6話
海沿いにほど近い草原が血の匂いで覆われている。
目の前で兎人族の戦士が一人、血を噴出して倒れた。
「くそっ、ばらばらに下がるな!まとまれ!」
遠くでアズラの声が聞こえる。
両足に渾身の力を込めて跳躍し、止めを刺そうとしていた魚人族の戦士を殴りつける。跳躍の勢いが全て乗った拳は、いとも容易く魚人の身体を吹き飛ばし、後方にいた魚人の戦士に衝突させる。
地面に降り立ったところを両側から襲われる。いい連携だ。
漁師の使う銛のような穂先を、爪で弾いて軌道を変える。刃が皮膚を掠めてちくりとした刺激が肌を刺した。
体を回転させて腕を振るう。攻撃の勢いでたたらを踏んだ両側の魚人族が、姿勢を直す前に首の骨を砕く。
倒れた戦士はまだ息がある。
「立てるか?」
ゆっくり手当をしている暇はない。肩から胸にかけて荒々しい傷跡がつき、血も止まらないが傷の大きさにしては出血は少ない。大きな血管が傷ついていないなら助かるかもしれない。
そいつを肩に担ぎ、好機と見て襲ってきた魚人族の頭を握りつぶす。
「アスラヴグ様、俺のことはいいです。敵を、敵を倒してください」
掠れた声で囁かれる。
「もう退却だ。黙ってろ」
「そんな、負けたんですか?」
「そういう事だ、もう黙りな。舌を噛むぜ」
怪我人を担いでいるので力を押さえて跳躍する。さすがに一度ではアズラのいる所まで戻れなかったので二度、三度と跳躍を繰り返し、時折着地したところで襲ってくる魚人族を蹴り殺していく。
「アズラ、怪我人一人追加だ」
ようやく本隊に合流できた。怪我人を近くにいた戦士に担がせ、アズラの隣に立つ。
「姉上も血だらけじゃないか!」
言われてみると全身血まみれで、とくに手足の爪の先は魚人の血がこびり付き赤黒くなっている。
「アタシのは返り血がほとんどだ、心配ない」
「そうか、さすがだな姉上は」
ほっとした表情のアズラに尋ねる。
「戦況はどうだ?」
「かなり悪い。最初に大きく崩されて囲まれたから逃げようにも逃げられない」
いつものように夜襲を仕掛け、いつものように素早く離脱するはずが敵に待ちかまえられていた。最初の反撃で混乱したところを囲まれ、乱戦になっている。
真夜中から始まった戦闘は一旦中止のようだ。
もうそろそろ日が昇る。薄明りの下で兎人族の戦士は最初の混乱からようやく持ち直し、アズラの近くに集結してきた。それを囲むように魚人族の軍勢が四方に分かれて陣取っている。
「損害を報告」
戦闘がひと段落したところでアズラの呼びかけで数人の戦士が集まってくる。皆、疲れ切った表情で手傷を負っているものも多い。
「三人死亡、五人重傷です」
「五人死亡、軽傷一人です」
「死亡十人」
「軽症十、重傷十」
報告したのはそれぞれ二十人の戦士を率いる立場の者だ。兎人族軍百人の内、八十はこの戦士団に分けられ、残り二十は本体として指揮官の下にいた。
前日の伏勢への強襲で十人減り、その補充を本隊からしたので現在本隊は十人だ。そして、今回の戦闘で戦える戦士は半数近くにまで減った。
「犠牲が十八、戦列を離れる者が十五人か」
確認をするように呟いたアズラの声が沈んでいる。やはり指揮を、と考えたが止めた。ここで指揮を代わると言ってもアズラを傷つけるだけだ。
犠牲の確認を終えたところで、四人とアズラとアタシで車座に草をならして座り、作戦会議を始める。
「転がってる敵の死体を数えると大体五十ってとこだな」
まず、戦士長の一人が口火を切る。
「意外と少ないな」
「夜の戦闘を避けたんだろ、闇の中の戦闘はこっちのもんだからな」
普段なら誇りを滲ませる言葉も、重く息苦しい響きだ。
「そうすると、奴らは日が昇るのを待って殲滅する気か」
それを受けて、戦士長の一人がこめかみを揉みながら言う。
「このままではそう長く持ちこたえられないぞ、ましてや勝利することなど」
そう言う別の戦士長が、ため息交じりに呟く。
「どうする、少しでも闇が残っているうちに逃げるか?」
それが出来ればそうしている。
「重傷者を見捨てることになるぞ、それでもいいのか」
「生き残れる奴らのほうが優先だろう、獣人王選抜もあるんだから一族の力は温存しておかなければ」
