エルフの憧れ
「――空が、見える」
窓の外の景色を見つめる一人の男。
停止した方舟の中の一室に軟禁されていたその男は、エルフの中でも稀有な"精霊術師"である【シェルサラマ】。
希少な《精霊の加護》を持つ今回の騒動のクーデター側の関係者。
カイセ一行に敗れた後に、その一室を牢屋代わりにされていた。
「木々のない空…まさかそんな…望んだ景色が、いまここで…うぅ」
そんな彼は窓の外に見える景色に涙する。
見えるのは雲も、そして遮る木々もない青空。
彼が夢見た、憧れた空の景色。
『――これが空です。森の木々の更なる上に広がる景色ですよ』
初めて目にした青空の景色は、子供の頃の特別学習の時間。
世界樹の領域にある特別な施設の天井に映し出された、エルフの国の空の写し絵。
本物の、雲も木々も邪魔しない一面の青空を、その施設の力によって間接的に目にしたのが初めての出来事。
(空…今度は自分の眼で見たい)
まだ子供だったシェルサラマは、その空の景色に憧れを抱いた。
エルフの国では空を見上げても、殆どは木々の枝や葉に遮られ空の景色は小さな隙間から覗くのみ。
その隙間から地上に射し降り注ぐ陽の光も、人から見ればそれはそれでとても幻想的ではあっただろう。
しかし彼はその上、木々に遮られない一面の空…普通の青空が見たかった。
(木々の上に登れば簡単に見れる。でも…誰もそれを許してくれない)
一面の青空を見たいなら、木に登り一番上に立てばいい。
遮る木々の上に立ってしまえば空を遮るものは何もなくなる。
だがこの国において森の木々は、ある種の世界樹様の眷属も同然。
足蹴にするなど言語道断。
ゆえにその一番簡単な手段が、一番の難易度を抱えていた。
(なら…外に。国の外に出れば、木々のない空を見れるはずだ)
そしてシェルサラマは一つの目標を見出す。
エルフの国においては、国の外に出れる役職は限られ一種のエリートの道。
だがその役職になれれば、仕事にかこつけて国を出て空を眺められる場所に向かうこともできる。
だからこそ彼は勉強し、鍛錬し、特別な役職を目指す道を選んだ。
『ん?君…他のエルフとなんか違う?面白いね!せっかくだし、ボクが力を貸したあげるよ!』
すると何の気まぐれか、とある精霊に興味を持たれて希少な加護を授かり"精霊術師"になってしまった。
子供の頃に絵本で読んで憧れた時期もあったその特別な存在。
昔の夢ではあったが、今の夢を追っている間に叶ってしまった。
『シェルサラマを樹官に任命する』
更にその加護がきっかけで、国のエリート役職の一つである"樹官"に任命された。
残念ながら国の外に出るような役職ではないものの今居る立場よりも夢に近くなり、なにより世界樹の領域への立ち入りが許される立場になったのは大きい。
『特別学習の時以来ですね。シェルサラマ』
『巫女様、私のことをご存知で?』
『もちろん。一度でもこの領域に足を踏み入れたことのある方々はちゃんと覚えてますよ。特に貴方は、随分と熱心に空を見上げてましたので印象深かったですからね』
そして樹官としての立場で、子供の頃以来となる巫女様との対面も果たした。
直接会ったのはそれこそ空の夢を手にしたあの時以来。
しかし姿変わらぬ巫女様は、そんな一度だけの自分を覚えていた。
『空を…ふふ、良い夢ですね』
そんな巫女様に、初めて自分の夢を語った。
誰にも話さず秘めていたその夢。
『実は私も、一度もその〔一面の青空〕は見たことがないのです。この通り、ここから出られない身ですからね』
だがそんな巫女様も、本物の空は見たことがない。
若くして巫女を継いでこの領域から出ることがなくなった彼女には、そもそもシェルサラマのような夢を目指す為の時間が存在しなかった。
『だから私の分もいっぱい、綺麗な空を見てきてください』
『…はい、必ず』
初めて夢を後押しされ、同時に想いを託されたシェルサラマは、より熱心に道を進む。
そうして…辿り着いた新たな役目。
"エルフの使者"、他種族との交流の為の繋ぎ役。
外の国では外交官とも呼ばれるような役目。
このお役目は他国との交流の為に外に出る機会が多い。
『――これが、本物の空…綺麗な…』
そして念願叶う日。
お役目で国の外に出て、とある国に向かう最中。
広い草原地帯の真ん中で見上げた青空。
木々に遮られることもない一面の空の景色。
『…そっか、俺が見たかったのは…故郷の…』
その景色に感動するシェルサラマだが、同時に一つの気付きを得てしまった。
この空じゃない。
彼が見たかった、夢見た空はあくまでも〔故郷の空〕だった。
「――そして道を間違えた。ほんと…巫女様まで傷つけて、何をやってたんだろう」
目指すべきものが故郷にしかなかった彼は、別のやり方を模索しなければならなくなった。
だがそれは努力だけではどうにもならない道。
エルフの法を破るか、そもそもの在り方を少なからず変えて行かねば望めぬ。
そこで出会ってしまったのが、国の在り方に不満を覚える人々。
彼らと共に本末転倒の良くない道を進み続けて…正気に戻った頃には既に手遅れ。
元々計画された穏便な交渉・改革案は、いつの間にか完全なクーデターに成り下がった。
大樹を踏みつけ空を見上げる、ルール破りのやり方だがその方が穏便で簡単だったと悔いても既に周囲は止まらぬ。
『――あれは…(まさか神剣!?なぜこんなところに!!)』
そんな計画が詰められて、実行間近に迫っていたとある日。
外交の役目で人族の国を訪れていた彼の前に信じられないものが現れた。
それは〔神剣を携えた人族〕。
エルフの国の世界樹の領域に安置されているはずの秘宝と、同じ気配を纏う秘された剣。
姿は隠されているものの、樹官として世界樹様の恩恵を受けるシェルサラマにはそこにある気配の存在が神剣であるとすぐに理解できた。
『(これは…天啓かもしれない)…おい、そこの!!』
『ん?』
予期せぬ事態、遭遇だが、シェルサラマにはそれが運命的な出会いにも思えた。
既に引けぬところまで関わってしまったろくでもない計画。
成されれば確かに国は変わるが、同時に多大なる災いをもたらしかねない。
ゆえに出来るならば止めてほしい。
失敗して欲しいと考えていた彼の前に現れた特大のジョーカー。
『お前!その剣を何処で手に入れた!!』
『え…剣?』
だからシェルサラマは彼を巻き込んだ。
相手からすれば迷惑なのは重々承知。
しかしそれでも、彼は目の前の謎の存在を巻き込む事が最悪を回避するカギになると直感したのだ。
そして人族の国で起こしたその小さな騒動が、外の神剣の持ち主をエルフの国へと招き、目論見通りに起こされたクーデターへの切り札となった。
ゆえに彼の直感は結果として正しかったと言えるだろう。
「…彼にはきちんと謝罪しないと。でもまずは…この空を」
そんな悔いや申し訳なさを抱えつつも、今のシェルサラマには見えているのは窓の外の空の景色だけ。
ろくでもない道を歩みつつも、求めたその夢が窓の外にある。
「外に出れば本物の空を…ぐ!?この感覚は…まさか!?」
だがそんな彼の耳にも聞こえてきた異音。
同時に、他者には感じ取れない自分の中に流れ込むある存在の感情。
「こちらが先だな。夢の前に、一つ後始末をしなければ」