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九王記  作者: 荒木小吾
二章 東よりきたるもの
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55話 魔獣

 九王の一柱が生み出した眷属は魔獣と呼ばれ、それらを束ねる者らがいた。当人たちがそう名乗ったように、人々は奴らを月影の眷属と呼んだ。


 四十年前、魔王が独立を宣言してから十年後の事である。

 早朝、小高い丘の上。

 大きな水球が魔術で宙に浮いていた。

「月影というのは、大昔に存在していたもの凄い何かって話だが」

「この世界を作った存在が初めに生み出した存在だそうです」

 二人が立っている。

「俺たちの事を最近魔人と呼んでるが、魔人は月影の眷属じゃないのか?」

「さあ? 私は魔術師ではないので」

 竜の鱗を磨いている男と、体の手入れをしている男だ。

「巻竜だっけ? お前もその、月影の仲間から生まれたって聞いたけどな」

 竜はちらりと体の手入れをしている男に目を向けたが、答えなかった。気持ちよさそうに寝そべり、相棒の男に鱗を手入れしてもらっている。

「無口な奴なんです」

「知ってるよ。百年前からの付き合いだ」

 磨き上げた拳を掲げて太陽を透かす。中に入っている雷の魔術が見えた。

 鱗からごみを取っていた男は、振り向かずに背後にあった桶を手に取った。背中にある瞼の一つが開き、桶の位置を確認していた。

 取っ手に縄がついている。宙に浮いた水球に桶を放ると、水を汲んで手元に引き戻す。後ろ脚から順に体全体を洗っていった。

 浮いた水球が小さく分かれて、反対の拳を洗う。

「近衛騎士団の長になっても相変わらず、雑用は自分でやるのか」

「あなただってそうでしょう。精霊教の顔役になったそうじゃないですか?」

 結晶の戦士と百目の騎士。

 百年前とあまり変わらない戦友を確認するように軽口をたたいている。

 私はその昔馴染み達に声をかけた。

「少し待たせてしまったようね。スティリコ、フリティゲルン」

「ボルテ。護衛の人選に手間取るようだったら、自分の身くらい自分で守れるようにしろよ」

「ボルテ。スティリコと同じ意見です」

 私の昔馴染み二人が挨拶をする。昔から、この二人はせっかちだった。

「はいはい。ごめんなさい」

「で、仕事の話だ」

「要件をどうぞ」

 せっかち。約束の刻限にはまだ時間があるのに。

「その前に、私の護衛を紹介しておくわ」

 後ろについている三人を指さす。南大陸からやって来た兎人族の女戦士。十年前に見つけた魔人の少年と少女。

「兎人族のアスラウグ。小さいのがアラリック。真っ黒なのがオドアケル」

「うーす」

「よろ、しくです」

「お願いします!」

 アラリックとオドアケルはフリティゲルンとは面識がある。フリティゲルンは二人に黙礼すると、アスラウグに挨拶をする。

「お初にお目にかかります。フリティゲルンです」

「アスラウグという。故合ってロムルス王からボルテ殿を紹介していただき、世話になっている」

 流暢な東大陸語を話す南大陸出身者にスティリコがちょっと驚いた顔をした。なぜかアラリックとオドアケルも驚いた顔をしていた。

「アスラウグ、何か変なものでも食ったか?」

「言葉、変?」

 普段なら殴り倒しているようなことを言われても、アスラウグは舌打ち一つしない。益々アラリックとオドアケルが驚く。

 ひそひそ。アラリックとオドアケルが偽物ではないかと囁き交わす。

「また妙な連中を見つけてきたな、商人の勘か?」

「ええ、まあね。人脈のたまものかしら」

「ふうん」

 値踏みするスティリコが指先で顎を掻いた。

「で? 何処の魔獣を狩りに行くんだ?」

「そうね。挨拶も済んだようだし、そろそろ出発しましょうか」

