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九王記  作者: 荒木小吾
一章 西の大陸で
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5話 飲んだくれアスラヴグ

獣の南大陸。しかし咆哮の轟は微かになり、一部の獣は知を得た。先祖として敬いつつも、その屍を食らい、纏い、王座を据えた。仮初の王は衰え、若き血潮は沸き立っている。いや、少なくとも一人、血潮の熱さを忘れた戦士がいる。冷たさは王座にふさわしいのか。情熱なき者が王になり得るのだろうか。

 南大陸北端。

 海岸に吹く海風は今日も穏やかだ。

「ありゃ、もうないのか」

 酒瓶の底を覗き込む。見たことも無かった透明な容れ物は、瓶、といって東大陸では当たり前にあるものらしい。

一滴垂れてきた最後の雫を口を開いて待ち構える。ところが急に強い風が吹き、雫を飛ばしてしまう。

「あーあ、もったいね」

 海岸線を見下ろす小高い丘には丸太で作った見張り台があり、天辺に狭い足場がある。一人座れば一杯になる狭い場所だが、アタシはここで海風に吹かれながら酒を飲むのが好きだった。

「おおい、誰か酒のお代わりを持ってきてくれ」

 返事が聞こえない。見張り台の下には何人か戦士が待機していて、時間ごとに見張りを交代するのだ。それほど高くない見張り台だから、声は届いているのは間違いない。

 何度も呼びかけていると、下にいたうちの一人が任務中は飲むなと言ってきた。

「ちっ、アズラの奴の仕業だな」

 前までは良く一緒に酒盛りをしていたくせに。

 最近、双子の弟は酷くやかましい。口を開けば王たる品格がどうの、とか、下の者に示しがつかない、とか、顔を合わせるたびに説教ばかりだ。

 一度、アタシはもう獣人王になる気は無いと言ってみたが、ものすごく悲しそうな顔をされ、思わず逃げてしまった。

 それ以来何となく弟の言うことに背き辛くなっている。

「しょうがない、自分で取りに行くか」

 よっこいせと立ち上がるとぱらぱらと真っ黒の毛が落ちた。そろそろ春が来る、生え変わりの時期だな。試しに頭をかくとごっそり毛がついた、黒ばかりの体毛は兎人族では珍しい。この辺では雪が降らないが、この黒い体毛は雪原で異様に目立つ。弟の純白の体毛とは大違いだ。

 やめだやめだ。体毛の色などそいつの中身には何の関係もない話だ。それよりも今は酒が大事だ。

 よし、あれを出そう。

 見張り台の上から飛び降りる。手足を全て使って着地し、衝撃を殺す。

 駐屯地まで行けば酒は有る。この間海の向こうからやって来たというボルテという商人は手土産として東大陸産の酒を樽で三つもくれた。

 それが上手いのなんの、故郷の集落で作られる土臭いものとはまるで違い、いくらでも飲めるのだ。海岸の見張りで退屈していたアタシたち兎人族の戦士たちは、あっという間に樽を全部開けてしまった。

