えに忠誠を捧げよ、ということですか」


「その通りだ。こちらの世界で生きていくためにどこかへ身を寄せる必要があるだろう? 貴殿が元の世界に帰ることはまず不可能だと言っていい。世界から世界への転移は神々の気まぐれによるものだ。人間の意思ではどうすることもできん。悪いことは言わない。私の臣下になれば安泰だぞ」


 ノウエント神官の助言によれば、サトルは信頼できる魔道士に弟子入りすべきだ。ブライム伯爵が信頼に値する魔道士かどうかはまだ分からない。


 サトルは一呼吸置いてから伯爵に言った。「大変ありがたいご提案ですが、即答いたしかねます。重大な選択ですので、しばらく考える時間をいただけますか?」


 それを聞いて伯爵は苦笑いを浮かべた。「まだ私を信用していないのか? よく言えば慎重だな」


 その時、廊下からドタドタと誰かの走る足音がした。足音は応接間に近づいて来ていた。


「……騒がしいな」伯爵はそれを聞いて眉をひそめる。


 足音の主は応接間の前で一瞬だけ立ち止まり、室内に入って来た。伯爵の私兵であった。


「伯爵閣下!」私兵は息を切らしながら言った。


「何事だ?」伯爵は腹立たしげに問いかける。


「反乱です! 三〇人ほどの農夫が正門に陣取っております! 何人かは私兵隊から盗んだクロスボウで武装しています!」


「またか。今月に入ってから四度目だな」伯爵はうんざりしたようにぼやき、恐ろしい命令を下した。「躊躇無く鎮圧しろ。死なせても構わん」


「あの……それが……」私兵は何かを言い淀んでいる。


「どうした。何かあるなら、はっきり言え」


「奴らは農場監督のエリザを人質にしています」


「何だと!」伯爵は急に声を荒げた。表情が険しくなっている。「恥知らずどもめ! 堂々たる武人に挑むならまだしも、無防備な文人をさらうとは何たる蛮行か!」


「速やかに彼女を助けて、手当てする必要があります」私兵はためらいがちに報告を続けた。「奴らに捕まった時、ひどく痛めつけられたようでして……」


「馬鹿な!」伯爵はティーカップを受け皿に叩きつけて叫んだ。「人質が無事でなければ、そもそも人質を取る意味が無かろうが! ふざけおって!」彼の袖はこぼれた紅茶で濡れていたが、本人はまるで気にしていなかった。


 伯爵は弾かれたように立ち上がって、サトルに言った。


「貴殿はここで待っていてくれ。私は反乱者どもを狩り立てなくてはならん」


 サトルは気がかりなことがあって伯爵に質問した。


「こうした反乱は、この国の法律でどのように扱われるのでしょうか?」


「貴族領で領民が何らかの罪を犯した場合、領主の判断で罪人を裁くことになる」


「やはり、そうですか」サトルは平坦な声で呟いた。彼はまったくの無表情になっていた。


 伯爵は足早に部屋を出ようとする。


「閣下。まだこの件についてうかがいたいことがあります」サトルは呼び止めた。


 しかし、伯爵は「悪いがそれどころではない」と言って私兵と共に出ていった。


 サトルは一人、応接間に残された。


 彼はカップの中の紅茶を見つめて考え込んだ。


 領民が反乱を起こしたと聞いた時、伯爵は面倒臭そうに「またか」と言った。そして「死なせても構わん」などと言った。ブライム伯爵領では反乱が常態化しており、それを抑え込むために伯爵は残忍な手段をとっているようだ。一部の領民はそれに抗うべく、伯爵に仕える非戦闘員の女性を人質にした。その際、彼女にひどい怪我を負わせたらしい。