 魔力の流れを感じ、意思のままに操る。私は大地から樹を生やし、曲げ、結合させ、揺り篭を編み上げた。

「巻竜に運ばせるようなところなのですか?」

 フリティゲルンの瞼に覆われた表情が怪訝に曇る。

「ベーダに、早めに戻ると言ってある。俺はいいぜ」

「俺、空飛んでみたい!」

 オドアケルがはしゃいだ声を出した。

「分かりました。あまり王都を長く留守にするのも良くないでしょうから。―お願いしますね?」

 フリティゲルンが相棒に確認を取ると、竜はどうやって持ち上げればいいんだと言わんばかりの視線を私に向けてきた。

「まずは南へ」


「―寒い!」

 揺り篭にはなるべく多くの防寒対策をしたのだが、それでも高度が高くなるとものすごく冷えた。

 鉄のような体のオドアケルなど、すっかり冷えてしまっている。触れば肌がくっついてしまいそうだ。

 揺り篭は、私の魔術で生やした蔦によって巻竜の身体からぶら下がっている。

「あまり中で暴れないでください! バランスを崩します!」

 巻竜の上に載っているフリティゲルンが叫んでいる。

「さむい」

 籠の中には容赦なく隙間風が吹き込んでくる。もっと二重三重に分厚い風よけを作るつもりだったのだが、フリティゲルンからダメ出しが入った。

(軽く、飛行の邪魔にならず、なるべく揺れない。魔術で作った急ごしらえの乗り物では、安全な輸送は厳しいようね。カダンに相談するしかなさそう。―それにしても寒い!)

 前から目を付けていたが、飛行する魔獣による輸送を実現するのは当分先の事になりそうだった。

 もふもふのアスラウグを中心に集まり、スティリコが籠の四隅に小さな火を出した。それで何とかしのいでいる。

 しかし、空を飛んで半日。既に体力は限界だった。

「フリティゲルン。一度降りて休憩しましょう!」

「了解!」

 そう聞こえると、がくんと籠が斜めになった。

「あああああぁぁぁあぁー!」

「圧が」

「熱い! スティリコさん、火消して!」

 ぐるりぐるり。ぐるりと回り、振り回されながら地面についた。

 森の中だが、ぽっかりと空き地になっている。地面には焦げた樹皮が転がっている。

「雷が落ちた山火事の後地です。ここで休憩しましょう」

「―うぷ」

 アスラウグが口を押えて茂みに駆け込んでいく。それにオドアケルとスティリコが続いた。

「次は高度を下げて飛ぶことにしましょう」

「揺れはもう少し何とかならないの?」

 気分を他へ向けるために、乗り心地の改善方法を考えることにした。

 すると巻竜が鼻息を吹きかける。

「竜は本来一人で空を飛ぶ者です。あまり多くを求めないでください」

 取り付く島もない。

「あーすっきり」

「ふー。久々に空飛んだぜ」

「おっさん空飛んだことあったのか」

「スティリコさんと呼べ。餓鬼」

 拳骨をこめかみにぎりぎりされながら、オドアケルとスティリコが茂みから戻ってきた。アスラウグはすっきりとした澄んだ目をしている。

(よほど気分よく吐いたのね)

 私は済んでのところで堪えている。とてもではないが、茂みに駆け込んですますのはためらわれた。

 半日近く空で揺られていた。かなり距離は稼いでいる。

「盗聴防止結界」

 吐き気を堪えながら、私を含めて六人と一匹の竜を結界で囲う。棘付きの蔦が私たちを覆い隠した。

「いよいよ目的地を言う気になりましたか」

「何聞いても答えなかった理由も言ってもらうからな。その前に薪だせ」

「もちろん。あの速度で移動できるのはこの国、いいえ、この大陸でも両手で数えられる程度でしょうしね。はい薪。オドアケル、薪を割って頂戴」

「ういっす」

 魔術で地中から油の多い木を生やし、枯れさせた。これは火付け用になる。根っこごとオドアケルが引き抜く。その後に、まっすぐに育つ樹を生やした。これを主な燃料にして焚き火を燃やす。

