森の魔女
深い森の奥で突然現れた謎の少女、いや幼女に困惑を隠せない。
一瞬村の人間が探しに来たのかと訝しんだが、それにしてもこんな森の奥まで幼女を探索には出さないだろう。
となると一体何者なのか。
見詰め合っていても埒があかないので貴也は意を決して話しかける。
「えー……と、こんにちは?」
「んー」
首を傾げたまま答える幼女。
それが答えだったのかも定かではないが。
「お父さんとかお母さんは近くにいるのか?」
何かを考え込みそして何かに納得した様子を見せた幼女は、ようやく不毛な睨めっこを止めて茂みから姿を現した。
10歳くらいだろうか。
ほとんど黒一色のゴスロリのようなひらひらした服装で、手には果実の詰まった麻の籠を持っている。
起伏のない胸元に美しく輝く青い宝石が、真紅のリボンで装飾されていた。
「こっち」
急に手をひかれ踏鞴を踏む。
掴まれた手首がヒンヤリしていて気持ちいい。
などと思っている間にも幼女に先導されグングン森を掻き分けていく。
その足取りに迷いはなく、この辺りを歩き慣れているのが解った。
「どこに――」
「すぐ」
振りほどこうと思えば簡単に振りほどけるだろうが、あえて貴也はそのまま着いていく。
村に戻るとは思えないし、どうせ行く宛てもないのだから。
それは突然だった。
先ほどまで鬱蒼とした森の中を進んでいたハズで、それは貴也が見ている限りどこまで行っても変わらない景色だった。
にも関わらず視界は突然開け、中央にポツンと山小屋のようなロッヂが現れた。
まるで狐に化かされたような気分で辺りをキョロキョロと見回していると
「おやおや、なんぞ拾い者かぇ」
しゃがれた声、深く年輪のように刻まれた皺、黒いローブに黒いウィッチハット。
存在そのものが『魔女です』と公言しているような老婆が小屋の中から出てきた。
「魔女じゃよ。ふぇっふぇ」
「だろうな。
それ以外だったら危うく即死級のツッコミを入れてしまうところだ」
脊髄反射で応じたものの、正直急な展開に脳が着いて行けていない。
だが今はそれでいいと貴也は思った。
そうでなければ、また絶望と怒りに塗りつぶされてしまうから。
気づけば先ほどの幼女は老婆の後ろに隠れてしまっている。
そして袖を引きなにやら耳打ちをしようとしたが老婆は優しく頭を撫でて『分かっている』と言わんばかりに頷いてみせる。
幼女は少しくすぐったそうな顔をしてから、果物の入った籠を持って小屋の中に消えた。
それを見届けると老婆はこちらに向き直り
「まぁ上がるとえぇ」
と告げ、自らもまた小屋の中へと消えていく。
冷静に考えてみるとかなり怪しい。
幼女が現れ素性も聞かずに連行され魔女が出てきたのだ。
魔物の罠か、魔女の実験台にでもされるのか、良くない想像ばかりが膨らみどうしたものかと立ちすくんでしまう。
「水もあるぞ」
小屋の中から掛けられた声は的確に急所をついてきた。
急激に喉の渇きを思い出し足が勝手に動き出しそうになる。
(なるようになれ)
言い訳じみた激を自分に飛ばし、観念したかのように貴也は小屋へと向った。
(至って平凡だな)
それが小屋に入って最初に感じた貴也の感想だった。
得体の知れない材料で作った紫色の液体をかき回す大きな壺もなければ、ところ狭しと描かれた不気味な模様もない。
それどころか壁には花飾り、収納棚の上にはクマのぬいぐるみが並んでいる。
見たところあの幼女と老婆の二人暮らしのようだし、幼女のために老婆が作ったのかもしれない。
そう思うと魔女という響きからくる恐れは消え、微笑ましくすらあると貴也は頬を緩めていると
「可愛いじゃろ?ワシのじゃよ」
水を注いだ木製のコップを携え老婆が戻ってきた。
思わず『お前のかよッ』とツッコミを入れたくなったが如何にもツッコミ待ちのような顔を見てなんとか堪える。
受け取った水をグイッと飲み干すと、体中の熱が霧散していくようだ。
心の奥のドス黒い感情も一緒に洗い流されてくれればいいのにと思う。
「それでも少しは軽くなったじゃろぅ?ふぇっふぇ」
空になったコップをテーブルに置き、そのまま椅子に腰を落ち着けて老婆に視線を合わせる。
深く深く、どこまでも見透かされそうな不思議な目だと思った。
実際見透かされている。というより『心を読まれている』のではないか?
