表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/68

逃亡

 決して上等とは言えない部屋ではあったが窓から見える山間の景色は美しく、ルーインはしばし景観を楽しんでいた。

 昨日の疲れは溜まっていたが存外早くに目が覚めてしまった。

 慣れない旅路に重責を抱え、知らず緊張しているのかもしれない。

 魔力はしっかり回復しているようなので一足早くアラニスのもとへ足を運び、さっそく治療を再開したのがつい先ほど。

 今ではすっかり痕も消え、完全に治癒している。

 未だ目覚める気配のないアラニスのベッドの横で椅子に身を預ける。

 窓からは祝福をもたらすように、日の光が差し込んでいた。


「あ、起きられましたか?

 おはようございます、アラニスさん」


 様子がおかしいことに気づく。

 目が覚め辺りの様子を確認すると酷く狼狽し始めたアラニス。


「……やっぱり……夢じゃないッ」


「どうかしたんですか?

 夢?なにか怖い夢でも――」


 ガシッと思わぬ力で両肩を掴まれ言葉が遮られた。

 目が怖い。

 肩を掴んだ手は加減を知らず爪が食い込んでいる。

 明らかに昨日までとは様子が違う。


「い、痛いですアラニスさん。いったいどうし――」


「なぁ……どうしたら戻れる……?」


 肩を掴んでいるものと同じ人間が発したとは思えないほど、か細く弱々しい声のつぶやきにまたも言葉が遮られた。

 意識が内にしか向いていない?周りを見る余裕が失われている?

 苛む肩の痛みが逆に冷静さを保たせる。

 __戻れる?つまり戻りたい?

 どこに?決まっている、あちらの世界に。

 でもなぜ急に?

 昨日なにがあったか思い返す。

 城を出て街道を歩いて魔物に襲われて死に掛けて__

 だからだろうか、この世界が嫌になってしまった?

 だけどあの後、窮地を脱し村に到着して眠りにつくまでそんな素振りは一度も見せなかった。


 だとしたら考えられるのは一つ。

 向こうの世界でなにかあったのだ。

 恐らく彼の魂がこちらで活動している時は向こうの体は眠った状態になっている。

 そしてこちらで眠っていた先ほどまで、彼の魂は向こうで活動していた。

 そこでなにかがあったとしか思えない。

 でもなにが?分からない。分かりようがない。


「頼むよルーイン……。帰らせてくれよ」


 確かなことは一つ。

 彼はこの世界に嫌気が差している。

 もうこちら側に来たくないと思っている。


 足元がガラガラと音をたてて崩れてくような錯覚を覚える。

 ダメだ。引き止めなくてはならない。

 それが私に課せられている役目だから。

 世界に平穏をもたらすために必要なことなのだから。


「そんなことを言わないで下さい。

 あなたは勇者なのですから。

 この世界を救うことが出来るただ一人の人間なのですから」


「っざけるな!

