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九王記  作者: 荒木小吾
二章 東よりきたるもの
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62話 融合

 西大陸。

 魔導会議が王都を占領し、魔王の跡を継いだアウレリアヌス王は行方知れずとなった。魔導会議は魔術の研究を第一目標として掲げ、王宮の宝物庫を解放したのである。

 結果、魔道具の作成と、扱いの習熟、基礎となる魔術の知識の習得のために王都には魔術師の教育機関ができる。

「みんながやらないっていうなら儂がやる」

 教育機関発足のきっかけとなった魔導会議議長の発言は歴史の闇に葬られた。

 魔導会議本部を研究機関、王都には教育機関として、魔術師の魔術師による魔術師のための国家体制が整えられようとしていたのである。

 役人の不足による行政組織の不徹底がありつつも、魔術師の派遣によってロムルス王国各地は一応の安定を保っていた。

 ロムルス王国。王都周辺の森。

 山。森。海。

 魔獣の縄張りに立ち入る傭兵や猟師が増加している。

 命を落とした後も魔力を強く含む魔獣の素材。それは魔術師たちに大量に必要とされ、価格の急上昇を招いたのである。素材は、魔術師の研究に必要であり、魔道具作成にも必要であり、日々の暮らしにも欠かせない。

 日常生活に不可欠な素材まで高騰するのを問題視した魔導会議は、魔獣の素材を一括で購入することを議決する。魔導会議がすべての魔獣の素材を一度買い上げ、適正価格で販売するという方策がとられた。

 まあ、難しい話は庶民には関わりなく、

「魔獣を狩ると儲かる。魔導会議がいつでも何でも買ってくれる」

 ということで猟師と傭兵はにょきにょきと増えているのであった。

 