「読んでないぞ?」
「嘘つけッ!」
今度は堪えきれずツッコミをいれてしまい、老婆はクシャリと破顔した。
「まぁ本当に読んでおる訳ではないしのぉ。
ワシのはただの鋭い洞察力と確かな観察力と豊かな経験からの推察じゃ」
ふと疑問に思う。
現実の世界でもこちらの世界でも貴也はツッコミ役というものだった覚えはない。
いつも誰かがボケて誰かがツッコミを入れていた。
そして貴也は側で笑いながらそれに便乗する程度。
いったいなぜこの老婆はここまで上手くツッコミを入れさせることができるのか。
というより、なぜここまでツッコミを入れさせようとするのか。
「そういえば今『ワシのは』と言ったよな」
僅かに老婆が目を見開く。
「まともなツッコミも入れられんのに、そんなところばかりは気づきおる」
心なしかスネた態度に変わる。
と、ちょうどそこに幼女もやってきた。
手には幼女が持つには少し大きめのお皿があり、甘い良い香りがたっていた。
「おぉ、出来たか。
じゃがまずは挨拶をしなさい。
どうせまだ自己紹介しておらんのじゃろう」
皿をテーブルに置いて椅子に座りかけていた幼女は、椅子に手をつき反動でちょこんと立ち上がる。
黒いドレスがフワリと揺れた。
「ノゥ」
「ノー?名前は教えたくないとかそういうこと?」
「違う。ノゥ」
ノゥ。
それが幼女の名前なのだと理解し、貴也も立ち上がって挨拶する。
「俺は三久川貴也。よろしくな、ノゥ」
「みく……たか……。変」
変とバッサリ切り捨てられ、ショックで力なく椅子に腰を落とす。
だが当のノゥはそ知らぬ顔で椅子に座り直し、すでに皿の上のものを取り分けている。
「ふぇっふぇ。
ちなみにワシは魔女じゃ。名前はまだない」
その年でまだないなら命名される頃には世界は滅んでいることだろう。
いかんいかんと貴也は頭を振る。
ツッコミ癖がついている。というよりペースを乱されっぱなしな気がする。
「まぁ面倒なことは置いておいて小僧も食べるがえぇ。
ノゥの作る木の実のパイは絶品じゃぞ」
目の前に用意された皿には自分の分も取り分けられている。
まだ出来たてで甘い湯気を放つそれを二人に倣ってかぶりつく。
甘い果物とほろ苦い木の実が絶妙のバランスで散りばめられており、甘過ぎずにいくらでも食べられそうだ。
横目で貴也を覗っていたノゥの口角が僅かに上がった気がした。
しばらくの間、無言でノゥお手製の木の実のパイに舌鼓を打つ。
空腹だったこともあり、皿は5分と経たずに空になっていた。
「ごちそうさまでした。ありがとう、美味しかったよノゥ」
「ん」
言葉少なではあるが、どこか満足気な表情でノゥは皿を片付け始める。
一方貴也も腹が満たされ渇きもなくなり、ようやく人心地ついた思いがした。
「少しは靄は晴れたかのぉ?」
ギクリとする。
先ほどまではどこか人を茶化すような、そんな口調だった老婆とは思えぬほど優しく柔らかな声だった。
ひょっとして、と思う。
あの態度、あの口調は全て自分を気遣ってのものだったのではないか?
本人は否定したが人の心を読んでいるのと遜色ないほどの的確な推察力。
それでどこまで読んだのかは分からないが、少なくとも貴也が落ち込み、暗い感情に支配されかけていることには気づいたのかもしれない。
「ま、最初に気づいたのはノゥじゃがな。
森で小僧を見つけた時、まるで死の淵に立っているかのような絶望に支配されておると感じたそうじゃよ」
袖がクイクイと引っ張られる。
皿を片付け戻って来ていたノゥが心配そうな瞳で貴也を覗き込んでいた。
さっきの木の実のパイ。
あれはノゥの最も得意とする料理だったのではないか?
自分を元気づけようと、そんな思いで腕を振るってくれたのではないか?
そう気づくと、不意に、知らず、思いがけず、涙が溢れていた。
なおも心配そうに見上げる視線がとても愛らしくとても愛おしく感じ、思わず頭を撫でてやる。
「幼女趣味はいかんぞ」
魔女はふぇっふぇと笑っていた。