「聞かれたくない話なのは十分に理解しています。密命ですか?」

「そう。相変わらず察しがいいのね。竜騎士」

 焚き火が弾けた。

 夕日が落ちてきた。

「ウォーディガーン陛下はある程度まで魔獣を放置してきた。シンゲツという魔獣の力を喰らって得た魔獣を操る力を使ってね。だけど―」

 にょきにょき。薪になる樹を生やして枯れさせる。フリティゲルンがそれを引き抜き、オドアケルに放り投げていく。

 オドアケルが薪を割り、アラリックが火にくべる。

 アスラウグが焚き火の脇に串を刺し、穀物の団子と干し肉、それの間に野草を挟んで焼き始めた。

「―私の故郷とロムルス王国の国境に月の名を持つ魔獣が現れた」

「ふむ」

「へえ」

 フリティゲルンは一度全身の眼を見開き。スティリコはつまみ食いしていた串を噛み砕いた。

「ふーん?」

「えっと?」

「ほーん?」

 オドアケルがつまみ食いをした串を焚き火に戻した。生焼けだったらしい。アラリックは行儀良く座っている。

 アスラウグは木の実を炒めて、一杯やり始めた。

(あなたさっき吐いてたでしょうに)

 私の護衛三人はまったく事情を察してくれていない。

「スティリコ、説明してあげて」

 結晶の戦士は噛み砕いた串の欠片を火の中に吐き出した。きらきらしている歯が一瞬火を照り返す。

「餓鬼ども、今の話を馬鹿にも分かるように言い換えると、このボルテという樹人の商人が拠点にしている場所と、商品を売りさばく場所が行き来できなくなった。なんでかっつうと、強い魔獣の縄張りができたからだ。分かった?」

