起床
窓から木漏れ日が差し込み、スズメの楽しげな囀りが耳に優しく届く。
ブゥゥンとドップラー現象を残しながら走り去るバイクの音は隣の家の大学生だろう。
いつもと変わらぬ朝の風景。
あまりにリアルな夢だったため夢と現実の境がひどく曖昧だが、体に疲れは感じられないし頭もすっきりしている。
長くリアルな夢を見た眠りではあったが、睡眠としての役割はきっちり果たしているようである。
不意にドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえ、間髪入れずに勢いよくドアが開かれる。
「おっはよー!!今日も良い朝良い天気!!グッドなモーニングだね!たかちゃん!」
「今日も朝から元気すぎるだろ詩乃。
もう少し慎み深くなったほうがいいんじゃないか?」
「そ?アタシは全然気にしないし!
そんなことよりほらほら起きて。
着替えて顔洗ってご飯食べて学校行くよ!」
ビシッと親指をたてて貴也の幼馴染『早崎詩乃』がサムズアップ。
友人が言うところの『活発の体現者』『某あんぱんを凌駕する元気万倍娘』が迎えに来るのが貴也にとっての日常である。
勉強はあまり出来るタイプではないが運動系では一目置かれ、学内での人気もそこそこあるという噂を耳にする。
だが誰かと付き合っているだの告白されただのという話を聞かないのは、パラメータが『元気』に振り切れてしまっているため色恋の雰囲気を作り出すことが出来ないためではないかと貴也は分析していた。
彼から見ても詩乃は可愛いとは思うが『黙っていれば』という枕詞を付ければの話。
普段は男友達と変わらぬ気安い感情しかもてない相手である。
「じゃあ下で待ってるから早く着替えて降りてきてよ」
また慌しくドタドタと階段を駆け降りる足音に苦笑しながら、気持ち急ぎ目で制服に手を伸ばす。
当たり前だが昨日までとはなにも変わらない一日の始まり。
さきほどまでの夢のことなど、すでに頭から消え去っていた。
その日はなにごともない日だった。
細かいことであれば隣の席の橋本が教室でふざけて転んで鼻血を出していたとか、体育教師の若槻が持病のギックリ腰で授業半ばで運ばれていったとか、そういったことはある。
だが非日常には程遠く、数日もすれば『なにもなかった日』としか記憶には残っていないだろう。
時刻は23:30分。
余裕を持って宿題を終わらせていたので、今はのんびりと週間雑誌を読みふけっている。
それもそろそろ飽きてきてベッドに潜り込むにはちょうど良い区切りとなった。
グッとひとつ伸びをしてから、ベッドに潜り込む。
羽毛布団に包まると、はじめはヒンヤリとしていたが直に体温になじみ暖かくなっていく。
それが眠気を誘い、誘われるがままにゆっくりと瞼を閉じていく。
(そういえば昨夜の明晰夢。面白い体験だったな)
夢の内容ははっきりと覚えている。
普段見る夢ではここまではっきりと細部まで覚えていることは稀なので、これも明晰夢ならではなのだろう。
『胡蝶の夢』という話を思い出す。
蝶になった夢を見た男が、本当は蝶の自分が現実で人間の自分のほうが蝶の自分が見る夢なのではと思考する。
そんな内容だった。
あれほど鮮明な異世界の夢。
あちらが現実で、今の自分のほうが夢。
そんなこともあるかもしれないなと、貴也は眠りに落ちる寸前の意識でそんなことを思っていた。
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「あ、おはようございます。」
ベッドの傍らに控えていたルーインが微笑みながら起床の挨拶で迎えた。
「……え?ルーイン?」
「はい、そうですよ。
もしかして記憶に混乱がありますか?
