プロローグ
空は澄み、野は広く、鳥の歌に耳をすませ、木立の陰にまどろむ。そんな、うららかな夏の庭園に、二人の子供が居た。
「追い払ったから、もう大丈夫よ」
勝気そうな少女が、樹の根方でうずくまって小指を押さえ、瞳に涙を浮かべている少年に向かって、元気よく声を掛ける。
「ねぇ、ビディー。血、止まったか見てくれる?」
少年は、押さえていた手を自分で見ないように顔を背けつつ、少女に向けて、おそるおそる差し出しながら、震えた声で言う。すると少女は、その手をグイッと自分の手元に近付け、陽に当てて検めながら言う。
「ちょっぴり歯形が残ってるけど、血は止まってるわ。ほら、自分でも見てみなさい」
少女は、少年の頭頂部を片手で鷲掴みし、持っている手のほうへ少年の頭を向けさせる。その刹那、少年はギュッと目を瞑ったが、すぐにそろそろと片目を開き、やがてパッチリと両目で確かめてから、ホッと安堵した様子で言う。
「あぁ、良かった。ばい菌で指が駄目になったら、どうしようかと思った」
「フレディーったら、オーバーね」
少女は、少年が胸をなでおろす様子を見て、おかしそうに笑うと、木蔭に置いてあるランチバスケットを手に取りながら言う。
「さっ。気を取り直して、ピクニックを続けましょう」
少女が、ランチバスケットを覆っているギンガムチェックのクロスを外すと、少年は、中に入っているサンドイッチを見て歓声を上げる。
「わぁ。美味しそうなフルーツサンドだ。ビディーは、いいなぁ。料理上手なスーザンが居て」
「あら。スチュアートさんは、お料理が苦手なの?」
少女が少年にサンドイッチを一つ渡すと、少年は少女から受け取りながら、口を尖らせて不満げに言う。
「料理の腕は確かだろうけど、いっつも嫌いなものを出されるんだ」
「そう。それは、嫌になっちゃうわね」
少女が同意しつつ、ひと口齧ると、少年は、パン屑とホイップクリームを唇に付けて頬張ったまま、ませた様子で大人ぶって言う。
「でも、秋になったら帝王学のレッスンが始まることだし、いい加減、好き嫌いを直さなきゃ」
「そうだったわね。しばらく会えないのは、寂しいわ」
少女が食べる手を止め、少年の顔を見ながら眉を下げて悲しげに言うと、少年は少女から視線を外し、晴れ渡る空に浮かぶ夏の雲を見据えながら優しく言う。
「寂しいのは、一緒だけどさ。でも、すぐに大きくなってビディーを迎えに行くから。それまでは、お互いに我慢しよう。ねっ?」
そう言って、眉をハの字に下げた少年が宥めるように少女のほうを向き直ると、少女は少し逡巡してから、キッパリと決意を込めた様子で少年の目を見つめて宣言する。
「わかったわ。お嫁さんになってあげるから、必ず来るのよ?」
「あぁ」
「きっとよ? 忘れちゃ駄目なんだから」
「あぁ。約束するよ」
そう言うと、少年は一旦、サンドイッチを平らげ、そっと歯形の付いた小指を立ててみせる。それを見た少女は、急いで手にしていたサンドイッチを口に詰め込み、あわてて咀嚼し切ると、同じように小指を立てる。そして、どちらからともなく小指を近付け、指を曲げて絡ませると、二人は互いの顔を注目し合い、ニッコリと微笑みあった。