ネプティエへの手がかり その1
一瞬の稽古だったが、全身から力がどっと抜けていた。まるで夢魔に精を吸われたようだ。ヨウヤンは側女から離れると、その場に座り込んだ。側女たちは慌てて水やら汗拭き用の布やらを持ってくるが、ヨウヤンが一番必要としていたのは回復する時間だけだ。
(……勇者の仲間の彼であそこまでの強さとは)
「勇者殿の強さは、相当のものでありましょうな!」
王子が考えていることは父親である王も考えていたようだ。もっとも、父は勇者本人にストレートに言葉をぶつけているが。
「いえ、そんなことは……」
謙遜するアイシャに、王は構わず続ける。
「何をおっしゃいますか!うちの武官が息を呑んでおりましたぞ!お仲間の強さに」
「まあ、彼は実際強いですから……ですがそれが私の実力というわけでは……」
アイシャは困惑した。てっきり、息子をあっさり倒してしまった蓮に対し、何やら不信を抱きかねないと思っていたのだが。
「……ご子息は大丈夫ですか?だいぶ疲れているようですが」
「ああ、あれは……」
王はちらりとヨウヤンを見やる。息子もこちらを見つめていて、目が合った。
「問題はないでしょう。お仲間殿も、どうやら手加減してくださったようですしな」
「そ、そうですか?ならばよいのですが」
アイシャはそっと胸をなでおろす。万が一にも後遺症など遺してしまえば国際問題だ。
すぐそこに座っている蓮をちらりと見やる。相変わらず目つきは悪いが、そこまで機嫌が悪いわけでもなさそうだ。彼に近づき、隣に座る。
「お疲れ様」
座った彼女を見て、蓮は少し肩を震わせた。「お、おう」と返事はするものの、視線だけはどうしても合わせてくれない。
一緒に旅を始めてからずっとこうだ。思えば勇者の仲間として合流して、思い切り喧嘩をした時ぐらいではなかろうか。彼とまともに目を合わせて会話をしたのは。
レッドレッド王国で知り合った娼婦のミネルバは、「彼はね、照れ屋さんなのよ、きっとね」と言っていたが。
「……別に、そんな疲れてねえよ」
「そうなのか?」
「そうだよ」
少し話す間も、蓮の目は泳いでいる。アイシャはどうしてもそれが気になるが、さすがによその国の王の前で糾弾することでもない。
ふと視線を変えると、稽古場を眺める町娘風の女が目に入った。蓮に着いてきているメローラだ。
「そういえば、彼女のことは?何かわかったのか?」
「あ?ああ、それな」
どうやら収穫はあったらしい。それはあとで、部屋で打ち合わせをすることにしよう。そう決めたアイシャは、落ちていた木剣を振り回そうとするメローラを慌てて止めた。
*
「海の中!?」
城内のあてがわれたアイシャたちの部屋で、蓮たちは図書館で調べた結果を伝えた。参考図書として、図書館から借りてきた例の論文も開いている。
「この碑文は、その、そういう感じの、ただの落書きなのか?」
アイシャが指さす碑文の挿絵を見て、蓮は頷く。
「ああ。この本だと古代王朝の碑文ってなってるけどな」
なんでそんなことがわかるんだ、とアイシャは一瞬思うが、うんうんと頷くメローラの反応を見る限りそうなのだろう。彼女とコミュニケーションがまともに取れているのは蓮だけだ。
「……その話が本当なら、なおさら放っておくわけにもいかないな。次の国に行く前に、彼女を家に連れて行かないと」
蓮がアイシャの言った言葉をそのままメローラに伝えると、急に彼女は首を横に振りだした。これは「嫌だ」という意志表示だというのは、誰にでも伝わった。
「なんで?」
『私が、陸に上がった目的が達成できていない』
「目的?」
書きなぐられた文字を蓮が読んで、目を細める。メローラは文字を勢い任せに走らせる。
『私が地上に来たのは、恋をするためなの!』
ダン!と紙に立てられた文字を蓮は読んだ。
「……恋?」
「恋?」
「恋」
その場にいる勇者パーティ三人が、そのワードを繰り返す。メローラはムフン、と鼻を鳴らす。
蓮は、無言でメローラの額にチョップを叩き込んだ。
『痛い!』
即座に文字で主張してくるメローラは、涙目で続きを書き殴る。
『何するのよお!女の子にチョップするなんて!暴力反対!』
書かれた文字と涙目で口をパクパクしている表情を見て、蓮はデジャヴを感じた。そして、文字がわからず首を傾げているエターナルに目を向ける。一月ほど前にも、この女神はこんな感じだったことを思い出した。当の本人は呆れたようにため息をついている。どの面下げてそんなリアクションをしているのか。
「いっぱしのお姫様みてえなこと言ってんじゃねえよ、お前なあ」
『いや、私、姫!』
「はあ?姫?」
突然のカミングアウトに全員が言葉を失った。
「……そういえば、お前のことさっぱり知らねえんだよな」
蓮はメローラを椅子に座らせると、彼女の正面に座り込む。
「よし、洗いざらい吐け。お前のこと」
「やめろその言い方。悪いことしてるわけじゃないんだから……たぶん」
にらみを利かす蓮を、アイシャがたしなめた。そして、通じないことを承知の上で、メローラに話しかける。
「頼む。あなたのこと、あなたの故郷のことを、私たちに教えてくれないだろうか」
アイシャの瞳を見つめるメローラは、どうやら言いたいことは伝わったらしい。こくりと頷くと、観念したように紙に文字をつらつらと書き始めた。




