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九王記  作者: 荒木小吾
二章 東よりきたるもの
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63話 逃走

 時は少しさかのぼり、魔導会議五賢弟による王都陥落時。

 五賢弟の大半を足止めしていた聖光教教祖のベーダが派手に戦っている間のこと。

「頭痛い」

 軍総帥のヘンギストは場末の酒場で酔いつぶれていた。酔態の詳細は伏す。

「ヘンギストさん。飲みすぎだって。はい、水。飲める?」

 王都の中でも最も古い縄張り(シマ)で、ぼろぼろの格好をして酒浸りになる。軍の総帥と言われても誰も信じない、小汚い爺としてぐでんぐでんに酔っぱらう。副総帥のオイスクがまだ生身の肉体を維持していた時は一緒に飲み歩いていたが、彼は自分の肉体を魔道人形のように改造し始めてからめっきり酔わなくなった。

「ったくよー。酔わねえのに飲んでもつまんねえだろうによぉ。酔って普段絶対言わないこと言うのが楽しいんだろうがよー」

「はいはい。お水飲んでね」

 ヘンギストとそう年が変わらない酒場の店主が水を出す。ヘンギストはうなり声を挙げて器をつかもうとして、落とした。

 そこで、酒場の扉が開く。

 魔術師が数人。酔ったヘンギストの目は人数を判別できない。

「あれか?」

「間違いない。ヘンギストだ」

「情報は正しかったか。軍の総帥がこんな酒場で飲んだくれているとはな。やはりこの国はどこかで間違えたんだ」

 魔術師が四人、立っている。耳は目に比べて確かだ。

「いらっしゃい」

 不穏な単語には反応せず、酒場の老店主は出迎えた。

「何飲むかね?」

 魔術師たちはその問いに答えない。

「店主、しばらく外に出ていてほしい。我々はそこの酔っぱらいを連れていくだけだ」

「連れていくなら支払いを頼むよ。この爺さんはだいぶツケが溜まってるんだ」

「なに? -しょうがないな」

「馬鹿。なに真面目に払おうとしてるんだ。そんな義理はないだろ」

 素直に支払いをしようと財布を取りだした魔術師を仲間が止めた。

 老店主はフンと鼻を鳴らす。

「注文もない。支払いでもない。客じゃないなら帰ってくれ」

 思いがけない店主の邪魔に、魔術師たちは若干のいら立ちを見せた。空気が少しひりつく。

「さっさとヘンギストを連行するぞ。おい」

「ーはい」

 魔術師が店の中に押し入ろうとした。狙いはヘンギストの身柄を拘束すること。ヘンギストは軍の総帥というだけではなく、ロムルス王国の大きな柱の一本だ。すなわち先王ウォーディガーンの側近として今代の王アウレリアヌスを支えているのである。

