1 王宮の片隅で
東の岩の頂点から太陽が顔を見せた。
ここから朝日が昇るようになると、そろそろ雨の季節がやって来る。それまでにもう少し作付けできる場所を広げておきたい。
キーヨは木製のクワを持つ手を止めて、北の方に雲が増え始めた空を見上げた。今年の雲は、なんだか不穏な気配がする。
(やって来るのが、雨だけならいいが・・・・)
王国は、その領地こそ小さかったが豊かな土地であった。国を南北に貫く川が、この小さな楽天地に多くの実りをもたらしている。
しかし、そういう土地であることは良いことばかりではない。その肥沃な土地を狙う周りの国々の脅威にもさらされ続けなければならない、ということでもあった。
さらにこの王国は、2つの大国に挟まれるような位置にある。
若くしてこの地を継いだトルカ王は、2大国の圧力と周辺国の野心をかわすために長年気苦労し続けてきた。
もちろん、王国にはそれなりに強い軍隊があったが、如何せん規模が小さい。もし2つの大国のどちらかに攻め込まれでもしたら、その吹く息だけでも吹き飛んでしまうだろう。
トルカ王は一見長者風の温厚な風貌を持つ人物で、怒ったというところを見た人がいないと噂されるような穏やかな印象の王であった。市井の富商というような立場であれば、敵を作らない親切な旦那さんであったろう——といった風情で、民衆には概ね好意的にとらえられていた。
だが、それだけでこの際どい位置にある小さな王国の平和を維持してゆけるほど、周辺の権力者たちの野心は甘くはない。
その穏やかで陰りのなさそうな風貌からは想像できないほどに、その内心は憶病な小動物のように震え続けていた。
そのことが外交における知恵を間断なく生み出すモトとなっている。
2つの大国の両方に朝貢し、その庇護を願い出ると同時に、周辺国の利害関係を巧みに操りながら互いに牽制させ合うことで王国への野心を現実化させない、という綱渡りのような外交をやり通していた。
王に最初の子が生まれたのは、王が33を過ぎた年のことだった。遅い子である。
女児であったが、それは問題ない。王国のしきたりは、最初の子が王位を継ぐ、というものであるからだ。
アスカと名付けられた。
「姫。アスカ姫——。」
「あ、ラドゥエル!」
「お探し申しましたぞ。また、こんなところに入り込んで——。」
「だって・・・ここ、面白いんですもの!」
「王国のお世継ぎともあろうお方が、こんなにお顔を煤で真っ黒になさって——。」
ラドゥエルと呼ばれた初老の男は、小さな布を取り出して姫の顔を拭いた。この優しげでしゃっちょこばらない人物は、これでも王の側近として仕える重臣である。
重臣——と言っても、政策立案や軍事に関わるような役ではない。王国の財産や物品の出入りを管理する、いわば納戸係兼雑用係のような仕事を受け持っていた。
自然、雑多な知識を豊富に持ち、王国に代々伝わる古物についても詳しかった。
そのことが、好奇心旺盛なアスカ姫のお守り役のようなことをするハメにもなっている。アスカはこの宮殿の端っこにある物置き部屋で、古いガラクタの中から何か珍しいものを探し出す「探検」が大好きだった。そして、ラドゥエルはそんなアスカ姫の期待に必ず応えてくれるのである。
「ねえ、ラドゥエル。これはなに?」
「それは羊の皮でございますな。」
「それはわかってる! ここに描いてある変わった模様はなぁに?」
「どれどれ・・・?」
と、ラドゥエルも結構こういうことは好きなのだ。
「古いシーン語ですな。・・・『魔法陣』と書いてありますぞ! 姫、こんなものどこから? 私の目録にはございませんぞ。」
「あの箱の中・・・」と、アスカが無邪気に指をさす。
「は・・・箱を、開けたのですか !? 」
「ご・・・ごめんなさい。」
「い・・・いや、祟りなどなくてようございました。」
ラドゥエルは近づいて、埃をかぶった箱のフタを眺めた。
「ああ、これは・・・。先先代の王の時に、遠い東の国から来た商人が貢いでいったものの中にあったものですな。中に何が入っているかまでは、私は存じませんでしたが。」
当然であろう。たとえ物置にあるガラクタであろうと、王国の財産物を臣下が勝手に開けるわけにはいくまい。
「ごめんなさい。勝手に開けちゃって・・・」
アスカ姫は泣き出しそうな顔でラドゥエルに謝った。
「いや、いいのです。姫はお世継ぎですから、箱を開ける権利はお持ちです——。しかし、このような怪しげなもの。もし何かの祟りでもあって、姫の身に何かあってはこのラドゥエル、死んで王にお詫びしなければなりません。」
姫はとうとう泣き出した。
「いや! ラドゥエル! 死んだりしちゃイヤ! もう、しない! もうしませんから!」
アスカ姫。まだ8歳。