56話 続、魔獣
西大陸ではロムルス王国が成立した。死後魔王と呼ばれたウォーディガーンは三十歳を過ぎようとしており、第一子を授かったとうわさされる。
ロムルス王国は発展の兆しを見せ始めていた。
ロムルス・ウォーディガーンが即位した。彼の三代目代王は代王制度を廃止、自らをロムルス王国のロムルス王とし、それを認めないレムス王国とは緊張関係が続いている。
東大陸のレムス王国の植民地、そこからの脱却を宣言して、十年後である。
樹人商人ボルテの依頼で南方へ向かったボルテとフリティゲルンとスティリコらの三戦士、ボルテ護衛のオドアケルとアラリックとアスラウグ。
六名は魔獣討伐に向かったが魔獣の大群に阻まれてしまう。
魔獣の生息地からは一度引いて構え直すことになった。
しかし俺は作戦など考える気も起きない。
「一! ニ! 三! 四!」
素振りでもしていた方がよほどいい。
「さて、状況を整理しようか」
スティリコが周辺の地形図を広げる。
町に戻って休息する間もなく作戦会議が始まっていた。俺は領主の館にこもった五人から離れ、館の庭を借りている。
「五! 六! 七!」
破骨棍を頭の上に振り上げて、
「八! 九! 十!」
振り下ろす。
昔に親父から教わった狩りの段取りとは規模も内容も違いすぎる、狩人よりも強い魔獣が、狩人よりも多くいる。そんな状態で思いつくのは逃げることだけだ。
振り上げて、振り下ろす。
(しっかし、逃げるなんて言えばフリティゲルンさんに叱られる)
鍛錬でもしていないと、余計なことを考えてしまいそうだった。
「悪い癖が残ってますね」
「フリティゲルンさん」
棍棒を振り回しているのが目障りだっただろうか。
「腕だけで振っていますよ」
俺から破骨棍を受け取ると、フリティゲルンさんはそれを軽く後ろに構えた。右足が後ろだ。
半身を開き、棍棒を低くして後ろから上に、そして前に振り下ろす。右足が前に来る。
「やってみてください」
見たとおりにやってみた。
竜騎士は不満があるようだ。
「もっと素早く」
言う通りにする。何度も何度も細かい指導を受けた。
他の誰かにこんなにもケチをつけられたら、途端に嫌になって逃げだしているところだ。が、この人には十年前から頭が上がらない。
(なんていうか、苦手なんだよなあ…)
丁寧な口調で根気よく教えてくれる。
故郷の村は狩人の村だったから、狩りの技を色々知っている。しかしそれは死んだ親父に山を引き回されている内に見て盗んだ業だ。
親父に狩りの段取りの組み立てを教えてもらったことはあるが、間違ったことを言うたびに拳骨を落とされて、と親父の痛がる顔と一緒に覚えたのだったか。
(丁寧に教えてもらうって、むずむずするもんだな)
それが嫌で前はフリティゲルンさんから逃げ出したこともあったのだが、竜騎士からは到底逃げられなかった。
「―いい振りになってきました。その感覚を忘れないように後一万回振りましょう」
「いちまんかい、って十を何回だっけ?」
「…勉強を疎かにしていたようですね」
ちょっと絶句した。珍しい顔を見られて、俺は嬉しくなった。
フリティゲルンさんの沢山の眼に見張られながら、一万までの数を数えて素振りを繰り返した。
「明日には今後の方針も決まっているでしょう。今日はここまでにして、ゆっくり休んでください。食事はあまり豊富ではありませんが、寝床はきちんとしています」
頭と体を酷使しすぎて、寝床に入ってからの記憶がない。俺は早々に眠りについたらしい。
翌日。
「オド、寝坊」
「アラ、おはようさん」
アラリックの口から舌が伸びて荒い息を吐いている。俺の足元に彼女の小さな体が転がっている。
「疲れた。交代」
へろへろとアラリックは井戸の方へ這って行く。いつももふもふしている黒い毛が赤黒くなっていた。桶で水を汲んで、何杯も頭から浴びている。
俺の目の前にはフリティゲルンさんがいた。
(嫌な予感がするぜ)
逃げよう。
「おはようございます」
しかし、十年前に叩き込まれた習慣が逃げることを許さない。上官にあった場合は直立して挨拶、軍や王宮内では階級の差は絶対である。
「はい。おはようございます。疲労は残っていますか?」
フリティゲルンさんの問いかけだ。
寝起きの頭が一気に覚醒した。
(俺の取れる選択肢は二つ。一、正直に疲労が無い事を白状する。そうすると、間違いなく機能よりもきつい鍛錬が待っている。ニ、疲れていると言う。そうすると、嘘がばれて昨日よりもきつい鍛錬をさせられる)