ごめんなさい。
もしそうだったら、それは私の術がまだ未熟だったからかもしれません」
室内を見渡す。
黒光りする木製の応接テーブルに高級そうなソファ。
壁には金で縁取った大きな姿見。
見慣れてはいないが確かに見覚えのある景色である。
「あ、あの……?アラニスさん?」
ルーインの声色が次第に心配と困惑の色を帯び始めていることに気づき貴也は
「あ、あぁ。大丈夫」
と、ひとまず落ち着ける。
だが自分自身が落ち着いていない。
二日続けて明晰夢。
しかもこの状況は、おそらく昨日の続きで間違いないだろう。
大広間で倒れた後に誰かが部屋まで運んでくれたと考えれば自然な状況に思える。
しかし、そんなことがあるのか?
今まで一度も見たことのなかった明晰夢を二日連続で見て、夢の内容も繋がっている。
『胡蝶の夢』
冷えた手を不意に背中に入れられたような、ゾワリとした感覚があった。
貴也はそんな馬鹿げた妄想を振り払うように大きく頭を振る。
「改めておはよう、ルーイン。
心配かけたみたいだな」
「い、いえいえ。私は全然大丈夫です。
それよりアラニスさんが起きたら連れて来るようにとお師匠様に言われてまして。
もう起き上がっても平気そうですか?」
「ん。平気みたいだ」
言って勢いよく起き上がってみせる。
その際チラりと姿見に目をやれば、やはり自分の姿は昨日見た少年の姿のまま。
だが違和感は減っている。
見慣れたというより馴染んだという感覚に近い。
__なにが?
自分の中でなにかが囁いた気がした。
「おはようございますアラニス君。
どこか不調なところはありますか?」
「おはようございますポラさん。
おかげさまですこぶる快調です」
「それはなによりです。
昨晩は突然倒れるように眠ってしまわれたので驚きましたよ。
もっともそれは十分に考えられる事態でしたので、そこまでしっかり対策しておかなかったこちらの落ち度なのですが」
ポラの部屋は客室から遠く離れた城の地下にあった。
一応は居住も兼ねた部屋という説明であったが、ところ狭しと書物が乱雑に積み重なっており寝るスペースもくつろぐ場所すら見当たらない。
それゆえに対峙する3人は、いずれも直立した状態で朝の挨拶を交わしていた。
「今回ルーインが用いた『魂降ろし』の術はあまり成功した前例のない術でしてね。
文献などにもわずかに記載が残る程度のものなのです。
それだけ魂と肉体とを人為的に結びつけるというのは難しいもので、癒着したからといってそれが必ずしも安定するものでもないようです。
ですからいざという時のためにルーインを側に置いておいたのですが」
ポラの視線を受け、一瞬ビクリと体を震わせたルーインは貴也の影に半分隠れる。
「で、ですけどお師匠様。
あのあと調べましたが、貴也さんの魂とアラニスさんの身体は繋がりを保ったままでしたよ?
あの時私が正気であったとしても何か出来たとは……」
「それは結果論というものですよルーイン」
「はひぃっ!」
今度こそ完全に貴也の影に隠れたルーインをため息まじりで見つめ、ポラは続けた。
「なにぶん前例が少ないので確かなことは言えないのですが、今貴方の魂は三久川貴也の身体とアラニスの身体の両方から引っ張られているような状態だと推測できます。
二つの身体と結びついてしまった魂は、どちらか一方が切れるまではどちらにも完全に定着出来ず行ったり来たりするのではないかと私は考えています」
「つ、つまり昨晩急に倒れたのは仕方のないことで、それは今後も定期的に起きる事象ということでしょうか?」
顔だけを貴也の背中から覗かせてルーインが質問した。
それにポラが笑顔で応えると、恐る恐るではあるが影から抜け出す。
「その間隔を調べ、危険がないように余裕を持って行動計画を立てるのも私の仕事ということですね師匠」
「頼めますか?ルーイン」
「はい!もちろんです!お任せ下さい!」
完全に調子を取り戻したルーインの声が狭い地下室に響く。
大役を任された面持ちで拳を握り締める姿が、留守番を任されたチワワと重なり貴也は頬を緩めた。