57話 魔軍
ロムルス国の首都ロムルス。魔王軍の総帥が控える魔王軍本部にて、魔王軍総帥のヘンギスト・コルレオンは書類の山を見てため息をく。
「魔獣が暴れるだけでこれだけの書類が…」
代王ウォーディガーンが即位してから十年経つ。
(俺がウォーディガーンに剣を教えていたのは十年以上前になるのか)
魔獣に代王都を占領されていた時のどさくさで書いたあの誓約書。あれのせいで今こんな書類の山の中に埋もれていた。あの時よりましなのは匂いくらいのものだ。植物の魔獣を飼いならして作った紙のおかげである。
十年前の書類ときたら、部屋の中がごみ溜めになったのかと思った。書類をすべてやっつけて、十日が過ぎても鼻が曲がりそうになるので、代王以下側近たちは鼻栓をして会議をしたのだった。
ギルダスが消臭の魔術を開発したのがあの時だったろうか。
「オイスク」
幼い時からともにいる右腕を呼ぶが、彼は今いなかった。
「総帥。第一軍、第二軍を率い、魔獣討伐へ出立いたします」
そう言って十日前に副総帥のオイスクが王都を出立した。
王都の駐屯地はがらんとしている。今は近衛騎士の魔王直轄軍と、徴兵されて急遽編成中の第三軍が徐々に増えているが、今しばらく駐屯地は空きが目立つだろう。
第二軍、第一軍は魔獣討伐用の装備を整えていた。通常の行軍速度ならば、今日、明け方に南方の商業拠点ツヴァイ領が見えてくるだろう。
「あー、俺もやっぱり行けばよかったなー」
書類の山と魔獣の大群、どちらが良いかなど考えるまでもない。さっぱり片付かない机の上を、オイスクの置いて行ったお目付け役が厳しく見据えている。
(やればいいんだろう)
凝った意匠が掘ってある総帥の机に脚を投げ出し、書類をひっつかんで読み始めた。机に掘られている原初九王の日輪を模した箇所が足をよけていく。くさい足を乗せるなと言っているかのようだ。
「オイスクのやつ、やりすぎてなければいいがね」
「ギルダス殿より伝令が」
総帥室の前で声がして、何事か誰何の問答がされた。
内容を聞き次いで入ってきた総帥室付き護衛兵は緊張した面持ちである。
「魔力災害の発生を確認、場所は花小人の里。オイスク副総帥が向かっているツヴァイ領近辺です…!」
「やはりか!」
十年前の記憶がよみがえる。魔力を吸い上げる黒い卵。付き従う強大な魔獣。湧き上がってくる闘志を抑えきれなくなった。
「十年待ったぞ! 魔獣!」
目の前に両断された机。それと宙を舞う書類。
無意識に腰の剣を抜き放ち、収めていた。
「総帥…」
溜息とまなざしがきつい。
「いや、悪かった。ついな、つい」
書類の作り直しに三日かかった。
西大陸ロムルス王国南方、ツヴァイ領。もともと代王国の首都で官僚をしていた家柄のツヴァイ家、十年前の魔力災害を生き延びたツヴァイ・ファルコムが家を再建した際に領地を与えられた。当主の才覚もあって、樹人種、石人種、人種、魔人種とが交じり合う南方の商業拠点として栄えている。
魔王軍の第一軍と第二軍が行軍していく。すでに戦時であるという認識から、動きの軽い第一軍に限らず、第二軍にも快足の魔獣が揃えられていた。
行軍中、オイスクは何度も繰り替えす思考にとらわれている。
(すでに十日、最高速度で行軍中だが、十年前にも匹敵する規模の魔獣を南方の一領地がしのげるかどうか。魔力災害に準ずると想定していましたが、それもいつ魔力災害と認定されるかどうか)
無理だ。頭の中で冷静な部分がそう告げた。
ギルダス率いる魔術師の部隊が王脈中の魔力を計測し、引き出された魔力を推定している。十年前にも匹敵する量の魔力が王脈から流れ出していた。
(あの時の魔獣達、それに加えて月影と名乗る原初の九王の一柱。間違いなく奴らはいる。-増援が遅すぎたのではないか)
かつて代王が東大陸へ持っていったという遠距離通信の魔術は、今だ各大都市数か所への配備にとどまっている。
ツヴァイ領は外国との重要な交易拠点ではあるが、成立から十年足らずの町ばかりで、通信の魔術を整備する資金も人手も足りなかった。