 サトルは憂鬱になって溜め息をついた。怒れる領主と怒れる領民。根深い対立だ。


 サトルが一人で途方に暮れていると、誰かが外から窓を叩いた。


 そちらに目を向けると、外に誰かが立っている。麦わら帽子を被った若い男。農夫のグレッグだ。


 彼は額に汗を浮かべ、肩で息をしていた。切羽詰まった様子だった。


 サトルは席を立って、窓を開けた。


「ここは伯爵邸の敷地だろ。忍び込んで来たのか?」サトルはグレッグに言った。


「ちょっとした抜け道があってな」とグレッグは手短に言った。


「どうしてそんなのを知ってるんだよ」サトルは訝しむ。


「それより、まずいことになった」グレッグはサトルの疑問を脇に置いて話題を変えた。「俺の近所に住んでる奴らが伯爵にたてついてる」


「知ってる。人質を取ってるらしいな」


「そうなんだ。それがまずいんだ」グレッグは目を伏せた。「あいつら無茶苦茶しやがる。農場監督のエリザさんは何も悪くねぇ。悪いのは伯爵だ」


 グレッグは窓越しにサトルの腕をつかんだ。サトルがたじろぐのも構わずに、グレッグは詰め寄った。


「お前は来訪者なんだろ」


「そうらしいな……」


「神々の祝福があんだろ。何とかしてくれねぇか」


「何とかって?」


「誰も死なせずに丸く収めてくれよ。頼む」


「そんな無茶な」


「とにかく、こっちに来てくれ」


 グレッグはサトルを引っ張る。かなり強引だ。


「分かった! 分かった!」サトルは観念して言った。「そっちに出るから、ちょっとどいてくれ」


「ああ。悪い」


 グレッグはパッと手を離し、数歩後ろに下がった。サトルは窓から外へ出た。


「ちょっと確認しておきたいんだが……」サトルは遠慮がちに尋ねた。「もしかして、ブライム伯爵はこの領地で圧政を敷いてるのか?」


「ああ。おっかない領主だ。先代は優しいお方だったが、去年その後を継いだ今の伯爵はひでぇもんさ」グレッグは苦々しげに答えた。「けどよ。とにかく農場監督さんは悪くねぇんだ。先代に仕えてた頃から、ひたすら真面目に作物の育て方を考えてただけだ。元の主君の跡取り息子がたまたまロクデナシだっただけなんだよ」


「そうか」案の定だ。サトルは眉間にしわを寄せた。


「もう一つ気になることがある」サトルは質問を続けた。「この領地の農家は機械を使うことがあるか? 蒸気で動くトラクターとか」


「いいや。ここにはそんなの無い」


「ひょっとして、ここでは蒸気機関が禁止されているのか?」


「もちろんだ。蒸気で動く機械は全面禁止。ついでに火薬を使った武器もな。大抵の貴族はそういう物にビビってるんだよ。魔力いらずの便利な道具が広まると、自分のメンツが潰れると思ってんのさ」


「そうか」案の定だ。サトルは苦笑いした。


 ブライム伯爵は「魔力とは伝統的な権力の源」だと説明していた。魔力を権力の裏づけとする貴族にとって、魔力に依存しない技術の進歩は脅威なのだろう。


 サトルとグレッグは伯爵邸の正門へ向かった。



   ◆



 開かれた正門の前で、私兵たちと反乱者たちが睨み合っていた。


 反乱者たちは先ほどから伯爵の統治に対する不満を大声でぶちまけている。


 反乱者の集団の先頭に立つ男はボロボロの包帯を顔の右半分に巻いていた。その包帯の男が人質をとっている。左腕で後ろから女性の首を絞め、右手でその女性にナイフを突きつけている。彼女の頬には痛々しいあざがあった。


「俺たちは自由になる!」包帯の男が叫んだ。「このクソみてえな領地から出て、自由に生きる! この女の命が惜しかったら、言う通りにしろ! 六百万ソヴリンの身代金と、俺たちが乗るのに十分な数の馬車をよこせ!」


