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第3話 知るとは力なり

「ううん…」


 誰かに声をかけられた気がする。容易に開かない目をこすって、無理やり瞼を開けると、窓からぼんやりと光が差し込んでいる。


(もう少し、もう少し)


 こんなに眠いのだから学校など少しぐらい遅刻してもいいはずだ。俺は毛布をひっかぶり、再び夢の世界へ旅立とうとした。


「こりゃっ!」


「わっ!」


 聞き慣れない怒声に、俺は飛び起きた。そうだった。ここは俺の家ではない。見知らぬ世界の、見知らぬ村の外れの、見知らぬ森の中の、見知らぬ老人の小屋に俺はいた。


「何度、起こさせるんじゃ。もう朝じゃ!」


「お、おはようございます!」


 それにしても、ジジイのしわがれ声でどやされるとは、最低の目覚めだ。


(だけど、生きている! 俺は生きているんだ!)


 この世界の一日をどうにかこうにか生き抜いた。生きているというだけでこんなに嬉しいものなのか。それだけで目覚めがすがすがしい。


「あれ?」


 体のどこにも痛みがないことに気が付いた。俺は慌てて、全身ぐるぐるまきの包帯をほどいた。


「な、治ってる!」


 焼けただれひどいことになっていた部分に、ピンク色の新しい皮膚が再生している。それに嘘のように体が軽く、力がみなぎるようだ。


「ほうほう、傷は癒えたようじゃな」


「き、奇跡だ!」


「奇跡なんぞ、そうそう起こるものか。薬学と魔道のおかげじゃ」


「魔道?」


 間違いない、この世界における魔法のことだろう。


(やっぱりあったか、魔法! これこそ異世界の醍醐味ってやつだろ!)


 自分の体を犠牲にして思い知らされたわけで、これにはおおいなる感動を禁じえない。老人は、カユのようなものが入った木の器をテーブルの上に置いた。


「朝飯じゃ」


「ありがとうございます」


「その前にこれを着ろ。丸裸でうろつかれてはかなわん」


 俺の学生服一式は、スライムに溶かされボロボロになっている。老人の用意してくれた衣服は、麻のような生地で出来たシャツとズボンであった。無地でこの上なく地味だが、まずは快適だ。


 俺は改めて小屋の内部を見渡した。奥に暖炉があり、鉄の鍋がぶら下がっている。壁の本棚には、一面に分厚い本が並んでいる。隅っこには幾つかのカメが置いてあり、一つには例の薬草が入っているわけだ。中央には、作業台らしき机が据えられており、様々な植物が入ったガラスの容器が置かれていた。


(ジジイは何か研究でもしてるのか?)


 スライムがウヨウヨしている森の中に、たった一人で住んでいる老人が普通の人間であるはずない。まったく得体の知れないジジイだ。


「なんじゃ、小屋の中が、そんなに珍しいか?」


「い、いえ。色んなものが置いてあるな~なんて」


 そんなことより、ジジイには聞きたいことが山ほどあるのだ。俺はこの世界のことについて何も知らない。むしろ、何から聞けばいいのか聞きたいくらいだ。


「あのぉ」


「なんじゃ?」


「いったい、ここはどこなんですか?」


「コオローン自治区という国ともいえない国じゃ。お前さんが今現在おるのは、その国のはじっこに位置する小さな村のはずれ、黄昏の森と呼ばれているところじゃ」


「黄昏の森?」


「この世のことわりと魔の狭間じゃ。この世ならぬもの、魔物なんぞが湧いてきよる」


「スライム……、ですか」


「今のところはな」


 老人はヒッヒッヒと笑った。


「この森は日毎に膨張し、力を殖やしていきおる。そうすれば、もっと強力なモンスターが出現することになるのじゃ」


 ここはそんな恐ろしいところだったのか。知らないこととはいえ、とんでもないところに足を踏み入れちまったな。


「でも、どうしてあなたは、そんな危ないところに住んでるんですか?」


「わしは他人が苦手でな。その点、この森の中なら誰も入って来んから、落ち着いて暮らせるんじゃな」


 変ななジジイだ。それだけの理由でこんな化け物の巣に住めるものなのか? まあ、それはいい。偏屈な老人の身の上より、今は自分の心配をしなければな。


「この森から出るにはどうしたらいいんです? そんなに広くはないはずなのに、どれだけ歩いても迷うばかりで」


「なんじゃ、わしから逃げたくなったのか?」


 老人は、意地の悪い笑みを浮かべた。


「ち、違いますよ、ただ知りたいだけです」


 これは本当だ。森を抜けたとして、どこへ行けばいいかも分からないのである。昨晩、この老人との奴隷契約を不承不承に結んだわけだが、よくよく考えてみれば、家と食料を確保したとも言えるのだ。当面、ここから逃げ出すつもりはない。


「まあ、いいじゃろう」


 老人は、ごほんと咳ばらいをして、話し始めた。


「この黄昏の森はな、人の負の心を食べてこれを惑わし、あるいは増殖するのじゃ」


「負の心?」


「昨日、お前さんはスライムにやられて、不安や恐怖を抱えながら、森の中を歩いていたんじゃろう。そんな心持ちでは、出口など見つかるわけがないわい。森に飲み込まれてしまうまでじゃ。この森を出たくば、ただ毅然と、確信を持ってまっすぐ歩くだけでいい。そうすれば数分も経たんうちに、外に出られるわい」


(なるほど、ありがちな話だ。逃げるときには、ぜひ、そうさせてもらおう)


