世界の裂け目
「――おい、起きろ朝だぞ」
「……まだ五時じゃんか」
「朝は朝だ。良いから起きて食事の用意をせよ」
翌朝、人化光龍に叩き起こされるカイセ。
「支度って、出発じゃなくて朝飯のほうか……作るからちょっと待って」
光龍来訪の翌日朝。
その光龍にいつもより若干早く起こされたカイセは、促されるままに支度を始める。
「ふむパンか」
そして早速山積みのパンに食いつく光龍。
その隙にカイセは自身の準備を整える。
「ちょっと出て来るから大人しくしててくれよ」
「……ごくん。何処へ行く?」
「出発の準備だよ」
「そうか、分かった。もぐッ」
そのままカイセは外へ出て、いつものように留守番用のゴーレムを起動させる。
その後は森の中を散策し、食料類をいくつか収穫・補充していく。
「……まぁこれも入れとくか」
行き先が未知ゆえに、念のために例の果実も最後に収穫しておき、ひとまずの準備は済んだので家に戻る。
するとそこにはもう一人。
「カイセー」
「遅いぞ」
家の中に戻るといつの間にかやって来ていたジャバと、食事を終えていた光龍が待ち構えていた。
出したパンの山は全て綺麗に消え去っていた。
「準備は出来たのか?」
「後はメモだけで……はい完了っと」
いつもの場所に置かれた一枚のメモ紙。
〈世界の果てに行って来ます〉
来るかも知れないアリシア達に向けた留守のメッセージも置かれた。
「出来たよ」
「うむ。では外へ行こう」
一同はそのまま庭に出た。
そして光龍は元の姿を現す。
『……ふむ、やはりこの姿が一番楽だな。人型も悪くは無いのだが、如何せんどうも感情に引っ張られ気が緩み、七星龍としての威厳に欠けてしまう』
「こっちはこっちで威厳あり過ぎな気もするんだけどな。また魔物たちが引っ込んじまってるし」
先程の散策時とは異なり、再び気配の消え失せた森。
魔境の森の魔物たちも、光龍が人化中ならばいつものように森を彷徨っている。
だがこの本来の龍の姿に戻った途端に、昨日のように再び何処ぞへ雲隠れしてしまい、分かり易い気配が一切感じられなくなった。
この森の平和の為には、光龍には常に人型で居て欲しいと思ってしまう。
『ほれ、こちらの準備は出来たぞ。はよ背に乗れ』
光龍はそうして自身の背中にカイセとジャバを誘導する。
「……それじゃあ失礼します」
「それーッ」
二人は順に跳躍し、そのまま光龍の背に柔らかく着地する。
『それでは行くぞ。絶対に落ちるなよ?』
「その忠告は既に手遅れだな。ジャバが落ちてる」
カイセの視界には光龍の背から滑り落ち、そのまま地面に逆戻りしていくジャバの姿があった。
とは言えジャバは龍には違いない。
「すべったー」
落下途中に自らの翼で空を舞い、そのまま舞い戻って来たジャバ。
すると今度は光龍の背では無く、何故かカイセの頭の上に乗っかった。
「……ジャバ、流石に重い」
「ここなら滑らない」
「頭の上である意味無くない?」
「高さがちょうど良い」
「さいですか。まぁ分からんけど」
謎のこだわりのジャバ本人は一切降りるつもりは無いようなので、とりあえず放って置く事にするカイセ。
『しっかり掴まったか?振り落とされても知らんぞ?』
「だいじょうぶー」
「はぁ……ジャバ、絶対に爪は立てるなよ?」
「わかったー」
『では行くぞ』
そしてようやく、光龍が空へと舞い上がる。
カイセとジャバは光龍に跨り、そして向かう先は〔龍の里〕。
龍種族の住まう、魔境の森とはまた別の……いや、それ以上の秘境である。
光龍直々の招待に送迎。
これまた人並み外れた経験になってしまった。
「……上から見るのは久しぶりだなぁ」
空から見る魔境の森の姿。
それは転生初日の自由落下の時以来に見た光景だ。