 酒場の中を何かが音を立てて飛んで行った。

「ーあれ? どうした?」

 店に押し入ろうとした魔術師が姿を消していた。

 老店主は、また鼻を鳴らした。

「ここは酒場だ、酒を飲まねえならさっさと失せろ」

「爺…」

 姿を消したと思われた魔術師が、老店主の投げた椅子に吹き飛ばされて道に転がっている。白目をむいていた。

「いいぞー。もっとやれー!」

「さすが爺さんだ!」

「ヘンギストのおむつを取り替えてただけのことはある!!」

 酒場にいた酔っぱらいたちが囃し立てる。酒場の店主におむつを換えられていたヘンギストがふらりと立ち上がった。

「店主。俺の客だそうだが? うぷ」

「本人たちはそう言ってるな。知り合いか?」

「うんにゃ。見ねえ面してる。頭が三つもあるしよ」

「馬鹿。それはお前が酔っぱらってるからだ」

「あれ? そうか?」

 そこで再び酒場の中は大爆笑に包まれた。

 魔術師たちは、自分たちが完全に敵地にいることに気が付いた。

「おい、こうなれば」

「ああ、やむをえまい」

 椅子に顎を砕かれた魔術師以外が魔力を纏う。己の魔力を攻撃の形へ変化させ、眼前の敵を薙ぎ払う算段を立て始めた。

「酔っぱらった老いぼれとはいえ、軍総帥だ。これしきの魔術で死ぬようなら、それは影武者だろう」

 ぼろい酒場を結界で取り囲み、複雑な制御文字によって魔力は炎と変わる。結界は周囲への被害を防ぐ狙いなのか、誰も逃がさぬ檻のつもりか。

 魔術による熱風で魔術師たちの外套がはためいた。其の意匠が目に入る。

「おい、ヘンギスト。やつら、()()()()の魔術師だ」

「ーそうか。ギルダスめ。一線を越えたか」

 炎はすでに結界内に満ちている。人を灰も残さず葬る火力を発し、店の外周から徐々にその輪を詰めていた。熱風で肺が焼けそうだった。

「我々は殺戮が望みではない。軍総帥ヘンギストを我ら魔導会議の下で監視下に置く。抵抗するならば容赦しないが、おとなしく差し出すのならば手を出さない」

「けっ、俺の店を燃やしておいてよく言うぜ」

 落ち着いた物言いだが、老店主のこめかみには青筋が浮いていた。放っておけば今すぐにでも厨房から包丁を持ち出してきそうだ。

 老店主をはじめ、酒場の客はみな一塊になって炎から逃れる。ぼろい酒場の壁を飲み込んだ炎が徐々に床を舐めていく。

 酒場にいる面々はそれぞれに裏社会とかかわりを持ち、後ろ暗い道を生きてきた暗黒街の住人達だ。生死の境にあることは重々承知しつつ、一塊になったときも、いま魔術師たちを見つめる目にも、死への恐怖は欠片も存在しなかった。

「おええ。きぼぢわるい」

 一塊となった人々の前に立ち、魔術師と相対しながらゲロを吐いているこの老人が、この場で一番強いと分かるからである。闇の社会は過酷である。強さがあるか、強いものを見抜いて従う勘が無ければ生きていけない。

「おろろろろ」

「いい加減に…!?」

 脅しにさっぱり効果がないとみた魔術師たちがしびれを切らし、火力を強めようとしたその矢先、ヘンギストの目の前に剣が突き立った。遅れていくつかの硬貨が投げ込まれる。

 酒場の出入り口は魔術師たちが抑えている。しかし、剣と硬貨は外から投げ込まれた。

 剣の通り道に居合わせてしまった魔術師が腸をこぼして崩れ落ちた。

「外から結界を破って!?」

 刹那。意識が背後を向いた。

 剣風。ヘンギストの手には抜身の剣が握られ、彼の体は酒場とそこを囲う結界の外にあった。

 一太刀で結界を切り開いたヘンギストの後に続き、酒場の老店主と客たちも魔術師の死体を踏み越えて外に出る。特に外傷もない。ヘンギストは気持ち悪かった元凶をすべて外に出したおかげか、心地よさそうに夜風を浴びていた。

 突然の騒ぎが起こったばかりだが、ここはヘンギストの縄張り。王都の暗黒街。火付け、盗賊、殺人、何でもありの無法地帯である。それに加えて今は王宮で断続的に派手な戦闘音が轟いている。魔獣の襲撃でもあったのかと、動きの速い連中は武装して避難を始めていた。

「さすがの腕前ですわ」

 下級の侍女が数人、こちらを向いている。

 そう思うのは未だ酔いの冷めないヘンギストくらいだろう。明らかに侍女ではない。鍛え上げた肉体と闘牙は全く隠せていない。変装する意味をあまり感じられない一団であった。

「ロウィーナ第一王女の近衛兵か。なぜここに?」

 酔っぱらっていても剣を握ればヘンギストはしゃんとしていた。つまり下級の侍女の変装は誰の目もごまかせないまったくの無意味だ。

「あらまあ。私、自己紹介はまだだったと記憶していますわ」

「かまかけたんだよ。ねーちゃん」

 あら。と一瞬驚いた顔をする侍女頭(仮)。茶目っ気のあるやつだ、とヘンギストは思った。

(悪意は感じねえ。ロウィーナ王女の身内なら事態を把握してるだろ)

「王女殿下がこの爺をおよびかね?」

「本当に話が速いですわね。ええ、殿下がぜひともお力をと。よろしいでしょうか。道々、自己紹介と状況の説明をさせていただきますわ」

「ずいぶんと落ち着いているが、切羽詰まった状況のようだな」

 行くか。とヘンギストは剣を鞘に納める。すでに頭は切り替わった。

(オイスクは、まあ、自分で何とかするか。-いや、あの王女殿下のことだ。既に自分の手駒を送り込んでいても不思議じゃねえ。俺の居場所をなぜか知っていたこいつらみたいにな)

