52話 魔王
三つの大陸がある。
南の大陸には過酷な大自然が存在し、獣から姿を変えた獣人種が暮らす。
東の大陸には魔力が乏しく、人種のみが暮らしている。
西の大陸には魔獣が跋扈しており、人種、鬼人種、樹人種、巨人種、石人種、妖精種、竜人種、そして魔人種が暮らす。
西大陸に会った代王の治める国に、第十王子として生を受けたロムルス・ウォーディガーンは、奇妙な運命の中に有って一つの選択をした。
それは、周囲の期待を背負うという言事であり、国を欲望渦巻く混沌の内に沈める選択だった。
選択の結果、国は栄え、代王国は代王ではなく王を頂く国となった。
人々は彼を、魔王と呼んだ。
その魔王即位後、五十年が経過した。
彼は今、床の上にいる。苛烈な魔力はすでになく、あらゆる夢をかなえてきた魂は存在しない。
そうして、代王国三代目代王は死んだ。死因は衰弱死であった。
「陛下。しばしの別れです」
弔旗を持った竜騎士は、王国の領土と言わず西大陸中を飛んだ。北の果てに住む氷角族の住処も、西の果ての火山を縄張りにする火角族の縄張りも、砂漠の只中にある竜人たちの祠の上も、荒野を走る巨人の狩場も、木々に潜む樹人の集落も、代王国、いまやロムルス国となった領土に暮らす人も魔人も、暗がりに息づく魔獣の上さえも、竜騎士は飛んでいく。
あの日戦場で誓った約束を、ウォーディガーンは果たした。竜騎士フリティゲルンは彼の力になるという制約をこの先も果たす。
「陛下。あなたは立派に成し遂げました」
ウォーディガーンと最後に交わした言葉。
「フリティゲルン、あなたはいつまで経っても姿が変わらないな…」
掠れた声の魔王は、息を吸うのもおっくうと言わんばかりで、もう長くないのは誰の眼にも明らかとなっていた。
「陛下こそ、益々のご活躍のようでうれしく思います。このままどうか、この国を見守っていてくださいませ」
フリティゲルンは全身に眼がある魔人である。彼の瞼で覆われた両手は、ウォーディガーンの枯れた手に重ねられている。少しでも体温を戻そうとするかのように。
「今の俺は、死にかけた体を魔術で無理矢理動かしているに過ぎない。魔力が尽きれば死ぬ」
「はい」
魔王の寝室には護衛を覗いてはフリティゲルンしかいない。
「懐かしいな。あなたとこうして二人なのは、魔獣の大群から救い出してくれた時以来ではないか?」
「あの時程御身の危機であったことはありませんでした」
「いいや。もっとひどかったのは、ギルダスの創作料理を食べた時だな」
「なんと」
四方山話に花を咲かせる老人二人といった風情だが、この二人が核となって西大陸ロムルス王国は魔人と人の融合を果たした。
「ところで陛下、ギルダスと陛下の件ですが、本当によろしいのですか?」
「いいさ。それが二人の望みなら、存分にやるといい」
フリティゲルンはウォーディガーンの眼をじっと見ている。そこに噓偽りの色は無いか、己を騙している色は無いか。
しばし観察を続けたが、やがて諦めたように目を逸らした。
「フリティゲルン、あなたはこれからも、魔人のために働くといい」
穏やかな瞳で先代の魔王は言う。思わず、フリティゲルンはこう言った。
「陛下の作り上げたこの国に身命を賭す所存です」
「よせ」
それを聞き、ウォーディガーンは強く拒む。新月のような暗い瞳で、竜騎士の意思を否定する。
「順序を違えるな。魔人と人のための国をお前が望んだ。だから俺はそういう国を作った。人と魔人がいて、国ができたのだ。国のために人と魔人がいるのではない」
「しかし、陛下」
「くどいぞフリティゲルン」
「ははっ」
フリティゲルンは恐懼して片膝をつく。
「命を下す。最後の主命である」
「フリティゲルン、ここに」
夜の闇よりも深く、最後という単語が心に染みた。
「己の欲するところを成せ。私のためではなく、人のためでもなく、ましてや魔人のためでもなく、その意のままに空を舞え、竜騎士」
「御意」
退出を促され、その後、崩御の知らせを聞いた。
「こうして天空を舞っていますが、陛下。己の心は何処かへ行ってしまったのでしょうか」
空よりも広い空隙が、竜騎士の心を占めている。
竜騎士を背に乗せている相棒の巻竜が羽ばたいた。その音が心に響いている。
王宮。
