50話 戦線
ここは東大陸。北辺。
レムス王国は一般的に温暖な気候であるが、この北辺は例外の一つである。遊牧民の住まう地に近づくと、最も温かくなる頃でもかろうじて岩に苔がへばりつく程度にしかならず、したがって田畑を耕すこともできない。
「オオオオオオオオ!!」
うねりのような雄たけびと雪の舞う中で、遊牧民と北辺の軍団が戦っている。この光景にもすっかり慣れてしまった。
もう、ここにきて一年になる。
積もった雪を蹴散らして、遊牧民の駆る魔獣が姿を現す。西大陸にいる魔獣とはまた異なるが、この東大陸北辺は、レムス王国唯一の魔獣生息地となっている。
数えきれないほどの足をわしゃわしゃと蠢かす魔獣は、不規則ながらも素早い動きで北辺の兵士を蹴散らした。
舞い上がる雪でよく見えないが、背後に数体の影が見える。
こちらの中央突破を図るつもりだ。
「ウォーディガーン!」
東大陸で出会った武人にして、現在俺の身元引受人のアゼリオ将軍が叱咤を飛ばす。
「とりあえず先頭を止めてくれ。後は何とかしよう」
隣の戦友がそう言った。俺は大きく頷いた。
凍えてかじかんだ指を動かし、背丈を超す長刀を構える。
「刀身強化」
刃に沿って書き込んでおいた制御文字を作動する。それらの文字が構成する魔術で、長さを出すために犠牲にした長刀の強度を保つ。
「肉体強化」
体内に魔力を巡らせる。廻った魔力はかたちを成し、肉体の機能を強化する。
心臓の鼓動が早くなった。
頭の中で血が滾る。かじかんだ指先にも、暖かい血が巡りこんでいく。
「―!」
何事かを叫んで突撃してきた魔獣と遊牧民の騎兵の脇を掠めて過ぎ去った。後ろから暖かい血しぶきが追いかけてくる。
後続の遊牧民たちの動きが止まる。
(きっと、またこいつか。と思っているんだろう)
「範囲拡張。周辺爆撃術式起動。威力、弱」
あらかじめ仕込んでおいた制御文字による魔術式に魔力を流す。
雪が抉れて吹き飛び、視界を遮る。遊牧民の突撃陣形が崩れた。
首の後ろに、ちりっとした気配を感じて、跳び退いた。
足元に、十本近い矢が刺さる。
「―。――」
初めに切ったはずの騎兵が背後から矢を射かけてきた。乗っている魔獣は足が一本無くなっているが、血は止まっていた。
中央突破を図っていた騎兵に囲まれた。しかし、さらに外から北辺軍の兵士が取り囲んでいる。矢を射かけてきた騎兵が何事かを合図すると、騎兵たちが素早く元の道を引き返していく。
彼らは、あるいは彼女らは、北辺軍の前線を背後から襲う形になった。
ただ、そこはこちらも心得たもので、訓練通りに道を開けて奴らを通す。また初めの陣形に戻った。
こんな戦いを、日に十数度も繰り返している。お互いに死人はほとんど出ていない。どちらもとことんまでやり合う気が無いのだ。
遊牧民は、戦いに参加したという名誉と、あわよくば日々の生活が少し潤う戦利品が欲しい。一方の王国側は、略奪による被害を減らしたいだけ。
(生きるか死ぬかの食い合いとはまた違う戦をやっている。あそこは過酷だったが、もっとわかりやすい。此処はぬるいと感じるほどだが、複雑だ)
更に三度の突撃を追い返し、日没を迎えた。
「今日はここまでだ! 撤収!」
隊伍を組んで戦場から撤退していく。
勝ちでもなければ負けでもない。遊牧民の一団が南下を図り、北辺のアゼリオ軍が阻止した。それだけの戦いだ。
因みに、今まで戦っていた遊牧民の一団は陽動である。アゼリオ率いる防衛の主力をひきつける動きしかしていない。
今頃、主力を終結させるために手薄になった防衛線をかいくぐり、隙間を抜けた遊牧民の小部隊が略奪の戦果を持ち帰っているのだろう。
俺は今、雇われの傭兵のような立場にいる。
アゼリオ将軍の意思で危うくなった戦線に投入され、魔術を用いて援護を行う戦力だ。
身元を預かっているからといって、大切に扱うつもりはない。
一年前の或る日に言われたのだ。
「どうですか? 痩せた土地でしょう? これでもずいぶんと開発が進んでいる村なんですよ。代王陛下、ああいや、元、でしたな。ウォーディガーン」
