5 兄弟喧嘩
「よく、できていますね。本当にアリコスお嬢様が?」
「もちろんよ」
メイトはもう読み終わったらしい。
フライパンが落ちて、少し経つと生地を入れる型を運んできた。
四角柱型、スポンジケーキ型、半球型。
この三種類だ。
「いつもパンと、プリンやゼリーに使っている型です。これでできますか?」
「ええ。この長方形のだけなら。他は耐熱性じゃないでしょう?」
「そのくらいは、誰かに付与して貰えば…」
あ、そうだ。この世界はそんな軽いノリで回ってるんだ。
「そ、そうね。でも、ベーキングパウダーについて検討はつく?」
「それが、あまり…」
「ねえメイトにいちゃん、イースト菌じゃダメなの?」
「ああ。読めばわかるだろ?けえきとパンは違うっぽいんだ」
「じゃあじゃあ、ビックアントの胸を粉にしたのは?あれ、ふわってなるよ」
「は?」
「だからふわって…膨らむの」
「どうやって?」
「さあ」
兄弟の作戦会議が始まったらしい。
ビックアント。D級モンスターだ。ゴブリンの次に強く、初級ダンジョンにもよく出現するが、ドロップアイテムといえばスライムの倍の大きさの、魔石の粒のくらいだ。
C級モンスターのビックビーと違って、蜂蜜を作らないから、大した材料にはならない。ちなみに蜂蜜は、こっちでも共通だ。
「いつそんなもの」
「ほら、サイモンにいちゃんがくれたフライパンで、小麦粉と混ぜて焼く。…終わり!」
「は?」
「あ…」
「あのフライパンだよな?」
「え?いや…」
「フライパンは母さんのと俺のだけだよな」
「そうだっけ?ははは…」
あーあ、エティってば口滑らしちゃったな。
私もよくやったよ。前世で。
綺麗だけどちっちゃな布があって、それでこぼしちゃったコーヒーを拭いたら、それがお姉ちゃんの人形の服だったとか。お姉ちゃんのメイク道具勝手に使ったのがバレたとか。
だから私はエティを応援しよう。
「じゃあ俺の使ったのか?」
「まあ、ははは」
「おまっ!ふざけんなよっ俺のでそんな汚ねえーもん調理すんな!」
「汚…汚いけどさ!メイトにいちゃんだって俺の勝手に使ってんじゃん!」
「いつだよ、俺がいつ使ったんだよ!」
「前に、前に、前に俺のフライ返し使ってたじゃん!」
「あれは、仕方なかったんだっ」
「仕方なかろうと、俺の使っただろ!」
「じゃあお前、夕飯つくんのか?」
「それとこれとは話が別だよ!」
「じゃあ!」「それに!」
「おい二人!!!アリコスお嬢様の前でなーにしてるんだっ」
現れたのは、ここの管理者で、料理長。
その名も、ハワード・バーンズ。
教育熱心な優しい人だが、料理に関しての知識は豊富。まだ38才で若いのに、王宮の副料理長だった人だ。
「「げっ」」
もう少しすれば料理長、つまり国一番の料理の腕と称号をもらえたはずの凄腕だ。だがどーしても若手教育をしたかった。そんな彼は、マクスによる仲介の元、我が屋敷の厨房を仕切り、全国からの応募で勝ち抜いて入った人を次々と追い出し、人をどんどん変えている。
そういう方面でも有名だ。
「言い訳はあるか?」
肩を掴まれた二人は、すっかり怯えている。
曲がりなりにもアリコスより年上だろう。なのにこんな可哀想な顔をされると、クスッと笑ってしまう。
「「こいつが」」
兄弟は互いに指を差し合う。
売るのが、早いっ…。
私だってお姉ちゃんが謝らない時は5秒は待ったぞ。
ちなみにこの世界で兄弟喧嘩なるものはした事がない。
いや、何回かある。
それは大概、ルィフラスティラエル国屈指の、というか我が国最大の商団、ラピリス商団が我が家を訪れた時のことだ。
一番近いエピソードはよく覚えている。
今にして思えば、心底どうでもいい話だ。
とても可愛い───今の私とは全く趣味の合わない────ピンクでひらひらのドレスが目に留まった。それは家族全員で商品を見ていたもので、欲しいと思った瞬間にレイシアお姉様も欲しいと口に出した。
そこで、「私も!」「私の!」「私のなの!」「わーたーしーのー!」のよくある言い争いが始まり、結局、レイシアお姉様が黄色で譲歩し、双子コーデが完成した。
「ほらほら、ほどほどにな。アリコスお嬢様、すみません。こいつら…」
「いえいえ。物の取り合いってみんなもよくやりますから」
ハワードははて?という顔をしている。
しまった。レイシアお姉様とアリコスは、ものの取り合いだけしかしない。どっちが使ったとかいうのは、カルレシア公爵家の財力を持ってすれば、二つ買い与えればいいだけのこと。そんな問題は起きようがないのだ。
「ほら、おんなじの欲しいなぁ、って事でしょう?」
苦しいけど、アリコスなら言いそうなことだ。よくやったぞ、私。