 頭は切り替わった、と格好をつけているが、ヘンギストが縄張りの酒場で時々酔いつぶれているのは周知の事実だった。

 自分だけがお忍びのつもりだった。それを本人が知って恥ずかしがるのは、また別の話。

「あんた、この隊の隊長だろ。名前は?」

「ゼノビアと申します。以後、お見知りおきを」

 第一王女ロウィーナの近衛兵、ゼノビア。彼女はほかの近衛兵でヘンギストを囲って姿を隠す。そして、さっそく駆け出そうとして慌てて止まった。

「その硬貨、今日の支払いに足りますかしら?」

 先ほど剣と共に投げ込まれた硬貨だ。老店主が抜け目なく脱出の時に拾い上げていた。

 完全に逃げる用意をしていた酒場の老店主は驚いて変な声を出した。

「ツケは払いませんけれど、今日の分はお支払いいたしますわ。これで私もお店の客、でよろしいですわね?」

 ちょっとおどけて言うゼノビアにヘンギストはあきれたが、老店主はその口ぶりが好ましかったらしい。

「十分だ。あんた、いいお客さんだね。またおいで。サービスするよ」

「まあ嬉しい。では、ごきげんよう。どうかご無事で」

(切羽詰まっているのか暢気なのか、よくわからんお嬢様だ)

 気を取り直して王都の城門へ駆け出した。

 道中、同じくロウィーナ王女の近衛兵に案内された副総帥オイスクと合流する。オイスクは王都守備の軍と近衛兵を取りまとめて迎撃か退避を行おうとしていたようだが、第一王女から待ったがかかったらしい。

 直接の指揮系統ではないが、王族の命令、かつ、筋の通った内容だったため、兵の命を最優先にして王都からの逃走を選択したらしい。

「申し訳ありません。本来ならば魔導会議の魔術師たちを一掃するべきなのですが」

「ま、しょうがねえ。まともな敵ならともかく、魔導会議議長の反乱だからな」

「ー本当にギルダス殿が?」

「あいつは自分の配下を暴走させて、自分だけ知らないふりをする奴じゃない。魔導会議の魔術師であることを隠さずに王都を襲撃してるんだ。間違いなくあの爺はここにきてるし、奴が首謀者だ」

「ーはい」

「お前の体のこともある。お前は王都に残るのも一つの手だ」

 小走りで王都の裏路地を駆け抜けながら、そう問うた。

 ヘンギストなりに、魔術師に改造されたオイスクの体を思いやってである。

「ご冗談を」

 どこに逃れるにしろ、半ば魔道人形の体となったオイスクは魔術師の助けなく十全に能力を発揮できない。魔導会議に敵対するということは、それだけで自分の寿命を縮めることだ。オイスクはギルダスとの個人的なつながりもある。ヘンギストはそう考えてオイスクだけでも魔導会議に降伏するように言った。むろんそれだけではないが。

 それをオイスクは「ご冗談を」の一言でさらりと流す。

「私の忠誠はあなたと王家にだけ向けられたものです」

「頑固だねえ」

(オイスクがうんというなら、内部の情報を探る目的でも降伏して魔導会議に潜り込むのは一つの手段だったのだが)

 内心、狡い考えをヘンギストは巡らせていた。

「ま、そうだろうとは思ったけどよ!」

「恐縮です」

 だが、この頑固で義理堅い男は、作戦であろうと敵に降伏するのは嫌なのだ。扱いづらいと思うときもあるが、ヘンギストにとってはオイスクのそういう真っ直ぐなところはたまらなく好ましかった。そういうところが無ければ、五十年以上の付き合いにはならない。

 城門は開け放たれていて非難する住民でごった返していた。その中に紛れて王国軍の兵士もちらちらと逃げている。

 城外へ出た。

 誰かが立っている。

「ゼノビア。ご苦労様」

「殿下。お二人をお連れしました」

「あとは下がっていなさい」

「ははっ! ー周囲の警戒を行いますわ。魔術師は速やかに処理なさい」

 近衛騎士をまとめる立場だった、ゼノビアは真夜中の暗がりへと姿を溶かした。

「ーさて、まずは不躾なお呼びたてをしてしまい申し訳ありません」

 王都ロムルスの城壁の外、森とも言えず、木々がまばらに生えているだけの中で第一王女は話し始めた。腰掛も用意させず、護衛に周囲の安全確認をさせたきりである。

「単刀直入にお伝えいたします。王都は現時点をもって魔導会議へと開城し、王宮の主要な面々は王国西方の天山へと避難いたします」

 第一王女ロウィーナは年季の入った扇を手のひらにぴしゃりと打った。あれは確か魔王ウォーディガーンの王妃メアリーが愛用していたもの、だったような、違うような。東大陸レムス王国レムス公爵の娘、メアリーとは疎遠だったため、ヘンギストはあまり記憶がはっきりとしていなかった。

 ただ、五十年前にウォーディガーンが「結婚するから!」と連れてきたときの印象が鮮やかに蘇る。全身から知性を感じさせる人だと思った。そして印象通りの権謀術数の達人だった彼女とは、つかず離れずの関係で別れを迎えた。

(その彼女とうり二つの娘とこうして陥落する王都を脱出とは。いやはや、奇なるかな!)