(そして、魔獣の被害が大きくなるのは決まって王国領の辺境ばかり)
便利どころか、環境を一新させる通信の魔術だが、痒いところに手が届かない。
ツヴァイ領各所に、砦としての機能を持つ村や町がある。各所に部隊を分けて派遣した。
地響きを立ててツヴァイ領を目前にした魔王軍副総帥のオイスクは、ツヴァイ邸有する街へ向かう隊に混じった。
そこから騎獣に揺られて四半刻。
「壁と、魔獣を確認。それとー」
「あれか。ここからも見える」
「余剰魔力を吸収する結界です。樹人領大森林への水路から、森ごと魔獣が進行中。その対策だとツヴァイ領領主ファルコム様より伝令です」
「わかった。月影の眷属たちは?」
「いまだ前線には姿を見せていません」
「よし。始める」
「はっ」
伝令兵は快足の騎獣を乗りこなす。
「行軍速度を戦時最大速度に。勢いで魔獣の端を突き抜け、反転し逆端を崩す」
命令が伝わると、司令部とその護衛を残してツヴァイ領方面部隊は魔獣へ突撃をかける。
前衛、後衛の二つに分かれていく。
「後衛、掃射」
発動準備の完了した魔術が一斉に火を吹いた。魔力補充と射線変更の隙を矢が防ぐ。魔獣の背から放出系の魔術を放って命中させるには熟練の技がいる。その域に達した兵は少ない。
魔術と弓、部隊を分けて、互いに狙いを定める時間を稼ぐ。
魔獣としてもありえない速さで成長し、範囲を広げていく森。
木々を焼き、その奥に潜む魔獣をよく炙り出す。
「前衛、突撃」
重装備と力のある魔獣で構成された前衛部隊が魔獣の群れを突破する。
十分に速度に乗り、抜刀せずに魔獣の体当たりのみで敵陣突破を図る。魔王ウォーディガーンの創造した魔獣たちは、その意図通りに調整された肉体を躍動させる。
町の防壁へ意識を向けていた魔獣に、一度目の突撃がうまく決まった。
(ここで町の守備隊が門から出てくるかどうか)
心配は無用だった。門が開け放たれるまでもなく、町の防壁を飛び越えていく人影がある。上空から竜巻が降り注ぐ。突撃する影が二つ。素早く動きまわる影が一つ。
蠢く森から炙り出され、むき出しになった魔獣を仕留めていく。前衛部隊に総攻撃を指示し、後衛を構成する兵に新たな指令を出す。
「魔術師、炎と氷で結界を維持しろ。森ごと増える魔獣だ。焼くだけではなく、種子や花粉を凍結して飛び散らないようにしろ。いつまで持つ?」
「この規模だと半日で限界です。魔術師はその後戦闘不可能となります」
「四半日でいい、川向うまで押し返せるか」
「魔術師の護衛が十分であれば」
「私が指揮をする。伝令!」
「ここに」
「町の領主、防衛部隊の指揮官、両方引っ張ってこい」
「はっ」
伝令の乗る騎獣が去っていく。
待つ、というほどもなく。
「ツヴァイ領主、ファルコム様がいらっしゃいました」
伝令に連れられたファルコムが、折り畳み式の机を広げて地図を置いただけの司令部にやってきた。
「はるばるのご来訪、まずは感謝を」
十年前、当時は代王のウォーディガーンに対して反乱を起こした三領主の一人。魔王ウォーディガーンとの決戦の末、その傘下に加わることとなっていた。
「武器、糧食、備えは揃っています。人員は足りませんが」
南の大森林付近から魔獣が現れるようになってからは、商人らしい性格ながらも領主軍や義勇兵をまとめて防衛部隊を指揮してきた。
「人員の増援に関しては、今回派遣された軍で最後です」
「分かりました。十万人だろうと支えるだけの物資は用意しています」
目録を提出してくる。魔獣との戦いの中、交通路が切断されて取引を止めざるを得なかった商人たちから、在庫になるべき物資を買い集めたのだという。
大拠点となりかけていたツヴァイ領の投資に使う予定の積み立てをずいぶんと崩しただろう。
それだけあって、増援の大軍を期待していたことがよくわかる量だった。
「十万は多すぎます」
「え? ですが、十年前の魔力災害では先代の代王率いる十万の軍が壊滅する被害が出たんですよ? 今回もそれだけの戦力が最低限必要だと思いますが」
