勇者
ルーインと城内を散策しているところに、再びポラがやってきた。
彼はこちらを見止めると、ゆっくりと近づいてきて恭しくお辞儀をする。
「勇者さま。
王がお会いするとのことですので、一緒に謁見の間へご同行よろしいですか?」
ルーインとは対照的な真っ赤なローブを纏った宮廷魔術師ポラは、そのように述べて手で謁見の間への道を指し示す。
貴也の隣でルーインの体に緊張が走るのを感じたが、貴也自身はなんということもない。
胸中は『王とはどんなものか』と、物見遊山程度の気持ちである。
もっともその王も、自分の脳が作り出したものの筈なので、大した人物ではないと予想はつくが。
なぜなら貴也が今まで出会ったことのある目上の人物など、せいぜいが教師や市長、県知事程度なのだから。
ポラの先導で、ルーインとともに赤い絨毯の上を進む。
豪華な装飾の施された扉が押し開らかれると、謁見の間と呼ぶに相応しい部屋に通された。
だが衛兵がずらりと並んでいる様を想像したのだが、そこには誰もいない。
貴也達三人が部屋の中央付近で傅き頭を垂れていると、ようやく四人目の人物が現れる。
彼は悠々とした歩調で貴也達の前まで歩き、検分するようにこちらを見やってから玉座に腰を落ち着けた。
「面をあげよ」
第二代ボードレイド王クシュナ・ガルティレクであった。
王に許され、まずポラが顔を上げる。
王宮での作法など知らぬ貴也は、見よう見まねでそれに続いたが、隣のルーインは未だ恐れ多いのか動けずにいた。
「我が国が誇る偉大なる魔術師ポラよ。
見た目は勇者アラニスであるが、その者は本当にアラニスではないのであるのだな?」
見たところ40代半ば。王というにはやや貫禄にかける痩せた面立ち。
どこか無理のある尊大な語り口調と中途半端に蓄えた髭に、威厳を保つ努力がみてとれるクシャナ王が、そうポラに問いかけた。
「はっ。
彼は正しくアラニスの身体ですが、入っている魂は別物です。
弟子のルーインが秘術、『魂降ろし』は成功いたしました」
ふむ、と唸り髭を撫でつつ貴也を観察する王。
無遠慮なおっさんの視線に晒され、あまり良い気はしなかったが、そこはなんとか耐える。
「そのほう、名はなんと申す?」
「三久川貴也だ」
耐えてはいたが、返答が若干ぶっきらぼうになったことは否めない。
本来ならば不敬罪に問われてもおかしくない言葉使いだったが、幸いにも王は気に留めず続ける。
「ふむ、俄かには信じられぬことだが……。
しかしポラがそう言うのならばそうなのだろう。
――では貴也よ。
そなたは今より『アラニス』と名乗るが良い」
突然の改名宣言に面食らう貴也を置いて、王は話は済んだといいたげに席をたつ。
「今後のことについては後ほどポラから説明があるであろうが、お主の働きに期待しておるぞ。
後ほど歓迎の仕度をさせるので、今宵はゆっくりするがよい」
そういい残して、王は謁見の間をあとにした。
王の姿を扉の向こうに見送ってから、ようやくポラは立ち上がる。
「さぁ貴也君。いや、すでに君はアラニスだったか。
歓迎の仕度とやらが整うまでに、君には色々と説明をしなければなりませんね」
着いて来て下さいと、またもポラが先導する。
流されるままにとは思っていたが、余りにも自分が置いてけぼりな感じがして『俺の夢なのに』と貴也は苦笑した。
隣を見やれば、呪いで石にでもされたかのようにピクリとも動かないルーイン。
貴也はそっとその肩を叩いて呪いを払ってやると
「行こうかルーイン」
と声をかけてポラに続いた。
ポラの案内で連れて行かれた先は、瀟洒な客間だった。
質素ではあるが品の良い調度品が並び、この部屋に泊まることが許されるのは大切な要人だけだと言っているようである。
部屋に着くと、ポラは壁に取り付けられている姿見を指差す。
「まずはこちらをご覧になっていただけますか?」
なんのことかと、貴也は進み出た。
純金で縁取られ、精巧な彫刻で装飾された豪華な鏡であったが、貴也がもっとも驚愕したのはそこではない。
「これが……俺……?」
別段オシャレに気を使うタイプではない貴也だが、それでも洗面所で、お風呂場で、自分の姿は毎日見ている。
高校二年生にしてはやや低めの身長。髪型は目に髪が入るとうっとおしいという理由からショートだが、口五月蝿い幼馴染に無理やり勧められ、若干パーマをかけた比較的大人の雰囲気になっている。
それが三久川貴也が普段見続けてきた姿のハズだった。
だが、今姿見に映る自分の姿はまるで違う。
まだ中学生になったばかりかというほど幼い顔立ち。
髪は長めで後ろで縛ってある。
身長だけがあまり変わらないことに、なんとはなしに皮肉を感じたが、つまるところ、それはまったくの別人であった。
「本来の君の姿を私は知らないが、それが今の君の身体だよ」
ポラは静かに続ける。
「その身体は本来違う人物の魂が入っていた身体なんだ」
「それがアラニス?」
「そう。察しが良くて助かるよ。
彼は所謂『勇者』というやつでね。
その小さな身体で魔王と戦ったんですよ」
魔王と勇者。
『ザ・ファンタジー』の代名詞ともいうべきワードに思わずニヤけてしまう。
そういえば来週ドラゴンファンタジーの続編が発売だった。この夢の設定はそれに影響されたかな?