あからさまに嬉しそうなにやけ顔で、俺がどんな表情をしているのか覗き込んできたことをよく覚えている。
「間違っても王侯貴族のような暮らしができるとは思わない事ですな」
それから一年の間、俺は一人で生きてきた。
見張りとして数人が監視についたが、こちらが話しかけても何も返さない連中だった。
俺は無一文の状態から、北辺での生活を送らざるを得なくなった。
「仕事? いくらでもあるよ。給料を選ばなければね」
ひとまず路銀を稼がねばならない。
そう思ってみたものの、どこに行けば仕事があるのかも分からないのだ。親切そうな人間に当たりを付けて話しかけていくうちに、情報は少しづつ集まっていった。
(代王国でできることがあるならば、仕事を紹介するような役所を作ろう)
俺がそう誓ったのは、この時だ。宿代を稼ぐ当てがなくて本当に難渋した。
「道の掃除で良ければ…」
「任せてくれ」
「どぶさらいの仕事があるよ」
「やる」
「畑の収穫を手伝ってくれ」
「よし来た」
一月ばかり宿代を稼ぎつつ、時々アゼリオに生存報告に出向いた。その時ばかりは見張りの連中が話しかけてくる。
ちゃんと口が利けるのなら、退屈しのぎの話し相手にもなってほしいのだが。
「アゼリオ将軍。俺に何かできる仕事は無いか?」
アゼリオの砦に出向いて、仕事をくれと言い出した。北辺の生活にずいぶんと慣れてきた頃合いだったように思う。
「…ほう。王族の出身にも関わらず自ら稼ぎを探すとは珍しいお方のようですね?」
「―なんとしてでも帰らなければならない」
或る日の生存報告で、決意をきちんと伝えたことがある。
「代王国には既に第二王子が代王として派遣されましたが?」
「それでも、俺には帰る理由がある」
「その理由がなんであろうと、陛下がそれを許すとお思いですか?」
「―今はまだ時期じゃない」
含みを持たせた発言に、アゼリオが指摘を入れることは無かった。薄々察したのか興味がないのかは知らない。
ただその後、遊牧民との戦に傭兵として雇ってくれた。かなり値切られたけれども、安定した収入源があるというのは心が落ち着く。
「今日は肉以外のものが食べたいな…」
北辺の食生活は貧しい。
北辺に来て六か月余りが過ぎた頃には、麦の少ない生活にうんざりしてきていた。
何と言っても、毎食肉を食わなければいけないのである。
「しかし、麦は今日も高い」
パンを作る穀物は南が主要な生産地になっている。交通路が上手く回っていた時には、北辺の魔獣の品々とよく取引されていた。
しかしながら、今はその北辺の住人と戦争中である。
十年ほど前から散発的な戦闘は続き、魔獣の品の供給を西大陸の代王国のものが占めるようになった。それは即ち、代王国からの輸入品を担っていたレムス公爵家の力が増すことを意味する。
「いらっしゃい! いらっしゃい! 貴重な魔獣の品々で作られた武器防具、今だけの特別価格で販売中だよ!」
「魔獣の胆石で作った薬だよー。打ち身、擦り傷、なんにでも効くよー」
魔獣の肉体には高い魔力が込められていて、それが不思議な力を産むことがある。
そのため魔獣の品々は貴重、かつ、生活の中で大きな役割を果たしてきた。
「おいおい、特別価格と言ったって、先月よりも高くなってるじゃないか」
「しょうがないんですよ、旦那。元々の材料が手に入らなくなってきているんですから」
「薬、もっと安くならないのか? うちには病気の子どもがいるんだ」
「奥さん。私だって役に立ちたくてこの商売をやっていますが、どうしたって食っていかなくちゃいけませんからねえ…。すいません」
現在、遊牧民との戦闘で倒した騎獣、つまりは騎兵用調教された足の速い魔獣を戦場から持ち帰るか、細々と闇取引で遊牧民から仕入れるかしないと魔獣の品は手に入らない。
量が少なくなれば、値段もあがる。
北辺近くではまだ手に入っているが、王国の南にまで届くころには十倍近い値段になっているのだという。
(それを解消するべく、王族を西大陸へ送り込んだわけだが―)
もうじき、一年が過ぎる。