「後方支援含め、二万の軍が今回の援軍です」
ツヴァイ・ファルコムはまず口をぽかんと開けた。次に顔が青くなり、そして白くなった。
「我々を殺しに来たのかっ!」
ファルコムとその近習たちが一様に怒りをあらわにする。オイスクは黙って己の右腕をつかんだ。
かたや、魔獣の縄張りのうちで月が笑っていた。
「来たな。日輪の眷属」
「姉上、いつでも行けますよ」
「いくぞ。お前たち。母上と同胞のために」
「この世界で生き残るために」
月影の眷属たちは秘術の発動準備を整える。タチマチ、コモチ、それぞれの陰に魔力の輝きが集う。
「王に魂を」
「母に家族を」
ひときわ輝きが強くなり、魔力の高まりとともに月影の眷属たちの姿は消えていた。
そこに妖精族が一人いた。
「いよいよですぞ。妖花王様、この道化めがしかと見届け、面白おかしく語って聞かせましょう。はてさて、喜劇となるか、悲劇となるか」
木々の合間を飛び跳ねて、笑い狂う。
「楽しみですなあ!」
そして、オイスク率いる魔王軍司令部とファルコム率いる領主軍の作戦会議場。
「戦わないのであれば、防壁の内側で身を守ることに専念していればいい」
卓の上に置かれた地図は焼きただれ、地面には大穴が開いている。
オイスクが右腕をさすりながら、ファルコムたちに魔王の命令を伝えた。
「今回の魔獣討伐には十年前の魔力災害を引き起こした月影の眷属たちがかかわっているでしょう」
破片になった卓をオイスクの従者が片付ける。
「南だけではなく、領土内での同時蜂起、外部勢力との連携も視野に入れて陛下は判断を下しました」
ファルコムも負けじと言い返した。
「だからこそ、元凶を全力で排除するのが得策なのではありませんか?」
「元凶を排除するのに必要な戦力が、魔王軍第一軍一千、および第二軍一万九千であるということです」
ファルコムが唇を噛みしめて血を流す。敵の数は数知れない。この戦力では、ツヴァイ領を前線基地として使いつぶすようにしか思えないのだろう。魔獣に損害を与え、本格的な迎撃態勢を整えるのに、このツヴァイ領はうってつけの立地である。
手塩にかけて整備してきた領地。一度城塞として整備されてしまえば、例え魔獣との戦いに勝ったとしても町は荒れ、領民は減る。商いは争いを避けて行われるから、商人たちもしばらく寄り付かない。
己の十年を捨てられるような者でない限り、どうあっても援軍の数には納得できない。
そして、オイスクは歳月の重みというものをわかっている。
「ご安心を。我々は勝つ」
「捨て駒にされたのではないのか」
「何を根拠にそんなことを」
根拠。私は十年間ウォーディガーンとヘンギストを見てきた。
「魔王と総帥の培った軍を見ればお分かりになる」
ギルダスもベーダも心血を注いでいる。
出来上がった国がある。
「もうこの国は魔獣に食らわれるほど弱くない」
あの時廃墟となった代王都を復活させ、発展させ、王都にふさわしくこれからも発展し続けていく町にしたい。その思いを持つ者たちにとって、魔獣など、食らって当たり前の存在でなければならない。
第一軍指揮官ブレイナードと第二軍指揮官ナサらは魔術師による浸食する森の排除指揮をしている。
魔獣が時折顔を出すが、継戦度外視の火力で薙ぎ払う。
オイスクの設置した司令所で二人は部隊の指揮を執っている。
「終わったようだね。まったく、腑抜けどもが」
「婆、あんたはもっと領主の立場をわかってやれよ」
老婆がエース・ブレイナード、老年に差し掛かったのがトレース・ナサ。元は反乱を起こした三領主だったが現在はロムルス王国軍、通称魔王軍の指揮官となっていた。
「あたしゃもう引退したよ」
「あの小娘はまだあんたを頼りにしてるだろうが」
「分別くさくなったねアンタ」
他愛のない話をしているが、斥候は四方に出している。月影の魔獣がどこから現れるのか、それによって次の展開が決まる。
四半日。それが魔獣の縄張りを川向うに押しとどめておける限界である。