「馬鹿にすんな。アタシが引っかかったのは()()()()ってとこだ」

「あーそうそう、それな。俺もそこだけが分かんなかった」

「私も、です」

 三馬鹿がちょっと意地になっている。

「お前ら十年前に王都で―あ、その時は代王都だったな―やり合ってなかったか?」

「ミカヅキとか」

「シンゲツとか」

「マンゲツとか」

「それだ」

 そこで焼き串が出来上がった。はふはふとみんなでほおばる。最近食用に飼いならされるようになった魔獣の肉だ。餌が安価で群れを大きくできる。

 魔王が即位してから、色々なところで新しいものが生まれるようになってきた。

「あいつらか、ちょっと厳しい相手だな」

「ちょっと、勝てない。かも?」

「…」

 オド、アラ、アスラの三人はその名を聞いて少し緊張している。

「連中の居所ははっきりわかってんのかよ?」

 焼けた端から串をかっさらい、スティリコが唾を飛ばしながらそんな問いを投げかけた。

「ええ。情報収集は万全。軍の総帥になったヘンギストという若者を知ってる?」

 フリティゲルンと、意外にもスティリコが頷いた。

「隙の無い野郎だった。あいつが情報を?」

「そうよ」

 フリティゲルンは次々に消えていく焼き串を補充するのに忙しい。相変わらずの小食で、食事の時もあまり口を開かないのが本当に昔のままだった。

「作戦は?」

「私が拠点に攻撃を加え、そこの三人が私の護衛。後はあなた達が敵の将を叩く」

「珍しい、百年ぶりじゃねえか」

「それだけ戦力差があるのよ」

「ふうん。いつも通りか。たまには数で敵を上回ってみたいものだがね」

 焚き火をする人間が珍しいのか、魔獣が明かりの外からこちらを窺っている。もっとも、巻竜が長い体を横たえているのでその辺の魔獣は近寄ってこない。

 竜種に喧嘩を売ろうというのはよほどの魔獣か、よほどの馬鹿だけだろう。

「作戦はそれで構いません。いつ結構の予定ですか?」

 食事を終えたフリティゲルンが口を開く。彼は馬鹿の方だ。

「十日後の正午かしらね」

「そんなに先か? こっからさきは徒歩の移動ってわけだな」

 歯の間に詰まった筋を取ろうとしてスティリコは小指の先を口にやった。

「また竜の背なかに乗りたいのなら止めないわよ」

 満場一致で徒歩移動ということになった。


 月の名を持つ魔獣を倒しに筏の上である。

 十日後と言ったが、実際は十五日経ってもまだ作戦開始とはなっていなかった。

「斥候に行ったフリティゲルンはまだ戻らねえのか」

「まだです」

 私が筏を操り、河を遡上する。

 フリティゲルンは巻竜の背から斥候の役目。

 アラリック、オドアケル、アスラウグは三人一組になり、スティリコと交代で筏の護衛である。

 結晶が太陽の光を照り返している。川の水面が揺れ、頭が一つ、二つ、三つ、数えきれないほど出てきた。牙をむいている口、鱗で覆われた頭を持った首の長い魔獣だ。

「また妙な魔獣が出てきたなあ」

「でかい」

 たくさんの頭についている口は、筏を丸呑みできるほど大きかった。

「ボルテ、筏を進めろ。全速力だ」

「ええ」

 前方に大きな岩がある。蔦を伸ばして岩を掴み、思い切り手繰り寄せた。

 急加速ずる筏。背景が後ろにすっ飛んでいく。

「おらよ」

 スティリコの股間が輝いた。彼は体を構成している結晶に魔力を保存しておくことができる。保存した魔力は魔術で形を変えられていればそのまま引き出すこともできる。

 結晶一つにつき一つの魔術を保管しておけるから、当然股間の結晶からも魔術を取り出すことはできる。できるのだか、

(趣味悪いわよね)

 魔獣相手に股間を強調する格好をするのは相当気持ち悪い。

「うわ」

「気色悪」

 アラリックとアスラウグがげんなりとする。

「ぎゃはははは!!」

 オドアケルは大爆笑だ。

 気の抜けた声と共に放たれた、スティリコが持っていた魔術は、氷の魔術だった。

 河の中から現れてた多頭の魔獣を、周囲の水ごと凍らせる。範囲も広いが、凍らせる早さが尋常ではなかった。

「誰の魔術? ギルダス?」

「ん? いや、ギルダスに魔術を教わってるとかいう何とかって弟子のやつだ。よくギルダスの小僧たちの実験台になってるからな、貯えた魔術は結構ある」

「―そう」

 魔王は魔術師の育成に力を入れていた。東大陸からの伝統である、薬草や医術に対する庇護を撤廃したのが記憶に新しい。

 精霊教の教主ベーダが起こした聖光教という宗教結社が、治療の魔術を専門に扱う魔術師を集めて治療師の部隊を作っている。

 薬師や医者で魔術を覚えたい者はギルダスかベーダの元へ集まり、そうでないものは東大陸のレムス王国へ去っていった。

(魔術師の存在が大きくなる中、その実力も高くなっているようね)