この戦場から意識がそれてきたところでアズラが口を開いた。
「姉上、日が昇れば援軍が到着する日だろう」
「援軍、援軍が来るのか!」
浮かれたのも束の間、すぐに悲壮な意見が出る。
「待て、援軍が来るとして、どうやってここまで案内するんだ!?」
「そうだ、合流できなきゃ話にならない!」
アタシが手を上げると騒ぎ立て始めた四人が口を閉じた。
「獣人王の軍の駐屯地には一日あれば到達できる。集結と準備に半日、ここまで来るのに一日半。大まかな計算だが、そう的外れではないはずだ」
全員の顔を見渡す。ここまでは一名を除いて理解してもらえたようだ。
「その時に大まかな敵の編成と数、そしてこちらの作戦と、予定する戦場をアズラの地図と一緒に送っておいた」
まずい。勝手に地図を送りつけた事をばらしてしまった。
まあこういう事態だし仕方ないよな。ちらりと横目でアズラを見ると、歯を食いしばりながらこちらを睨みつけてきている。
こりゃあ後で説教だな。後があればだが。
「今のところ全ての戦闘を予定戦場で行っているから、ここに援軍がたどり着くのは、そう難しい事ではないんだ。分かったか?」
先ほどまで、目を血走らせて議論していた四人も、疲れたように見えるアズラも目に力が戻ってきた。
「よし、今姉上が言ったことを皆に伝えてこい」
四人が走り去っていく。その背を目で追いながらアズラが訊ねてきた。
「で、実際のところは?」
「援軍が来るのは間違いないだろうが、いつ来るのかは分からん」
予定戦場で戦闘を行っているのは間違いないが、戦闘の流れは変化するものだ。現に今、夜襲に失敗して囲まれているのは二番目の戦場で、ここから三番目の戦場まで敵を追い込むはずだったのだ。
地図にはどこで戦うのかは書いているが、どこで戦うのかは書いていない。
アズラは大きくため息をついた。
「そんなことだろうと思った」
なんだとこの野郎。
「なんだその口ぶりは、まるで何もかも分かっていたようじゃないか」
「姉上が計算なんて言葉を言うのはおかしいからな」
さらりと悪口を言う弟に蹴りを入れようとしたが、かわされてしまった。
「アタシの前でそんなことを言うとはいい度胸だな」
今度は拳を放つ、アズラは腕を交差させて受け止めた。
「姉上、あれだけ暴れたのにまだ体力が有り余ってるのかよ」
そう言いながらも鋭い足払いをかけてくるアズラ。
「あの程度なら食後の腹ごなしにもならないっての」
飛びのいたところに拳の連打が来る。
「お前もずいぶん元気じゃないか」
手の甲で払い、腕で受け止め、足さばきで躱していく。
「無性に体を動かしたい気分なもんでね」
全く同感だ。こんな状況で頭ばかり使っていたらおかしくなりそうだ。
「しょうがねえ、つきあってやるよ」
しばらくぶりに本気で取っ組み合いを続けた。朝日の昇っていく中、踏み込みで地面がめくれ上がり、澄んだ空気を拳と足が切り裂く。爪に引っかかり舞い上がった草をかいくぐって、互いの隙を探る。
弟はずいぶん強くなった。
子供の頃からアタシとこいつはずいぶん力量に差があった。族長の家に生まれた者として、人の上に立つことを求められてきたが、アタシばかりが目立った。
アタシが易々と自分の背丈を超える獣を狩った時も、大人の戦士相手に勝利した時も、こいつはいつもぼろぼろになって獣に踏みにじられて、大人に弄ばれていた。
よく勝負を挑まれた。アタシがぼこぼこにしてアズラはぼこぼこにされる側だった。しかし、時折思いつきもしないような方法での攻撃や、誘いにつられて危ない目を見たこともある。
きっと誰にも見られないように訓練を積んだのだろう。族長の子としてか、戦士としてか、はたまた一人の男としてか、アズラは妙に他人に努力を見られるのを嫌がる。
成人を迎えてしばらくした頃、獣人王選抜が始まり、それぞれの部族から候補を一人選ぶように言われた。アタシはアズラを推した。この努力家の弟は、狭い一族の中にいてはのびのびと草原を駆けられないと思ったのだ。
