第1話「赤色のStranger」
「転入生?」
開け放たれた窓から蝉の鳴き声が飛び込んでくる朝の教室で、二人の少女が声を揃えて言った。
一人は薄桃色の髪を、桜の花弁を象ったヘアゴムでふわりと束ねたツインテールの少女・桃瀬 桜。
もう一人は、青みがかった艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、手には文庫本を持った少女・青木 茨。
この揺神女学院に通う、高等部の二年生である。
「うん。今朝から、転入生が高等部に来るって噂で持ちきりでさ」
「夏休みも近いのに、こんなタイミングで?」
「それは、確かに気になりますね……」
ブラウスの胸元を下着が僅かに見えるほど開き、下敷きを扇いで涼むクラスメイトの小鳥遊 梨沙は、登校してきたばかりの二人に噂の概要を話す。
以前までなら真面目な茨が咎めていた立ち振舞いだが、ある一件を経て親しくなってからは、あまり口うるさく言わなくなった。
「ここって、途中から入るのすっごく大変なのに。あたしも一生分の勉強した気分だったよ」
「桃瀬と違って普段から勉強してたんじゃない?」
「スポーツ推薦、という手もありますね。学業より運動を優先させたい生徒は、各種試験が免除される代わりに、中等部からは特待クラスとなります」
特待クラスとは、生徒が運動に専念できるようにカリキュラムを分けた特別学級だ。
授業の速度は通常クラスより格段に緩くなるが、大会等で継続して好成績を収める必要がある。
そのため卒業まで特待クラスに所属できた生徒は少なく、入学とは別の意味で狭き門とされている。
「どっちにしても凄い事だよね。どんな人かなぁ? 同じ学年だったら、友達になりたいな」
「私は学校案内をしてあげたいです」
「特待生だったら、会えるかも分かんないじゃん」
「案外このクラスだったりして……」
机に頬杖をつき、まだ見ぬ新たな出会いの予感に思いを馳せる桜。
そんな桜の願望は、予鈴と共に入ってきた担任の椛葉スズカによって現実のものとなるのだった。
「今日は、転入生を紹介するですよ」
教壇の上に置いた踏み台に乗り、光の加減で緑色にも見える二つ結びの髪を揺らしながら言い放ったスズカの言葉に、クラス中が色めき立つ。
話題の転入生が自分達のクラスに来る、というのだから無理もない。視線が教室の入り口に集中し、主役の登場を今か今かと待ち構えた。
……しかし、いくら待っても戸は開かない。
「ただ、肝心の転入生がまだ来てねーですよ」
「えぇーっ!?」
何人かがコントのように椅子から滑り落ちた。
仕方なく、普段通りのHRを始めようとした時――リノリウムの廊下を鳴らす靴音が響く。
音はだんだんと近くなり、教室の前で止まると、ぱぁん! と勢い良く戸が開かれた。
「すみません! 遅くなりましたぁっ!」
現れたのは、学院の指定とは異なる柄のスカートを履いた、紅い髪の少女。
はち切れそうな白いブラウスは汗に濡れ、肌色が少し透けて見えている。その艶かしさと言ったら、同じ女性ながら息を呑むレベルだ。
髪には寝グセが付いたままで、額に張り付くほど汗をかいているが、あまり息切れはしていない。
「まったく、転入初日に遅刻とは良い度胸ですよ」
「ちょっと寝坊してしまって……」
「まぁ良いです。さっさと自己紹介するですよ」
スズカの姿を見て学年を間違えたかと思ったが、人は見た目に依らないことを良く知っている少女は驚きすぎることもなく、黒板に自身の名前を書いてクラスメイト達に向き直った。
「――初めまして、祠堂深奈です。よろしくお願いします」
「では席は……桃瀬桜、お前の隣にするですよ」
「ほぇ?」
先月まで茨と隣同士の席だった桜だが、少し前に行われた席替えで教室の後ろに追いやられていた。
生徒数の関係で右隣が空いており、空き教室から机を持って来て深奈の席となる。
「えっと……桃瀬さん、でいいのかしら」
「桜でいいよ、よろしくねっ! あたしも深奈ちゃんって呼んでいい?」
「分かったわ。改めてよろしく、桜さん」
「うんっ!」
ハンカチで汗を拭いながら、深奈は内心でホッと胸を撫で下ろす。慣れない環境でやっていけるか、不安だったからだ。
調査に設けられた期間は二週間。その間は学院の近隣にあるアパートから通う事になっている。
愛猫の世話は信頼できる友人に一任してきたが、昨日は心配のあまりなかなか寝付けず、その結果が今朝の大寝坊である。
決して、邪魔する者が居ないのを良い事に惰眠を貪っていたなんてことはない。ないのだ。
午前の授業は恙無く進み、昼休みを迎えた深奈は伸びをして緊張を解した。
「んんっ……ふぅ……」
冷やしすぎない程度に効いた冷房で汗はすっかり乾き、形の良い膨らみが動きに合わせて揺れる。
授業内容については、天ヶ原に比べれば幾らか楽というのが深奈の感想だった。履修済みの範囲より少し遅れているくらいで、やたら教えたがっていた桜には申し訳無い事をしたと思う。
「深奈ちゃん、お昼はどうするか決まってる?」