(あの第二王子とやらはまだ死んでいないらしいな…。あいつがいなくなれば、俺に何かしらの命令が来ると思っていたんだが、相当粘っているのだろうか)
魔術で強化している聴覚に、後ろから忍び寄る小さな足音が聞こえてきた。
「えーい! まおーかくごー!」
ひらりと身をかわし、鮮やかに宙返りを決めて屋根に着地した。
そこで、夜中にこっそり考えた、とっておきのセリフを放つ。
「くくく、よくぞ参ったな勇敢なる戦士よ…。しかしこの魔王の背後を取るにはいまだ修練が―」
「とう!」
セリフの途中で石を投げてきた。
「危ない!」
地面に降りると、拳骨を一発お見舞いしてやった。
「こら! お前が考えて来いって言ってたセリフを言ってる途中だったんだぞ!」
「へへへー。すきをつくってやっつけるさくせんだったのだ!」
戦場が近いからか、やることが子供離れしている。普通この年の頃は正義の味方に憧れたりするのではないだろうか。だまし討ちとは、悪役のそれである。
「なるほど、やるな」
勿論有効な手なのだが。
仮住まいをしている下宿先には、近所に子どもが多い。魔術を使う面白そうな奴は、あっという間に遊び相手となっていた。
「魔王! お帰り! 見てくれ!」
あだ名は魔王ということになっている。魔術を使うことと、西大陸で代王をやっていたことから誰かが名付けてくれたのだ。
俺を魔王と呼んだ彼が、得意げに教えた魔術を見せてくれた。
「すごいな、昨日教えたばかりなのにもうできるようになったのか」
「父ちゃんが魔術師だったんだー」
「そうだったのか。じゃあお父さんに教えてもらったのか?」
「うん…」
この子の父親は、先年亡くなっている。
「気にすんなって、魔王」
「そうだぜ、まおう。もうそういうのはおわったんだ」
「そうだ。俺たちは今まだ残っている物を奪われないように強くなるんだ」
剣。魔術。
二人とも得意なことは違うけれど、見つめているところは同じだった。
「ここに残ってお前たちの成長を見守りたいんだがなあ…」
「分かってるって、魔王」
「かえるんだろ?」
本当に、こいつらは子供離れしている。
初めて出会った時から、そういう風だった。静かな満月の明るい夜を思い出す。
「急げ! 知らせが来てから四半日は過ぎている!」
機動力の高い兵士が真っ黒な塊になって駆けて行く。
目的地はとある村だ。
視界に目的地を収めた頃に、甲高い声が聞こえてきた。
「うるさい! ゆうぼくみんども! おれのかねにさわるな! それは―」
「子供。騒ぐな。命はとらない。消えろ」
遊牧民の略奪にあった村が再び襲われていると知らせを受けた。駆け付けた頃には既に荒らされた後だった。
略奪の跡が残る村、既に廃村という言葉がふさわしいまでになってしまった場所に、まだ生きている者がいた。
「うるさい! おれは、おれのたいせつななものをおれのちからでまもるんだ!」
「処は戦場。子供。容赦しない」
遊牧民の最後通告にも、武器を持った子供は怯まない。怯えが全身を震わせていた。それでも、ナイフを握っている手は固く柄を掴んでいる。
不意打ちには絶好の機会だ。
「!」
気配に気づかれたが、反撃に出るよりも早く先手を取ることができた。
「誰…?」
少年は呟いて頽れた。
「おっと」
怪我をしているのかと駆け寄ったが、気絶していただけだった。
「気を失ったのか」
目の前にいた敵が急に動かなくなったので、気の糸が途切れたらしい。
(自分の大切なものは、自分で守る。か…)
「…」
年端もいかない子供が、周りの力を当てにせず戦っていた。
つい、と自分の行動を振り返る。竜騎士に頼まれて代王になったこと。側近の力を当てにして魔獣と戦ったこと。極めつけは、レムス王の力を借りて反乱を起こした領主を従えようと思ったこと。
手の中に抱えていた子供の身体が、ひどく尊いものに感じられた。
(大切なのは自分の力、いや違う。力じゃなくて、もっと根っこにあるもの。―そう。自分の力で立ち上がろうとする意思のようなもの)
それには多分、勇気という名前がついている。