その頃すでにアタシは部族では敵なしで、他の部族で一番の戦士たちと競い合うようになっていた。そんなアタシを推す声が大多数のなか、アタシは一人で弟のために舌を振るった。生まれてから今まで、あれほどしゃべったことは無い。
結局アズラ本人が辞退したこともあり、アタシが獣人王の候補として兎人族代表になった。
ふっ、と目の前に拳が迫る。しゃがんで躱さざるを得ない。そこに蹴りが来た。
普通ならこれで勝負が決まる一撃だ。だが、アタシも伊達に兎人族最強の名を背負っているわけではない。下から上に掬い上げるような蹴りを掴み、蹴りの勢いも利用して空に舞い上がった。
アズラの眼にはアタシの姿が消えたように見えていることだろう。
空中でくるりと姿勢を整え、落ちる勢いを利用しつつ渾身の蹴りを打ち込む、寸前で止めた。地面に片足で降り立ち、もう片方の足はアズラの右肩の上で寸止めしている。
「参った」
薄く冷や汗をかきながらアズラが降参する。アタシはゆっくり足を下した。
「はあ、疲れた」
どかりと座り込む。
「ふう」
アズラも腰を下ろした。もう朝日は地平線から離れ、大地と魚人族とアタシたちを照らしている。
「そろそろ来るな」
「ああ」
魚人族の軍勢のざわめきが風に乗って耳に届く。
「アタシたちが全滅する前に援軍が来ることを願おう」
まだ動ける兎人族の戦士達が集まってくる。
「アズラ様もアスラヴグ様もどうしてそんなに汗だくなんですか?」
戦士長の一人が聞いてきた。まさか実戦の前に本気の組み手をしていたとは言えない。どうしたものかと考えていると、隣の奴が聞いてきた奴に耳打ちした。
そういえばさっきの取っ組み合いを見ていた奴が結構いたな。耳打ちした奴も見ていたのだろう。
「何やってるんですか二人して」
聞いてきた奴は呆れ顔を隠そうともしない。良いだろうが、楽しかったんだからよ。
アズラとアタシは二人して目を逸らした。
「いたずらが見つかった子供のようだ」
「くっ」
「んふっ」
「ぶはっ」
他の戦士長が呟いた一言が皆の笑いのツボを突いた。こらえきれない、といった様子で戦士長たちが噴出し、こちらに意識を向けていた戦士達も笑い出す。
しまいにはアタシとアズラまでなんだかおかしくなって笑い出した。
「死ぬなよ、姉上。まだ俺はあんたに勝ててないんだ」
ひとしきり笑った後、ぽつりとアズラがこぼした。
「どうかな」
戦場ではだれが死んでもおかしくない。
「それよりアズラ、指示を出せ」
「分かった」
ここからは戦闘の時間だ。覇気に満ちた声を張り上げ、アズラは戦士達を鼓舞する。魚人族共にこれ以上我らの大地を踏ませてはならない。
四人の戦士長に指示を出し、四段に構える。アズラは負傷者のところで指示を出し、アタシはそのそばで待機する。
前に二段、後ろに二段。間に負傷者ばかりの本隊。そして四方に敵。皆、口には出さないがここが死地と覚悟していることだろう。
しかし、不思議と静かな心境で、恐怖も怒りも、高揚も歓喜もまるで上から眺めているかのようだった。
全身の意識が爪の先にまで行き渡っているのをいる感覚、空気の流れさえ毛の先で感じ取れた。
「来た、背後だ」
アズラの呟きで後ろを振り返る。背後に陣取っていた魚人軍が動き出した。左右に配置されている魚人軍は隙間を埋めるように位置を調整し始めている。
「なぜ一度に攻撃してこない?」
「敵の狙いが俺たちの殲滅にあるって事だろう」
アズラに聞くとすぐに答えが返ってくる。全軍で襲ってくれば敵味方入り乱れての乱戦になるが、一隊づつ順番を決めて攻撃すれば残りの三隊で包囲を続けられるという寸法か。
「ちっ、めんどくせえな」
「そういうな姉上、その分こちらも時間が稼げる」
再編成を行い、一隊十人前後となったものの、獣人族が陸の上で魚人族と戦うのだ。そうそう遅れは取らない。しかし、眺めていると魚人軍は銛とも槍ともつかない長物を並べ、きっちり四角い陣形を保ったまま進んでくる。
「おい、あいつらあのまま進んでくるんじゃないか?」
固まったままでは突き倒されるのを待つばかりだ。
アズラが雄たけびを挙げた。すると一斉に後ろで二段に分かれていた戦士たちが陣形を解き、草の中に消えていく。進んでくる魚人軍からは負傷者とアタシとアズラが丸見えだ。