 その時、こっそり隠しておいたとっておきがまだあって、それをちびちび楽しんでいるのだ。

 鼻歌交じりで隠し場所へ向かう、着いたのは特に何もない草原だが、一歩一歩草を踏みしめながら歩く。

「ここだ」

 兎人族特有の長い耳に微かな音が聞こえる。爪でそっと土をどけると木の板が現れた。この下が酒の隠し場所だ。

 板をどけようとして動きを止めた。

 誰かいる。

 足音は入り乱れて分かりにくいが五人程度か。

 素早く地面に這いつくばると、耳を立てて様子を探る。

 風の吹く音のほかに足音が南東から聞こえてくる。他に、湿ったものを触れ合わせたような、にちゃっとした音と、ごぽごぽとした魚人族特有の声がする。

 兎人族の聴覚をもってすれば声の質を聞き分けるのは造作もない。間違いなく魚人族が五人いる。

 どうする。

 仲間に知らせるか、一人で片を付けるか。

 決めた。

 決めた時にはもう走り出す。幼いころから草原を駆けまわった感覚に従い、低い体勢で草をなびかせずに魚人族に近づいていく。

 まず一人。

 足に思い切り力を込め、最大の力で前方に跳躍。

 魚人族の腹を横に掻っ捌いた。

 声もなく崩れ落ちるそいつを尻目に、また草の中に潜む。

 隙を伺い、また一人。同じように腹を裂き、臓物を引きずり出す。

 流石に襲われていることに気づかれた。

 ごぽごぽと声を交わし、魚人族が背中合わせになる、死角を無くしたつもりだろうが、草原の戦いで魚人族を仕留めることなど朝飯前だ。いや、朝飯はもう食ったな。

 どうでもいいか。

 わざと草を揺らして音を立てた。そして気配を断って近づき、音のした方へ意識を向けている魚人の背後に立つ。

 全く気付いていない三人の内、二人は頭を砕き、最後の一人は地面に押さえつける。荒い息を吐くそいつに一応聞いてみた。

「何が目的だ」

 こちらの言葉が通じないのか、答える気が無いのか。魚人は何も言わない。

「まあいい、後でじっくり聞きだすことにする」

 頭の後ろを強く打ち、意識を奪う。

 ぬるぬるしたそいつを担ぐ気はしなかったので、その辺の丈の長い草をいくつか摘み取り手早く縄を綯う。手足を拘束した後、雄たけびを上げた。

 しばらく酒を飲みながら待つ。草原を吹き抜けていく風は、海の物だ。どこか塩の匂いがする。

「姉上!」

 ようやく来た兎人族の連中は弟のアズラを筆頭に十人ばかりでぞろぞろやって来た。

「なんだ物々しい、何かあったのか」

 それを聞いたアズラは呆れた顔をした。

「姉上が緊急用の雄たけびを上げたんだろう」

 そうだったかもしれない。この間決められた雄たけびでの通信はまだよく覚えていない。

「まあ、緊急と言えば緊急かな」

「その魚人族たちのことか」

 アズラの視線の先には死体が転がっている。

「ああ、全部で五人。四人は始末したが、一人捕らえてある」

「分かった」

 アズラが雄たけびを上げる。するとあちらこちらから雄たけびが帰ってきた。

「なんだ今のは?」

 アズラは大きくため息をつく。

「姉上、今のは戦闘準備の合図だろう」

「そうだったのか」

 そうだったかもしれない。何しろその合図が決められたときは相当酔っていたからな。

「いい加減覚えろよ」

「あいあい」

 適当にアズラの説教をかわしながら駐屯地に戻る。もちろん捕らえたぬるぬるは下っ端に担がせてある。

 駐屯地は泥を干して固めたレンガと草で作ってあり、そこから北の海岸の各地にに見張りを派遣している。主に魚人族の襲撃に備えるためだ。

 先ほどの雄たけびの合図で兎人族の戦士が集まるのに半日かかるとのことなので、物陰に隠れて酒を飲むことにした。

 重装備の戦士が一日で到達できる距離が一つの駐屯地の持ち場で、場所は今代の獣人王ウィスタが決めた。

 強靭な脚力を持つ獣人でも南大陸の北海岸を見張るのは難しい、そのため考えられた仕組みだ。各部族はそれぞれ戦士を供出して駐屯地を一つ二つ守っている。

 兎人族は戦士の数がそれほど多くないので駐屯地は一つ。他の部族も戦士の数に応じて駐屯地の数が決まる。中には一つの部族で二つ守っているところもあるし、逆に複数の部族で一つの駐屯地を任されているところもある。

「んう?」

 気づけば眠っていたようだ。辺りはすっかり薄暗く、兎人族の戦士がかがり火の準備をしている。

「おや、アスラヴグ様。こんなところで何をされているのです?」

 間の悪い事に戦士が一人こちらに気づいてしまった。

「ああ、うん、まあ、あれだな」

 慌てて酒瓶を背後に隠したがもう遅い。戦士はにやりと笑い、分かってますよとばかりに頷く。腹立つなこいつ。

「アズラ様には内緒にしておきます」

「そうしてくれ」

 弱みを握られっぱなしというのも癪なのでそいつを手招きして呼びよせ、酒瓶を懐にねじ込んだ。

「あの、これは?」

「取っておけ、口止め料だ」

 獣人は例外なく酒が好きだ。獣人王でさえ酒盛りの時は裸で踊りだす。そして、一介の戦士にとってボルテの持ってきた酒は喉から手が出る程欲しいものだ。当然一人で飲む。これでお互い共犯になる。