 王都周辺の森。人の営みにほど近い、ちょっとした魔獣の縄張りでも、魔獣狩りは活発に行われている。

「ウッバ! がんばれ! ウッバ!!」

「気を強く持て! 絶対に何とかしてやる!! ウッバ、死ぬな!!」

 猟師の親子が山の斜面を転げ落ちている。斜面を走っているのだが、あまりにも早く足を回転させているので、落ちているように見えた。

 夜。

 月が雲に隠れている。

「くっそ! ついてない! なんだってあんなヤツがこんな山奥をうろついてんだよ!!」

「ぼやぼやしてんじゃねえ! しっかり走れ!! 追いつかれるぞ!!」

「来るな!」

 若い男、ウッバと呼ばれた少女の兄が矢をつがえて放った。

 咆哮。

 魔獣の影が細かな月明かりに浮かび上がる。

 放たれた矢は木を三本貫通して魔獣の額を貫いた。しかし、魔獣は一瞬ひるむばかりで地に伏すことはなかった。

「頭じゃねえ! 足を狙え! 仕留められないなら、足止めをするんだ!」

 年老いた男、ウッバの父親が娘を担ぎながら口から泡を飛ばしている。

 兄が矢を五本まとめて放った。太いまとまりとなって矢が飛び、魔獣の右足に上から突き立つ。

「どうだ!」

 後ろ向きに走りながら兄が吠える。

 魔獣も吠えた。地面に縫い付けられた足を強引に引きはがし、前足を地面へ、頭を下にして走ってきた。逆立ちの姿勢で、急斜面を駆け下りてくる。

「なんだそりゃ!」

「ふざけてんのか!」

 ふざけてない。とばかりに魔獣は猛って追いかけてくる。

「くそー! こいつ縄張りを持たないタイプか!」

 山の中腹からずいぶん駆けてきた。足に余裕はある。木々に覆われた山なので、まだ距離に開きもあった。

「親父! 村がある!!」

 追ってくる魔獣の体は大きい。町にある一軒家ほどだろう。茂っている樹林の間を走ることはできず、まっすぐ走ろうとすると必ず木を折り倒しながら進まねばならない。

 それが、木のないところへ出ればどうか。

 逆立ちをするというみょうな素振りだが、走る速さが落ちていない、矢を食らっても効いているのかいないのか。強靭な肉体を備えているのは間違いない。

 選択肢は二つ。

 このまま走り続けて村へ向かい魔獣に追いつかれないうちに助けを乞うか、森の中に一人が残り魔獣を足止めするかだ。

「俺が残る!」

 娘を担いだ父親の後ろに、ウッバの兄が立つ。

「バカ! 親より先に死ぬ息子があるか!」

 父親は娘を地面にそっと下ろし、自分も息子と共に魔獣へ立ち向かおうとする。

「あんたの方がバカだ! ウッバをそんな状態で放っておけるわけないだろうが! 今すぐにでも医者か治療魔術の使い手に見てもらわなきゃならないだろうが!」

「だから、俺が残る」

「お、親父…」

「ー大丈夫だ。森の中ならあの魔獣は素早く動けない。朝まで何とか持たせる。明るくなれば、戦いの騒ぎで下の村から応援が来る。それまで何としても生き残る。娘に、俺の命を奪ったなんて悲しい思いを背負わせるわけにはいかない」

 強がりである。

 魔獣は未だこちらを侮っている。森の中で動きが遅いのは、ただ単に全力で移動していないだけにすぎない。いくらかでも手傷を負わせ、向こうが本気になったら、自分は肉塊となって魔獣野原に収まるだろう。

 という言葉を飲み込んだ。それは、冷たい妹の血がそうさせた。

 猟師の息子は、分かった。

 そう、言おうとした。

「あたしの家族に手ぇ出してんじゃねえよ!! ケモノ風情がよぉ!!」

 丸太。引っこ抜かれた大木が魔獣の胴体を串刺しにして地面に縫い付けた。

 魔獣は、相変わらず痛そうなそぶりも見せず、身をよじって胴体を貫通している邪魔な木から逃れようとしている。手傷を追わせられたとは思えなかったが、いくらか時間は稼げそうだった。

「母ちゃん」

「おっ母」

 大斧を地に立てたのはウッバの母親であった。

「あたしとアンタで食い止める。そうだろ?」

「ああ」

 猟師の夫婦は笑いあう。

「それにしても母ちゃん。いいタイミングだ」

「ふふん。嫌な予感がしてね」

「母ちゃんの予感はよく当たるからな。惚れたぜ」

「やめとくれよ。何度目だい」

「何度だって惚れてやるさ」

「ーごほん。俺はウッバを町に連れていく! 頼んだぜ!」

 ウッバの兄は妹を担ぎ、村を過ぎ、町を抜け、王都へたどり着く。

 両親があの変な魔獣にやられるとは思っていなかった。二人とも普通の猟師である。今どき流行りの傭兵ではなく、きちんと生業として山に暮らしている、由緒正しき開拓民の末裔だ。

 どんな凶暴な魔獣が相手でも、絶対に負けないという確信があった。

 なにせ、ロムルスの猟師は百年の間、魔獣を狩って生き抜いてきたのだ。

「こぽっ」

 背に負った妹が血を吐いた。内臓が痛めつけられている。

 あの二人なら大丈夫、あとは自分が、妹を助けられる魔術師か医者を探し出して、妹が助かって、調子に乗った笑い話にしてしまうだけだ。

 なのに。

 なのにどうして。

「手遅れです」

 なのにどうしてそんなことを言うんだ。

「内臓をやられていて、とても無理です」

 どうしてだ。冷たい血が背中を伝っていく。猟師が魔獣に返り討ちに合うなんてよくある話、魔獣を食って生きているのだから、魔獣に食われて死ぬのは当然のこと。

 そして、それを頭でしか分かっていなかった。

「妹なんです。なんとか。なんとか…」

 医者、薬師、治療魔術を使う魔術師。頭を下げて、訪ねて回った。父と母が魔獣を食い止めて作ってくれた時間が、減っていく。

「おれが、俺の、俺のせいで」

 大通りの有名なところも、裏路地の怪しいところもすべて回った。

 もう、どこにも妹を救うことができる者はおらず、ウッバは自分の背で冷たくなっていく。山で魔獣を狩った時のことがふと頭をよぎる。

 小さくなる息遣い。命と共に流れ出る血。目の光が失われてゆく。生き物から、肉になる。

「なんだって今そんなことを考えるんだ!」

 思わず叫んでしまった。背中からぽたりとしずくが落ちる。命が落ちていくような気がして、わけもなく焦りが湧いてくる。

「誰か! 誰かいないか!」

 血まみれの少女を背負い、俺はきっと鬼気迫る顔をしていることだろう。背中の少女は瀕死の重傷で、二人は魔獣を狩る装備を整えている。遠めに見ても「ああ、猟師か傭兵が魔獣に返り討ちにあったんだろうな」と察することができた。