 氷漬けにされた多頭の魔獣は、大きな口を開けたまま河を氷と一緒に流れていく。

「それじゃあ、次はお前らの番な」

「もう交代?」

 周囲に魔獣の気配はないが、伝説の三戦士とまで呼ばれる結晶の魔人が戦いを放り投げるとは。そんな声が聞こえてきそうだ。

 筏の上、後ろ足で耳の後ろを掻きながら疑問を発したアラリックに、スティリコは「魔術のストックはなるべく温存しておきたい」と言った。

「初めからそういえばいいのになー」

 ぼやいたオドアケルの黒く鈍く光る頭に、透き通った結晶の拳骨が落ちた。振動で筏が揺れた。

 それ以降、オドアケル、アラリック、アスラウグの三人が筏を守る。

 魔獣の襲撃の頻度が上がっていく。

 前でオドアケルが破骨棍を持つ。

 後ろでアスラウグが爪を構えた。

 のたうつ魔獣が破骨棍で砕かれる。飛び掛かる魔獣が爪で裂かれる。

 空中からも魔獣が襲ってくる。いつの間にか巻竜に乗ったフリティゲルンが上に待機していて、槍を振るっていた。

 劈く魔獣が私を標的にして襲い掛かる。

 魔獣の内臓が飛び散った。アラリックがナイフを拭う。

「想定よりも大分魔獣が多い。引き返しましょう。増援が必要です」

 僅かな隙をついてフリティゲルンが巻竜を筏の横につけた。魔獣達は竜種に恐れることなく襲撃を加えてくる。

「相棒、少し魔獣を遠ざけてください」

 巻竜の身体から魔力が放たれる。渦となり、縦に延び、筏の四方を竜巻が吹き荒れた。筏も停止してしまったが、魔獣も寄ってこれない。

 私と、スティリコ、フリティゲルンで手早く今後の方針を決める。

「石人山脈が見える。あと一日かければ目的の敵に手が届くはずよ」

「となると、ここらへんで一度東に戻るのがいい。何とかっていう有力な商人貴族がいた。そこで体制を立て直して魔王か軍に連絡を付ける」

「先行して連絡をつけます。ツヴァイ家のファルコム当主で間違いありませんね?」

 相談、と言うよりかは確認作業に近い。

 アラリックは感心し、オドアケルはぽかんと口を開け、アスラウグは感心したように耳をほじった。

 筏を川岸につける。その時が最も危なかった。

 筏の材料にしていた木材をボルテが操り、一度魔獣が引く。そこで降りる、荷物を持ち素早く上陸するが、そこは湿地帯で足場が悪い。

 泥の底から魔獣が上がってくる。

「川岸まで縄張りが広がっているのか。少し対処が遅れたな」

「うるさいわよスティリコ」

 スティリコが魔術を解き放つ。金属の柱が突如現れ、泥の底に突き立つ。魔獣の断末魔が泡になって上がってくる。

 フリティゲルンが地面に降りる。巻竜だけを先に行かせるようだ。

「相棒の疲労が溜まってきています。陛下の紋章入りの判子を持たせましたから、後は上手く説明してもらいましょう」

「え? 巻竜さんって喋れるの?」

「うそでしょ?」

「マジか、ちょっと喋ってみてくれよ」

 護衛三人衆はいたく興味をひかれていたが、巻竜はそれに応ずることなく東へ飛び去っていく。

「無口な相棒なんです」

 ふーん。三人の言葉が揃う。

 アスラウグが泥濘を進み、経路を確保した。

「泥濘を抜けるのはすぐだ。町の方は流石に奴らも少ない。日が暮れる前には着けるだろ」

 毛皮を泥まみれにしてアスラウグが斥候の結果を報告する。

 魔獣は、円陣を組んだ私たちの射程外から様子を窺っていた。

「あの様子だと、しばらく先頭になることは無さそうね。今の内に町まで戻りましょう」

 泥の中を進む。ふと、百年前の入植者との戦いを思い出した。こんなふうに泥の中を進んだ記憶もあった。

 私は、百年前に入植者たちと戦ってから、商売に精を出した。

 殺すのも死なせるのも馬鹿馬鹿しくなったのだと思う。恨みはあれど、現実的に報復する手段がなくなってしまった時からであっただろうか。

(もちろん、今でも初代代王は恨んでいますけど)

