精霊の森
「――あれが〔精霊の森〕か。ようやく本物の地に…」
何処か感慨深そうな王子の言葉。
馬車の道先、進行方向に見えてきたのは森の姿。
エルフの国への旅路の最終行程を知らせる目印。
そして…この森こそが精霊達の住処。
正確に言えば精霊という存在達の最大級のコミュニティ拠点。
「そして…あの微かに見えるあれこそが世界樹の…」
《その通りです》
そしてその森の遥か先。
その大きさ、高さゆえに遠くからも見える富士山のように霞みつつも、木々の向こうに既に見えている巨大すぎる樹木。
エルフの国の象徴でもある〔世界樹〕が既に視界に写る。
「目測の距離としては、今日中に着きそうに思えます」
「だがそう素直にはいかない。慣らす為にも森の中の宿で一泊して進む必要があるからね」
こうして目視の距離にまで近づいて来た一行だが、まだエルフの国には辿り着けない。
このまま真っ直ぐ進めば確かに、今日中に辿り着ける距離にはある。
だがその手前で一度休息を挟まなければ惨事になる事情があるのだ。
「精霊の森は奥へ…森の中心に近づくほどに《自然の力》が濃くなっていく。これ自体は本来毒でもなんでもないものなのだが、人間には体調を崩す要因になる。だからその中間で適度な濃度に一度身体を慣らしてから進まなければならないんだ」
精霊が多く住まう目の前の森には、純粋な精霊の気配…精霊由来の純粋な魔力の残滓とも言うべく《自然の力》が満ちている。
これ自体は本来毒ではないのだが、この森の場合はその満ちる力が奥に進むほど濃くなり…濃くなり過ぎる。
慣れない人間がいきなり濃すぎる自然の力に触れるとあてられてしまい、死にはしないが盛大に体調を崩してしまう。
ゆえにこの森には中間地点が用意されており、そこで一泊し自然の力に身を浸しながら休み、身体を慣らす事で翌日には深部の濃い自然に当てられずに済むように調整する。
(平地だけど登山みたいなものかな?高山病を予防するような…まぁこっちは逆に行き先が濃すぎるって話だけど)
ゆえに一行はエルフの国に辿り着くまでもう一泊が必須になる。
だがそれが旅路の最後の宿であり、明日には目的地であるエルフの国に辿り着ける。
《ではようこそ皆様。我ら精霊の住まう森へ》
そして馬車が森に踏み込むと、同乗する大精霊が一同を歓迎する。
と同時に…この森の明確な空気の違いを感じ取る。
「なるほど…これが自然の力の濃い場所に踏み込む感覚か…念願の感覚だが、少し怖くもあるね」
馬車の中の全員が、正確には森に踏み込んだ一行の全員が大なり小なり感じ取るその気配。
長いこと精霊たちが住み続けた事で森中に漂い満ちることになった残滓の《自然の力》。
その気配は森の入り口を境界線に、明確な空気の違いとなって誰もが判別できるもの。
そしてそれは人間の無意識に圧倒的な大自然の存在感を語り掛ける。
(こういう分かりやすい威圧感があるなら、早々この森を切り倒そうなんて気は起きないよなぁ。あとが怖いもんなこれは)
ある種で精霊の領域を示す〔マーキング〕とも取れそうな感覚。
ここで自然破壊にでも勤しもうとすれば痛いしっぺ返しが来ると、人間の本能に直接知らしめるようなもの。
しかも入り口付近ですらここまでハッキリと感じ取れるなら、確かに深部には慣らしながら進むのが妥当だろう。
(それにしても…本当に、同じ森でも大違いだな。魔境の森とは)
そんな圧のある精霊の森を進む中でカイセが比較したのは、自宅のある魔境の森。
人類領域最大級の危険地帯、脅威度の高い魔物たちの巣窟。
危険地帯という意味では魔境の森の方が数段上。
何せ何もしてなくもそこにいるだけで、太刀打ちできないレベルの魔物にいつ襲われるか分からない危険な森なのだ。
手出ししなければ基本は無害な精霊たちの森とは大違い。
なのに…人としては精霊の森の方が居座りたくない場所に思える。
(あれか、こっちはもう二十四時間三百六十五日ずっと『僕らの森だ』って主張され続けてるから肩身が狭すぎるのか?休まる時がなさそうな)
魔境の森には上も下も無く、複数の魔物や種が混在し暮らしている。
強さや強かさは前提になるだろうが、来る者拒まずに暮らせる自然の領域。
かつては確かに邪龍が居座っていたが、支配者を気取っても統治管理をしていたわけではないので本当の意味では誰のモノでもない森だった。
だがこの精霊の森には、精霊という明確な支配種族が存在している。
ここでは何をするにも精霊の目を気にする必要があり、同時に常に見られているのと同義。
危険だが自由な森と、基本安全だが不自由な森。
(というか…この森の一番深い所に住んでるエルフって…まぁそりゃ精霊崇拝とか信仰もなるだろうなって感じだなぁ…)
そしてこんな森の中心に国を構えるのがエルフという種族。
世界樹のもとで開かれた国、精霊の領域の中で住まう人々。
始祖はともかく、今の人々は生まれながらにしてこの精霊の圧と共に過ごして来ているのだから自然と魂にわからされるのも無理はないお話。
ある意味でこの環境こそが、精霊信仰の英才教育そのものな気もする。
「――で、何か群がってきてない?」
そうして森を進む馬車に…なんだか精霊たちの気配が群がってくる。
窓の外を覗いたわけではないが、気配だけで十数が進む馬車の周りを漂っている。
《ふふ、馬車は見慣れたものでしょうが、わたくしが乗っているのが珍しいのでしょう》
その精霊たちのお目当てはどうやら水の大精霊。
自らの上位存在が、普段は乗る必要のない馬車に乗っているのが珍しいらしく、野次馬のように馬車に寄って来た。
「でも、気配がちょっと?」
《他の精霊もここには居ますから》
だがその中にはお覚えのある水の精霊の気配以外もあった。
基本的に似通ってはいるが、どこか違う精霊の気配。
その正体は水以外の精霊。
この森に住まうのは《水》と《風》と《土》の精霊たち。
僅かな気配の違いは属性の違いのようだ。
「…雨?」
「風に、砂も」
《人の行うおもてなしの真似っこでもしているようですね。いま集まっているのは生まれてさほど経ってはいない子供のような子らですから、特にはしゃぎやすい頃合いなのです》
(おもてなし、でも砂は流石にどうなんだ?)
そして精霊たちは遊び半分で、小雨や微風に砂掛けの余興をし始める。
雨と風はまぁ大したことないが、馬車に砂を吹きかけてくるのはちょっと迷惑な気もしなくはない。
――こうして一行は自然の圧と精霊に囲まれながら森を進み、行きの旅路の最後の宿に辿り着く。