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第2話 奴隷になった俺

 もうどれくらい歩いたろう? 一向に森の出口は見えない。


(おかしいな? 外から見る分にはちょっとした雑木林くらいの大きさだったのに……)


 ただれた皮膚からジクジクと血がにじみ出ている。森の大地はコケにまみれ、ところどころ水たまりが見えるが、傷を洗おうにも水面は黒く淀んでおり、汚水にしか見えない。喉もヒリヒリするほど乾いているが、当然、飲む気になどなれない。


「くっそー、やばいなぁ」


 陽が落ちてきたらしい。これを時間の経過による当たり前の現象だとは思わないで欲しい。この森はどういうわけか昼でも陽射しが入ってこない。木々が高く生い茂り密集しているにしても、まず異常な暗さで実に不気味だった。その上、湿気が多いのか霧が立ち込め、もう視界が怪しい。


 ほどなくして完全に陽が落ちてしまった。そうなるともう、まごうことなき闇、闇、闇である。一寸先も見えないのである。


「あれ? これ詰んだわ」


 状況を整理してみると、以下のとおりである。



―俺は見知らぬ世界の、見知らぬ森の中、重傷を負いながら、一寸先も見えない闇に包まれ、道に迷っている。



 もう完全にムリゲーである。リセットボタンがあるなら、連打不可避だ。


「死にたくない、死にたくないよぉ」



 グジュルグジュル



「ひっ!」


 数分ごとに例のひしゃげた饅頭に遭遇する。といっても目視できるわけではない。移動時に発生するいやらしい音と、漂う腐臭で、嫌がおうにもヤツの存在が分かるのである。どうやら森の中には、かなりの数が生息しているらしい。だが幸いなことに、やみくもにつっこんでいかない限り、ヤツらの方からは攻撃はしてこない。



 ギョエ、ギョエ、ギョエッ!



 切り裂くような甲高い吠え声が森中に響き渡った。スライム以外の化け物がいるらしい。闇に紛れ、夜行性のもっと凶暴なやつが活動を始めているのかも知れない。


(怖いよお)


 俺はべそをかきはじめた。グスン、グスン。涙と鼻汁が止まらない。涙と鼻水が合流し、さながら白糸の滝のようになって口の中に注ぎ込む。いっそシラタキにでもなってくれたら少しは空腹が紛れるのに。


「魔王を倒して勇者になってやる!」


 そう勇んでギルドを飛び出したのが、つい昼間のことだ。それが今やスライムに殺されかけ、泣きながら森を彷徨っている。 


「痛いし、腹減ったし、怖いし、もう歩けないよぉ」


 しかし立ち止まってしまえば、そこは絶望という名の終着駅である。分かっている、分かっているけど、肝心のその歩みさえ覚束なくなってきた。



♪「死っにたくない、死っにたくない。童貞のまま死っにたくない」


 作詞作曲/俺



 クソみたいな鼻歌を歌って自らを励ましつつ、俺は足を引きずりながら歩き続ける。今の頼りは、もう生存本能だけだ。生存本能が、生を渇望し、歩みを進めている。


「あれは……?」


 視線の先にポツと光るものが見えた。俺は目をゴシゴシとこすった。湿度が高いせいで霧が発生しているのか、それとも俺の目がもうダメになって霞んでいるのか、光はぼんやり、白くにじんでいる。いや、そんなことはどうでもいい。自然にその方向に足が向く。


「小屋だ!」


 俺は小さく叫んだ。木造の小屋の窓から明かりが漏れていたのだ。


「何故、こんなところに小屋が?」


 そういう疑問が湧きそうなものだが、そんなことはもうどうでもいい。最後の力を振り絞って、小屋までの短い距離を消し去り、俺は扉にたどり着いた。



 ドンドンッ、ドンドンッ



 力の限り、拳を叩きつける。



 ガチャリ



 鍵が外れる音がして、扉が開くいた。


「なんじゃい、騒がしいの」


 現れたのは長い髭を蓄えた小柄な老人だった。杖をつき、その長い髭も頭髪も見事に白いが、目つきが鋭く、声がしっかりしている。相当な高齢のようにも思えるし、案外若いようにも思える。薄い茶色の服と三角帽子はいかにも森に棲む魔法使いといった感じだが……。


「あの、道に迷ってしまいまして、もうしわけないんですけども、一晩、泊めてもらえませんか?」


 この異世界で日本語が通じるとは思っていないが、言わないよりましだろう。身振り手振りも交えて、俺は懇願した。しかし老人は眉間に皺を寄せ、うさんくさいものでも見るような目つきで、俺を睨みつけている。


 ―いや、待てよ? 待て、待て、待て!


「日本語、分かるんですかあ?」


 俺は素っ頓狂な声をあげた。


 先入観とは恐ろしい。


「日本語が通じるわけがない」


 そう思い込んでいた俺は、老人が端から日本語を話していたのを、聞き逃していたのだ。


「まあな」


 老人の声は低い。


「それは、いったいどうして……」


 老人は俺の言葉をさえぎって、


「それよりもお前さん、ひどい傷じゃないか。手当の方が先じゃろう」


 ありがたい、治療をしてくれるらしい。


「で、お前さん、金はあるのか?」


「へ?」


「金じゃよ。まさか、タダで手当てしてもらおうなんて、虫のいいことを考えてはいないだろうな?」


「お、お金……?」


 そんなもんあるわけない。俺がうつむいたまま押し黙ると、


「チッ。仕方ない。お前さんを見捨てて、小屋の前で死なれでもしたら寝起きが悪いからのう」


 悪態をつきながらも、老人は俺を小屋の中に迎え入れてくれた。


(た、た、た、助かった!)