それが過ぎれば、ボルテとスティリコの張った大樹の結界にこもり、各所の魔獣と外国の侵攻を退けてから構え直すほかない。
(長期戦でも十分戦うことはできるが、人や物の動きが止まると人種の国は弱る。食う寝るが保証されれば生きていける魔獣とは違う)
(月影の眷属たる古き魔獣はその辺の戦略を組み立てられるだろう。十分ありうる線じゃのう)
魔獣の咆哮が川岸から聞こえてくる。
斥候と伝令の動きも落ち着くと、静かになった。
「来る」
司令部で気配を探っていた老婆、エース・ブレイナードが言った。風がないのに波打つ水面のように、魔力の波動を感じた。
弱弱しい手つきで腰の剣を抜く。側近たちの緊張感が張り裂けんばかりになった。
トレース・ナサは魔獣を押しとどめている魔術師部隊を除き、すべての部隊に出した指令を一時中断させた。ブレイナードのようには魔力を鋭敏に感じ取ることができない。
目を見開き、耳を澄ませるのみだ。
オイスクとツヴァイ・ファルコムは司令部で息をひそめていた。実践が始まれば、指揮官の役目はほとんどない。
集めた戦力が全力を発揮できるようにするまでが仕事なのだ。
「オイスク将軍。戦いが始めれば我々の議論などに用はない。私の館へ向かいましょう」
月の名を持つ魔獣はいまだ現れない。
「いいでしょう。我が軍の戦いぶりを見るには、少し離れたくらいが丁度いい」
月は雲に隠れ、不意にその姿を現す。
オイスクの首筋に剣線が現れ、ころり、と首が落ちた。
鮮血が飛ぶ。
「大将!」
第二軍将軍ナサは側近を振りきる速度で司令部内を跳躍する。オイスクの生死を確認するが、完全に首と胴体が離れていた。
大の大人の身の丈をゆうに超える刃が月光に輝いている。
刃は揺らめき、宙に刀身の半ばを溶かしている。
「何奴?」
第一軍将軍ブレイナードは静かに武器を構えた。
「九王月影が娘、タチマチ」
金色の甲冑姿がじわりと溶け出す。隙無く大剣を構える姿はまさに騎士であるが、まごうことなく魔獣、月の名を冠する魔獣である。
「母上に貴様らの命を捧げに参った次第」
「ほう」
剣を構える老婆と鎧姿の魔獣。
「この老婆の命を所望とな?」
「強者の魂を食らいて、魔獣の母が常世に再び誕生する」
日光を浴びて、タチマチの刃が光る。
「お天道様の下で月の魔獣を切ることになるとはね」
老婆の腕の震えが、剣を構えたとたんにピタリと止まった。
その背後にもう一人のタチマチがいる。
「大言甚だしき老婆だ」
声とともに振るわれた大刀月光が、頭の先から股の間まで両断した。
幻影の魔術によって姿を隠し、会話をすると見せかけての奇襲であった。
司令部が血に染まる。
「次の供物を探さねば…。時間がない」
血を払い、魔獣が行く。
先ほどまでいたはずのトレース・ナサは一目散に逃げていた。エース・ブレイナードは彼を逃がすための囮となった。
「クソババアめ」
全速力で走るナサは川岸へ向かっている。魔獣を押しとどめている魔術師部隊にたどり着くまで、突如現れた魔獣によって混乱する陣内を見る。
「真面目野郎までかよ」
指揮官は死んではならない。
混乱する軍は小隊ごとに魔獣へ応戦しているが、分断され、囲まれて魔獣に食い殺されていく。
どのように迎撃するのか。逃げるのか。判断を下すためには全体を見なければならないのに、それができる者たちがさっさと死んでしまった。
「俺が死ねば、ここで負けじゃねえか」
「勝てよクソ野郎」
ブレイナードの声がする。
幻聴である。さっき死んだところを見た。いくら九十を過ぎて魔獣を切り殺すような化け物でも、縦に両断されればどうにもならない。
「私が死ねば、次の指揮権はブレイナード将軍、その次はあなたです」
オイスク副総帥の声も聞こえてくる。これも幻聴だ。
俺は走りながら小隊をまとめ、川を背にして体制を整えようとしていた。
「一旦魔獣は捨て置け! 魔術師部隊の背後を固める!」
徐々に部隊が整ってくる。魔獣が突如出現したのは司令部近辺だけのようだ。
(一度に全軍を出してきたわけではないのか?)