だが光龍はその時の高さよりも更に上に、まだまだ空へと上がっていく。
「高くないか?」
『低いと色々と騒がしくなるのでな。邪魔の入らぬ高さまで上がる』
そしてとうとう、雲の上にまで到達してしまった。
『さて、高さはこのくらいで良いだろう。我の守護があるゆえに負荷も特になかろう?』
「……確かに普通だ」
『ならば良し。後は真っ直ぐ目的地へだ。おおよそ三時間程掛かるゆえ、暇かも知れぬが居眠りして落ちるなどせぬように気を付けろよ?』
空気抵抗や酸素濃度、他にも暑さ寒さの類は全て光龍が呼吸の如き自然さでカバーしているため、カイセ達は本当にただ乗っているだけで済む。
だからこそこの状況から落ちるとすれば、個々の怠慢以外にないだろう。
「大丈夫。寝てたとしても落ちない自信はあるから。ジャバは不安だが」
「寝ないし落ちないよ?」
「さっきの見ると説得力無いけどな」
「もうだいじょうぶ!」
『まぁ良い……とにかく気を付けろよ?』
そう言いながら光龍は、今の高度を維持しながら、真っ直ぐ目的地方面に向けて進みだした。
恐らくこの加速を低空で行っていれば、衝撃はの類で方々に何かしらの被害が出ていただろう。
高高度の理由が一つ理解できた。
そしてひとまず全工程を三時間。
龍の里は人類領域の外、地図の存在しない場所にある。
ちなみに三時間と言うのは、あくまでも光龍の飛行速度による計算。
人間の用いる真っ当な移動手段では、何日何十日掛かるかなど、地図も無い以上は計算すらできない。
その点はやはり、流石の七星龍とでも言うべきだろうか?
――そしてその道中、大体一時間ほど進んだ先で、上空からもそれは見えた。
「アレって……」
『境界線とも言うべき場所だな』
雲の途切れた空。
そこから見える真下の光景。
そこには、底が見えぬ程に深く、地平線の先にまで伸びていく巨大な〔大地の裂け目〕が存在していた。
『世界を二分すると言っても過言では無い程に巨大な裂け目。これを超えた先にこそ我らの領域は存在する』
人類領域と龍の領域を分断する裂け目。
人が集団で越えるにはその裂け目は大きすぎる。
ゆえにその術を持つ個人での越境は可能かも知れないが、集団侵攻が叶わずに人類未踏破領域のままでいる龍の領域。
その反面、空を駆ける龍種には簡単に越える事の出来る空間である。
「……裂け目の底に降りて、対岸に移って登ってくるのはアリ?」
『物理的には可能だが、降りれば降りる程に空間内の魔力濃度が高くなり、底に辿り着く前には重度の魔力中毒で死ぬのがオチらしい。その方法で越えられる人間など、最早人外の存在だ。もちろん実例は居るがな』
「……それって誰の話?」
『そちらでは初代勇者と呼ばれる者だな。奴は大昔に王都から龍の里への全工程を完全陸路で踏破し、龍の里へと辿り着いた。しかも一月経たずにな。空を使わずに我らの里へと辿り着いた人間はそれが初めてだったな』
その「徒歩で来た」を最初に成功させた存在が初代勇者。
勇者であれば他にも楽な手段はあっただろうに、一体何をしているのだろうか。
『……我や其方ならば相応の準備さえして向かえば徒歩での越境も可能だろうが、帰りにでも試してみるか?』
「全力でお断りします。そんな面倒な道はごめんです」
空を飛ぶ龍の送り迎えも、長距離《転移》の術もあるのにわざわざそんな人外コースに向かいたくはない。
『まぁ要らぬ危険を冒す必要もあるまいな。さてそろそろ裂け目を越えるぞ』
そしてカイセとジャバは、空からの越境と言うまともな手段にて向こう側へと到達した。
だがまだゴールでは無い。
徒歩での到達が面倒な手段であり、飛行が真っ当な手段となる、人にはとても縁遠い場所。
目指す場所は、この荒野の先にある龍の里である。