迷宮趣味者はバズらない ~素人カメラ女子のレアモンスター観察配信。エンジョイ勢だし、ど、同接ゼロとか気にしてないし!~
見渡す限りの水銀の海。
金貨銀貨で出来た砂浜。
寄せては返す銀色の波。
赤い月明かりが反射して、複雑な光を放っている。
ここは屋久島ダンジョン第4層<財宝の浜辺>。
文字通り、この世のものとは思えぬ絶景。
防毒マスクなしでは、ほんの一呼吸で水銀の蒸気にやられてしまう死の光景でもある。
「ぼーっとしてる暇あるの? もうすぐ月食はじまっちゃうよ?」
「わかってるって。少しくらいは浸らせてよね」
「ま、メアリがお化け亀のエサになってもオイラにゃ関係ないけどね」
もう、隙あらば減らず口を叩くんだから。
私の周りをひらひらと舞っているのは羽根妖精のフラウ。
子供のころからの腐れ縁だ。
体長は私の親指から小指を広げたくらい。
金髪の巻き毛を揺らしながら、背中についた蝶の羽根で飛んでいる。
ともあれ、準備に取り掛からなければならないのは言う通りだ。
両手で浜辺を掘る。めちゃくちゃ重い。
<モグラの手袋>がなかったら、1センチも掘れずに両手の爪がぜんぶ剥がれていただろう。
琥珀色の小さなカニが砂の中から飛び出してくる。
驚かしてごめんね。後で埋め戻すから、いまだけは許してほしい。
苦労して掘ったくぼみに身を伏せる。
アルミホイルを貼り付けたマントを頭から被る。
こうすれば周りの景色を反射して風景に溶け込み、視認できなくなる――はず。
同じくアルミホイルで包んだ一眼レフを取り出す。
虚数次元通信機能一体型のモデル。
型落ちだけど、私にとっては大切な相棒。
ダンジョンに無線基地局なんて気の利いたものはない。
この機能がなければ配信なんてできないのだ。
マントの隙間からレンズを伸ばす。
電源オン。あちこち光ってるからオートフォーカスじゃピントが合わないな。マニュアルフォーカスに切り替え、ひとまず波打ち際にピントを合わせる。
これで準備は整った。
あとは運を天に任せるだけだ。
一応、配信もオンにしておく。
『芽亜里のダンジョン探訪』配信開始である。
ざざざ、ざざざざ。
代わり映えしない映像と、波の音。
ざざざ、ざざざざ。
代わり映えしない映像と、波の音。
「あのさー、オイラ思うんだけど、こんなの見て喜ぶ人間いるの?」
「私だったら喜ぶ」
「タイトルとかも毎回ちゃんと変えた方がいいじゃないの? 知らないけど」
「うるさいなあ、私はそういうの苦手なの」
あと30分で月食がはじまる。
私の予想通りなら、そろそろ来るはずだ。
ざざざ、ずずずずずず。ざざざ、ずずずずずず。
ずざずずずざざずずず。ずざずずずざざずずず。
波音に異音が混じる。
巨大で、重いものが引きずられるような音。
ずずずずずずずずずず。ずずずずずずずずずず。
ずずずずずずずずずず。ずずずずずずずずず。
銀の波間から岩が突き出す。
岩が大きくなりながら、波を割りながら近づいてくる。
砂が震えて、金貨銀貨が小刻みに踊る。
濃い灰色の岩山。
水銀の滝が流れる岩山。
前ビレで砂を掻きながら進む岩山。
私の住むアパートなんて、そのひと掻きでぺちゃんこだろう。
「大海亀竜……」
ファインダー越しの威容に、思わず生唾を飲み込む。
山崩れのような轟音を響かせながら、這い進んでいく。
ゆっくりに見えるのは、巨大すぎるからだ。
実際には時速100キロメートルを軽く超えるだろう。
追いかけっこをしたら、人間などあっという間に伸しイカだ。
ぷちっと平らにされる自分を想像し、背筋が寒くなる。
おっと、いかんいかん。
頭を振って、嫌な想像を追い払う。
撮影だ、撮影。引きは撮った。
次は頭からお尻まで、順番にズームで撮っていく。
口。オウムの形。鉄骨も易々と噛み砕く重機。
目。白目のない、真っ黒な瞳。黒真珠の複雑な輝き。
前肢。ジャンボジェットの主翼みたい。真ん中から曲がる。
甲羅。抱えられないくらいのフジツボがいっぱい付いてる。
お腹。こっちは意外にすべすべしている。さわってみたい。
後肢。前肢の半分以下の長さ。厚みも同様で、柔軟にしなってる。
ある程度進んだところで、大海亀竜が止まる。
後肢を器用に使って、砂を掘りはじめる。
ひと掘りごとに、何十トンもの砂が宙を舞う。
辺りが暗くなる。
月食がはじまった。
大海亀竜は穴を掘るのをやめ、動かなくなる。
ああ、いよいよだ。いよいよ産卵がはじまる。
大海亀竜は皆既月食のときにのみ産卵をする。
この<財宝の浜辺>では計算上、約二百年に一度。
海外ダンジョンまで視野に入れれば、数年に一度はどこかで起きているのだが、私のバイト代で海外遠征なんて夢のまた夢だ。
このチャンスを逃したら、生で見ることは一生できなかっただろう。
大海亀竜の巨体が震えだす。
産んでいるのだ。だが、砂が邪魔で直接見えない。
立ち上がれば、立ち上がれば見える?