 人よりも魔獣の多いこの大陸で、魔獣に襲われて生死の境を彷徨うことは珍しくない。強ければ生き延びることができる。弱ければ死ぬ。死ぬのは怖いし、残された者の悲しみは大きいが、今までさんざん殺してきたのだからいずれ自分にも順番が回ってくるものなのである。

 叫ぶ兄を憐れむものはいない。死は順番に巡ってくるものだから。

 しかし、彼をたしなめる者はいない。死の悲しみを感じないものはいないから。

 だから彼は、死にかけの妹との最後の時間を過ごすべきなのだ。誰もがそう思う。

 まあ、もっとも、どこにでも変わり者はいる。魔術師なんて変わり者でなければ続かないものだから。

「あー、ちょっと君。その女の子、助けたいんだって?」

 妹を助けたい兄の前に現れた変わり者は、額に氷のような角を持つ鬼人であった。


「いやあ、まさに運命! 九王の導き! 僕も君たちも望みの物を手に入れる! この出会いに、感謝」

「エブリックがまた怪我人連れてきた! もー! 血の匂い染みついたらどうしてくれんのよ! せっかくカワイイお花育ててるのに!」

 妖精と鬼が血まみれの少女を前に言い争っている。

 そういって両親は信じてくれるだろうか。

 王都中の治療術師に手遅れと診断され、途方に暮れていたので彼についてきたのだが、さっそく後悔し始めていた。魔導会議のエブリックと名乗った鬼人の魔術師に連れられて、高級そうな研究機材が並ぶ部屋に案内された猟師の兄妹。

 治療魔術の使い手ではなく、魔術の研究者であると名乗った彼についてきたのは、「まだ研究段階で普及してはいないのだが、いかなる重傷者でも命を長らえるとっておきの魔術があるのだよ。君、どうかな? 妹を僕の実験台として差し出せばその命だけは助かるかもしれないよ? ん? どうする?」という言葉に一縷の望みをかけたからだった。

「正直、あんたの実験台にされるくらいなら死んだ方がましだと言われるかもしれない」

「御託はよせ。僕が君に求めているのは答えだよ。妹をこのまま死なせるのか、僕の実験台として可能性に賭けるのか」

「口を挟まずに聞きなさいよ。人でなし!」

「だけど、どんな罵倒でも生きていてこそのものだ。俺は、俺のために妹を差し出す」

「最低」

 妖精はさっきからうるさい。

「最低だけど。同情はするわ。あなた、超不運よ」

 いうだけ言って妖精は去っていった。

「なんです? あの妖精」

「五賢弟のポロンさ。あと、彼らに向かって妖精とは言っていけない。花小人と呼びなさい。精霊の格落ちの呼び方だからね。呼ばれていい気はしないのさ」

「え? は、はい」

 よくわからない点で注意を受けながら、妖精、もとい花小人のポロンに止血されて横たえられた妹のウッバの手を握る。

「おっと、離れていたまえ。もう始める」

「ーがんばれ。ちゃんと生きて、また会おう」

 別れの言葉を告げた兄に、エブリックはちらりと目をやった。

「ではこれより、君の妹は僕の実験台だ!」

 ウッバが魔術で宙に浮く。

 そして、研究室の床から鋼がせりあがり、ウッバを取り囲んだ。

「なんだこれは!?」

 兄はまず呆然とし、それからエブリックを問い詰めようとしたのだが、

「主はただいま非常に集中を要する作業中です。お下がりください」

 流暢に東大陸語を話す魔獣に取り押さえられた。

 その力の強さ、今まで気配を見せなかった隠密能力、なにより得も言われぬ迫力が兄を黙らせる。もし猟師の兄が魔術の訓練を受けたことがあるのなら、数千年生きたとして届くか分からない魔力量に言葉を失ったことだろう。

「んン~♪ んんんン~」

 作業台の上に置かれるウッバの体からは、まだわずかに血がしたたり落ちている。薄い胸板がわずかに上下している。息はあるが、肌の色は青ざめているどころか土気色になっていた。

「では、魔獣を用意したまえ」

 エブリックが気障に指を鳴らす。

 台車に檻が乗せられている。薬でも打たれたのか、いやにおとなしい魔獣が一匹入っている。翼と大きな目が特徴的な魔獣だ。ウッバの兄も見たことがある。夜中に音もたてず木々の間を飛び回って狩をする魔獣だ。翅はしなやかで強靭。風を切る音がしないので、矢の後ろに使われる。魔術の核として用いる場合には、周囲の風の流れを整え、矢の軌道を操る魔術に使われるものだ。

