異世界とドラゴン その4
日本での昨夜午前0時。紅羽家で起きていたのは、現在一家の大黒柱である母のみどり(42)だけであった。
明日の子供たちへのお弁当を作っている最中、突如としてインターホンが鳴った。
こんな時間に?と思ったが、インターホンのモニタを見ると、そこには見るからに寒そうな格好をした薄桃色のうら若い女の子が映っていた。
(…………えっ?)
いきなりそんな人物がやってくれば、とにもかくにもまずは戸惑うに決まっている。
警察。みどりの脳裏にその二文字が浮かんだ。この状況で、外にいる女性が警察に遭遇した場合、職質されるのは間違いないだろう。モニター上に映る時点でも、女性の乳房はほぼ見えている。なんか羽衣?のようなもので局所はうまいこと見えないようになってはいるが、上半身は完全に見えている。公序良俗違反、公然わいせつは避けられないだろう。
しかし、みどりの思考は斜め上に進んでいった。
(いや、でも、こんな人がいればご近所でも噂になるわよね)
こんな格好でうろついている人がいるとなると、噂にもなりそうだ。だが、そんな噂はご近所でも聞いたことがない。近所のおばさま方のネットワークに引っかからないというのは相当なものだ。
つまり、明確な目的を持ち、家にこの時間に、こんな格好で来る。ということは、まさか…………
(……デ●ヘル!?)
42歳3児の母にはそのように映ってしまった。
(え、こんな時間にこんな女の子が来るなんて、それくらいしか考えられないわよね?それにあの格好、コスプレ?だっけ?そういうのなのかしら……ちょっと攻めすぎな気もするけど)
紅羽家母が勝手に暴走しているなど露知らず。ただただ普通に女神として自宅訪問したエターナルは、がちがちに緊張していた。
何しろ、異世界の女神として転移候補者を自宅訪問するなど初めてのことだったのだ。
通常、転移させるときは、何かしらの事故に巻き込む形で異世界に引き込むのが、いわゆるテンプレとしての方法だ。
よくあるのは、トラックに轢かせることでこちらでの生を終わらせ、半ば無理やり異世界に連れて行く方法である。いわゆる転生だ。
実はこの方法、女神側としてはかなり楽だった。何しろ、こちらでは死んでいるので断られることも少ないし、仮に異世界に肉体を持って転移させる場合、肉体を環境に適応させるように調整する必要がある。そのコストが割と高いため、最初からその世界の住人として生まれさせることができれば、そのあたりのコストをまるまる削減できるのだ。
そのため、最初はエターナルも蓮を殺して異世界に転生させようとしたのだが。
結果として、すべてが失敗に終わった。おおよそ一週間前にトラックを手配し、轢かせようとしたが、逆にトラックが轢かれてしまった。運転手は無事だったが、入院し、免停になった。
その後も上空から鉄骨を落としたり、強盗に襲わせたりもしたものの、結局蓮を殺すことはできなかった。むしろ手配のコストの方が高くなりそうだったので、やむなく転移という方法を取ることとなったのだ。
エターナルは直接蓮に話をして、同意の上で来てもらおうと紅羽家を訪問した。
しかし、彼女は女神であった。それも新米の。
人間の常識や都合といったものを、よくわかっていなかったのだ。
ゆえに時刻が訪問時間に著しくふさわしくない時間であること、さらには一切のアポイントメントを取るということをしていないことすら、彼女はわかっていなかった。
まさかいかがわしい職業と思われているとはかけらも思っていないエターナルは、緊張しながらもカメラに向かって問いかける。
『あの、紅羽蓮さんはいらっしゃいますか?私、女神のエターナルと申します』
(え、蓮ちゃん?女神?エターナル?そういう設定なのかしら……)
『あの、蓮さんに用事があって、来たんですけど、います?』
ちょっと感触悪いかな、とエターナルは思ったが、実際紅羽家母の思考回路はさらに斜め上を走り始めていた。
(蓮ちゃん、どうしてデ●ヘルなんか……あ、そういえば、バイト先の女の子と喧嘩したって言ってたっけ……もしかして、そのイライラを?無くはないかしら。でもなんでコスプレ系?そういう趣味だったの?というか、呼ぶんだったらせめて一言言ってくれればいいのに……)
『あのー、蓮さん、いますか?』
「あ、ええと、少しお待ちくださいね?」
紅羽家母は完全にてんぱっていた42歳には思えない俊敏な動きで2階の蓮の部屋へと駆け上がる。ほかの子(次男、長女)が寝ているので、音は一切立てない。主婦として長年一軒家で生活し続けて身に着けたスキルだ。
大きすぎず小さすぎない音で蓮の部屋のドアをノックする。反応はない。完全に寝ているのだろう。
そっと部屋を開けると、ベッドに蓮が寝っ転がっていた。部屋はなかなか片付いているが、幼稚園の頃からずっとある動物のぬいぐるみやら筋トレ用の鉄アレイやらが転がっている。
「蓮ちゃん?あの、デ●ヘルの女の子が来てるんだけど……」
ゆすってみるが、全く起きない。
何回かやってみたが、結局無反応だった。ならばこれはどうかと足の裏をくすぐったり、わき腹をつまんでみたりしてみたが、起きない。
これはもうだめだ、と母は悟った。
蓮にはこういうときがあるのだ。人間は浅い眠りであるレム睡眠と深い眠りであるノンレム睡眠があるが、蓮の場合はノンレム睡眠に入ると何をやっても外的要因では絶対に起きなくなってしまうのだ。
理由は単純明快で、眠りを邪魔できる外敵がこの世にいないからである。危険信号が全く機能しなくなり、極端な話、このまま部屋を爆破しても朝まで起きない。
ちなみに息ができなくなったらさすがに起きるのだが、呼吸を止めるにも水に顔を突っ込むとかしないと止められないレベルだった。そして、紅羽家母はデ●ヘルのために息子に水責めをする、というような思考ができる人間ではなかった。
「あ、ダメね、これは。朝まで起きないわ」母はあきらめた。
そして、結構待たされたエターナルは、申し訳なさそうにお詫びを入れられたのだった。
「あの、蓮、うちの息子ですけども、申し上げにくいのですが……寝てしまいまして。あの子一度寝ちゃうと朝まで絶対に起きないので、ちょっと、そういうことは……また、日を改めてということでお願いします。……あと、家に来るというのもちょっと今後はやめてもらっていいですか?下の子とかもいますので、ちょっと教育上よろしくないかと……」
「え?あ、はい、わかりました……」
そして、上に相談したところ、「こうなったらもう事後承諾でいいからとっとと連れてこいバカ!」と言われ、泣く泣く強制異世界召喚、という形をとったのだった。