 お前が勝手に呼び出したんだろうがッ!」


 肩をそのまま突き飛ばされ思わず体勢を崩して尻餅をついてしまう。

 彼が立ち上がり部屋を出て行こうとする姿が視界に入る。

 ダメだ。止めなければ。

 手を伸ばす。


「待ってください!行かないで下さいアラニスさん!」


 すんでのところで届かず手は宙を掻く。

 戸口まで進んで一度振り返った彼は吐き捨てるように言った。


「おれは貴也だ。三久川貴也。アラニスじゃないッ!」


 ドカドカと蹴り付けるような足音と残し、彼が遠ざかっていく。


 __最低だ。

 去り行く背中を見届けることしか出来ず、ルーインは拳を強く握り締める。

 私は最低だ。

 力を入れすぎて手が痛む。爪が食い込み血が滲む。

 気づけば涙が溢れ出している。もちろん痛いからではない。

 いや痛いのだ。心が。




 どれほど時間がたったのだろう。

 ふぅぅぅっと長い息を吐き出してからルーインは立ち上がる。


 思えば私は彼に甘えていた。

 魂降ろしが成功して浮かれていたということもある。

 だから彼が勇者の代わりに世界を背負うことになんの疑問も抱かなかった。

 それが当然だと思ってしまっていた。

 本来の彼がどんな世界に生まれて、どんな人生を歩んできたのか。

 本来いるべき世界で大切にしていること、大事な人。

 そういうものがあるのだと、そんな簡単なことすら失念していた。

 それらを全て失うかもしれない、命すら落とすかもしれない。

 そんな過酷な責務を一方的に呼び出して一方的に押し付けていたんだ。


 なのに彼は文句の一つも言わなかった。

 そればかりか、昨日など命を顧みずバーバボアの攻撃から私を庇って助けてくれた。

 それなのに私は今もまたアラニスという役割を強要して、世界を救えと投げつけた。


 気合を入れるためにバシッと両の頬を自ら張った。


 彼に謝りたい。

 そのあとで彼がどうするかは分からないけれど、私はまず謝罪から始めなければならなかったのだから。

 そうしたら、改めて彼に向き合おう。

『初めまして。よろしくお願いします貴也さん』と。

 そのためにはまず彼を探さなければならない。


 身支度を整えルーインは部屋をあとにする。

 だが彼女は気づいていなかった。

 村に近づく破滅の足音が、もうすぐそこまで迫っていることに。


 ************************************


 コポ村の裏手に位置する広大な森の奥。

 鬱蒼と多い茂る木々は日の光を完全に遮り、まだ昼だというのに辺りは真っ暗で足元さえも覚束ない。

 来た道も行く道も分からず、貴也はトボトボとただ歩いていた。


 この世界は現実だ。

 もちろん本来貴也がいるべき世界とは異なる、所謂異世界というやつだが。

 しかしそこにある痛みも、死も、すべて現実のものであることを貴也は知ってしまった。


 左腕を見つめる。

 おそらく自分が起きるまえにルーインが治癒魔法をかけてくれたのだろう。

 すでに傷跡はすっかり綺麗に治っている。

 かと言って今は礼を述べる気にもならない。

 所詮自分は勇者の代替として呼び出され酷使されるだけのモノなのだ。

 その役目を終えるまでは壊れないように大切に扱うのは至極当然のこと。

 別に三久川貴也という人間を気遣ってのことではない。


「くそッ」


 手近な大木を力任せに殴りつける。

 樹齢数百年はありそうな巨大な樹はビクともせず、痛みだけが貴也に返る。

 そんなことをもう何度繰り返しただろう。

 自分はここまで感情的な人間だっただろうかと、その都度自問する。


「……喉が渇いたな」


 時間が止まったようなこの森の中であっても、生物である以上空腹からも渇きからも逃れられない。

 正確には分からなくとも、貴也が森に踏み入ってから数時間が経過しているハズだ。

 だが村に戻るなどという選択肢はない。

 戻ればルーインやエンカに捕まり旅を続けさせられるだろう。

 脆弱な自分ではいつ命を落とすはめになるか分からないような危険な旅に。

 それだけはゴメンだ。

 縁もゆかりもないこんな異世界で死に、それが本来自分があるべき世界での死にも繋がるなど。

 今は生きながらえることだけを考える。

 誰にも見つからず、ただ静かに生きていく。


「まずは水場を探さないとな」


 生きていくには水と食料が必須である。

 幸い人の手のはいっていないこの広大な森には果実の類が散見される。

 キノコ類は知識がない以前に異世界のキノコなど知りようもないので止めておく。

 慣れてくれば釣りや狩りもできるか__


 動きを止める。

 確かに感じた、なにかの気配を。

 人?動物?__魔物?

 なぜ失念していたのか、最悪の可能性を。

 RPGでも、森など強い魔物が現れる代表格ではないか。


 息を殺す。災厄が降りかからないことを祈る。

 しかし無常にもガサリガサリと葉擦れの音は近づいてくる。

 自分の戦闘力の低さは昨日身をもって知った。

 だが無抵抗でやられるわけにはいかない。

 音を立てないように静かに剣の柄に手を伸ばす。

 勇者が魔王を倒す時に装備していた一品なので切れ味は保障つき。

 あとは自分次第。

 いよいよ気配は目と鼻の先、目の前の茂みの向こうに迫っている。

 そして


「んーー?」


 小さな少女と目が合った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