「あ、そうだ……どうしよう」
弁当の包みを片手に桜が声を掛けた。揺れるほど無い胸の代わりに、ツインテールが元気に跳ねる。
しかし、深奈は弁当を持って来ていない。そんな余裕が朝には無いので、いつも学食だからだ。
「あたしは茨ちゃんと中庭で食べるけど……」
「誘ってくれたところ悪いけど、学食にするわ」
「分かった。じゃあ、途中まで一緒に行こっか!」
「学食は中央塔、中庭はその周りにあるんですよ」
説明しながら茨も加わり、三人で教室を出た。
揺神女学院の校舎は春夏秋冬の四棟と中央塔とで構成されており、高等部の教室は秋棟にある。
「中央塔って……あの大きな建物のことよね。何があるの?」
「学食等の共用施設や、職員室があります。転入の挨拶で行かなかったですか?」
「あ――ほ、ほら。遅刻したから寄ってなくて」
転入手続きは《高天原》が行ったため、深奈自身は学院について資料からの情報でしか知らない。
喋りすぎてボロを出さないよう苦笑で誤魔化し、中央塔の入り口前で二人と別れた。
どんなに彼女達と仲良くなっても、二週間後には天ヶ原に帰らなければならない。生きる世界が違う以上、二度と会うことも無いだろう。
「所詮、油は水には混じれない……か」
頭では分かっていても、気持ちは嘘を吐けない。
任務と感情との狭間で揺れ動く心を胸に、深奈は中央塔の扉を潜った。
「凄い……まるでホテルのエントランスね」
レッドカーペットに出迎えられ、正面にある案内カウンターに立つ執事風の女性職員が、唖然とする深奈に恭しく一礼する。
周囲に他の生徒が居なければ学校の中という事を忘れる程のインパクトに暫く言葉を失っていると、背後で扉が開く。
入ってすぐの所に棒立ちしていた深奈は、不意に背中を襲った衝撃で我に返った。
「おわっ!?」
「きゃあっ!?」
つんのめる形で転びそうになる深奈の腕が誰かに掴まれ、そのまま引っ張り上げられる。
視界が180度横に回転し、その人物と目が合った。
焦茶のベリーショートに藤色のヘアピンを付け、肌は褐色、巨乳だが引き締まった体躯の少女。
やや男性的な顔立ちをしており、唇が触れそうなほど近付いて思わずドキッとしてしまう。
「っと……大丈夫すか? こんなとこ突っ立ってたら危ないですよ」
「あ、ありがと……っ! ごめんなさい!」
自分が抱き寄せるようにして支えられている事に気付き、慌てて立ち上がる深奈。
すぐに腕を掴まれた事と、受けた衝撃の柔らかさから大事には至っていない。
「そっちこそ怪我は無い? えっと……」
「あ、オレ、中等部一年の常磐 茅秋って言います」
「常磐さんね。私は祠堂深奈、高等部の二年生よ。中央塔の中、初めて見たから驚いちゃって」
「ああ、その気持ちは分かりますよ。オレも最初はそうだったんで。良ければ案内しましょうか?」
「いいの?」
「学食ですよね。行くとこ同じっすから」
そう言って深奈を先導する茅秋だが、彼女自身はあまり行きたがっていないようにも感じられた。
不思議に思いつつも学食へ。二階をフロア丸ごと使用した広い空間だが、エントランスの格調高さは何だったのかと思う程に普通の内装だ。
食券販売機などは他と大差無いようで、これならもう大丈夫と深奈が茅秋に礼を言おうとすると――
「キャー! 茅秋様よーっ!」
「うん……?」
突如、黄色い歓声が響き渡る。
そちらを見れば、瞳の中にハートが見える勢いで茅秋へと殺到する生徒達の姿があった。
瞬く間に彼女を取り囲む人垣が出来上がり、輪の外に弾き出された深奈は途方に暮れるしかない。
「やっぱこうなるよな……すんません先輩、オレが案内できるのはここまでっす」
「あ、うん……あなたも大変ね……」
「茅秋様、誰ですかその女は!?」
「私達の王子様に、気安く話し掛けないで頂戴!」
終いには深奈に矛先が向きだしたので、茅秋には悪いと思いながらもその場を離れた。
そして向かった食券販売機に目当てのメニューを見つけ、思わず顔がにやける。
迷わず購入し、カウンターに歩を進めた。
「こっちにもあって良かったぁ」
上機嫌でテーブルにトレイを置き、メインの皿に盛られた料理を見て目を輝かせる深奈。
こんがり狐色に揚げられた大振りな海老が二尾。山盛りのキャベツは瑞々しく、たっぷりのソースとコントラストを描いている。
海老フライを箸で持ち上げれば、ずっしりとした重さが見掛け倒しでないことを雄弁に語っていた。
「あ~……んっ」
顎が外れそうなくらい大口を開け、海老に頭からかぶりつく深奈。ザクッとした歯応えと共に広がる香ばしさと、海老の旨味が滲み出した。
よく味わって咀嚼しながら、箸はキャベツの山へ向かっていく。揚げ物で脂っこくなった口の中に、さっぱりとした甘みをチューニング!
これぞ味のシンクロ。完成されたハーモニー!
勿論おかず以外も忘れない。白いご飯はモリモリ進むし、味噌汁との相性もベストマッチ!
至高の定食メニューを噛み締め、一言。
「はぁ、幸せ……」
慣れない潜入任務での疲れが癒えていくのを感じながら、深奈の昼休みは過ぎていくのだった。