死を公にすることに不安を感じる声は出なかった。
「父上。さらば」
ウォーディガーンの次男が既に王位を継いでいる。
ロムルス・アウレリアヌス。二代目魔王を襲名した男。魔術の秘奥に触れたと言われる父を、己の肉体で乗り越えた男。
「父上。まだ教えてもらいたいことが山のようにあったのに…」
次男をよく補佐する三男がいる。
ロムルス・アンブロシウス。色濃く魔王の魂を継いだ男。当代で十本の指に入ることは確実な、魔術師である。
「父上。これより私はのびのびとやれます。しかし、案外寂しいものですわ」
長女が国の裏表を把握する。
ロムルス・ロウィーナ。力なく、魔力なく、智謀魔王の如し。あらゆる心の闇を統率する。
三人の子どもが政務へ戻ると、魔王の遺体の前には彼らの母親が残った。
「私よりも先に死んでは、責任を果たしたとは言えませんね。ウォーディガーン代王」
王妃メアリーは遺骸の枕元へ腰かけた。
「これから、陛下は九王会議を招集されます。ただし、ギルダス殿との不仲を解消しなければおちおち出かける気にはなれないでしょうね」
そっと手を握る。痩せて、枯れ枝と勘違いしてしまいそうになる。
一年ほど前から、徐々に弱っていった。己の死期を悟ったらしく、後継をアウレリアヌスに即断し、その実力を知らしめた。
各勢力への根回しを含め、ぞの死に支度を傍で手伝っていくのが、メアリーに残された二人の時間だった。
「大丈夫です。もうこの国は原初の九王に負けることもなく育っていくことでしょう」
メアリーは立ち上がり、ロムルス・ウォーディガーンの遺骸から離れていった。
そうしてメアリーは歴史の表舞台から姿を消した。ウォーディガーンの後を追ったとも、墓の近くに居を構えて隠棲したともいわれるが、その真偽は限られた者にしか知られていない。
ただ確かなのは、メアリーはその生涯をかけて作った国に骨を埋めたということだけだ。
酒樽を転がす。喪章は卓上に放り上げられていた。
ロムルス軍は魔王の死を悼んで、一月の間喪章をつけることになっていた。
「全く、やることやったらとっとと死んじまいやがった」
「総帥。お代わりが来ました」
いつもは止めるオイスクだが、今日は一生に何度もない特別な日だ。
大人が抱えて持ち運ぶような大樽を、片手で持ち上げてぐいぐいと飲んでいく。
ロムルス軍、総帥府、総帥室。総帥ヘンギスト、副総帥オイスクが酒盛りをしている。
「副総帥。お前も飲め」
ヘンギストもオイスクもお互いに樽数を数えるのは止めている。
「いただいています」
互いにすっかり白髪が増えた。もうそろそろ引退を考えるかと話し合っていた時に、ウォーディガーンがやって来たのは一年前の事だ。
「あいつは死ぬときどんな気持ちだったのかねえ」
「さあ? 死ぬときになれば分かるかもしれませんね」
魔王と呼ばれるようになったウォーディガーンは、しばしば一人でうろついていることがあった。だから現れた時も、驚きこそすれ慌てることは無かった。
慌てたのは、自分が死ぬと言い出して、それが冗談ではないと分かった時だ。
「じゃあ、自分が死ぬと分かった時はどうだったかねえ」
「それは個人の感じ方次第です」
私は死ぬだろう。魔王はあっさりと言った。
「本当に、やるべきことは全部片づけていきやがった」
ため息を付けたくなるくらいに格好をつけて死んでしまった。
「見事な死様でした」
「全くだ。何が、後の事は全て任せた。だ」
「完璧な仕事は、見ていて腹が立ちますね」
「そうだな」
自分の存在が無くなるという時、ああも平然としていられるというのはどういう理屈なのだろう、しばらく考えてみた。
「まあ、俺はウォーディガーンじゃねえし、いくら考えてもわからんよな」
オイスクの樽が空になった。
「私は少しだけ分かります。きっと事前に死ぬと分かったら、後の事を全て誰かに托すでしょう」
「はーん?」
ヘンギストの息が酒臭い。飛んでいる爪の先ほどの魔獣が息の中に飛び込んで床に落ちた。
オイスクが、ふう、と息を吐いた。魔獣が床に落ちる。
「自分が、誰かのために生きていると思う者は、最後まで何事かを成し遂げようとするのでは、ないでしょうか?」
「へーえ。そういうもんか」