 他の反乱者たちは農具やクロスボウを掲げながら、口々に包帯の男を称え、伯爵を罵った。


 ブライム伯爵は私兵の後ろで憤怒の形相を浮かべつつ、手をこまねいている。いくら魔法が使えても、人質がいては迂闊に動けないらしい。


 一触即発だ。


「まずいなぁ」サトルはぼやいた。解決策が見いだせない。


 サトルとグレッグは物陰から様子をうかがっている。二人はどうすることもできず、困り果てていた。


 この膠着がいつまでも続くかに思えたその時、「そこまでだっ!」と鋭い声が上から降ってきた。


 皆が声のした方を見上げた。正門前の通りに生えている木の枝の上に、誰かが立っていた。


 二〇歳前後の女性だ。白い軍服のような物を着て、黒いケープを纏っており、腰に剣を下げている。紺色の髪を紐で結んでポニーテールにしている。


 彼女は金色の瞳で私兵と反乱者を見下ろしていた。その目はギラギラと光っており、瞳孔が開いている。どこか危うさを感じさせる目つきだった。


 彼女は芝居がかった口調で名乗りを上げた。


「王立騎士団、第二王宮警備連隊所属! マチルダ・マギア・フレスデル騎士団少尉! 推して参る!」


 サトルは彼女を見て時代劇や特撮番組の主人公が登場する場面を思い出した。ヒロイックな物語から飛び出してきたような振る舞いだった。


 サトルは隣のグレッグに尋ねた。「王立騎士団って何だ?」


「この国の王様に忠誠を誓った騎士どものことだ。王家の護衛みたいなもんだな」と言ってグレッグは肩をすくめた。


 マチルダは枝の上から反乱者たちに語りかけた。


「人質を取るとは、言語道断。不満があるなら、彼女を解放して正々堂々と己の主張を述べるがいい!」


「ふざけんなぁ!」包帯の男が叫んだ。「そんなやり方で貴族に敵うか!」


 他の反乱者たちも口々に声を上げる。


「大体、この女はクソ領主に媚びへつらうクソッタレなんだよ!」


「よそ者は引っ込んでろ!」


「話を聞かぬなら無理にでも止めるしかあるまい」マチルダは静かに言った。「詠唱、風の如く」


 次の瞬間、彼女は枝の上から姿を消した。


 いつの間にか、反乱者たちの目の前に着地していた。


 目にも留まらぬ速さで動いたのだ。


 これも魔法か、とサトルは察した。魔法の力で加速したのだろう。


 マチルダは一瞬にして包帯の男に詰め寄り、彼の右手首をつかんで引っ張った。そのまま手首をひねる。男は痛みに耐えきれず、右手のナイフを落した。


 マチルダは包帯の男を人質から引き離し、投げ技の要領で地面に叩きつけた。


 呆気に取られていた他の反乱者たちは慌てて武器を構え、マチルダに襲いかかった。


 しかし、マチルダは一人の反乱者から農具を奪い取り、それを振るって相手を立て続けに薙ぎ倒した。


 そうして彼女は反乱者たちをあっけ無く鎮圧してしまった。鮮やかな大立ち回りだった。


 人質にされていた女性はその場にへたり込んで呆然としていた。


「人質を助けろ!」ブライム伯爵は慌てて私兵に命じた。「反乱者どもは拘束して、その場に跪かせろ!」


 人質だった女性は無事に救出され、伯爵邸の中に連れていかれた。反乱者たちは手枷をかけられた。


 ひとまず反乱が鎮まった後、ブライム伯爵は怪訝な顔をしてマチルダに詰問した。「マチルダ卿。この領地の関所は封鎖されている。どうやって入って来たのだ?」


 マチルダは伯爵に向かってとうとうと述べた。「そもそも我が国では、自治体が外部との境界を封鎖するのに、地方運輸局の許可または影響のある隣接自治体の同意が必要でしょう。緊急性が高ければ事前の申請手続きを省略することもできますが、その場合は一週間以内に地方運輸局か隣接自治体の事後承認を得なければなりません。関所の門番を問い詰めたら、この領地の封鎖は未承認のまま一年近く続いていると白状して領内に通してくれました」


 手続き上の不備に言及されて、伯爵はやや不機嫌そうに言った。「……そういうことか。で、私の領地にわざわざ何の用だね?」


「彼らに質問したいことがあります」マチルダは伯爵にそう答えて、拘束された反乱者たちに近づいていった。


 そして、彼女は反乱者たちに問いかけた。「ブライム伯爵がこれまで領民たちに対してどのような仕打ちをしてきたか教えてほしい」


 反乱者たちはマチルダを見上げて目を丸くした。


 伯爵は顔をしかめてマチルダに鋭い眼差しを向けた。


 緊張が走る。


 マチルダの質問に答えたのは包帯の男だった。「当代のクソ領主はここの農家から作物を搾り取った。俺たちの手元にはほんの少ししか残らない。だから、俺たちはいつも腹を空かしてる。俺の弟は痩せ衰えて身体を壊しちまった。生まれつき身体が弱かった弟はそのまま死んじまった……!」


 包帯の男は声に怒りを滲ませていた。「弟が死んだ日、俺は近所の広場で行き交う人に今の領主が間違ってることを訴えた。そしたら、私兵が大勢やって来て俺を取り押さえた。俺は領主を公然と侮辱した罪に問われて、罰として顔を何度も棒で叩かれた。その時に右目が潰れちまった」


 顔の右半分を包帯で覆った男は、残った左目でブライム伯爵を睨んだ。その左目には溢れんばかりの憎悪がこもっていた。


「この領地では具体的にどの程度の作物が徴収されていた?」マチルダは包帯の男に尋ねた。


「季節によるんだが、先月は――」と包帯の男が答えようとした時、ブライム伯爵が口を挟んだ。


「黙れ! これは何だ! どういうつもりだ! マチルダ卿!」


 マチルダは伯爵を見すえて言った。「私はこの領地で領民が不当に虐げられているという情報を得て、それを確かめに来たのです」


 マチルダと伯爵が対峙する中、先ほど話を遮られてしまった包帯の男が叫んだ。「――先月は収穫量の七割五分を持っていかれた!」


「なるほど。国法で定められた基準を超える数字だ」マチルダは言った。「違法な税率ですぞ! 閣下!」


 サトルはポカンと口を開けて成り行きを陰から見ていた。


 怒れる領主と、怒れる領民と、そこに割り込んだ奇妙な騎士。


 状況はより一層、複雑になっている。

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