「魔獣を、どうするつもりだ?」

 自分を押さえつける手はびくともしない。ウッバの兄は抵抗をやめた。この怪しげで少し苛立たしいエブリックという魔術師に妹を預けたのは自分だ。何かあれば、自分がすべての責任を取ればいい、と思い定める。本当に良いのだろうかと自問自答する。

 悶々とする間にもエブリックは作業をやめない。

「主は魔獣とウッバ様を融合させます」

 融合。言われた言葉を飲み込むのにはいくらか時間がかかった。

「そんなバカな」

「検証段階ですが、すでに複数の成功例があります」

 その成功例がどのようなものなのか、見当もつかない。聞く気も起きない。

 そしてとうとう、取り返しがつかなくなった。

 目の前で妹の体が分解されていく。檻が開いて魔獣が宙に吊るされた。魔獣の体からいくつかの臓器が抜かれていく。

「いい感じだ。君の妹はこの魔獣と相性がよさそうだよ。よかったじゃないか」

 傷ついた内臓が魔獣のものと入れかわる。

 怪しげな薬品と魔獣の血液が交わり、妹の血管に流れ込む。

 露出した心臓に、奇妙な文字が刻まれた。

 目を覆いたくなるような不気味さがある。生まれてからさっきまで自分のそばにいた人間が、まったく別のイキモノに置き換わっていく。怖気を振るう光景を目の前にしても、不気味さに震えるだけだったのは、妹も魔獣も安らかに呼吸をしているだけだったからだ。

 痛みに震えてくれれば、せめて涙の一つでもこぼしてくれたなら、この魔獣の腹の中よりおぞましい光景から妹を連れ出して、人間として墓の下に連れて行ってやれただろう。

「まだしばらくかかる。ゆっくりしていたまえ」

 エブリックの声が遠い。

 猟師の兄は、妹のウッバが魔獣との融合術式を無事耐えきるまで瞬き一つしなかった。


 朝。

 王都ロムルス。五賢弟、鬼人エブリックの研究室近くの空き部屋。

 ウッバは目を覚ました。いつもより光が強い。まぶしくて目を開けられない。

「主。ウッバ様が意識を回復されました」

 男とも女ともつかない声。しかし、その声を発した人物がどこにいるかははっきりと分かった。

 何もかも、よく分からない。

「ふーむ。なるほどね。こういう感じか」

 部屋に誰かがやってくる。

「誰!? こっちに来ないでください!!」

「そんな面倒なことはしないさ。僕くらいの魔術師になれば、術式の結果は手に取るようにわかる」

「さすが主」

「だろう!」

 何かするりと体中を走った感覚があった。しかし、主と呼ばれた人物は近寄ってきてはいない。その人物は鼻歌を歌いながら足早に去っていき、もう一人の人物もついて行った。

 部屋には誰もいない。

(何が起きてるの?)

 何も分からないまま、急激な眠気のなかに落ちていく。

(いったい、なにがー)

 答えを知るのはもう少し先のことである。


 王都ロムルス。裏路地。

「なんか深刻な話してる連中がいるぜ」

「知らん。足を動かせ」

 元気な少年と気だるげな少年が二人、王都周辺の森から帰ってきた。

 全身血まみれで、いかにも一仕事終えたという傭兵たちに混じり、大物の魔獣を台車で引く猟師たちがいる。若い男と、働き盛りくらいの男と女。家族であろうか。獲物の取り分で争う様子ではない。無事に狩が終わって喜んでいる風でもない。仲間が死んだ、というほどの悲壮感はない。