「若は、ご自身のために生きるお人だ。そういう人は、死ぬ間際でも生きようとあがくのでしょう。恐らく」
ヘンギストの樽が空になった。従者を呼び、お代わりを持ってこさせる。
「若はよせ。もういい歳してるんだぜ、お互い」
「世継ぎがいませんからな。いつまでも若です」
「うるせー。俺より強い女がいいんだよ」
「ははは」
ナニモノかが遠くで鳴いている。魔王のいない夜は静かに更けていく。月は中天に掛かり、そして満ちて行く。
魔王は死んだが、その国は強くなった。魔獣を取り込み、魔術師を取り込み、魔人を取り込み、次はいったい何をくらって大きくなるのか。
それはだれにも分からない。
大きな口を開けて、次の得物を待っている。
魔王と呼ばれるようになったのは葬儀を執り行った時からである。
ロムルス国初代国王、ロムルス第三代代王であったウォーディガーンは、死後に魔王の位を送られた。魔術に通じ、魔術師を収め、魔獣を制し、魔人を認めたその功績をたたえる称号として決まったのであるが、時折見せる格好つけた様子がまさに魔王であったことが大きな要因であった。
そのことは周知の事実であるが、何となく皆隠していた。
(そのうち魔王という名前も伝説のものになるのであろう)
王都ロムルスと呼ばれるようになったかつての代王都。今は聖霊教、もしくは聖光教と呼ばれている宗教結社が本拠地を構えている。
建物と呼べるほどのものではない。簡単に雨風を凌ぐことができる屋根と壁と床がある。広場があり、いくつかの光の玉が浮いている。
日差しの温かな日には、近隣の住民が集う憩いの場となっていた。
聖光教、教祖と呼ばれているのはベーダである。数人の使徒を従えて、五十年で西大陸に大きく勢力を広げていた。
聖光教、またの名を聖霊教、元の名を精霊教という。その教義の大きな特徴として挙げられるのは、精霊の存在を信じることである。
広場に浮いているのがそれなのだそうだ。
そして、宗教である以上祈りが存在する。
「私たちの王、魔王が精霊の導きを得ることを願い、祈りを捧げましょう」
独特の形に手を組み、ひと時の祈りの時間を持つ。魂が昇華された存在であるという精霊に意志を届ける行為とされている。
「御身に精霊の導きがあらんことを」
「精霊の導きがあらんことを」
聖光教と大層な名前がついているが、元々はベーダという一人の青年がその身で実践していた精霊教という土着の宗教である。
しかし、その精霊教という土着の宗教はベーダとウォーディガーンという二人の存在を得ることによって飛躍的に信者を増やした。
今では、聖光教、聖霊教という大層な名前が使われることも多い。精霊教の名前を捨てたわけではないが、その名前を使う者は少なくなっている。
「ベーダ翁、疲れただろう」
聖霊教の教会において魔王追悼の祈りをささげていた者達が解散し、教祖と使徒のひとりが話し込んでいた。
「ありがとう」
渡された白湯をうまそうに飲む老人が一人。老いてなお清廉な印象は変わらず、むしろ若い時よりも美しいと言われるベーダである。
目元に刻まれた皺の一本にでも触ることができるのなら、と、九十を超えた老婆から二十歳に届いたかどうかという若い娘まで、頬を上気させて熱く語る美貌である。
「次はお前の番ではないかともっぱらの噂のようだ」
白湯の椀を持ってきた者が言う。使徒であることを示す外套を羽織るのは、第一使徒であるスティリコである。魔力を蓄える鉱石でできている世にも珍しい体を持つ。
聖堂と呼ばれる祈りの場で、教祖ベーダと第一使徒スティリコが言葉を交わしている。聖霊教には厳しい戒律もなく上下関係は緩やかなものであるが、それでも、格が違う存在というのはいる。
聖光教、またの名を聖霊教。
精霊の存在を感じ、信じ、動かす。
魔術に関わるものではあるが、大魔術師ギルダスの範疇より外れた術。口の悪い魔術師が、夜の酒場で、こう、ぼやく。
「アレは外道の術だ」
「信仰という者はああも恐ろしい。精霊も人間も、どちらも馬鹿にしているではないか」
そうして聖光教の信者が近づくと口を閉ざす。
精霊を交わる術、それを継承して発展させたのが教祖ベーダである。
ベーダはスティリコの言に少し肩をすくめた。
「まあ確かに、私ももう七十を超えてしばらく経ちます。いつ精霊の元へ旅立つか分かりませんね」