子どもたちと別れて、ねぐらに帰る。寝床に潜り込んでつらつらとそんなことを思い返していると、いつの間にか眠ってしまうのだ。
あちこちの村から生き残りが集まってくる。此処はそんな町。アゼリオ将軍の駐屯地だ。俺が故郷に帰る許しはまだ出ていない。
ところ変わって西大陸。
「殿下、今月分の魔獣討伐報告でございます。御裁可を」
「ふう。父上の名とはいえ、魔獣狩りと反乱軍の討伐を同時にこなすには兵と将が足りないな」
「御意」
豪勢な駐屯地の中に、これまた豪勢な幕舎が立っている。東大陸から持ち込んだお気に入りの寝台に身を横たえつつ、第二王子、レムス王より新たに任命された代王は報告書に目を通した。
「先月よりもさらに収穫量が落ちているが?」
「はっ。対魔獣用に生産している、装備の劣化が激しい事が原因と思われます」
「ふうむ。もっと人手を集めることはできないのか?」
「それは…。今の水準の賃金ではこれ以上は難しく…」
「む? 十分な賃金は払っているはずだろう」
「ここでは少し」
報告に来た近衛兵が言いよどむ。私は人差し指をたてて近くに寄るように合図を出した。
「恐れ入ります。実は―」
耳元で囁かれたのは、予想通りといえば予想通りの内容だった。
東大陸から軍資金や物資が送られてくるが、途中でかなりの量が消えている。
「腐った奴らめ。レムス王の足元に侍らせるのも憚られる者どもだ!」
「お静かに。殿下。何人が聞いておるやも」
「ふー」
ある程度想定はしていた。だからこそ、予算は多めに申請して通しているし、軍の総数に対して過剰なほどの物資を運び込ませている。
「レムス王国の安寧のため、なんとしてもこの戦役を無事に勤め上げねば」
「はっ」
「姉上が王位を継承した後、いかなることが起きても揺らがぬ国を作るのだ」
「ははっ」
「急ぎ物資を横流しした者達を捉えよ。私の前で首を断つ。直々に剣を振るうこともいとわぬ」
「直ちに!」
ひとまずこれでいいだろう。しかし、一時的なことだ。金が集まるところにはその亡者も集まってくる。
レムス王国は豊かな国だ。それぞれが一生食うに困らず、寝床に不自由のない国だ。
(どうしてそれで満足できない。なぜ更なる富を持とうとする。それぞれが己の領分の中でつつましく生きていくことがなぜできない)
「殿下! 反乱軍の一隊が魔獣物資の集積地を襲撃しています!」
「すぐに行く。馬を引け。近衛隊は!?」
「御身の前に」
「進発する。お前。先行し、反乱軍の側面に奇襲をかけよ」
「はい」
魔獣の集積地を襲撃した。それに対して東大陸軍が高機動の部隊を出す。
「魔獣の品が大事な第二王子さまは、自分で動くだろう」
軽率だと責めることはできない。
なぜなら、集積地は東大陸軍の陣の只中にあるからだ。第二王子は兵力にものを言わせて港を一つ抑えた。船で東大陸から補給線を繋ぎ、常に一万程の兵を率いて各地に駐屯させた東大陸軍を回っている。
(馬鹿ではないのは、駐屯地に選んだ町を見れば分かる)
第二王子は、港のほかに代王国の二つの町を抑えた。
(補給部隊とその護衛を合わせた一万近くが、他二ヶ所にある駐屯地を回って物資を届ける)
目の前に置いた卓上に、地図が広げてある。東大陸軍が駐屯している町に二つ、一万の軍を現す駒を置く。
(一万が二隊。合計二万の遊撃軍。それが町と港で囲まれた三角形の内側を舐めるように動き回る)
代王国の中に、もう一回り小さな国ができたような有様だ。三角形の中には、我々三領主軍は言うに及ばず、代王国軍も自由に移動できない。
「さて、第二王子さまは引っ張り出した。後はババアの仕事だ」
「ナサ様、あちらからブレイナード領のものがすごい視線で睨みつけております」
「ババアの腰ぎんちゃくはほっとけ。それよりも、目の前にある代王国軍と東大陸軍を見とけ」
うるさい従者を追い払い、地図に見入る。
(まずは、東大陸軍の南北二つの駐屯地だ)
一年。戦線は膠着していた。その間によしみを通じた領主を引き込み、反乱軍と呼ばれている三領主軍は二万に膨れ上がった。