 気になると言えば気になる。だが、それよりも今日の食事にどうやってありつくかが問題である。

「働き口を探すとか言って、もう三日だぞ。いい加減噂話だけじゃどうにもならん。傭兵ギルドの雑用なら働き口があるっていうのに、お前は…」

「いやなもんは、嫌だね! 俺たちを冷たくあしらった連中だぞ、そんな奴らの御用伺いなんてやってられっか! だろ!?」

「おれはお前のそういうところが嫌いだよ」

「お前だって内心嫌だろ」

「うるせえ」

 少年二人、やかましく裏路地に入っていく。またどぶの匂いが染みついた小さな魔獣で腹ごしらえだ。

「はあ。金がない」

「夢はある」

「飯が無い」

「希望はある」

「無い」

「ある!」

「無い!!」

 喧嘩になりかけたところで腹が鳴った。

 元気な少年が道端の草を引っこ抜いてかじる。気だるげな方は飛び回っている爪ほどの魔獣をつまんで口に入れた。

「不味い」

 声が重なる。

「あー。どっかにオイシイ話転がってねえかなあ!」

「さんざん探したけど、どこにも無かったろ。王都が魔術師の町になって、誰でも入れるキョーイクキカンができたとか騒いでるけど、俺たちみたいに魔力の足らないガキは入れねえって言われちまったし」

「俺らの魔力ってそんなに少ないのかねえ」

「偉そうな奴が言ってたし、そうじゃねえの」

 どんな奴でも受け入れて魔術師にしてくれるという魔導会議の教育施設には顔を出してみた。孤児二人だからと追い返されることはなかったが、何やらよく分からない道具で体中を調べられた結果、魔力が足りないと追い返されてしまったのだ。

 道具に表示されたものを見せられて、色々親切に説明してくれたのだが、文字どころか数字も読めないので何を言っていたのかほとんど分からなかった。

「あー。どっかにオイシイ話…」

 元気な方の少年がまた言いかけた。

「おいー」

 気だるげな少年が止めた。

「ああ」

 あれは、なんだ。

 違う、見れば分かる。何かしらの魔術が失敗したなれの果てだ。

 それでも、誰かに問いたい。あれはなんだ。

 王都の路地裏にはあらゆる汚いものが集まる。見慣れてしまってなんとも思わなくなっていたはずだった。魔導会議本部の裏路地には魔術の失敗作がいくつも転がっていた。生き物だったものだろうと、そうでなかろうと、廃材として有効利用してきた。

 ただ、まだ生きて動いている失敗作を見るのは初めてだった。

「おい、ゆっくり大通りまで戻るぞ」

 気だるげな少年に、元気な少年がこっそり言った。

 その声に、失敗作が振り向いた。

「やば」

「は、走れ!!」

 慌てて後ろに走ろうとした。

 体を後ろへ向ける。

 足を前に出そうとして、もう足が無いことに気が付いた。

 痛みが全身を巡る。

 痛みに叫び声を挙げようとして、声が出ないことに気が付いた。

 彼はどうしている。あの元気の良さを発揮して、うまく逃げただろうか。

 姿を確認しようとして、自分がいま、失敗作の口の中を見ていることに気が付いた。

(あっけなかったな)

 いつか死ぬとわかってはいた。これほどあっけないものだとは思わなかった。彼がどうなったのかだけが気がかりではあるが、自分なりに懸命に生きてきた。犯罪に手を出さなかった。後ろ暗い道を歩いてきたが、他人を足蹴にしてこなかった。

(ああ。もうだめだ。考えがまとまらない)

 すでに視界はない。失敗作の胃袋に収まって、ドロドロとした栄養の一部になるのだ。まだ意識が残っているのが不思議なくらいだったが、おぼろげに自分の体の状態が分かるところを見るに、俺は丸呑みにされたようだ。

 そして、俺は何も考えられなくなった。


「やれやれ。失敗したと思ったが、まだ息があったというのか。僕としたことが、実験体の生命力を見誤っていたのかな? それとも、融合による相乗効果が発生したということかな? ふふぅ。我ながら奥深い術式を発明してしまった…。自分の才能が恐ろしい」

 五賢弟、魔術師エブリックは自身の使い魔である合成魔獣が仕留めた実験体の失敗作を丹念に調べている。王都の路地裏で住民を捕食していたものを処理した後、研究室へと持ち帰ってきた。

「主。まだ息のある被害者を保護いたしました」

「ほう。それは運が良い。ーいや、運が悪いのかな?」

 塵となんら変わりのない姿になりはてながらも、まだ息のある少年が合成魔獣に抱えられている。失敗作は非常食のつもりか、手足を折り内臓を痛めつけて放置していたようだ。

「内出血がひどいな。長くないだろう。おい、返事はできるかい?」

 ぼそぼそと、少年は何か言う。

「ほう! いいだろう!」

 魔術師は目を輝かせると、魔術を発動させるのだった。

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