3 王の怒り
「ユート殿下ってどんな方なのかしら?」
アスカはまた物置まで探しにきたラドゥエルに聞いた。婚約が成立したことは聞かされていたが、細かいことはよく分からない。
ただ、ユート殿下はやがて「入り婿」としてこのお城にやってくるのだ、ということだけは分かった。
トルカ王はアスカ姫の父ではあったが、世継ぎといえど、いや世継ぎだからこそ、伝えられること以外をあれこれ質問することは憚られた。
親娘があまりに近づきすぎることは、トルカ王が治めるような王国でさえ宮殿内の微妙な勢力バランスを崩す恐れがある。
畢竟、姫が聞きやすいのは雑用係兼お守り役のラドゥエルになる。
「凛々しいお方だと聞いております。同期の貴族の子息の中では最も走るのが速いそうですな。御歳は今年で11歳になられるとか——。」
まだ子どもではないか。
とは、アスカは思わない。
「仲良くできるといいな。『探検』が好きだといいんだけど・・・。」
「冗談ではありませんぞ。お2人して物置を引っかき回されては、このラドゥエルの身が保ちませんわい。」
数日後のこと、皇帝への使者は物言わぬ首になって帰ってきた。
従者が泣きながらその首を王の見参に入れた時、人々は初めてトルカ王の怒ったところを見た。
「お・・・おのれ! これほどの誠実なる者を!・・・このような・・・。北の皇帝は本当に人か!? 」
しかしこの時、誰も気づかなかったが、トルカ王の内部には怒りと同じ大きさの恐怖が膨れ上がっていた。
これまでも人々は気付いていなかったが、恐怖はトルカ王の中には常にあった。それがこの一見温厚な王の力の源泉でもある。
臆病であればこそ、智も湧き、先手を打つこともできた。
しかし、此度の事態はそれを上回る。
そして王にはもう一つ、これまでとは違う恐怖を感じざるを得ない要因があった。
幼いアスカ姫の存在である。遅い子である姫が生まれてから、トルカ王には新たな、それも大きな恐怖が加わった。
それが今、現実になろうとしている。
これほど残忍な北の皇帝の軍が、この王宮にまで攻め込んできたら・・・。
トルキシア軍は国境を超えて隣国サマシアに入った。
この援軍にサマシア国王ティモリス3世は、玉座から駆け下り、サマダ将軍にひざまずかんばかりにして喜んだ。この、ややひ弱な感じのする若い王は、よほど心細かったのであろう。
サマダは大急ぎでティモリス王の前にひざまずき、王よりも頭を下げて礼をとった。
「追っつけ、エイトリア軍4千も駆けつけましょう。共に手を携えて、この災厄を防ぎましょうぞ。」
頼もしげに言うこのトルキシアの将軍に、ティモリス王は、うむ、うむ、と何度もうなずき、
「わが兵530名は、上将軍の指揮下にお預けいたす。よろしく勝利へとお導きくだされ。」と言って、手ずから印となる短剣をサマダに下賜した。
サマダはそれを畏まって受け、頭の上に頂いたまま言上を続ける。
「なにぶん、戦でありますゆえ、ご領地を荒らすこともあるやもしれませぬ。お許しくださりますよう。」
「なんの! 当然のことじゃ。」
「されば、王の精鋭兵をお借り申しまする。」
精鋭兵——のところに力を込めてサマダは言上した。
サマシア王国の重臣たちには、トルキシアがこの王国を小国と侮った態度をとるのではないか、という不安があった。
特に、トルキシアの上将軍が謁見の間に現れた時の若き王の態度に「なんという卑屈な!」と内心思った者が多かった。
サマダは単なる武勇の徒ではない。卓越した政治家としての資質も兼ね備えた男だった。
サマシア王国の臣下たちのこうした感情の機微を、十分に理解していた。
だからこそ、この若き王に最上級の礼を持って恭しく接して見せたのである。たとえ5百といえど、兵の心を取らねば良い戦などできようはずもない。