兵站を見ているツヴァイ家の連中は疲労困憊だろうが、俺はここで勝負を決めるつもりだった。
「ナサ様。トレース領軍は無事、東大陸軍の駐屯地を落としたようです」
「ねぎらう暇はない。次は遊撃軍を挟撃する。こちらに戦時行軍で戻るように伝えろ」
「砦攻めをした後に戦時行軍ですか?」
質問をしてきた男をまじまじとよく見た。
「なんだ、お前は俺の部下じゃないのか」
あっちへ行けと手で追い払う。
「ナサ様」
相変わらずいいタイミングでいつもの従者が現れた。
「駐屯地攻略部隊に―」
「戦時行軍速度で戻るように伝えました」
「―ご苦労」
先読みが過ぎるのが珠に傷だが、間抜けな質問はしないし、この戦いの目的もよく分かっている。
「代王国軍は撤収するようです」
「ほう? 勘づいたのか?」
「分かりません。あらかじめ決められていた通りに動いたように見えました」
「なるほど」
代王国軍にもいい将がいるようだ。
「東大陸軍は?」
「一万の軍です。そう身軽に撤収はできません」
「ふん。つまらん。烏合の衆に気後れして膠着するような連中か。せめてぶつかる気概くらいは見せてくれれば面白い勝負になるのだがな」
「精強との呼び声高いトレース領軍を警戒しているのでしょう。もしくは、倍近い相手を警戒しているのかと」
「その軍が全て駐屯地攻略に向かっていることも知らないのだ。お粗末な相手だ」
「先ほど第二遊撃軍へ援軍の伝令を出したようですが?」
手塩にかけて育てた軍をすべて駐屯地に向け、俺が率いているのは一万七千ほどの領主連合軍。対する東大陸軍は一万の第一遊撃軍。さっきまで百程の代王国軍がいたが、既に撤収したようだ。
「東の第二遊撃軍が到着するまで一日かかる。トレース領軍が到着するまで半日。半日で目の前にいる軍を潰し、その敗残兵を追い立てて第二遊撃軍に向かわせる。味方の敗残兵が突入してきて混乱した第二遊撃軍をさらに追い立てて、港に向かわせる。それで終わりだ」
つまらない戦になりそうだった。
大あくびをしそうになって、気を引き締めた。戦の合間に、欠伸をした口の中へ流れ矢が刺さって死んだ奴もいるのだ。
「想定通りに行くかどうかは、代王国軍総帥と竜騎士によるでしょうね」
「邪魔しに来てくれると、面白くなるんだがなあ」
退屈凌ぎに従者が不確定要素へ注意を向けようとしてきた。
(だが、十中八九来ないだろう。邪魔者同士が潰し合ってくれるのだ。わざわざ出てくることは無い。戦い終わって疲れた頃に、残った方を潰す。そういう風に考える)
そしてもちろん、俺はその時のための方策も考えている。
「早く終わらせたいもんだ。こんな戦いは」
従者は何も言わない。俺がわざわざこんなことを言う時は、その実、欠片も油断していないことをよくわかっているのだ。
つくづくよくできた従者だ。全く。
「物資の輸送隊は急げ! 休憩? そんなものは戦闘後の話だ!」
石人山脈を通じて大陸中から物資を輸送している。既に戦闘は次の段階へ入った。
つまり、東大陸遊撃部隊の撃破を終えて、第二王子の首を取るのだ。
この作戦を初めに聞いた時には反対した。どう考えても利用できる相手であり、敵対するよりも手駒にして上手く使うべきだと思ったのだ。
そんな僕に、ナサが言った。
「なあ、おい。お前は何のために戦っているんだ?」
自分は何のために戦うのか。
「僕の兄さんは、代王都が魔獣に襲撃されて死にました。死体の欠片も見つからない、ひどい死様でした」
「だから?」
「今の代王―ウォーディガーンの事ですが―の責任を問いたい。彼よりもふさわしい王がこの地には必要です」
「何を持って相応しいと決める?」
「力を。魔獣と共に暮らすことを宿命づけられているこの大陸で生き抜くために必要な、己を守る力を持っているかどうかです」
「なるほど」
ナサはにやりと笑った。ブレイナードも、目元の皺を深くする。
「帳簿とにらめっこしているのがお似合いのお坊ちゃんだと思っていたが、違うらしいな」
「当り前です。僕だって、開拓民の血を引いているんです」