「姉上、前に備えた一隊を率いろ」
またアズラが雄たけびを挙げる。前に構えていた一隊が前進してアタシの周りに集まった。
「合図を出したら突っ込め」
「分かった」
魚人からすれば、目の前で埋伏されたのだからそこは当然避けるだろう。
目の前できっちりとした陣形を変え始める。四角から円形へ変わり、散開して草の中に潜む兎人族を警戒する態勢になった。
当たり前だが前衛の密集度は低くなる。
「今だ」
声が聞こえるや否や、アタシを先頭に駆けだした。一塊になって草をかき分ける。
ぐんぐん魚人の持つ武器の穂先が大きくなっていく。さらに足に力を込めて走る速さを上げた。
散開し、埋伏させた部隊に備えた陣形を、敵の司令官が中央に戦士を集め、元の陣形に戻そうとする。
左右に広がり、警戒に当たっていた戦士が中央に向かい始める。再び前衛が厚くなっていく。
だが、走る速度は緩めない。むしろ気持ち早くなる。
背後から、雄たけびが聞こえた。
中央に寄っていく戦士の流れに乗って、左右から兎人族の戦士が攻撃をかけた。散らばって草の中に埋伏させていた隊だ。アズラめ、細かい策を考えるものだ。
前衛が混乱した。突っ込んだ。三隊で分断し、乱れた敵を素早く蹴散らしていく。止めはささない。少しでも早く、少しでも多く、敵の戦士を先頭不能にしなくてはならない。
狙うのはもっぱら指だ。魚が魔力を得て進化した魚人に指があるのは不思議だが、あるものは仕方がない。武器を持つ指、特に一本だけ他の指と向かい合うように生えている指を狙い、突きを繰り出す。
息を吸い、吐いた。
敵の後ろまで突き抜けた。
反転し、また突っ込んだ。背後から襲われたことで魚人軍の混乱はさらにひどくなる。
雄たけびが聞こえた。
敵陣の中で他の二隊と合流し、慌てふためく魚人共をかき分けていく。途中、大声で叫んでいる指揮官らしき魚人を見つけた。
「一隊、ついてこい」
二隊をアズラのほうへ向かわせ、注意がそちらに向いた瞬間を見計らって草の中に潜む。時折近くを通る魚人にぶつからないように細かく位置を調節しながら機会を窺う。
兎人族が引いていくのを見て、ほっとしたような表情をした、魚人の指揮官に近づいていく。周りを取り巻いている護衛の姿が見えた。その中心に指揮官が見える。
アズラのほうに向かわせた二隊が起こす喧騒が遠くなる。恐らく前衛を抜けたのだろう。指揮官が大声を上げた。
周りの魚人たちが指揮官のほうを向いた。
アタシは動いた。
低く地を這うほどに身をかがめ、両手両足を使い、四足で指揮官までひた走った。
さすがに護衛に気づかれた。武器を構える前に連れていた兎人族の戦士が襲い掛かる。
護衛の間を抜けた。指揮官と目があった。気のせいかもしれない。思い切り跳躍し、指揮官に飛びついて、首をねじ切った。
倒れる体から降りて、ねじ切った首を高く掲げ、雄たけびを挙げた。
それを見て魚人の戦士たちは散り散りに逃げていく。
「はあっ、手間かけさせるぜ」
流石に息が切れた。ぜいぜいと荒い息をつきながらアズラのいる本隊に合流しようとゆっくり歩き始める。きっとアズラは説教をしたくてうずうずしていることだろう。
だがそんな余裕はない。もうすでに敵の左翼が動き出そうとしている。
「休ませてくれるほど、優しいわけないか。全く、良く働くことだ」
少し歩く速度を上げた。
まだ息は切れたままだ。
魚人族の攻撃はしつこさを増していく。右と思えば左、そう思わせて正面、と変幻の動きをしながら、少しずつこちらに犠牲を積み重ねさせた。
日の出とともに始まった攻撃は、途切れることなく続き、やがて夕暮れ時を迎える。
「くっ、姉上。次は右だ!」
アズラが後ろに控えて指示を出す形はとうに崩れ、今は兎人族の戦士に混じって草原をかけずり回りながら魚人を屠っている。
「だあー!畜生!」
押し寄せては引いていく魚人族の戦い方は、向こうにもこちらにも被害こそ少ないが、疲労度がまるで違う。こちらが止まりそうになる重い手足を意志の力で無理矢理動かしているのに対し、向こうはこまめに急速を取り、昼間には食事すら交代で取っていた。