「嘘つけ。いつまでも死なないだろう」
「おや」
スティリコの鉱石の肌が、暖かい日差しを受けて煌めいている。
第一使徒。天鍵の使徒。魔人種。人種の教祖に仕えるその右腕である。
「誰が最強の戦士か?」
老若男女問わず、ロムルス王国ではその話題が盛り上がる。
一対一の決闘、軍を率いる手腕、魔術の冴え、逆境への反骨、敵を赦す心。強さとされる分類や問う年代によっても変わる答えのはずだが、いくつか鉄板が答えになることが多い。
「聖霊教の第一使徒様だろう」
「竜騎士様だな」
「魔王陛下じゃないか?」
「傭兵、黒兵団の団長だ」
第一使徒の名前を挙げる者にその理由を尋ねてみるとこう帰ってくる。
「魔術を使える人間は強い。魔人種だろうが人種だろうが其の外だろうがだ。なら、その魔術が聞かない者はさらに強いだろう」
第一使徒は魔術を無効化する。その体を構成する鉱石は、あらゆる魔力をその内に閉じ込める。
魔術とは形を持った魔力であり、魔力をその内へそのまま仕舞いこむ鉱石は、典型的な魔術師殺しとしてその名が知れ渡っている。
そんな二人が、国の先行きを語り合っている。
和やかな聖霊教の本部教会の一角は、余人を寄せ付けない気配を漂わせている。
「ギルダスは、どうやっても魔王の息子―失礼、アウレリアヌス陛下―とは合わないな」
「陛下もギルダスの振る舞いを苦々しく思っていなさるようだ」
「陛下の崩御を窺う連中に対処せねばならないというのに、身内でもめるとはな」
どこか他人ごとのように嘆くスティリコの口調に、ベーダが咳ばらいをした。
「各地の使徒に、戦乱の兆しを抑えるように言っておいてくれ」
「ふむ」
スティリコはすぐにベーダの意図を察する。
「門を使うが、構わないな?」
「そういうことだ」
「―それほどに?」
スティリコは王宮に出入りしていない。したがって、二代目魔王のアウレリアヌスと魔術師ギルダスの確執がどの程度のものなのか直接見ていない。
「―そうだ」
ベーダの頭が重く垂れる。白湯の器が空になった。
「全く。老いぼれも餓鬼も馬鹿ぞろいか」
心底忌々しそうに悪態をつく。
「その口調は久々に聞くな。五十年ぶりか?」
穏やかにベーダがスティリコの悪態をいさめる。
「すっかり穏やかになったと思ったが、まだあなたの中には悪漢がいるようだ」
「当り前だ」
スティリコはベーダの椀にお代わりの白湯を注ぐ。
「俺の中身は五十年で何も変わっていない。第一使徒、なんて肩書にふさわしいようにふるまっているのは、ただ、お前との約束があるからだ」
その目には、体に蓄えられた魔力の輝きとも異なる光がある。絶望の光とも似ているそれは、渇望の光。己の一族に与えられた仕打ちに反逆するという光だ。
「ええ。分かっています。そのために、五十年かけて精霊教を大きくしてきた」
スティリコが立ち上がる。
「では行ってくる。ロムルスの正規軍にいる知り合いにも声をかける。上手く使徒と協力させよう」
「頼みます。行きなさい、天鍵の使徒。あなたに精霊の加護があらんことを」
門を開け、ロムルスの領土各地に散らばる使徒の元へ向かって行く。
使徒の能力を使った光が消えていく。
温かな日光の中へ溶けて行く名残に、教会の中にいる信徒たちは自然と祈りをささげていた。
魔王が死んだ。
側近たちはそれぞれにその死を受け止めていたが、王宮内は揺れた。
「こうも早く騒ぎが収まるとは…」
とある領主が魔王の三男であるロムルス・アンブロシウスに謀反を持ち掛け、生きたまま分解されて三日三晩ばらばらになったまま泣き叫んで助けを呼びながら死んでいった。
それで王宮内の揺れは収まった。
王宮の乱れを抑えたのはギルダスであった。
「儂が他の人間にそそのかされて謀反を起こすような者に見られるとはのう」
子供向けの絵本に出てくるような、いかにも魔術師然とした外套に帽子に杖を持つ。
魔王の師。ロムルス王国最高の魔術師。そして教育者だ。
王宮内、弟子を五人連れている。
「師匠、今更代王都に来て何をするっていうんです?」
「もう代王都じゃないぞ、王都だ。五十年前に改名しただろう」
「五十年なんてほんのちょっと前の事だろう。一文字抜かすぐらい大した違いじゃないし、細かいこと言っていると早く禿げるぞ」