「ちょちょっ!? ほんとにエサになっちゃうよ!?」
フラウが何か言っている。
ゆっくりゆっくり立ち上がる。
まだ見えない。
アルミマントを身体に巻き直し、一歩進む。
もう少し、もう少しだけ。
だんだん、だんだん見えてくる。
トンネルみたいな産卵孔が見えてくる。
真球の卵が、ひとつ、またひとつと吐き出される。
一個だけでも私を十人は潰せそうな大きさ。
羊水に濡れた卵は虹色に輝いている。
いや、違う。見る角度で色が変わるんだ。
いわゆる構造色ってやつだ。
地上の生き物ではモルフォチョウやルリスズメダイなどに見られる。
左右に動いたり、立ったりしゃがんだりしながら色が変わる様子を撮る。
砂に埋めるのに、どうしてこんなに美しくなったのだろう。
たまたまなのかな? それとも、卵には天敵がいて、迷彩になってる?
事前に予習してきたはずなのに、その内容は頭から吹っ飛んでいる。
いきなり強風が吹いた。
吹き飛ばされそうになって慌てて踏ん張る。
<財宝の浜辺>は強風が吹くようなエリアじゃないのに、なぜだろう?
ファインダーから目を離し、風上を見る。
そこには大海亀竜の大きな顔。
私のアパートを一飲みにできそうな大きな顔。
あ、鼻の穴だけでも私が住めちゃいそうだわ。
真っ黒な瞳が、瞬膜をまたたかせながら私を見つめている。
「あ、あははは。あ、アーケロンさんって、そんなに首が伸びるんですね……」
防毒マスクの下で、意味もなく愛想笑いを浮かべる。
一歩、二歩と下がる。
産卵用に掘られた穴まであと数歩じゃん。
いつの間にこんなに近づいてたんだろ。
そういえば子どもの頃から夢中になるとこうだった。
虫取りに出かけては日が暮れるまで山で遊んで、迷子になって――
って、走馬灯を見てる場合じゃないっ!!
「そ、それじゃ、失礼しましたーーッッ!!」
回れ右して全力ダッシュ。
この砂浜が金貨銀貨で出来ててよかった。
普通の砂浜みたいに足を取られることはない。
産卵中だ。追いかけてくることはないだろう。
でも竜の吐息はどうだ!?
たしか数千度にも達するプラズマ化した水銀蒸気を吐いてくる。
射程は最大2キロメートル。
2キロって? 私が走ると10分くらい?
山で迷子になって泣いている私が脳裏に――だめだめだめ、走馬灯だめ!
生きることを諦めるな!
まだまだ会いたいモンスターがいるんだ!
まだまだ行きたいダンジョンがあるんだ!
行く前に、逝くわけにはいかないッッ!!
息が苦しい。足が上がらない。弱音を吐くな! がんばれ私! 負けるなメアリ! ここで諦めたら人生終了ですよ!! 比喩じゃなく!!
「おーい、メアリ。もう大丈夫そうだよ」
「えっ!?」
フラウに言われ、よたよたと走りながら首を回して背後を見る。
すると、そこには元の産卵体勢に戻った大海亀竜がいた。
「た、助かった……」
ぜぇはぁと息を吐きながら、その場にぶっ倒れる。
金貨銀貨が飛び散る。めっちゃ硬い。めっちゃ痛い。
「メアリは雑魚だからねえ。変な虫がきたな、くらいの感じだったんじゃない?」
「はぁ、はぁ……ざ、雑魚でよかった……」
「うわあ、重症だ。いつもなら言い返してくるのに」
フラウがけらけらと笑っている。
ちくしょう、この性悪妖精め。
勝手についてきている癖に好き放題言いやがって。
「あ、そうだ。ところでさ」
「何よ?」
私は唇を尖らせて応じる。
「さっき撮ってるときにさあ、『ぴこん』って聞こえたんだけど放っておいてよかったの?」
「え?」
閲覧用の端末を取り出し、配信画面を確認する。
撮影中は気が散るから、一眼レフの液晶ファインダーにはコメントを表示せず、イヤホンで音声だけを流すようにしているのだ。
端末には確かに、コメントのログが表示されていた。
【こんにちは、はじめまして】
【アーケロンとは渋いですね】
【聞こえてないのかな?】
【無視かよ】
【二度と見ねえわ】
「うあ、うああああ……」
ま、またやってしまった。
ちょうど大海亀竜が現れたときじゃないか。
そっちに気を取られて音がぜんぜん耳に入ってなかった。
再生数「1」の表示が目に刺さる……。
「い、いいんだもん! 配信は遠征代の足しになったらいいなー、くらいの気持ちだし! バズって大儲けとか考えてないし!」
「ふーん、そーなんだー」
フラウはにやにや笑いながら細い目で私を見る。
私は頬を膨らませ、再び大海亀竜にレンズを向ける。
そこには私たちなど眼中になしとばかりに、淡々と卵を産んだ穴を埋めている大海亀竜がいた。
(了)
※注意:屋久島ダンジョン第4層<財宝の浜辺>での採取は固く禁じられています。当該エリアに存在するものは、銀貨一枚、水銀の一滴に至るまですべて大海亀竜の財産です。よしんば上手く持ち出せたとしても、その後、大海亀竜とその眷属に一生付け狙われます。くれぐれもご注意ください。(公益社団法人日本ダンジョンガイド協会 沖縄支部)
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