 ところでこの老人は、変わり者だが、なぜだか日本語をペラペラ話し、かなり物知りそうでもある。俺の素性を明かし、これからのことを相談するのに適当な人物なのではないだろうか。だけど果たして信じてもらえるかどうか。


「あの、頭がおかしいとか、思わないでくださいね」


「ふむ?」


「実は、俺はこことは違う世界から来たんです」


「知っとるよ」


「え、なんでえっ?」


 ジジイがあまりにこともなげに言うものだから、俺は素っ頓狂な声をあげちまった。


「この世界にはお前さんの使う言葉は存在せんからな」


「じゃあ、あなたは何故、話せるんですか?」


「おいおい、ええかげんにせんか。なんでもかんでも答えてやる義理なんぞ、わしにはないんじゃぞ」


 ジジイは、付き合いきれないという風に両手を広げた。


「これ以上質問するなら、それなりの対価をもらわんとのう?」


 意地悪そうに笑う。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。


「教えてくれるくらい、いいじゃないですか、ね? 教えて下さいよ」


「分かっとらんようじゃなあ」


 老人は、ため息をついて、


「ええか? わしはお前さんに、薬や、飯や、着るものを施してやったが、『知』というものは、それ以上に高価なものなんじゃぞ?」


「チ?」


「そうじゃなあ、例えばお前さん、昨日、スライムを一匹、狩ったな?」


「まあ……」


 あれを狩りと呼べるならの話である。その結果、手に入れることが出来たスライムの心臓は、唯一の装備である革のズタ袋に大切にしまってある。


「お前さん、それをギルドにでも持っていくつもりだろうが、スライム一匹の相場は1ヌンじゃ。つまりパン一個買えるか、買えないかじゃ」


「パン一個?」


 め、目まいがする。スライムとの激闘の末、死ぬ思いで森をさまよって、得られる報酬がパン一個の価値しかないのか……!


「どうじゃ、割に合わんじゃろう?」


 命とパン一個が等価というなら、割に合わないどころの騒ぎではない。


「しかし現実はそうなんじゃ。お前さんは、パン一個得るのに、命を懸けなければならない」


「トホホ」


 あまりにも激しい落胆のため、いささか台詞が昭和になってしまった。それにしても劣悪な労働環境である。今、日本の最低賃金っていくらだったっけ?


「そこで、『知』というわけじゃ」


 老人は唇を一舐めして、話を続ける。


「あのスライムをじゃな、見つけるそばから安全に、それも一瞬で狩れるとしたら、どうじゃ?」


「そりゃあ、嬉しいですよ! でも、そんなことが―」


「それが出来るんじゃ」


(つまり魔法のことか?)


 俺はゴクリと唾を呑んだ。


 あのひしゃげた饅頭を、一瞬でこんがり焼きあげる火の魔法でも教えてくれるのか?


「槍じゃ。槍を使うんじゃ」


「槍……、ですか?」


 ペガサス・ピューリタン・マドモワゼル・アルティメット・ファイナル・コーラリアン・ファイヤー的な魔法を教えてくれるもんだとばかり思っていた俺は、「槍を使う」というあまりに平凡な答えに拍子抜けした。


 老人が言うには、柄の長い槍をスライムに突き立てれば、体液を浴びることなく息の根を止めることが出来る、ということだった。


「それに、分厚い衣服でも着込めば完璧じゃな」


 派手さはないし、面白くもない。しかし確かにその通り、一方的にスライムを狩ることが出来るだろう。森にはあのひしゃげた饅頭がうようよいやがる。一日あれば、数十匹、あるいはそれ以上、狩ることが出来るはずだ。そうすればかなりの報酬が期待できる。


「これを、『知』というのじゃ。知る前と知った後では、すっかり事情が違ってくるじゃろう? ドガリーのヤツめが、したり顔で言いそうなセリフじゃが」


(う~む。確かに魔法など手段であって、目的ではないな。要は成果を得ればいいんだ)


「分かりましたよ、うん、分りました!」


 俺はたった今、「知」を得たのだ。もはやあのひしゃげた饅頭なんぞ小遣い稼ぎとレベル上げの道具にしか過ぎない。機会があれば、狩って、狩って、狩りまくってやる。それが我が覇業の第一歩となるだろう。


 まだまだ聞きたいことはあるが、今日はこれくらいにしとこう。これ以上、質問責めにすると、ジジイがブチ切れそうだ。


「とにかくじゃ、お前さんには約束通り働いてもらうからな」


「ははは、なんでも言ってください!」


「ユーリクじゃ」


「は?」


「わしはユーリクというんじゃ! 最初に聞くべきは相手の名前じゃろう。いやいや先にお前さんが名乗らなければならんじゃろうが! 仮にもわしは命の恩人じゃぞ! まったく近頃の若いものは……」


「その言い回しは古代エジプトでもすでに使われていたらしいですよ」


 ドヤ顔でうんちくを披露したいところだが、あいにくここは異世界だ。古代エジプトなど存在しないし、ネットで得た知識で得意がっている場合ではない。


我妻厳五郎アガヅマゲンゴロウです!」


「えらく長い名前じゃな。ゲンゴで十分じゃろう」


 この世界の俺にようやく名前がついたわけだ。慣れない響きだが、そう悪くもない。では、ここいらで俺と冒険を共にする人たちに自己紹介しよう。


「初めまして、ゲンゴです。よろしく」


「誰に言っとるんじゃ? さあ、ゲンゴ。お前さんにおあつらえ向きの仕事があるんじゃ。しっかりこなしてもらうぞ」


「よっしゃ、どんと来い!」 


 勇んで請け負ったものの、ユーリクに与えられた仕事のせいで、俺はとんでもない目に合うことになる。


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