「要件を済ませて早く研究に戻りましょう。もしかしたら合成魔獣の餌を忘れてきたかもしれない」
「はあ!? 先月、それで俺の魔道人形が十三体も食われたんだぞ! 忘れたんじゃないだろうな!?」
やいのやいのと、賑やかに五人の弟子が歩いていく。体格、研究内容、果てには種族さえも異なっているが、唯一共通点がある。
王宮内で、貴族たちが噂する。
「あれがギルダスの弟子…。皆若造ではないか」
「噂が一人歩きしているとしか考えられない」
「しかし、この間の処刑で手を下したのは奴らでした」
「ううむ。出自も得体がしれない連中で、しかもまともな神経を持った者が一人もいない…」
「しっ。こっちを見たぞ。聞こえるかもしれない。もっと声を落とせ」
密やかに、噂が歩いていく。
「あれらが本当に当代で五指に数えられる魔術師なのか?」
「いかれた処刑人の間違いだろう」
噂と共に、魔術師は歩いていく。
「師匠。申し訳ありません。どうにも王宮というのは噂の立ちやすい所でして」
「分かっておる。先代魔王が若い時から王宮の連中とは顔を合わせることも間々あった」
五人の弟子の一人。
「しかし、ロムルス・アンブロシウス」
その家系を示す苗字を強調するようにギルダスは呼ぶ。
「お前が儂の弟子だと知らぬわけではあるまいに、よくもまああれだけのことが言えるものだな」
「昔からそうでしたから。仕方ありません」
アンブロシウス、ウォーディガーンの三男は力なく笑う。
変わり者の三男。王族でありながら魔術師に弟子入りし、その研究に余念がない男。そういう評判のアンブロシウスは、王宮内に味方がいない。
家族との仲はいいが、臣下との絆は無いに等しい。
「父上もかつては自室で魔術の書物を読んでいたといいますし、私についても今後に期待していただきましょう」
それでも彼は魔術が好きなのだ。
「ほっほ」
自信なさそうに、しかし力むことなく言ったアンブロシウスに、ギルダスは嬉しそうに表情をほころばせた。
この連れている五人の弟子は、それぞれ得意とする分野は異なるが、素質ある優秀な魔術師である。
魔術師の養成機関を築き挙げて数十年。
晩年にいたり、これほど素質に恵まれた弟子に、五人も恵まれた。
(ウォーディガーンは研究はそこそこしかやらず、儂にまかせっきりだったな)
初めての弟子を無くした。
喪失感は大きいが、自分にはまだまだ多くの弟子がいる。
(魔術は大きく発展を遂げた。母を奪った醜い争いはもうない。それほど魔術師は力を付けた。それもこれもウォーディガーンのおかげだ)
すっかりお互いに歳をとったなと、生前笑い合ったことがある。
そこで改めて礼を言った。
「ウォーディガーン。お前のおかげで魔術師は研究に全力を注ぐことができる。治療の研究をしても、医者や薬師に妨害されることは無くなった。母のような、人々のために研究をする者の足を引っ張る者はいない。本当に礼を言う」
「それを望んだのはギルダスだ。俺はそのために自分ができることをしたに過ぎない」
「ああ。お前はいつもそう言う。自分は他人の望みを叶えるだけだと。そういう存在が、この世にどれほど貴重なのかも知らずに」
儂の望みは叶った。魔術師は広く認められ、社会に必要な存在になった。
魔術は決して怪しいものではなく、素質と訓練によって使いこなす力なのだと皆が知っている。
母はかつて、病や怪我の治療を行って、魔術の使えない医者や薬師たちに殺された。だが今では、医者も薬師も治療師と名前を変えて、魔術による治療で多くの命を救っている。
(母の復習はここに成った。魔術は、命を救うことができる)
だからこそ、儂は魔術を守る。魔術師を守る。命を懸けて、命を守る。
(儂の望み、魔術師の望み。次代の魔王よ、儂は、魔術師の希望を守ってみせるぞ)
魔術師の背中を、王子の視線が見守っている。
その視線は、不安そうであり、しかして確信に満ちたものでもあった。
王宮を出ると、ギルダスは一度だけ振り返った。
二度と王宮を見ることは無い、その決意があるのかないのか。それは老いた魔術師にしか分からないことだ。
魔術師一行は、己の学び舎へ帰っていく。
そうしてまた研究を行うのだ。