鍛錬は必要なことだとは思うのだが、フリティゲルンさんのしごきは嫌だ。
十年前、代王だったウォーディガーンの護衛となった時、仮にも王の護衛となるのだからと集中特訓をつけられた。
そのおかげで強くなった。ウォーディガーンに、魔力の使い方を教わった時に苦労しなかったのもそのおかげだと思う。
しかし、あの時の特訓は思い出したくない。
(ならば俺の選ぶ選択肢はこれだ―)
「すいません。用事を思い出しました!」
真後ろを向いて走り出す。
だが、二三歩歩いたところで足を払われた。
「待ちなさい。急用があるのは私もです」
片手で受け身を取り、声の反対方向へ走る。今度は腕を捕まえられて、関節を固められてしまった。これでは動くことができない。
「さて、オドアケル。あなたに防衛の戦いを教えておきましょう」
「俺だけ!?」
「アラリックは先ほど行ってきたところです」
井戸のところで伸びているアラリックは、頑張れと言うように小さく拳を握りしめて俺を見た。
「そんな―」
「さあ、魔獣は無数に襲撃を加えてきています。この領地を守るにはどうすればよいか、考えながら戦っていきましょう」
「まって―」
「昨日の縄張りへの侵入で魔獣にはこちらの存在がばれています。ゆっくりしている暇はありませんよ」
「朝飯も食ってないのにぃぃぃー!」
俺の叫びには取り合わず、フリティゲルンさんは俺を槍の穂先に引っかけて運んでいく。巻竜が破骨棍を咥えている。準備は万端だった。
竜の背に揺られること数時間。
「昨日覚えた振り方をきちんとできるようになってくださいね」
ぽつん。森に置いていかれる。
「は?」
「一食分の食料と武器です」
荷袋と破骨棍を渡された。涎でべとべとしている。
「え?」
「ここから北へ向かうと、出発した町へ着くでしょう。魔獣と戦闘しつつ徒歩と考えると…、十日ほどでしょうか」
もう始まっているのだ。気を引き締めていかねばならない。
(十年前の訓練もこんな感じだったっけか)
まだ代王だったウォーディガーンとの東大陸への旅が思い出される。集中が増していく。
(なぜ急にこんな厳しい鍛錬を?)
心中をよぎった疑問は一旦頭の片隅においておくことにする。
フリティゲルンさんはいたずらにこんなことはしない。
「説明を受けても?」
「では手短に」
一つ、魔獣を狩りながら北上すること。
一つ、王都ロムルスから援軍が到着するまで十日は掛かる事。
一つ、時間がもったいないのと、縄張りから進出してくる魔獣の牽制に、俺を南に放り込む。
「防衛戦は援軍が来るまで持ちこたえなくてはならず、それには敵の背後を攪乱する戦力が必要です。」
「もしかしてアラリックは…」
「昨晩、夜間の襲撃方法を実践演習しました」
(ロクに寝れなかったろうな。気の毒に)
「えー、とにかく、魔獣を倒しながら町を目指すと」
「はい。私はアスラウグさんを北へ送っていくのでもう出発します。では、十日後に」
そうしてフリティゲルンさんは去っていく。巻竜が空の彼方へ飛んでいき、点に見えるようになった頃に俺は出発した。
荷物を確認し、太陽を見た。
道はない。ボルテさんから、南は木が多いと聞いていた通りだ。
(まあいいや。とにかく十日後に領主がいる町に行かなきゃならん。万事丁寧なフリティゲルンさんだから、ボルテさんには話を通してあるだろう。だよな? -ボルテさんの事だ、十日の期限までに戻らなかったら報酬を減らすとかいいかねない。本来の仕事とは関係ないけど、あの人は守銭奴だからやりかねない)
報酬が減るのは避けたい。むしろ魔獣の親玉を狩って追加報酬すら狙いたいところ。
アラリックと時々話す夢のためにも、今は金が欲しかった。
半日も進んで夕日が赤くなる頃までに、魔獣と何度か遭遇した。斥候の役割を果たしている個体が多い。
数が多く、身のこなしが軽い。原野の風景に溶け込んで見つけにくい奴もいた。
俺は魔獣を狩っていった。
破骨棍を力任せに振るうのではなく、体のひねりと足さばきまで使う。すると、腕で細かな方向を調整できる。
(威力はそのまま。細かな当たり所を調節できる)
手ごたえは大きい。尤も、慣れない戦い方をするので、体中が痛んだ。特に肘と手首に負荷がかかっている。森の中、木が密集しているところでは薙ぎ払いが使えない、槍のように突きを見舞った。
