海底の都 その4
魚人ダムジャルクは、まじめな男ではなかった。王宮の近衛兵になったのも、仕方なく、という理由だった。
メローラと初めて出会った時も、王宮警備の仕事のさぼり中だった。そもそも彼は城周辺の担当で、中庭に来る用事などなかったのだ。
しかも、大人くらいの背丈があるのに、自分と年齢が二つしか違わないという。メローラは十歳で、ダムジャルクは十二歳だった。
「どうしてそんなに大きいの?」
そう聞いた時、彼は答えるのを嫌がっていた。結局、彼の口からは明確な答えを一言も返してくれなかった。
メローラはお稽古を、ダムジャルクは仕事を、互いにさぼっては秘密を共有する身となった。中庭のサンゴの木の陰で、お互いに愚痴を言い合う。
本当は自由に歌いたいメローラの歌を、ダムジャルクは聞いてやる。そして、その声を聴きながら、彼はうたたねするのだ。
「あなたは、何か好きなものはないの?私だったら歌や踊りよ。見たり聞いたりすると楽しくなるもの」
「俺か?俺は……そういや、考えたこともねえなあ」
ある日、いつものように二人でさぼっていた時、メローラは彼に問いかけた。ダムジャルクは考えてみるが、どうにもこれといったものが出てこないようだ。
「そうだなあ……こんなところじゃなくてよお」
しばらく考えて、ダムジャルクは上を見上げた。
地上からの光がかろうじて届く、薄暗い空を見て、彼はつぶやく。
「もっと広いところでよお、こんな風にのんびりできりゃあ、それでいいわなあ」
「何それ?王宮の中じゃ不満なの?」
メローラはむすっとなってダムジャルクに言うが、当の本人は遠く、深いまなざしで上を見上げていた。
変なの、と当時のメローラは思って、それっきりだった。
彼の苦悩というものを、彼女は何も知らなかったのだ。
しばらくして、王宮内の近衛兵の強さを競う大会が催される、ということを、侍女の噂話からメローラは聞いた。
「なんでも、優勝した殿方には、メローラ姫様の護衛を任せるそうよ?」
「まあ。王様らしいお考えですこと」
それを聞いたメローラは、父であるポシェイドの執務室まで、ずんずんと乗り込んだのだ。
「お父様!どういうことですか!」
突然現れた娘に、ポシェイド王は目を丸くした。
「メ、メローラ?どうしたのじゃ、一体?」
「護衛の件です!」
ああ、それか、と、ポシェイドは頷いた。
「噂になっとるのかあ。まあ、本当の事じゃしのお。この城の兵で、最も強い者に、お前を守ってもらえると、わしも安心なんじゃよ」
「でも……」
彼女にとっては死活問題だ。護衛など付いたら、お稽古をさぼってもばれてしまう可能性が高くなってしまう。
父は自分に過保護なようで、自分の言うことなどちっとも聞いてくれない人だ。護衛などいらない、などと言おうものなら、本当に幽閉されてしまう。
「と、いうわけで!私が安心してさぼれるように、あなたに優勝してもらいたいの!」
「何が「というわけで」だよ」
いつものサンゴの木の下で、メローラがダムジャルクを見上げていた。ダムジャルクは面倒くさそうに頬を掻いている。
「大体なあ、その大会、軍の将校だって出るんだぞ。見回りの俺が勝てるわけねえだろうが」
「で、でもでも、勝ってもらわないと困るのよ!」
駄々をこねるメローラに、ダムザはため息をついた。地団駄、と言っても下半身は魚なので、尾びれをパタパタとさせているメローラの頭に、ぽんと手を置く。
「わかったよ。だが、やれるだけのことはやるからな」
そう言った彼の笑顔は、牙を剥いていてちょっと怖かった。
それから、結局。兵たちの大会はつつがなく行われた。
優勝したのはもともと周囲より期待されていたザバンであった。優勝した彼は当分の間、それこそメローラが結婚相手として彼を紹介されるまで、護衛として彼女のそばに居続けた。本当に、お稽古をさぼる余裕など、みじんもなかった。
かろうじて隙をつき、あのサンゴの木の下に行けたのは、彼が護衛となって三ヵ月もたった後だった。
息を切らして、彼女は向かった。
優勝していないとしたら、彼は負けたのだ。闘って負けたのなら、労ってあげたい。その一心だった。
だが、木の下に、あの大柄な姿はなかった。
見つかることを覚悟して、王宮の見回りをしていた兵に聞いたところ。
彼は、大会一回戦でザバンと闘うことになり。
一度も反撃せずされるがまま、叩きのめされたそうだ。
そして、大会後、彼は王宮衛兵の仕事を辞めて、去っていったという。
「そんな…………」
あまりの衝撃に、幼かったメローラは驚きを隠せなかった。
「まあ、腕っぷしには自信があったんだろうけど、相手が悪かったと思いますよ。優勝候補ですもん」
「それに、あいつ、仕事の態度も悪かったしなあ。まあ、仕方ないんじゃないですかね?あいつ混血児だから」
「こんけつじ?」
「ああ、姫様にお話しするようなことじゃありませんよ」
結局、そのまま連れ戻されて、それ以降、彼の話を周りがすることはなくなった。
そこから話が再び動き出したのが、今朝の出来事だ。メローラが目覚めて、アイシャが海賊の島に攻め込んでくる少し前、メローラとダムジャルクは人間の姿で再開した。
『あなたがダムジャルクなら……十年前、お別れくらい言ってもよかったじゃない!』
「十年前?……ああ、あの時の事か」
人間の足をぱたぱたと震わせるメローラに、ダムザは困ったように頬を掻いた。この仕草は昔と変わらなかった。
「まあ、お前に話すわけねえよな。あの過保護なポシェイド王がよお」
お父様?とメローラは思った。
彼女は、彼の「追放」という言葉を聞いていない。
『お父様が?あなたに何かしたの?』
「……本当になんも知らねえらしいな。ま、お互いあの頃よりは多少は大人だろうし、話してもいいだろう」
ダムザはメローラのベッドに座り込んだ。深く息を吸う。
「あの時……の前に、俺のことについてだ」