 アタシはこいつがボルテの酒を持っていることを言わない。こいつはアタシがアズラに指揮を丸投げして酒を飲んでいたことを言わない。

「契約成立だ」

「はい」

 硬い握手をして戦士と別れ、駐屯地の中心へ向かう。

中心は広場になっていて、普段は戦士たちの他にも雑用係や伝令を含め、駐屯地にいる者たちの憩いの場となっている。

 しかし、今日は円形の広場を取り囲むようにかがり火が焚かれ、各地の見張りから走り通してきた伝令たちが荒い息を沈めようとしている。

 こちらに気づいた戦士の一人にアズラの場所を聞くと、広場の端にぽつりと立っている小屋に案内された。

「姉上、いったい今までどこで何をしていた」

 小屋に入ってすぐ、説教の気配がする。

「それより現状は?」

 強引に話題を逸らす。アズラに緊急事態だと意識させることで、どうにか説教を逃れる作戦だ。

 聞こえよがしに舌打ちをしたアズラを、小屋の中にいた兎人が苦笑しつつなだめる。確か西の岬の見張りをしている奴だ。

「これを見てくれ」

 アズラが木の板を地面に置く。覗き込むと何やら線がたくさん書いてあり、海とか駐屯地とかいった字が書いてある。

「姉上がどこかで酒盛りをしている間、俺がこの間来た商人から教わったことを基に作った地図だ」

 前半は無視する。地図に集中だ。

「地図ねえ」

 今まで使っていた絵のような地図とはだいぶ違う。距離と方角がきちんと書かれているし、丘や川、草原の範囲もきちっとしている。一度見せてもらったボルテのやって来た西大陸の地図はこんな感じだった。

 本当にアズラがこれを作ったのだとすれば、ボルテがここに留まったせいぜい十日で、アズラは話を聞いてこれを作ったことになる。

 情熱も努力も大したものだ。ここまで正確な地図があれば作戦ずっと立てやすくなる。

 だが、そんな態度はおくびにも出さない、代わりに口からげっぷが飛び出した。

 アズラの眉間にしわが寄る。それでもまずは現状の説明を優先することにしたらしい。爪で木の板に書かれた地図を指し、説明を始める。

「ここが駐屯地、ここが魚人族の斥候が発見された海岸近くの草原、そして海岸の見張りから魚人族の軍勢を発見した知らせが届いたのがここ、一応背後も調べてみたら見つかった軍勢がここ、ざっと背後に百、前方に四百ってとこだ」

 次々に説明される情報は、木の板に爪で刻まれていく。そうすると見えてきたことがある。

「背後に百人も回り込まれて、なぜ今まで気づかなかった?」

「恐らくだが、少人数で少しづつ移動したんだろうな」

「本隊が出てきたってことは、もう相手は仕掛けてくるつもりだな」

「そういうことだ。早く迎撃策を練らなきゃならない」

 こちらは非戦闘員を除いて百人というところだ。五倍の相手、中々血が騒ぐ。

「もう策を考えていたんじゃないのか?」

「姉上がここの頭なんだから、そういうわけにいかないだろう」

 素っ気ないアズラの言い方の裏に幾ばくかの期待を感じ、一応聞いてみた。

「そうは言っても案ぐらいあるだろ?」

「まあ、それは」

 そうだろうな。こいつは昔から人前で努力をしない奴だ。努力の成果すら自分の中に押し込めてしまう。

「聞かせろよ」

 ごろりと寝転がり、アタシは何も考えていないことをアピールする。真面目なアズラなら、ここで自分がしっかりしなくては、といつも頑張ってくれる。

 しばらく逡巡している様子だったが、やがて頷く。ちょろいものだ。

「分かった、いうぞ」

 アズラの策は伏勢のみを叩くことだった。

「魚人族の狙いは本隊と俺たちのぶつかり合いの中に伏勢を突っ込ませることだ、そこを逆手にとり、伏勢を撃破して奴らの出鼻をくじく、同時に獣人王に伝令をだして援軍を待ちつつ、魚人族の本隊を足止めする」