 私の一族とかかわりのあった魔人の部族が全て滅ぼされてしまった。皆、争いを好まない穏やかな人たちだった。

 浮舟の一族。私はそこの生まれだ。浮舟のボルテ。船と名のつく通り、樹人の縄張りである大森林地帯を巡る五つの川を行き交う氏族であった。

 川は石人山脈を端とし、大海へ注ぐ。

 昔々、樹人の中で最も広範囲に広がる浮舟族だが、山を越えることはなかった。それを不満に思った一人の浮舟族がいたという。

 彼はたった一人で海岸線を東へ進んだ。

 一年とも十年とも、百年とも伝わっている。

 明らかなのは、彼の子孫が西から戻ってきたということだ。

 彼は、旅立ちの時に天樹から一振りの枝を貰った。それを杖にして、西大陸を一周したのだ。

 幼いころ、私の心はこの昔話に取り付かれた。

 成人するのを待つことはできなかった。

 大森林を東へ旅し、石人山脈でカダンという石人に助けられ、途方もない平原へとたどり着く、今のロムルス国の領土である。

 平原の地に暮らしていたのは見たこともない不思議な人々だった。

 石人に似て非なる結晶のような人々。眼が体のあちこちにある人々。大森林では見たこともない姿格好で言葉も通じなかった。

 それでも、暖かい食事や旅の支度を整えてくれたし、大森林から持ってきた薬草や栄養のある果実を喜んでくれた。

 石人山脈で知り合ったカダンという商人と組み、大森林の産物を大陸中に運び始めた。

 海周りの航路だと濤竜の縄張りに踏み込んでしまう。山の合間を縫って水路を切り開いた。保守的な族長たちとも折り合いをつけた。水質汚染を引き起こして以来仲の悪かった石人と樹人の間を取り持った。

 上手くいったこともあったが、上手くいかないことも多かった。

 それでも、私の運んだ商品で喜んでくれる人がいた。だから商売が好きだった。

(それもあの日を境に変わった)

 海の向こうから人種がやって来た。

 彼らは村を作り、畑を切り開き、栄えた。数が増えた。増えすぎた、と言ってもいい。初めの内は魔人達とも上手くやっていた。

 入植者の村が増えていった。十ばかりだったのが、百になるのはゆっくりだった。魔獣も多く魔力に体が慣れずに死んでしまう者が多かった。

 百から千に増えるのは早かった。魔力に慣れた人種は強くなった。魔力を操り、魔獣を殺して道具を作る術を学んだ。その変化は、西大陸のどんな種族よりも早かった。

 千から、数えきれないほどに増えるのは一瞬だった。

 もう、魔獣や土地を譲り合うのは限界だった。人種は飢えないために限りなく土地を求め、魔人種は生きるために土地を守ろうとした。

 結果、戦乱が起きた。

 優れた魔力と肉体を持つ魔人や、彼らとつながりのある種族がまとまって東大陸からの入植者を追い返そうとした。

 人種の入植者は帰らなかった。魔獣を狩って手に入れた武器、魔力を操る術である魔術、二つを千変万化と発展させて戦った。

 戦争があるというのに東大陸から入植者は止まらなかった。

 殺した魔人で道具を作った。

 人種の集落を丸ごと潰した。

 最後は、人種の増える速度に追いつかなくなって私たちは負けた。

(忘れることのできない記憶)

 魔人の最後の拠点が攻め滅ぼされる時に見た人種の軍勢を見て、私は考えを切り替えた。

(切り替えてしまった。と言う方があの時の心情に近いかしら)

 仲間の死骸を見ても涙は出なかった。これからの事を考えた。

(もう人種の国ができることは決まった。魔人は負けた。商売をするなら人種だ)

 私の中にいる商売人としての感覚を、これほど醜く感じたことは無い。

 その醜さに耐えるために、生き残った仲間のフリティゲルンやスティリコへの支援は欠かさなかった。代王国となった人種の村々と商売を続けた。代王都に館まで立てた。大陸中に商売の根を広げた。

 そして今。

(そして今、人種の国中に魔人が生まれた)

 何かが起きようとしている。商売人の私がそう訴える。

 こちらを見ている二人の戦友をしっかりと見つめた。

「確実に魔獣を一掃するために一度引きましょう。買う人間と売りたい人間がいれば、一度切られても商売というものはすぐにつながるわ」

 大森林とロムルス王国を繋ぐ水路を塞ぐ魔獣の群れ、その向こうにいる月の名を持つ魔獣、そのさらに向こうにあるのは何だろう。

(でもきっと何かがある)

 私の中に育ててきた商売人ボルテは、未来に何かを嗅ぎ取っている。

(やっぱり嫌いだわ。商売人の感覚なんて)

 私の周りで仲間が戦っているというのに、どうにもその先ばかり考えてしまう。

 いったいこの先に、どんな儲けが待っているのだろうか、と。

 樹皮の肌から、若芽が生えてきそうだった。

(でもとってもわくわくするわ)

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