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ありふれた悲恋の話

遠いあの日の

作者: 兄鷹

春は不思議な季節だ

 ある夏の盛りに、単純な一青年が、踏切で足止めを喰らっていた。

 こんなに暑い日なのに厚いジーンズを履き、シャツを汗でじっとりさせていて、目深にかぶった帽子からは気怠そうな眼がのぞいている。


 踏切は甲高い音を響かせながら蜂みたいな色の棒を横たえ、そうして電車が通り過ぎるのを待っていた。


 電車がごうごうと風を砕きながら踏切を過ぎて、蜂色の棒がおもむろに上がった。

 菜の花の最期の、その黄色い花びらが風に舞った。


   #

    #


 青年が歩き出す瞬間、腰に背の低い誰かがぶつかったような気がした。小学校の上級生くらいの男の子が、線路の人混みを布地に、縫い込むように走り抜けていくところだった。軽快に駆けていくその子は、渡り終える頃にあった段差に足を引っかけて、大勢が見ている前で派手に転んでしまった。忙しく通り過ぎてゆく大人たちの中で、男の子はゆっくり立ち上がった。


 ポケットから何かが落ちた。


(……泣くのかな、)


 男の子はたいして気にも留めず、膝の汚れを払って走り出した――そこに光る何かを忘れて。


 好奇心と親切心に動かされた青年は、男の子の落とし物を拾い上げた。

 それはぴかぴかと輝く石だった。幼心の光をぎゅっと固めた様な、光そのものが結晶化したような石だった。さしずめ、校庭に落ちていた綺麗なただの石だろう。


 そんな石でも、あの男の子には大切なものかもしれない。そう思った青年は、本来の目的を忘れて男の子の跡を追いかけ始めた。


 駅前を通り過ぎ、公園の噴水を通り過ぎたあたりから、道がとても複雑になった。住宅街の中をジグザグに進み、時には他人の庭を横切り、小さな薄暗い雑木林に入っていった。


 雑木林の空気は冷たく澄んでいた。

 青年は、なんだか嫌な予感がした。

 その昔、お母さんが寝物語に話してくれた西洋の寓話に、似たような話があった気がする。道案内してくれる妖精についていくと、底なし沼に引きずり込まれてしまうとか、なんとか。なぜ今そんなことを思い出したのか分からなかったが、青年は男の子に気付かれないようにこっそりと後を追いかけた。


 石を渡すという事は覚えていたが、それよりも、男の子がどこへ向かうかが気になっていたのだ。

 男の子は、林の中を迷わずに進んだ。陽が傾きはじめた頃に青年はようやく危機感を覚えたが、後の祭りだった。次第に薄暗くなっていく森の中でも、男の子の足は衰えることなく、だんだんと引き離されてきた。帰り道も分からないので、もうついていくしかない。青年は、男の子に道を尋ねようと足を速めたが、そうすると、それと同じくらいに男の子も足を速める。


 自分を後ろから見ているような錯覚に陥って、試しに足を止めてみたが、男の子はこれ幸いと視界の外に消えていった。


 いつしか夜の森の静けさが、あたり一面を支配していた。

 夏の蒸し暑い夜だったが、冷や汗が止まらなかった。

 陰った木々の、葉が擦れる音だけが延々と響いている。鈍色の空は厚く、月明かりさえ通さない。しかし、そんな暗闇の中にあって、青年は不思議と安心感を感じていた。


 地面に腰を降ろして、目を瞑った。体の輪郭が曖昧で、目を開けていても閉じていても変化はない。もはや恐怖はなく、闇の全てが自分の一部の様に感じられた。なぜ人間は、自分以外のものを怖がる様に作られているのだろうか。もしかしたら、対象がモノであれヒトであれ、何を考えているか分からないから怖いのかもしれない。そう考えると、人間は本当に面倒くさい生き物だ。自分一人では生きていけないくせに、自分の事しか分からない。こんな闇の中では、自分の輪郭すら忘れてしまうが。


 青年は、ポケットの中に質量を感じた。


(あの石だ……!)


 せっかく闇に慣れてきたところだったというのに、青年は石を取り出してしまった。

 光を固めた様なその石は、青年の周りの空間を照らし出した。

 青年は後悔した。その光はきっと、自分とそれ以外を色濃く映し出してしまう。木々の闇の奥に恐怖する時がやってくるのだと。


 しかし、その光が照らしたのは、ぽつんと淋しく建つ一軒家だった。いつしか月も出ていて、あの男の子が空を見上げていた。――――いや、違う……男の子が見上げているのはもっと手前だった。一軒家の窓の奥。


 何を見ているのかと、好奇心に駆られた青年はその窓を覗き込んだ。


 次の瞬間、石の輝きがふっと消えた。再び闇が迫ってきた。

 手の平を見ると、ぼんやりと、弱弱しく光る石がそこにあった。透明度が高く、石の向こうの掌が透き通って見えてた。半透明の石の光は、弱くなったり強くなったりを繰り返しながら、微細な影のグラデーションを作り上げていた。石の中に何かが見える。


 鼻息が荒くなるのを感じた。シャツの汗が冷えてきて、背中に悪寒が走る。


(あの男の子は、僕に何かを伝えたいのだろうか)