明かりに寄ってくる魔獣がいるかもしれないので、火が使えない。魔獣の死骸を片付ける暇もない強行軍なので、新しく手に入れた肉は生だ。
生肉を噛み、少ない水を飲んだ。
(水を探さないと)
フリティゲルンさんから貰った荷袋の食料は最後の最後まで取っておかなくてはいけない。まともな食料は体が弱った時に食べる。消化能力が落ちると、生の肉や野草を血肉に代えられなくなってしまう。
昔親父がやっていたことだ。
夜通し進む。補給のできそうな集落は見つかっていない。街道すら見つからない。
空気の中に水の匂いもしなかった。
(喉が渇いた)
破骨棍が重い。
魔獣と戦っている時は気にならないのに、黙々と歩いている時は重く感じる。
(アラとアスラウグさんはどうしてっかね)
考えてみれば、一人きりになるのは久しぶりな気がする。
十年前にボルテさんに拾われて護衛として雇われる。代王都でウォーディガーンと会って、魔獣と戦う。その後もボルテさんから依頼を受けて商人の護衛や魔獣討伐なんかをした。
十年間、三人一緒だった。
アラリックと連れになった雪の日。アスラウグさんに酒を教えてもらった日。
村の連中を食わせるために盗賊まがいの事をしていたことを思いだす時もある。生きるために人のものを力づくで奪った。
奪われた人たちは死んだだろう。
抵抗されて、直接殺してしまった人もいた。
何か、思うわけではない。思い出してみるだけだ。
(魔獣も殺しているわけだしな)
夜道を歩いている時にも魔獣と遭遇する。こちらに向かってくる奴もいるが、じっと様子をうかがってから逃げ出す奴もいた。
追いかけて、破骨棍で頭を砕いた。
死骸を打ち捨てて行く。
(狩人としては失格だよな。親父)
つらつらと余計なことを考えながら歩いていく。一日目の夜が明けた。
日が昇る。
(まぶしー)
気づくと森の切れ間が見える。
地平線を北に見る。建物の影が見えた。目の前にあるのは街道だ。
「おおーい!」
叫んだ。近くへ走っていくが、誰かが出てくる気配はない。
この場には俺しかいない。アラやアスラウグさんに気配を探ってもらうことはできない。気配を探るというのが俺にはよく分からなかった。
何かいないか探るには、声をかけて見てみるしかない。
「誰かいないのかー!?」
がらんとした町だ。低くはあるが、壁に囲まれている。叩いてみた。しっかりしている。
魔獣と戦った跡が残っている。目の前に、手の幅よりも大きい爪の筋が三条奔っていた。ただ、崩壊してはいない。
耳をそばだてて壁を一周してみた。
(門と裏門はまだ無事だ)
入ってみよう。
門を開けて町を探索する。井戸があった。井戸の水に毒などは入っていなかった。
静かであった。
(水の補給ができたな)
ふらりと町を一周してみる。特に何か見つかるわけでもなかった。魔獣との戦いに備えて住民が逃げ出した跡のようだ。
かまどにあった炭がまだ古くなっていない。
(ちょっと眠いな。仮眠をとろう)
危険がないとわかると、一晩歩いた疲れが気になってくる。フリティゲルンさんのしごきでは十日間飲まず食わずの強行軍もざらだったが、休めるときには休んだ方がいい。
(疲れで判断が鈍るといけない。うん。これはさぼりじゃなくて必要な休憩だよな)
空腹を考えないように、生肉を含んで噛みながら眠った。
翌日。
その翌日。
またその翌日。人のいない町や村を見た。
水は足りているが、そろそろ生肉以外も食べたくなり、荷物の中に入っている保存用のパンを食べた。
まともな食糧を取ると体に熱が戻る。半ばまで食べたところで魔獣と行き合った。
(間の悪い魔獣だ)
もはや何も考えずとも破骨棍をふるっていた。
魔獣が間合いに入った時にふるう。遠ければ近づき、近ければ離れる。
技でも何でもないが、教えてもらった体全体を使った振り方はできている。頭を砕き、心臓を潰す。それでも動いてくる魔獣は破骨根についている逆さ向きのとげで四肢の肉を抉り飛ばした。
(肉も骨も使えない。無駄にしてしまう)
「戦争だから仕方ない」フリティゲルンさんはそう言った。
(仕方ない。何もかも。考え出すときりがない)
先を急ぐ。
朝が来る。夜が来た。
先を急ぐ。魔獣が出てこなくなった。
(方角はあっているはず。距離も、まだ半分を過ぎたところだろう。においをつけすぎたのか)
まったく体を洗っていなかった。着ているものに魔獣の血がしみ込んでいる。
(袖のところ、何かぶら下がってら。なんだ?)