などと自分の脳がどのようにこの世界を構築したのかを貴也はつい考えてしまう。
「そしてアラニスは魔王を倒した。
彼は本当に強い真の勇者だったからね」
「じゃあアラニスの魂はなぜ……?」
「……分からないんだ」
ポラの声がひとつトーンを落とす。
視線は張り付いたように手のひらを見つめ続ける。
「魔王を倒したその直後。
その戦いを邪魔すまいと控えていた他の魔物達が一斉に襲い掛かってきてね。
魔王との戦いで疲労困憊だった私達は逃げるしかなかったのですよ。恥ずかしい話ですけれどね」
勇者と共に戦った勇傑の7人のうちの一人だと、ルーインはポラのことをそう説明していた。
だから彼の話は伝聞などではなく実体験。
それを示すかのように、思い出し語るポラの表情には、後悔が滲んでいる気がした。
「他の6人も逃げ出す時に散り散りになってしまって消息不明。
そして勇者アラニス君は私が見つけた時にはすでに魂の抜けた抜け殻状態でした。
なんとか身体だけは連れて帰ってくることができましたが……」
ゲームでは魔王を倒せばそこで終わり。エンディングまで一直線。
それが貴也の中のお約束である。
だから、なにゆえ自分の脳がそのような設定を作り出したのか。
なんとも言えない気持ち悪さが貴也の心をジワリと侵食し始めていた。
「さて」
パンッと重くなった空気を払うようにポラが手を叩く。
「ここまででアラニス君の身体の状態と、この世界の少し前の情勢はご理解いただけましたか?」
コクリとうなずき顔を引き締める貴也。
国王は言っていた。「期待している」と。
つまり今の話はまだ序章、プロローグであり本題はここからなのだ。
「ときにアラニス君。あなたの世界で『勇者』とはどう定義されていますか?」
不意の問いに答えに窮する。
勇者。
しばしば無茶な行動、大胆な行動をするものを勇者と囃し立てることは現実世界でもあるが、それは今の問いの『勇者』とは意味合いが違うだろう。
問われている『勇者』は現実世界にはいない。
貴也の知る限りそれはファンタジーの世界の住人なのだ。
だからゲームや漫画の知識をもって答えとするならば
「巨大な悪に勇気を持って挑み世界を救う宿命を背負うもの……とか、そんな感じ?」
「なるほど。なかなかに良い答えですね。
ですがそれは勇者のイメージ、勇者像であって定義ではないでしょう」
定義。
勇者という存在は定義されているとポラは言っている。
つまり巨大な悪に立ち向かわなくとも、世界を救わなくとも、定義されたものはただそこにあっても『勇者』足りえる。
ポラはそう言っているのだ。
「この世界には魔物が溢れています。
それは魔王が倒れた今現在も変わりません。
普通の魔物は普通の人間にも倒そうと思えば倒せます。
それ相応の力は必要ですけれどね。
ただ中には、特に魔王の直属の幹部だったような一部の強大な魔物はその限りではないんですよ」
「普通の人間には倒せない……?――勇者だけが?」
「そう、その通り。本当に察しが良くて助かります。
その強大な魔物は、なんというのでしょう『闇の加護』とでもいうのでしょうか。
そういったもので守られているようで、完全に滅することが普通の人間には出来ないのです」
「それは勇傑の7人の一人という貴方でもですか?」
「無理ですね。
あれらの命の源、コアは完全に加護に守られていてあらゆる魔法、武器をもってしても届きません。
唯一、『光の加護』を受け生まれてくる『勇者』を除いて」
なんとも厄介な設定だなと貴也は思う。
ポラは光の加護を受け生まれてくる勇者を『唯一』と説明した。
勇者は世界にただ一人しかいないという意味だろう。