「何も言わず、天山へと逃れてくださいませんか?」

「ほう」

 オイスクは両目を探索状態へと切り替えて、魔獣の気配を警戒している。話に入ってくるつもりはないようだ。軍総帥と王女の内密の話だと割り切っていた。オイスクはそういう分を弁えきったところがある。

 木々の間を小さな魔獣が走る音がする。オイスクもゼノビアたちも脅威だと思っていないようだ。

「お二人が、私の言に従うだけとは思っていません」

 第一王女ロウィーナの声はあくまで平静だ。感情の起伏は見られない。

(いまいくつだったか…。二十かそこらか? 若いのにずいぶんと冷徹な物言いをする)

「ーここから反撃をなさるおつもりでは?」

「さてね」

 ひとまずすっとぼけてみたが、内心少し驚いている。

 ロウィーナの言う通り、緊急事態への備えは十分にしてある。魔導会議の攻勢が綺麗に決まり、近衛騎士も待機している兵士も組織的な抵抗をする前に無力化されているが、形成を立て直して王都を防衛するのは、まだまだ十分に取りうる方針の一つである。

 もっとも、魔導会議の魔術師たちによる王都襲撃という想定外の非常事態に、速やかに軍のトップ二人や自由に動ける兵士を場外へ避難させているこの第一王女の存在を無視して動くことはできない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

「私に統帥権はありません。なので、個人的なお願いという形をとらざるを得ません」

 縁のなかった先王の王妃。彼女にそっくりな娘。考えは読めない。

「どれほどの勝算があるかは分かりませんが、この場で争いを大きくするのは避けていただきたいのです」

「さぁてねぇ」

 こちらからは何も言わない。まだ、相手の手の内が分からない。

(いや、おいおい。王女が魔導会議と通じてるとでも? まるで線がねえだろうが。俺は一体なんでこんなに警戒してるんだ?)

 自然と腕の立つ戦士に対するように、立ち合いの気配を漂わせていたことに気が付いた。目の前にいるのは武装もしていない、王宮で育った箱入り娘だ。剣を向けるような人間ではない。

 頭ではそう思う。

 しかし、勘がこいつは危ないと言う。

(年を取るのは嫌なものだ。ウォーディガーン、お前、娘の育て方間違えたぞ。そこらの魔獣よりずっとおっかねえ目つきしてやがらァ)

「軍の手の内と魔術師の手の内はおおよそ把握しています。その上でのお願いです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「言うじゃねえか。小娘」

 周囲の警戒をしていたオイスクがピクリと震えた。闇に紛れて索敵していたゼノビアたちの気配が漏れる。ヘンギストは、今度は明確に、目の前の第一王女に対して殺気を放った。

「俺は騎士道なんてかたっ苦しいもんは知らん。あくまで裏の縄張りを守るために、表の看板をしょってる。分かるよな? 第一王女? ()()()()()()()()()()()()()

 弱そう。迫力がない。そのほか何でもいい、こちらを侮る言葉を吐いたら、それは喧嘩を売られているのだと解釈する。堅気の世界に生きている連中には絶対に当てはめてはいけない、裏社会のルール。

 だがヘンギストは明確に、目の前の第一王女から、裏のニオイを嗅ぎ取った。

「まあ、ご無礼をいたしました。ならば存分に暴れ、存分に魔導会議の奥の手を引き出してくださいませ。私の情報網でも、詳細はなかなか調べられなくて困っていたところなのです」

「いい度胸じゃねえの。うちの参謀に欲しいぐらいだ」

「私、あまり年の離れた方はちょっと、タイプじゃありませんわ」

「こりゃあ振られちまったかァ。手厳しいねえ」

 冗談交じりに舌鋒を交わす。

(あーあ。喧嘩にはならねえな)