 どうだ、と言わんばかりの弟の策は見事だった。

「じゃあ、それでいこう」

「え?」

 よいしょと立ち上がり、小屋の外に出る。入り口を見張っていた戦士に台を持ってこさせ、それに上がる。

「よし、聞け皆!」

 広場に集まっていた百人の戦士が一斉にこちらを向く。

「現在、魚人族五百がこちらに向かっている!」

 アズラは戸惑った様子だが、構わず続ける。

「五倍の敵だ、恐怖はあるだろう。だが私は皆に問いたい!」

 ここで広場の戦士たちを見渡す。ゆっくり端から端まで見渡す間、しんと静まり返った広場には、かがり火の薪が爆ぜる音しかしない。

 息を大きく吸い込む。体中に吸い込んだ息が巡り、奥底から熱が沸き上がる。

「皆、獣人の戦士として滾る血潮はあるか!?」

 広場の空気を震わせる。一瞬の静寂の後、雄たけびが上がる。

「皆、敵の肉を喰らう覚悟はあるか!?」

 また、雄たけび。

「皆、戦友と死ぬ覚悟はあるか!?」

 雄たけびが駐屯地を揺らす。

「ならばよし!これより我が弟が策を述べる、頭に叩き込め!」

 そこで台の上にアズラを引っ張り上げ、アタシは降りた。

 慌ててアズラが耳打ちしてくる。

「姉上、よく考えもしないで俺の案を使うな!」

「特に問題ないんだから別に良いだろ」

 考えなくても問題ないと分かったんだ。それでいいじゃないか。

「だからよく考えろと言ってるんだ!」

「あーあー、聞こえませーん」

 面倒になったので耳を塞いで後ろに下がる。

 アズラが睨みつけてくるが知ったことではない。良いと思ったから採用した、それだけだ。にもかかわらず睨みつけてくるアズラの顔には、このクソアマと書いてあるのがはっきり分かった。

 とっとと始めろと手で促す、もう台に上がってからずいぶん経って、気合の入った戦士たちはしびれを切らしてそのまま魚人に突撃していきそうだった。

 アズラにもその様子は分かっていた、やけくそのように説明をし始める。

「分かったか手前ら!さっさと準備しやがれ!」

 説明が終えると、戦士たちに発破をかけて出撃準備をさせて、その傍らで、雑用係に掃除係と食事係の非戦闘員に逃げるように指示を出している。

 熱くなっているようだが、しっかりと周りは見えているらしい。

 この分だとアタシのすることはなさそうだ。ここは任せておいて自分の備えを整えることにしよう。

 広場を後にして営舎に戻る。

 戦士と非戦闘員の部屋は泥を固めて乾かした壁に、草の屋根を葺いただけの簡素なものだ。干し草で寝床を用意すればほとんどそれでいっぱいになる。残った僅かな隙間に置いていた、指揮官の印の飾り布を持ち、先祖代々に伝わる骨のお守りを首に掛ける。

 兎人族を初め、獣人の戦士は武器も防具もつけない、動きを妨げるからだ。

 外に出るとかがり火は消され、真っ暗だった。しかしアタシに限らす皆夜目は効く、それに今宵は月が明るく、雲一つない。

 階級を表す飾り布、それと先祖伝来のお守りを身に着けて戦士達は静かに闘志を燃やしている。

 アズラがいる方に向かった。

 指揮官の印を押し付ける。指揮官を譲るということだが、アズラは以外にもごねなかった。

 てっきりまた説教が始まると思っていたのだが、やけにあっさりと指揮官としてふるまい始める。

「姉上、行くぞ」

「おう」

 出撃だ。

 駐屯地にいる兎人族百人余が静かに闇に溶けていく。

 戦闘は背後の魚人軍を発見した見張りとアズラで、アタシは最後尾で脱落者がいないか見張っている。今夜中に先手を取って撃破するため、皆全力で駆けている。

 息遣い、鼓動、大勢で駆けていると、それらが一体となったように錯覚するときがある。一頭の大きな獣になって、草原を駆け抜ける。

 太古よりここは我らの土地、祖先が伝えた我らの血統、縄張りを荒らすならば、その身に刻み来む、よそ者よ、立ち去るがいい。

 獣人王ウィスタの言葉だ。

 かつての人族の入植を追い出す際に先頭で戦い、玉座を掴んだ。それ以来獣人の頂点に立ち続けている。

 先頭のアズラが片手を挙げた。全員が一斉に止まる。戦闘の合図は手の動きで指示される。

 アタシは十人程と後ろに残るよう指示された。今回、指揮はアズラに任せている。

 左右に散開し、草の間に潜む。その後、非戦闘員がアタシの背後に集まってきた。野郎、アタシにこいつらのお守りをさせて戦わせない気だな。

 そうは言っても指揮官のいうことだから仕方がない。アタシたちは、前方に三十人ごとに分かれた三隊と後ろにアタシと十人の後詰の陣形でゆっくりと前進する。

 アズラが斥候を出した。

 月明りの下で風が吹く、草原を揺らし、地面に這いつくばりながら進むアタシたちの長い耳を揺らす。空に向かって立てた耳は、草で視界を塞がれた状態でも、周りの情報を音として届ける。