 なんとか、とにもかくにも、俺は今を生き延びることが出来た! こんなにも嬉しい気持ちは久しぶりだ。というより初めてかも知れない。このままずーっと、生きているだけで嬉しかったら、安上がりだな。


 老人は用心深く外を見まわしてから、扉にカンヌキ錠をかけた。



ガチャリ



 その重い響きは、危険な森から俺を隔絶してくれる証のように思えた。


「とりあえず、そのボロボロの服を脱げ」


 老人は無造作に言った。


「いや、あの……」


 俺は躊躇した。この期に及んでじいさん相手に恥ずかしいというわけではない、念のため。Tシャツも、ジーンズも、あちこち溶けて肉に癒着しており、引きはがせばシャレにならない激痛が走るのは目に見えている。


「早うせえ! こっちもヒマではないんじゃ」


 老人はイラだち、声を荒げた。 


(くそっ、このジジイ、俺の身にもなってみやがれ)


 俺は仕方なく、Tシャツのすそに手をかけた。こんなもの、チマチマやっていたら痛いのが長引くだけだ。俺は大きく深呼吸すると、叫び声とともに一気にたくしあげた。


「うおおいいだだっ! 痛い、痛い、痛い!」



 ベリベリベリッ!



 俺は船上に引き上げられたサメのようにのたうち回った。他の魚、つまりカツオやカジキで例えた方がよかったかもしれないが、サメのドキュメンタリー番組が大好物なのでこうなった。悪しからず。


 Tシャツの残骸には、ところどころ皮膚片がこびりついている。


「ほっほっほ。ええぞ、その調子じゃ。ズボンも早う脱げ、ほれ、ほれ」


 老人は可笑しくてしょうがないという風にはやし立てた。


(このドSジジイめ!)


 俺はジーンズもパンツごと景気よく脱ぎ捨てると、仁王立ちになった。


「くうううっ」


 痛くて一歩も動けないのである。老人はそんな俺の全裸をしげしげと見つめた。これはさすがに恥ずかしい。


「そ、そんなジロジロ見ないでくださいよぉ」


「バカモン! 傷の具合を良く見せろ。ふーむ、スライムの体液を浴びたな? まったくあんな弱い魔物相手に、どうしたらこんな風にやられるんじゃ」


 老人はブツブツ言いながら、節くれだった手で、軟膏らしき薬を俺の背中に塗り付けた。とてつもなく沁みる。


「いだい、いだい、いだいっ!」


 身もだえする俺は一人エグザイル状態だ。


「変な動き方をするなっ! 薬が塗れないじゃろがっ!」


 俺の動きに合わせて、体を動かし必死に薬を塗るジジイ。これで二人エグザイル状態だ。二人いればなんとか見られるものになる。森の外れの小屋の中で、俺たちはしばらくの間、二人エグザイル状態を続けた。


「前の方は自分で出来るじゃろ」


 俺としても、起伏にとんだ体の前面はジジイに塗って欲しくない。自分で塗っても沁みるのは同じだったが、それに堪えながら必死に薬を塗りつける。


「ようし、もうええじゃろ」


 その後、老人は俺を包帯でぐるぐる巻きにして、


「とりあえず、これでよし。後は仕上げじゃ」


 小屋の隅に幾つか並んでいるカメの一つから、青い包み紙を取り出した。


「これは、薬にその効果を高める術理を施したものじゃ。高価なものだぞ」


 ジジイは恩着せがましく言った。包み紙から、濃緑の粉をサラサラと器に落とし、湯を注いで、入念に混ぜる。


「ほれ、飲んでみろ」


 言われるまま、俺は緑の液体を喉に流し込んだ。


「うえええ、苦い」


 「ほっほっほ、我慢せえ。この薬には、回復力を高める効果がある。一晩寝れば、あらかた傷も癒えとるじゃろう」


「あ、ありがとうございます!」


「礼には及ぶまい」


 老人はニヤっと笑った。


「お前さんは栄養をつけにゃならん。だから飯も食わせるし、今夜は泊めてやる。ところがお前さんには金がない。さて、どうあがなってくれるんじゃ?」


 俺はがっくりとうなだれた。この世界が世知辛いのか、それともこのジジイが世知辛いのか。


 異世界にふっとばされた主人公が最初に関わる人間が、美少女の場合、ジジイの場合、どちらが多いのだろう? そして窮地を救ってもらったとして、無償の場合と金品を要求される場合、どちらが多いのだろう?


 俺の勘では、美少女が無償で介抱してくれる場合が圧倒的に高いと思う。ジジイに金品を要求されるなど、よほどついてない。


「なにも差し上げるものはありません」


「そうだろうて」


 老人は、ヒッヒッヒと笑った。嫌な予感がする。


「では、明日からは、ワシの下働きとして働いてもらうとするか」


「なんですと?」


「ちょうど人手が欲しかったところなんじゃ。お前さんはワシの気がすむまでタダ働きじゃ」


 奴隷契約キターッ! 


 傷の手当と一宿一飯の義理と引き換えに、俺はこの老人の奴隷にされるらしい。「礼も返せず申し訳ない」という罪悪感に付け込んでくるとは、なんという根性のひん曲がったジジイなんだ。


(仕方ない……)


 当分はこの老人に従っていよう。少なくとも飯にはありつけそうだ。


「よろしくお願いします」


 無念と安堵、相反する二つの感情を抱きながら、俺は頭をペコリと下げた。


「よきかな、よきかな」


 老人は高笑いした。


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