まずい。
戦場で感じたことのある悪寒が背筋を駆け上がる。
これは、まずい。
そしてその悪寒が形になった。
「日輪の眷属たち。反撃の準備ができたようだが、残念だったな」
十年前に代王都を襲撃した月影の眷属。月の名を持つ魔獣。水の体をもつのはフツカという名の魔獣だ。
魔術師は川を挟んで森を攻撃中である。
陣の背後には川があり、その水面が沸き立つ。
水が襲い来る。
川が膨れ上がり、魔術師を飲み込む。かに見えたが、魔術の爆撃が水を蒸発させていく。
「早い対応だな」
魔術師部隊の指揮官が、とっさの判断で攻撃目標を変えた。疑わしきは攻撃。迷う間があれば追撃。戸惑うことなく襲撃。オイスク副総帥の考えた訓練が生きた。
水の魔獣の勢いが止まった。
しかし、魔術師部隊の攻撃対象は森から外れた。
「来るぞ! 陣形!」
魔獣の縄張りである蠢く森が川を越えてくる。川から次から次へと湧いてくる水の魔獣を避け、上流と下流から浸食が始まった。
そして、魔獣の群れも押し寄せる。
中央に魔術師部隊、右翼と左翼にまとめ直した小隊を配置した。
(再編成できたのは六割ってとこか。あとは司令部のあたりから湧いてきた魔獣に分断されて戦闘中だ)
「ええい。クソ。あとは成り行きだ」
事前の策は崩れた。あとは兵が訓練通りに動くことと、俺が引き際を誤らないようにすることだ。
「お前ら、キリキリ働けよ! ここがお前らの家で、墓場だ! 家でよそ者にでかい顔させんな! 墓場にいるご先祖様たちに笑われるぞ! 俺たちの子孫はこんなにヘタレだったのかってな!」
俺が指示を出しているところにも魔獣が襲ってくる。
近習たちに対処を任せて指揮に専念したいのだが、そうもいっていられない状況になりつつある。
「ケツ穴閉めて踏ん張れよてめえら! ここで生き残らなきゃ魔獣の餌だぞ!」
発破をかけようが兵の実力は変わらない。魔獣に食われる奴を見つけるたびに、声が震えそうになる。あいつにも両親がいるだろう。帰りを待つ子がいるかもしれない。将来を約束した恋人がいるかもしれない。
ガチャガチャと足音がした。
「出やがったか。タチマチ」
月の名を持つ魔獣。その頭目格。
「品のない言葉遣い。されど将とお見受けする」
「はっ。一丁前に魔獣が騎士の真似事かよ。俺の知ってる騎士はもっと気高いやつばっかだがな」
暗に不意打ちを皮肉ってみる。真面目そうなやつだから、激高して隙が生まれないかと思ったが、タチマチは鼻で笑って腰の剣を抜いた。
「その首頂戴する」
心臓の鼓動がおかしくなりそうな音を立てて、タチマチはゆっくりと構えを取った。
(これは死ぬな)
死を覚悟するのは二度目だ。
一度目は魔王に敗れた時。あの時は本当に恐ろしかった。自分が自分でなくなりそうな思いがした、
気が付くと命を助けられていて、放心したように将軍の業務をこなしていた自分に苦笑いを浮かべたものだった。
あの時と同じ重圧。
あの時よりももっと、ひりつく背筋。
黄金色の月明かりのように輝く甲冑姿のタチマチは、俺の死だった。
「指揮権を各小隊の小隊長に移譲する。最後の一兵までとは言わねえが、気合入れて魔獣を殺せ。一匹も殺さねえで死んだ奴は、俺が蹴っ飛ばして九泉から送り返す」
タチマチの殺気で静まる俺の周辺で、俺の最後の命令はよく響いた。
「ナサ将軍!」
ずっと側近として使っていた男に名を呼ばれたが、俺の体はもう両断されていた。
霞む視界に、さいごの命令を復唱しながら駆け出す兵を見た。
なんだかんだで最後まで将軍でいられた。誰に褒められるというわけではないが、俺は何となく誇らしかった。