そう言ってやると、二人の領主はますます嬉しそうにした。
その後に言われた一言で、僕は東大陸軍と戦うことを決意した。
遠くに土埃が見えてきた。
「さあてお前たち、そろそろ来るよ」
「了解」
「かしこまりー」
「あいよ。頭」
ばらばらの返事が返ってくる。
軽く港を襲って準備運動はばっちりだ。
「ブレイナードの姿を、東の連中の魂に刻みつけるんだよ」
(と、威勢よく啖呵を切ったはいいが、私はもう歳だね)
剣を持つ手は疲労で震え、膝の痛みは増していく。まともなのは口先だけと来れば、誰が見たって立派な老いぼれであろう。
しかし、やらねばならない。
(なにしろ、言い出したのは私だからね)
しばらく前。
「東大陸軍に喧嘩をしかける?」
正気かババアと言いかけた横っ面を張り飛ばした。痩せて枯れ木となりかけた腕だが、身の程知らずを吹き飛ばすには十分だ。
「理由を」
ツヴァイ家の次男坊はどんな無理難題でも必ず最初に話を譲る。それは長所でもあるが、やや攻撃性が足りないような気もして物足りない。
総じて、トレース・ナサは叩きがいがあるのだ。
「やつら、魔獣を狩り始めている。後先考えないやり方でだ」
「その情報ならもう入手しているし、放置しておくということで話はついたはずだ」
ふらつきながらナサが立った。頬が腫れてきている。私の護衛が笑いをかみ殺した。
「そうかい。そういう態度なら、このことはまだ知らないんだね?」
「ああ?」
「ナサ様。また吹き飛ばされますよ」
トレース領の従者が横槍を入れると、ナサは何も言わずに話を聞く姿勢をとった。
「連中、領地の中で好き放題さ。魔獣を大規模に狩り始めたから、それを送り出す港を乗っ取った。ついでに、港を守るために町に勝手に駐屯地を作った」
「もういい―」
「いいや最後まで聞きな、トレース・ナサ」
すぐにでも軍を出そうと言いかけた若造を遮る。
「駐屯地や、港近くに土地を持っていた連中は、抵抗して殺されたよ」
「…」
「…」
二人の沈黙。それは哀悼の黙禱なのか、怒りを蓄えているのか。
「自分の土地を守ろうとしたんだ。その蛮勇は称えよう。しかしね、私たちには責任がある」
「東大陸軍を野放しにした、か?」
私は大きく頷いた。
「分かった。おい、招集をかけろ。軍議だ」
「はっ。全軍に召集をかけます」
「ちょっと、ナサ殿!?」
ナサはすぐさま立ち上がったが、ツヴァイ・ファルコムは渋った。
ナサとファルコムの数度のやり取りの後、ナサが言い放った言葉でファルコムは首を縦に振った。
「俺たちが生み出したもの。俺たちが受け継いだもの。それを横からかっさらおうとした連中に、お前は腹が立たないのか?」
(ふふっ。いつの間にか歳をとるわけだ。若造が成長するということは、大人が老いるということでもある。ねえ、あなた)
心のなかで、遠い昔に死に別れた夫に呼びかける。
(もうすぐそっちに行くと思うけど、沢山話したいことがあるのよ? でも、また話が長いって逃げられちゃうのかしらね?)
土煙が近い。
剣を掲げた。
ブレイナード領の兵百名が散開していく。私は、土煙の進んでくる正面に一人で立った。
「どけ! レムス王国第二王子殿下のお通りである!」
先ぶれが近づいてきたのを、馬ごと殴り飛ばした。
土埃が止まることは無い。
「さぞや名のある方とお見受けするが、押し通らせていただく!」
第二王子の近衛部隊だ。流石に戦意は高い。
「御印、頂戴いたします」
合図を出し、先鋒の兵士を両断した。
「揉みつぶせ! 敵の数は少ない! 港に急ぐのだ!」
湧くように現れる近衛部隊の兵達の隊列が乱れた。
「頭に続けェ!!」
「ぶっ飛ばしてやんよぉ! 東の軟弱者どもが!!」
左右、上。さらにはどうやったのか地面の下からも、ブレイナード領の兵が飛び出してくる。
我が領の兵は皆一騎当千。暴れているのが遠くからもよく分かる。
南大陸の動物、馬が空を舞い敵近衛兵が空を舞う。
「陣形を乱したね、若造」
その首貰った。
私は混乱する東大陸軍の隙間を縫い、指揮官に肉薄していく。
中天に雲が湧いた。