 視界が悪く、高い隠密性が求められる夜戦において、兎人族は狼人族や虎人族にも引けを取らない。ましてや陸に上がった魚人族など敵ではない。

 斥候が戻ってきた。前身の速度が上がる。

 やがて前方に僅かな明かりが見えた。魚人族の斥候らしき気配もする。

 アズラが合図を出した。第一隊が密やかに進んでいく。風の切れ間に断末魔が聞こえてくる。

 次に第二隊が雄たけびを挙げ、突っ込んでいった。

 アズラの考えが分かった。第一隊で攪乱し混乱させ、第二隊で陽動をかけて敵をまとめ、第三隊で撃破、という流れだろう。

 後詰は後方で待機の後、残敵の捜索と援軍要請というところだろう。このままではアタシの出番はなさそうだ。

 アズラが第三隊の先頭で突撃していく。いいなあ、アタシもああいう事がやりたかったのに。

 相手はアズラの狙い通りに動いた。

 第一隊の攻撃で混乱して、敵襲にそなえたところに第二隊の陽動に引っかかり意識を向けて陣形を取った、その横腹に第三隊が食らいつく。

 その攻撃で動揺したところに、まとまった第一隊と、そのまま突き進んだ第二隊が突っ込み、勝負は決まった。

 結局アタシの出番は無かった。

 追撃に移っていくアズラ達を横目で見ながら、南にいる獣人王に援軍要請の使者を出した。

 もう月も沈み始めている頃合いで、今からだと、使者が到着するのが明日、援軍が到着するのは明々後日だろう。

 つまりあと三日耐えなくてはならない。アズラが戻って来たら具体的な迎撃策を話し合おう。

 その前に、強行軍についてきてくたくたの非戦闘員を休ませよう。

「お前ら、少しでも寝とけ」

 それぞれ頷くと、一塊になって眠り始めた。海の向こうでは珍しいとボルテは驚いていたが、獣人にとっては草に抱かれて眠るのはいつものことだ。

 食糧庫や、軍の施設、王の拠点など、特殊なものでなければ特に建物を作るということは無い。それらの特殊なものでさえ、百年前に東大陸からやって来た人族の技術を獣人王が取り入れたものだそうだ。

 十人の戦士を二人一組に分け、見張りに立たせる。幸い、残敵の現れることなく、夜明けを迎えた。

「姉上、戻ったぞ」

「おう、お疲れさん」

 あちこち返り血を浴びて、アズラたちが帰ってきた。

 途中でアタシたちの野営地に寄ったらしく、食料と薬と包帯を運んできた。

 軽く傷の手当てをしている間に、寝ていた非戦闘員を起こす。魚人族の野営地を、見張りに立てていた戦士と一回りし、安全を確かめてから片付けていく。

 戦闘であちこち壊されてほとんど使い物にならないが、壊れた寝床や炊事道具に混じって、非常食らしき緑の塊と薬があった。

 さすがに魚人族の食料は食べる気がしなかったが、薬は東大陸製の物だったので頂戴した。

 魚人族の追撃に出ていた戦士たちの手当てを済ませ、軽く食事を取らせて休ませる。強行軍と戦闘で疲れた戦士たちは泥のように眠りだした。

 後詰だった戦士はもうひと踏ん張りして見張りに立っている。

 非戦闘員たちも、食事の用意で疲れていたので休ませた。

 魚人族の野営地だった場所にいびきが響く。朝飯の残りを持ってアズラのところに向かった。

「アズラ、飯だ」

「姉上」

 アズラは戦死者の遺体の前で俯いていた。

 二人で布をかけた遺体の前に腰を下ろす。どちらともなく、朝食を取り始め、無言で食べ終えた。

「犠牲は十人、軽傷が十人、重傷は三人だ」

「ああ」

 損害の報告を聞く。

 犠牲の中には、酒を飲んでいたことを口止めしたあいつや、見張り中に酒盛りをした奴もいる。

「相手の損害は?」

「背後の伏勢百のうち五十は討ち取り、追撃して敵の本隊に追い込んだ後、混乱に乗じて一撃与えて離脱したが、混乱させただけで被害はあまり与えていない」

「分かった」

 そうすると、目標は敵本隊四百五十を三日間足止めすることだな。勝とうと思わなければそれほど難しい事ではないが、指揮を遺体の前で涙を堪えているこいつができるのだろうか。

 功績を立てたくはないが仕方ない。

「指揮を代わろう」

 アズラが勢いよく顔を上げた。

「いや、最後まで俺が指揮をする」

「だが、お前」

 一々死人が出る度に落ち込んでいるようでは駄目だ。という言葉は出なかった。

「心配いらない」

 アズラは一筋流れた涙を爪の先で拭う。

「いずれ混沌に集うのが我らの宿命だからな」

 古い言い伝えを引いて強気に笑うアズラはどこか大きく見える。

 そして太陽が真上に来る頃、魚人軍本隊が進軍を開始したと知らせが入った。

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