ぶにっとしていた。内臓の破片だ。放り投げた。
(川でもないかねえ)
魔獣を狩れと言われているのに、魔獣が寄ってこないのではどうしようもなかった。だが、体を洗えるようなところは見つからない。
いつの間にか街道を外れていた。また森だ。
期限に間に合うかどうか。方角は太陽と月で分かるが、距離はとっくに曖昧になっていてどこまで来たのか分からない。
竜騎士の言った十日という日にちを頼りに歩いていた。
(川。川を探そう)
南の地理には詳しくないが、王国領と樹人の住処を繋ぐ水路があると聞いたことがある。筏で進んだあの川だ。
あの川の西に魔獣が住処を作っている。
(とにかく魔獣を狩らねえと。フリティゲルンさんにどやされる)
北西に途を辿る。黙々と歩いている内に頭がぼうっとしてきた。
どのくらい歩いただろうか。日にちの感覚がない。
(ミツケタ)
久々に魔獣を見つけた。
一、二、三と数えていって、十を超えた。一度十を数えて指を折る。両方の手が埋まってしまったところで数えるのを辞めた。
破骨棍。握る。魔獣の群れに躍り込んだ。
気が付くと、魔獣が頭に噛みついている。歯は通っていないが、がつんとした衝撃で意識がはっきりした。
頭の魔獣を振りほどこうとして手を上にやる。掴んでみてみると首から下が無かった。無意識にちぎっていたようだ。
(あー。あと何日で領主の館につかねえといけねえんだろ)
あたりが薄暗い。とにかく歩いた。
よく魔獣と行き交うようになった。
(魔獣がいるってことは方向は間違ってねえ。川も多分渡ってねえ。くそ、眠い)
歩きながら眠っているような気がする。
(フリティゲルンさんもよくこんな無茶な課題を出しやがる。殺す気か)
魔獣。
振るったとも思わなかったが、破骨棍が踊って魔獣は弾け飛んだ。膨らんだパンみたいなやつだった。穴がいっぱい空いていて、小さな魔獣がその中に住んでいるようだった。
考えはあやふやだが、戦うことは出来る。出来るどころか、余計なことを考えなくなったせいか、魔獣の動きが良く見え、俺の身体も良く動く。不思議な感覚だ。
何度目かの朝。何度目かの夕焼け。
「村だ」
思わずつぶやいてしまったのは、人がこちらにかけてくるのが見えたからか。
「ここから領主の館は近いか?」
「ひっ! 喋った!?」
怯えている。
「別にあんたを襲ったりしねえよ」
「い、いや。襲われるとは思ってないが、あんた生きてるのか?」
「ぴんぴんしてるだろうが」
「そうか…?」
首をかしげる村人。
「それで、領主の館だ」
「あんたの言ってる領主ってのは誰の事だ? ここらあたりはツヴァイ家のご当主が治めてるんだが、その人の館なら近いぞ」
ツヴァイ家。そんな名前だっただろうか。領主の名前など覚えていない。
頭の中でアラリックの怒った声がする。
「領主の名前くらい覚えておけ! 馬鹿オド!」
疲れすぎてるな。妙に生々しい。
「あー。まあいいや。領主の館に行けとしか言われてねえし、そこで良いだろ」
「ええ?」
「一応、フリティゲルンさんに連絡を取りてえんだが、狼煙とかあるか?」
「ああ、え!? フリティゲルンさんと言えば竜騎士の!?」
「狼煙は?」
「村の設備は使えるが…。え? 近衛騎士団団長の関係者なのか?」
「おう。あんがとな」
生返事ばかりの俺に色々聞いてくる村人だが、魔獣の血まみれ、臓物まみれの姿で何かしら察してくれた。案内を受けて村へ入ることができた。
「これで良し」
合図の狼煙を上げる。十年前に叩き込まれたものの一つだ。覚えていて良かった。
「フリティゲルンさんが来たら起きる」
「え、ちょっとあんた」
地面は眠りにくいが、村の中だという安心感で俺の意識は何処かへ飛んでいった。
多分、いびきをかいていた。寝ていると頭に何かぶつかってきた。
「うるせえぞよそ者」