当然こちらには食事などとる余裕はない。
日が完全に落ちるまであと少し。敵は夜戦を避けるだろうという希望的観測に縋りながら、アタシたちはぼろぼろになって草原を走り続け、魚人と殺し合いを続けた。
ふっと、辺りが暗くなった。ようやく夕日が落ちた。
魚人たちが退いていく。
多少数の減ったものの、こちらも負傷者のいる所まで退いた。糸の切れたように戦士たちが突っ伏していく。アタシも重い体を支え切れなくなって大地に身をゆだねた。ぷつりと意識が途切れた。
はっとして起きた。体はまだ重いが、頭はすっきりとしている。
空を見上げると月が高く上がっている。しまった、大分眠ってしまっていたようだ。ぐるりと魚人族の陣取る方を見やると、赤々とかがり火を焚いて厳重すぎるほど夜襲の警戒をしている。あの様子では今夜も攻撃は無いだろう。
そこまで見て取り、今度は近くを見渡した。
あちこち死体のように兎が転がっている。微かに腹部が上下しているので眠っているだけと分かるが、いびきすら聞こえてこない。
静かな空間だ。
眠りこけている戦士達から少し距離を置いて、負傷者たちが固まっている。うめき声をあげ、寒気に体毛を震わせながらも、見張りをしているのかその目は敵の方向を見据えている。
更にそこから少し離れたところで手招きをする影が二つあった。
「ホリク!?」
大きな丸耳、尖った顔立ち、くりくりの眼、そして兎人族の腰ほどまでしかない小さな体躯。鼠人族の獣人王候補、かつ、友人であるホリクの小さな体が丈の長い草の真っ只中にある。
「や、やあ。アスラヴグ。久しぶり」
ホリクは大きな声に驚いたようにぴくりと身を震わせ、ほとんど姿を隠している草の間から、その小さな手を伸ばして挨拶をする。
「す、少し見ないうちにずいぶん荒っぽくなったね」
そのままアタシの黒い毛に所々こびり付いた返り血を眺め、手足の爪の先に張り付いている血の塊を小さな爪の先でひっかいた。
「すまんすまん、鼠人族の代表に失礼だったか」
「え、ええっ!?」
冗談めかして言うと、ホリクは飛び上がって驚き、早口で言い訳を並べ立てだす。
「い、いやいや、あのね、そういう嫌味で言うとかそういう姑みたいな悪意があったわけじゃなくてね、うんとね、そのね、ただ、なんだかこの間会った時とは印象が違うなぁ、大変そうだなあ、というね」
放っておくと延々とこれを聞かされることになる。小さな体いっぱいを使って言い訳を続けるホリクをアズラの咳払いが黙らせた。
「ぴっ!」
咳払いが背後から聞こえたためか、奇声を発してホリクの動きが止まった。体の動きは止まり、目が虚ろになってはたから見ると非常に間の抜けた様子に見える。
「姉上、ホリク殿は獣人王からの使者としてここに来た」
アズラは固まったままのホリクを無視して話し始めた。
「端的に言うと、南大陸の北の海岸線沿いが全て魚人族の襲撃を受けた」
「んあ?ここだけじゃないのか?」
「ん、魚人族の襲撃に備えて設置された駐屯地は全てなんだと」
「ははあ、そりゃ向こうも気合の入ったこどだな」
しかし、それなら納得のいくこともある。
「やけに悠長な攻撃をかけてきてたのは、援軍が来たとしてもごくわずか、もしくは、来ないとふんだからか」
「ま、まったくなめられたものだね」
ホリクが復活した。そして、何事もなかったように話し出す。
「じ、獣人王はこの事態を重く見て大規模な軍団を編成したんだよ、今頃は各駐屯地に向かって進軍している頃じゃないかな?」
「そうか」
アズラもアタシもきっと心底ほっとした顔をしていることだろう。足の力が抜け、地面に座り込んでしまった。
「だ、大丈夫!?どこか痛いの!?」
二人が同時に座り込んだことに驚いたのか、ホリクがきいきい騒ぎ出す。いつもは耳障りな雑音のはずなのに、今は不思議と安心できた。
「いや、心配ない」
「それよりもホリク殿、なぜ単身で敵中に?」
アズラの問いにホリクがはっとしてこう言った。
「あ、あのね明日までには敵を殲滅するから」
おどおどと、しかしぎらついた眼でそう言うホリクの姿が大きく見えた。