であるなら、その勇者がいない時に闇の加護に守られた強大な魔物に攻め込まれたらどう対処したらよいのか。
万が一勇者が死んでしまったら誰が脅威を取り除けるのか。
あまりに理不尽な設定ではないか。
そこまで考え至ると、恐ろしい事実に気づく。気づかされる。
今しがた妄想した最悪のシナリオ。
それが現在進行形であるということに。
「――じゃあ今世界は……」
「はい。守る術がありません。
正直魔王がいた時よりも状況は悪化しています」
ポラは自分が求めた思考に貴也が至ったと確信し、笑みを湛えてこう繋げた。
「それも先ほどまでは、ですけれどね」
それが何を意味するのか。
考えるまでもない。
「勇者の代わりを俺がつとめることになる……と?」
「突然このように召還されてご迷惑とは思いますが、何卒よろしくお願いします。
それに勇者の代わりではありませんよ。
今は貴方が勇者そのものなのです」
「それって魂は別物でも身体さえ同じならいいんですか?」
それにはルーインが答えた。
「問題ないです。
光の加護は魂ではなく身体に与えられるそうですから」
「なんだか安っぽい加護だなぁ」
「そんなことないですよ!有難い有難い加護なんですから!」
「いやすまん。
ただ身体だけでいいとか、なんか即物的な感じが否めなくて」
しかしここにきて貴也は思い至る。
この設定の意味に。
これは夢。自らの脳が造りだした虚構。
だからきっと、これは自分が勇者となるために、勇者として活躍したい欲求をかなえるための、自分に都合の良い設定なのだろうと。
そう考えればなるほど、理に適っている気がしてくる。
「そういえば強かった勇者の身体なら、今の俺も魔法を使えたり強力な必殺技を使えたりするのかな?」
起き抜けに城外で戦ったことを思い出す。
あの時は魔法は出なかったが、ひょっとしたら詠唱やなにか他の要因が必要なのかもしれないのだと。
だが、その希望も簡単に打ち砕かれた。
「使えないと思いますね。
たとえば『これ』が見えますか?」
とポラは人差し指を立てて宙を指した。
貴也が見る限りではそこにはなにもない。
だがルーインにはなにか見えているようで、人差し指の先の宙でなにかを目で追っている。
「今のは魔法適正を調べる方法で、『風の魔素』の塊を作ってみせたのです。
見えれば適性あり、見えなければ適性なしですね」
「そいつは残念。
じゃあ必殺技……と言わなくとも剣技はどうかな?
アラニスは剣も使えたんだろう?」
「それはもう、彼に剣技で勝てるものなど世界でも数人しかいないと思いますよ。
ですがどうですかね。
一般に『身体が覚えている』などと言いますが……。
あとで訓練場に案内しますので、そこで兵士と手合わせでもしてみたらいかがでしょう?
旅立つ前に自分の力量を確認しておく意味でも、必要なことかと思いますよ」
男臭い部屋を思い出し、思わず顔をしかめる。
だがポラの言葉にも一理ある。
どんなゲームでも自分のステータスを正確に知ることこそが、攻略の第一歩だ。
明確に『勇者の代わりをつとめる』と返事はしていないが、投げ出せる雰囲気ではない。
世界の状況や『加護』の話を聞いて、正義感が奮い立たないわけでもない。
なによりせっかく自分の脳がお膳立てしてくれた状況である。
流れにのって楽しむほうがいいに決まっている。
(なら魔法や必殺技が使えて無双させてくれてもいいだろうに)
自分の脳の想像力の限界なのか、無意識に自分と無双する勇者像を重ねることに無理があると否定してしまったのか。
恨めしげに思いつつもぶつける場所もなく、「下手くそ」と再び貴也は一人ごちた。