痛くも痒くもないが、頭にきて目が覚める。周りには人がいない。
(人が疲れてるときに)
舌打ちを一つ。
そして何やら騒がしいことに気が付いた。
「なんかあったのか?」
負傷者を担架で運んでいく村人に聞いてみると、魔獣が現れたのだという。
太陽を確認した。
(…半日ぐらい寝てたか)
破骨根となけなしの荷物を担ぐ。そこらの家の屋根に上って見た。
村の周りに柵を作っている。その前には堀が掘ってあった。
長柄の武器と弓、後方に控えている治療師と魔術師。戦いの備えは十分だと思われる。
赤毛の三足獣の目に矢が突き立ち、足に槍が貫通する。地面に縫い付けられた魔獣の頭を、誰かが投げた岩が打ち砕いた。
魔獣を倒した者たちはもう次の魔獣を相手取っている。
(もうちょっと休ませてもらおうかな)
また物を投げられては嫌なので、屋根の上で胡坐をかいた。
ぼけっと空を眺める。
(あ、魔獣が飛んでる)
偵察の魔獣だろうか。魔術師の使い魔だろうか。大きな翼を広げて空を飛ぶさまは気持ちがよさそうで、見ているとなんだか眠くなっていく。
(お、なんか戦ってるな)
小さい魔獣が大きい方にやられた。落ちていくかと思ったが、その場ではじけて消えた。
「あれ?」
大きな魔獣が落ちてくる。
いいや。落ちてくるよりも早い。真下に飛んでいた。
「おおお?」
距離を詰める魔獣、かと思いきや、それには翼がある。長い尾がある。なによりも、その背に誰かを乗せて居た。
「フリティゲルンさん!」
陽光浴びる巻竜の背に乗る古の三戦士、その一人がいる。
「迎えに来ました。お疲れ様です」
丁寧でカチッとした声にねぎらわれる。
「ほんとに無茶苦茶な訓練でしたよ。うまい肉おごってくださいね」
「考えておきます」
巻竜は羽ばたきもせず緩い竜巻に乗って浮いている。緩い竜巻といっても俺の立っている家の窓枠が外れそうになっていた。
「もう十日経ちましたか?」
「はい。あなたを魔獣の縄張りの南端あたりにおいてから十一日経過しています」
「そうっすか…」
期限を一日超えてしまった。期待に沿えなかっただろうか。フリティゲルンさんは何も言わないが、俺は悔しかった。
「俺はこれからどうすれば?」
「ヘンギスト率いる魔王軍が到着しています。合流し、魔獣本体を叩きます」
「了解っす」
「急ぎます。乗っていきなさい」
「はい!」
気合を入れなおそう。疲れは残っているし、頭も眠気でぼうっとしているが、ボルテさんの護衛の仕事はまだ終わっていない。
ここからが本番だと言ってもいい。
魔獣を狩るのは生まれた時からやってきた。月影の眷属たちとも戦ったことがある。ウォーディガーンに教えてもらった体の中で魔力を循環させて消耗を抑える方法も習得した。
(きっと何とかなる)
領主の館まですぐだった。
眼下を見て愕然とする。
川を挟んで魔獣の縄張りがあったはずだ。その対岸から森がすさまじい生命力で川を渡っている。下草があっという間に茂り、水面を埋めていく。背の低い草が生え、灌木が育ち、大樹が根を伸ばす。
魔獣が縄張りごと移動してきていた。
領主の館がある街に、巨木が聳えていた。しかしなぜか半透明だ。
巨木が伸ばす枝の先が太陽の光を遮って影を作っている。半透明なので、水の中にいるような感じだ。
巻竜がその陰に入っていく。通り抜けるときに、ほんのかすかに引っかかる感触のようなものを感じたが、ぴりぴりする感覚はない。危険なものではない。
(多分ボルテさんの魔術かなんかだ。魔力がそんな感じだ)
魔獣同士がのたうち回っている。群体の植物と、個体の植物。森と巨木、森が覆いつくさんとし、巨木が吸い上げる。
うなじにちりちりとした気配があった。
(始まっている)
十年前に感じた魔獣との戦争の感覚だった。
(気合入れろよ、俺)