 青年は石を覗き込んだ。影で構成されたアニメーションは次第に色を帯びて臨場感を増し、あたかも自分自身が、石の中の風景にいるかのように感じられた。


 そこで男の子は自分の部屋にいたのだろうか。机に向かって、何かに必死になっていた。表情はしかし楽しそうで、どこか恍惚としている。なんだか男の子は、…輝いていた。…………場面が飛んだ。男の子が緊張した面持ちで深呼吸している。また場面が飛んだ。今度はとても抽象的な映像だった。まるで夢の中の様にはっきりとしない。男の子は夢の中で、何かを―――誰かを追いかけている?男の子は泣いていた。


 石からカラフルな光が溢れ出てきて、不思議と男の子の感情が伝わってきた。恐怖、恐怖、恐怖、恐怖。分からないことに対する恐怖。自分とは違う恐怖。何を怖がっていたのだろうか。何を怖がる必要があったのか。そして後悔。最後には忘却が待っている。


 男の子は布団にくるまって泣いていた。毎夜来るたび、ずっと泣いていた。しかし、次第に頻度が下がり、男の子は少し背が伸びて、また普通の人生を歩み始める。輝きを忘れて。


(…………)


 男の子は街を歩いていた。

 踏切の前で、誰かを見つけた。

 埋火の様に感情が噴き出し、男の子は走りだした。

 失くしかけていた輝きを取り戻して、夜の雑木林を駆け抜けて、家の前で止まった。男の子は家の窓を見上げて、そうして……。


(…………)


 ――石が純白の光を放ち、青年の潤んだ目を穿った。青年は両目を塞ぎ、石を地面に落とした。

 視力が回復するのを待ってからあたりを見回すと、さっきと何も変わらない、あの家があった。男の子はもういなかった。


 青年は我が物如く土足で乗り込み、二階の窓に面した、例の部屋を目指した。階段を上ると、部屋のドアの前には男の子がいた。ドアに掛けてある木札を後生大事そうに抱え込んでいる。木札には『・・・の部屋』と、落ち着いた字体で描かれている。名前の部分は見えないが、もうこの際気にしまい。


(だって、きっとこの部屋は…………)


 青年はドアノブに手を掛けて、一思いに開け放った。


 ――その人は窓辺にいた。夜空に映える、月明かりに思いを馳せて。


 僕はその人の名前を呼んだ。その人と同じように、満月に願いを込めて。


「―――――」


 “君”が振り返った。







(…………)    


 青年は公園のベンチに座っていた。春の陽気が気持ちいい天気だ。汗だくのシャツはいつの間にか渇いている。


 ブランコには小さな子供が乗っていて、それを後ろから父親が押している。近くで見ているのは母親だろうか。心なしか、お腹が少し大きいような気がする。モネの絵画に、こんな風景があった気がする。

 そして、僕が座っているベンチの横には……“君”がいた。

 その瞬間に、青年は悟った。


(これは夢だ。質の悪い、ただの、夢だ)


 だとしても、夢だとしても、“君”の手がすぐ傍の、すぐ触れられる場所にあるというのが、青年にはどうしても我慢ならなかった。……戦々恐々として、彼女の手の上に自分の手を重ねた。


 青年はしかし、すぐに後悔することになった。彼女の手には、体温が感じられなかったのだ。春の陽気は感じるのに、視界だってこんなにはっきりとしているのに、彼女の体温だけが世界から欠落していた。それでも、求めてしまう。ただの幻だとわかっているのに。


 公園には三つ葉が群生していて、先の家族が四葉のクローバーを探している。青年は、そんな三つ葉の上に、彼女を押し倒した。

 土と新緑と女の子の匂いがした。


(夢だ。全部悪い夢だ)


 最中にも、彼女に暖かさはなかった。

 もっと楽しいかと思っていた。

 背中に腕を回したりして、手垢のついた言葉を何度も何度も囁いたりするのかと思っていた。


 なんにもなかった。

 なんにも、なーんにもなかった。

 空っぽだっだんだ、僕は。


 気が付いたら、彼女は砂になって崩れていた。僕はそれを、何もできずに見守ることしかできなかった。


 僕は、彼女に何か話してほしかった。人形じゃなくて、自らの感情で動く彼女。その口を開けば、一体どんな言葉が出てくるかなんて、想像に難くない。でも、それでも、ちゃんと、彼女には自分を持っていて欲しかった。


 僕は我が侭な奴だ。自分以外の存在がとても怖いのだ。なにを考えているのかわからない。次にどう動くのか読めない。でも、でも、それでも……、


(―――“でも”ばっかりだ)


 その通りだ。思えば、自分の人生そのものだ。

 へたり込んでいた青年の上に、影が出来た。見上げると彼女がいた。目には悪戯っぽい光が灯っていて、どことなく自立した人間の様に見えなくもない。青年は彼女の後を追いかけた。雑木林を抜けて、他人の庭を横切って、ジグザグした住宅街を走って、公園の噴水に出た。噴水の周りには雉鳩が集まっていて、小さい子供、父親、お腹の膨れた母親がパンを千切って与えている。彼女に似た顔の母親を見て、青年は足が竦んでしまった。


 僕は十分に理解していた。昔、満月の夜に思い悩む君を見て、何を思っているのか理解してしまった。


(君は僕なんて見ていなかったね。月明りを浴びて、石のように立つこの僕を)


 けれど、青年が輝きを取り戻せるのは夢の中だけであって、そこでは彼も遠慮はしなかった。


 青年は彼女を追いかけた。踏切を越えようとして、そして……、

 菜の花の最期の、その黄色い花びらが舞った。


    #

   #


 後ろにいたおじさんが、電車に飛び込もうとした青年の腕をつかんで、怒ったように、笑ったように言った。


「おい、あんた気がふれたのかい!」


 そして目が覚めた。

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