 まったく意識もしていなかった第一王女が、想像をぶち壊す肚の据わりで、面白い喧嘩相手がいきなり出てきたと思った。

 だが、相手は正面からの喧嘩が好みではないようだ。つまらない。

「よし。分かった。一国の王女に対して無礼な発言、ご容赦頂きたい」

 ここは、彼女の顔を立てることにしよう。ギルダスの爺と喧嘩をするのも面白そうだったが、この王女と組んで仕切り直した方がより面白そうだ。

「許します。軍総帥ヘンギスト、王の代理として、天山への護衛をなさい」

 お互いの立場を再確認するための大仰なアドリブにも乗ってくる。冷静で、機転がきき、胆力があり、何が出てくるか分からない底の知れなさがある。

(長生きはするもんだぜ。ウォーディガーン)

 少し、早く死んだ友を思う。

(生きていればいくらでも面白いことがある)

 ヘンギストは第一王女ロウィーナを連れて、遠くロムルス王国の西、天山へと向かう旅を始めた。王都中心に勢力を広げる魔導会議の魔術師たちから逃れる旅は、それほど険しいものではなかった。

「ギルダス。何を考えてるんだか」

 道中。ヘンギストは町へ繰り出して情報収集に努める。城壁を構えた街から、猟師たちが獲物を蓄えるためのちょっとした集落までくまなく足を運んだ。

「魔術師が来たか」

「誰かを探している様子ではなかったか」

「領主が税金を上げなかったか」

 もっぱら酒場で飲んだくれていただけだったが、酔っぱらって口の軽くなった飲兵衛たちからは、素直な意見を聞くことができる。集めた話を忘れないうちに第一王女に報告しなければならないので、朝まで酒に付き合えないのが難点である。

「情報が少ないですわ」

「酔っぱらって忘れたわけじゃないぞ」

 第一王女ロウィーナの護衛ゼノビアは、脳みそまで筋肉のくせにいっぱしの口を利く。

「ゼノビア。ヘンギスト総帥の記憶容量に関する疑問は忘れなさい」

「忘れることは得意ですわ!」

 バキバキに鍛えた胸筋を張るゼノビア。オイスクが冷たい視線を向けた。ゼノビアとオイスクは相性が悪い。見れば分かる。

 気が合わないながらも、意見交換は活発である。

「王都を離れてひと月。もうじき天山の麓にたどり着くが、これと言って大きな動きがない」

「各地に魔術師を派遣してはいるが、表立って税金や兵士を取り立てているわけでもない」

「王都で反乱が起きたことは国中に広まっているが、同時に王や王女が行方不明になったことも伝わっている。かなり正確な情報伝達手段を持っていると考えられる」

「領主のすげ替えもやらない。税金の徴収は今まで通り。それなら税金と兵役をほっぽりだす連中ばかりになると思ったんだが…」

「魔導会議の支配を受け入れた領地には、所属する魔術師を派遣。農作業から魔獣討伐、ちょっとした怪我や病気に至るまで魔術で解決するのですね。それほどに魔術師を育成していたとは、計算以上の勢力といえそうです。想定外の人員を地方に派遣している」

「そういうカラクリなら、魔導会議を認めていなかった領主達もこぞって税金を納めて兵を出すってもんよ。今まで悩んでいたことをちゃちゃっと魔術で解決! 今日からあなたも魔術を習いに魔導会議へ! ってな」

「総帥。真面目にやってください」

「へい」

 茶化したくもなる。魔術を世間に浸透させる絶好のタイミングを狙っていたとしか思えないのだ。

(何かの時に、ウォーディガーンから聞いたっけな)

 ギルダスの母は世間に魔術が認められていないころ、医者と薬師に恨まれて命を落とした。

(今がいい機会ってわけだ)

 魔導会議の動向に気を配りつつ、旅が終わる。

 天山へたどり着いたのは、王都陥落からひと月経った頃だった。

「この辺りは魔導会議の影響力が全くない」

「しかし、魔術師の派遣を要請して断られた領主は多いと聞きます」

「ああ。それで反感が高まると思いきや、将来のために誰でも、何人でも魔導会議の教育機関に受け入れて魔術の教育をすると来た」

 だからあの時、王都ですぐさま反撃すればよかった、と今更言うのは卑怯だと思う。

 それでもそう脳裏によぎるのは、第一王女の提案に乗ってこんな西の端までやってきたのが正しいのかどうか。ヘンギストにはどうにも信じ切れていないからだった。

 目の前には天山が聳えている。

 雲を抜き。青空に手を伸ばしている。

「まあ、いいや。難しいことはベーダの爺の厄介になりながら考えよう」

 天山。

 聖光教の前身、精霊教を育んだ土地。

 聖光教教祖。今は無き魔王の側近だった、嫌になるくらい女にモテるベーダの領地である。

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